レモンのエッセイシリーズ 監視社会に生きる現代人へ
たまにはこういうのもありかなと思って書きました
エッセイです
批判等はコメで
二回目は「LINEといじめ」について書きます
第1回「監視社会に生きる現代人へ」
現代において、「監視者」が他人に及ぼす影響は到底無視できるものではなくなった。
その証拠に、いつも誰かに見られている社会、お互いにお互いを監視し合う「監視社会」に生きる現代人は、最早、他人の視線なしでは生きていけない体になってしまった。
ツイッターなどがその最たるものである。
例えば家族と旅行に行ったらまず写真。風景や旅館、家族の写真を撮りまくる。
しかし、あとで振り返って思い出に浸るためではない。
SNSサイトにアップロードし、他人からの反応を得るために撮るのだ。
もしその現代人に「家族旅行に行くがケータイは持っていかないように」と提案して
みたらどうなるだろうか。一概に断ることは少ないにしろ、「行く、行かない」の判断に迷う現代人はおおいだろう。
家族旅行ですら「SNSのための話題づくり」になってしまっているのではないだろうか。
また当然、その写真を見る「観察者」も多く存在する。彼らなしではこのSNSは立ち行かない。
写真をUPし、それを見て、反応を受ける
このプロセスがあってこそのSNSである。その「反応」の過程を簡略化したものが「スタンプ」や「いいね」であり、より一層このシステムに拍車をかけている。
これではその内、「ここに行ったらみんなの反応が良いから行ってみようかな」なんて理由で旅行に出て行く現代人が出てくるかもしれない。
「監視者」による行動支配の完成である。いつも誰かに見られていることは本人達の気分を害さない限り、別段悪いことではないが、その「見ている誰か」に行動を縛られるのは非常に危険である。
別に、ツイッターやLINEが悪いといっている訳ではない。
ただ、そこで、「現実と同じような人間関係が形成できると思ったら、それは少し違う」ということがいいたいのだ。
最後にネット上にUPした画像を思い出し、それが本当に他者を意識していない行動だったかを、今一度考えて欲しい