中編
自身の開発した、超高性能のロボット『フラタック』……通称『フララ』に、自身の活躍ぷりを観察日記に書いてもらう事になったマナ博士。あの時は確かにやる気満々で『彼女』に自分のアイデアをたっぷりと話し、そして自身も非常に頑張る気分になっていました。ですが、頭脳明晰、スタイル抜群というこの博士の唯一にして最大級の欠点はスイッチが入る時は物凄い頭も体も働くのですが、その分やる気の電池が切れるのが物凄い速い……という事。
「あーあ……眠い……」
あっという間にやる気を失い、観察日記を付け始めてもらう前と同じように、彼女はダラダラと自身の『自宅』の区域でゴロゴロとだらけ始めてしまいました。
研究に必要な資材を、いちいち別の場所に溜め込んで取りに行くという面倒くさいことなんてしたくない、という彼女の我侭に見事にマッチしていたのが、数年前に移転し廃墟となっていたこの工場。これまでの研究で得た報酬や特許料金を活かして全部買い取り、セキュリティ上という名目で好き勝手に改造した結果、この中は迷路のように彼女の寝床と貸しています。当然、設計もマナ博士オリジナルということもあり、ちゃんとどこがどう繋がっているかは把握しているようです。ただ、その際に万が一自分が忘れてしまった場合に備え、彼女は別の存在にこの記憶のバックアップを取ってもらったのです。そして今、見事にそれが仇となっていました。
「……!!」
自らを見つめる誰かの視線と言うのは、例え相手が人間や動物など生き物でなくとも気づいてしまうもの。特にこの迷路のような研究所の内部で、自室の場所を把握しているものは一名しか居ません。慌てて飛び起きたマナ博士は、本やプリントが乱雑に散らばっている机をこれまた乱暴に片付け、急いでその中からめぼしい研究書物を取り出して必死に見続けている様子を、その視線の主へ送り届けました。
「……ああ、フララ。観察日記ね、ご苦労様」
本人はごく自然に言ったつもりの誤魔化しの一言も、これまでずっとそういう経験を覚え続け、自らの行動に反映し続けていたアシスタントロボットであり、研究材料であるロボットの『フラタック』……通称「フララ」の疑念を解く鍵には成りえませんでした。やはり予想は当たっていた、とあきれた声のトーンを隠さず部屋を出ようとする「彼女」の後姿に、ちょっと休んでいただけだとマナ博士は必死に言い訳をし続けました。ですが、相手からの信頼がなくなりかけているというのは嫌でもわかります。このまま何も対策を採らないと、確実にフララの観察日記は「マナ博士」自身にとって不利になってしまうのは間違いありません。何せ、既にフララが記した観察日記は、今度の研究者の集まりのときにそのまま発表されてしまうのですから……。
何とかしなければ、と思った博士は、近くに無造作に置いてあった手袋をはめて急いで研究室の倉庫へと向かいました。これまで様々な形で作ってきた発明品のうち、工学的なものはまとめて奥のほうの倉庫に保管しているのです。これを応用して夏の間色々と研究を続ける……という流れになるなら良かったのですが、残念ながらいつもギリギリでドタバタになって物事に取り組み、その結果は最低でも悪くない出来だった、という事をずっと続けてきたという実績を持つマナ博士にはそういう考えが芽生えることはありませんでした。
『あ、博士』
今回はグッドタイミング。新しい研究を始めるのでそれに見合う材料を探している、という事でフララの方も納得してくれたようです。ただし、手伝おうかという彼女の言葉はきっぱりと断りました。
「これは私の発明品。悪いけど、いくらフララでもあまり見せられないものは多いからね」
『なるほど……そうでしたね、失礼いたしました』
去っていったフララの後姿を見て、うまく騙せたとマナ博士がにやりとしたのは言うまでもありません。そして、無数の発明品を押しのけさしのけ、ようやく目当てのものを手に入れることが出来ました……。
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次の日、博士の研究室兼自室の前をフララが通りかかりました。夏場はいつも暑いと言い張ってドアを開けっぱなしにしているのですが、今日は珍しく閉じたまま。明らかに様子が変なのですが、今回は少々博士にとって重要な「用件」と言うことで、何度かノックをしました。すると……
「ごめん、ちょっと今ムリ!手が外せなくて……」
『そんなに忙しいのですか?』
「うん、悪いけど後で出るから、そのときによろしくね!」
……ドアの向こうから聞こえた返答の内容を、フララは考えました。普段不真面目な博士が、急に研究に没頭する。一見するとよくある誤魔化しのようにも見えそうですが、いつもこういうふとしたアイデアから、自分のように物凄いものを作り出してしまうことがある事を『彼女』は承知しています。そして、これがいつも『彼女』を悩ませている要因でもありました。嘘か真か、双方の可能性を取ったときに最も最良の方法は何なのか……。
手元にある高級チョコレートを数秒見た後、フララはドアの向こうに了承したというメッセージを残し、去っていきました。
……そして数時間後、その研究室の中で……
「やってしまった……」
……前述しましたがロボットのフララは、アシスタントであると同時にマナ博士の研究材料。体の各部には彼女のアイデアが存分に詰められています。その一つが、人間と同じ食料を摂取し、自らのエネルギーに変換できる、という機能。蒸気機関車の仕組みを基に、より生物に近いもの……エネルギーを別の形に変換し、いつでも消費できるように蓄積し、そしてその燃費はなるべくかからないようにするという形のものを、フララに植えつけていたのです。現在、彼女はコンセントを用いた電力のほかに、こういったたんぱく質から得たエネルギーによっても動いています。
……ですが、それが今回ほどマナ博士に仇となったことはないでしょう。賞味期限がもう少しで切れそうだった、ロボット研究の仲間から前にもらった高級チョコレートは、既に消費期限を心配し、最良の方法を取ったフララのエネルギー源として形を変えていたのです。ベッドにひれ伏して落ち込む博士ですが、いつものようにフララに文句は言えません。その時点でまた怠けて十分前まで昼寝していたこと、その代理を簡易人工知能搭載のICスピーカーに任せていたことがばれてしまう可能性が大いに高まってしまうのです。
確かに、現在手が空いていないと言ってサボるということは良くあります。ですが、時たまそれはより大きなチャンスを逃してしまうことにもなりかねないのです……。
「ますます何とかしないと……」
とりあえず、フララが何も言ってこないのを見る限り、今のところ「ばれていない」という可能性が高い、とマナ博士は考えました。そうなると、今度は自身に影響が出ないものにすることが必要です。そして、さらに念を入れてフララを騙す事も……。
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「フララ、私の観察日記はどうなったー?」
数日後。「マナ博士」は明るくフララに問いかけました。落ち込んだり不平不満を言う事もありますが、基本的に彼女は前向き嗜好。自分の欠点を追求されたり正そうとされない限りは、自らの大事な助手、研究材料に優しく接しています。
『ご安心ください。研究会で発表できる形にしていますよ』
「ね、ね、ちょっと中身を……」
『申し訳ないですが、いくら博士でもあまり見せられないものは多いので……』
以前「博士」が自身に言った言葉を、フララは少しアレンジして返答しました。そうなれば、「博士」も納得せざるを得ないのが『彼女』の記録からの推測であり、そして今回も見事にそうでした。
そういえば、とフララは近くにある冷蔵庫から、前に買ったアイスクリームを取り出しました。夏場はよく二人でアイスを食べ、フララは冷たくともそれが十分なエネルギーを秘めていると言う事をじっくりと学び続けています。しかし、一緒に食べないかという誘いを「マナ博士」は断りました。
「悪いけど、ちょっと手が……ね、ごめん!」
大好きなものをその場で食べず、彼女の「研究室」の中で食べる。こういうことは、フララにとって初めての経験です。そういった場合は、まず相手側に従い、その結果を見る、というのが『彼女』……ロボットのいつもの手段でした。ただ今回の場合、ちょっと厄介なのは、研究内容を見せることは出来ない、と博士から言われたことです。
「私だって、秘密がいっぱいなんだからさー」
どこかその言葉に妙な違和感を感じ取りましたが、とりあえずフララはその言葉を信じ、キンキンに冷えたアイスクリームを「彼女」の掌に渡しました。とても柔らかく……いや、少々柔らかすぎるような気もする感触を、フララは自らのセンサーで感じ取りました。
そして、そのまま自分の研究室に戻ってきた「マナ博士」を待っていたのは……
「やった、アイスアイスー♪」
先程までまたもやベッドの上でぐうたらを続けていたマナ博士……正真正銘、本物のマナ・ダラーケル博士でした。
もう一つの自分の左手から、本物の自分にアイスが渡された後、博士はもう一人の博士の首の後ろ側に手を伸ばし、そっと「何か」を外しました。その途端、あっという間にもう一人の博士は風船のようにしぼんでいき、残されたのはくったりとしたゴムで出来た人形の跡……これこそ、博士が以前製作し、すっかり忘れていた発明品、『代理・セキュリティ対策用風船人形型コピードローン』……要するに自分の身代わり人形なのです。フララにもその存在は知らせてなかったのが見事に幸いした、とアイスを美味しく食べながらほくそ笑むマナ博士ですが、突然のノックに慌てて仕事用の机の前に立ち位置を変えました。
「ああ、ごめん用件なら……」
『いえ、アイスの殻の回収に伺ったのですが……失礼、まだ食べ終わってないですね』
「後で捨てるから大丈夫だよー、ごめんねー」
『こちらこそ失礼しました』
何とかフララには先ほどの自分の身代わりであるゴム人形(正確にはナノマシンの繊維によって縫われた人形ですが)は見えていなかったようで、そのままさらりと『彼女』は去り、マナ博士は安堵のため息をつきました。とりあえず、例のICスピーカーとこの身代わり人形を駆使すれば、何とかアシスタントロボットの目を誤魔化し、そして自分の格好いいところをたっぷりと日記に書いてくれるだろう……。
聞いた感じでは、見事に取らぬ狸の何とやらといった状況ですが、見事にマナ博士の予想は的中してしまいました。そのままフララは彼女に何も言わず、素直に言う事を信じてくれたのです。あまりにも呆気なさ過ぎる対応に、本当に騙されているのかという疑念や、逆にこれを研究論文として発表したほうが良かったのではないか、という考えが博士の中にわいてきました。ただ、「こんなことをやって本当に良いのか」という後悔の念は、残念ながらフララが観察日記を付けている間、頭の中に浮かんでくることはありませんでした。
そして、発表前日。
「質問です」
『はい、博士』
「その日記は、本当に貴方が考えたものですか?誰かからプログラミングされたとかそういうことでは?」
『私をプログラミングしたのはマナ博士ですので、その考えに否定の意志を示す事は私には出来ません。ですが、先程見せた画像やスケッチからも分かりますとおり……』
フララからのリクエストに応えて、マナ博士は『彼女』の予行演習に付き合っていました。別にそんなの必要ない、ぶっつけ本番で行こうというのが怠け者の彼女の考えなのですが、正直言って自身の出す様々な質問にはっきりと自分の考えを述べ、さらにその中に過去の様々な実績を重ね合わせて説明するフララの姿は、冗談ではなく本気でぶっつけ本番でも十分大丈夫なほどでした。何より、日記の内容はちゃんと自分の「研究にいそしむ姿」を、ロボットであるフララの手による少々精密すぎる節もあるイラスト付きでじっくりと書いてくれています。
「うん、大丈夫。これなら皆の前でも十分いける!」
『ありがとういたします。私も「博士の姿」をありのまま発表できることを楽しみにしていますからね』
……ですが、この時成功間違いなしと浮かれていたマナ博士は、研究発表の練習における重大なことを忘れていました。質問をするのは自分だけではない、この研究の内容を目にすることがない「第三者」である多数の研究者の仲間たちのことを。彼らがどんな質問を投げかけてくるのか、予想していなかったのです……。