大人な君へ
成人式の為に、君は地元に帰って来たと言う。
僕にもそれを教えてくれたんだから、そこは素直に嬉しいな。
地図を頼りに記された場所へ行ってみると、着物姿の若い男女が沢山いた。
それでも僕はすぐに気が付いたよ。
友達と楽しそうに話をしている、君の姿にすぐに気が付いたよ。
やっぱりあの頃とは違うや。大人になったんだね。
とても幼かった。
僕に懐いて笑い掛けてくれた、あの頃の君はもういないようだ。
以前は僕に向けてくれた、その笑顔を振り撒いていて、少しそれが悔しくも思える。
どうせなら君なのかわからないほど、変わってしまえば良かったものを。
顔に微かに残っている、僕が知っている君も残っている。
だからこそ僕じゃない人に、笑顔を振り撒いているのが悔しく思えて仕方がないんだよ。あの頃に君とは違う、そう見せ付けるようで。
懐かしい。その面影が恋しいよ。
もう君は、すっかり大人なんだ。
泣いてばかりで、あんなに小さかった。それなのに、心も体もすっかり大人なんだよ。
――成長、したんだね。
理解しているんだから、認めなよ。
僕の知っている、小さなあの君はもういないんだ。
確かに君はそこにいたけれど、もう子供ではないんだ。
「全くもう、憎たらしい奴だな」
誰にも聞こえないように、僕は小さく呟いた。
僕よりも大きくなっちゃうだなんて、君が。
これはつまり、僕が年寄なんだって証拠なのかな。
それとも、それだけ君がいなくなってからの時間が、退屈だったと言うことなのかな。
まだ短い時しか流れていない。そう、思っていたんだ。そのつもりだったんだ。
それなのに、なんでなんだろう。変だな。
どうやら狂ってしまっていたのは、僕の時計だったようだね。
いつの間にか君はこんなにも成長していて、大きくもなっている。
そして、僕はこんなにも老いてしまっている。
何も出来ずに過ごしているうちにも、時間と言うのは容赦なくずっと過ぎ去っていってしまっていたんだ。
君に会う準備も、させてくれないまま。
「ごめん」って、そう謝ることくらいしか僕には出来なかったよ。
そう言ってあげることくらいしか、僕には出来なかったよ。
君の成長を、隣で見守ってあげていれば良かったね。そうするべきだったよね。
隣で微笑み続けて、保護者として一緒に喜んであげるべきだった。
あの日の僕には、そうする道だって残されていた。
なんで、なんで。そうするべきだとわかっていたのに、そうすることが出来なかったんだろうか。
「素敵」って、君を見た瞬間に思ってしまったんだ。
そのこと自体は、別に悪くはない。悪いことではない。
ただ君に見惚れることしか出来なかった、そんな僕の目は、汚れてしまっていたんだ。
汚れた視線を、君に向けてしまっていたんだ。
君と共に過ごした日。
もう十年以上も前の日々。
あの頃も君のことを、可愛いと思い続けていたんだ。
それでも、今の僕が感じている思いとは全然違う。
君に対して感じている美しいという思いは、あの頃の君に感じていた可愛いという思いとはまったく違うもので。
大人になってしまった君。
そんな君を、僕はあの日の君と同じようになんか見られなかった。……見られなくって。
友達と楽しそうに、燥ぎ回っている君。
着物なのに暴れるんだから、困った子だよね。
その姿はまるで、子供のように可愛らしくって。
それでもやっぱり、幼かった君はもういないんだよね。
完全な別人のように変わっていてくれれば。そうしてくれたならば、僕としてもまだ楽だったよ本当に。
きっと、こんなにも苦しむことなんてなかった。
僅かに顔の中にも残っている、その小さな面影が悲しいや。
もうすっかり大人な君。
成長してしまって、記憶に写る君とは違うのだけれど。
でもその中にも、僕の知る君が少しだけいるんだ。
ほんの少しだけ、それでも確かに僕の知る君がいるんだ。
時と共に人は変わってしまうけれど、変わらないものもあるから。
だからこそ、声を掛けようとする僕を躊躇わせ、歩き出そうとする僕を戸惑わせるんだね。
もういっそのこと、完全に知らない女なんだ。と、そう思ってしまいたかった。
幼い君との楽しかった日々を否定するようで、それも酷く胸が痛むけれど。
幼い君との楽しかった日々に、汚れた記憶を重ね塗りするよりはもっとずっと楽だから。
それなのに、知らない女性であると考えることが出来ないほど、あの日と変わらぬ君がいるんだ。
それなのに、あの日の君を知りあの日の君を見守った、あの日の僕なんてどこにもいなくって。
いつしかどこにもいなくなってしまっていて。
「ごめん」って、謝ることくらいしか僕には出来なかったんだ。
謝ることくらいしか、僕はしてあげられなかったんだ。
純粋な頃の僕の心。純朴なくらいだった、僕の心。
あの僕の心は、どこへ行ってしまったのだろう。
君の成長を素直に喜んで、優しく抱き締めてあげるべきだったのに。
女となってしまった君のことに、僕は触れることすら出来なかった。
自然な会話をすることすら、声を掛けることすら、僕は出来なくなってしまっていた。
「素敵」って、そう思ってしまっていたんだよ。
君と再会した僕は、そのあまりの美貌に見惚れることしか出来なかったんだよ。
僕が君に抱くべき感情と、異なった感情を抱いてしまったんだよ。
いくら自分を責めていけないと制したって、変わることのない確かな感情。
これが、時の作る心の変化なのかな。
大人になってしまった君。
僕の目は、完全に変わってしまった。
大きくなった君よりも、僕の目は完全に変わってしまっていた。
子供。ではなく、女として見てしまっていた。
親のような存在である僕は、決してそんな風に見てはいけないとわかっている。
それでも老い耄れは、美人となった君のことを女としてしか見られなかったんだよ。
着物の美の虜となり、目を逸らしてしまったんだ。
「もう二十歳になったんだよ」
可愛らしく、君は言った。
「大人っぽいでしょ」
まるで子供のような言い方で、君はそう笑ってみせた。
心の中は変わってしまったけれど、僕も見た目は変わってなどいないからかな。
君は僕のことを、人混みの中から見付け出してくれた。
見付けるとすぐに駆け付けてくれて、その愛らしい笑顔を見せてくれる。
子供っぽい言葉を言いながら、大人っぽく美しい着物姿を魅せてくれる。
僕の為だけに、見せ付けるように君はそうしてくれる。
「ああ、そうだね」
なんと言っていいかわからない。
多少緊張しながらも、ぎこちない微笑みと共に同意の言葉を返す。
「もう子供扱いは出来ないや」
そんな風に苦笑いを浮かべる僕に対して、君は屈託のない笑顔を見せてくれた。
僕の言葉に対して、君は「からかわないでよ」なんてあの日と同じようにそう言う。
からかっていると僕に言いながらも、嬉しそうに微笑んでくれる。
嘘じゃなくって、本当なんだよ。
君は気付いていないかもしれないけれど、今の君はかなり大人っぽくなっている。かなりの美女となっている。
女として見ている僕には、もう君を子供扱いなんて出来なくて。
「ごめん」って、謝ることくらいしか僕には出来なかったんだよ。
僕は君のことが好きだから。
女性として美しいとも思うけど、娘のように君を可愛がった記憶も、消えてはいない僕だから。
君の成長を隣で見守っていられれば、僕がちゃんとそうしていれば。
だって、そうすればここまで戸惑うこともなかったもん。
いきなり成長した君の姿を見て、そのあまりの美しさに戸惑うことなんてなかったもん。
ちゃんと隣で微笑みながら、君と共に歳を取って。隣で老いて逝くべきだったんだな。
「素敵」って、美しい君には見惚れることくらいしか出来なかったよ。
まさかあんなに子供だった君が、こんなにも大人美女になるとは思わなかったんだ。
僕にとっての君と言うのは、記憶の中の存在で。
幼いままで歳を取っていないんだ。
だから大人になった君のことを、君として認識することすら出来なくなってしまっていたんだ。
それほどまでに、僕の目は全てが汚れ切ってしまっていたんだ。
君に謝らなくちゃ、いけないよね。
「ごめん」なんてそんな言葉じゃなく、もっとちゃんと謝らなくちゃいけないよね。
今でも君は昔の心を失っていないのに、僕はあの日の僕の心をなくしてしまった。
大切な思い出を汚してしまうような、そんな奴に僕はなってしまったんだ。
「変わってしまってごめんなさい」
一人謝るけれど、この言葉が君に届きはしない。
君にはっきりと、ちゃんと謝りたいのに。
君に謝らなくちゃ、いけないよね。
ゆっくりと、少しずつ成長し変わっていた君。
ずっと隣にいたならば、その変化を気にすることもなかっただろう。
それなのに、その変化を見られなくてごめんなさい。
「ごめんなさい」
何度言っても、君に言わなくちゃ意味がないのにね。
「ああ」
嘆きの声が喉から零れてしまう。
「どうすればいいんだろうか」
わからない。どれほど考えたところで、僕はその答えを持っていない。
教えて欲しい。
誰か、狂ってしまった僕をあの日の僕に戻す方法を、教えて欲しい。
大人な君へ。