前編
昔々……いえ、ずっと未来……もしかしたらごく最近の事かもしれませんが、とある町のはずれに、一軒の研究所がありました。見た目はごくありふれた、数年前に閉鎖したような感じのオンボロの廃工場のようですが、その中を覗いてみると……
「ふぁあああ……」
『は、博士……』
……一人の金髪の女性が、ガンガンに冷やされた部屋の中で机にもたれかかり、大あくびをしていました。その様子を見ている一体のロボットの頭にあるスピーカー……と言うより『口』から聞こえる音声は明らかに女性に対する呆れの感情を表しています。そんなにだらけていないで、早く研究でも始めたらいいのではないか、ロボットは「文句」を続けましたが、その女性は別に問題は無いと言いながら一切体を動かしませんでした。
この状態になると、きつく言っても無駄だと言うのは既にロボットの記憶回路にインプットされています。そして、こういう時に彼女を鼓舞させるためには何をすれば良いか、という事も。
『ま、私の生みの親ですから、何も考えずに大慌てする流れになるのは予想済みですけどね』
そんな事無い、とむきになって、ようやくその女性は椅子から立ち上がりました。
彼女の名前は「マナ・ダラーケル」。この『ロボット』を始め、研究所を快適に冷やす冷房装置などあらゆる物をたった一人で創り上げたと言う、技能と頭脳双方にかけて非常に長けている女性です。当然ながら、卒業した大学院でも主席とは行きませんでしたがそれに匹敵するレベルの勲章を受け、名誉教授として籍を置いているほどです。おまけに、その外見は風にたなびく金色の長髪に程良く整った顔つき、そして服を圧迫しかねないほどの大きな胸や、それ越しに分かる美しい体のライン。まさに言う所なし、完璧に思えるマナ博士の唯一にして最大の欠点こそ、先程まで述べた凄まじいほどの怠け癖なのです……。
このロボット……本名は「フラタック」、博士はいつも略して「フララ」と呼んでいますが、アシスタントとして『彼女』を製作したのも、そもそも一人だけで様々な発明や工作をするのが面倒臭い、誰か自分の手助けをしてくれる存在が欲しい、という理由でした。何度も恋に巡り合う機会はあったのですが、その度に博士の本性に触れてしまった彼氏に愛想を尽かされるのがオチ、結局は自らの頭脳を駆使して新たなロボットを作ると言う事になってしまったようです。そして、『彼女』……フララの人工頭脳には、創造主である『博士』敬い、いつも最善の方向へ導くようにするという情報を優先的に導入しました。自身が後で大いに怠けるためには、その無限の才能を有効に使う、それが彼女流のやり方だったのです。
ただ、そのような楽観的な考えが「最善」では無いという事を、残念ながらフララは既に認知していました。
「ちゃ、ちゃんと考えてるって!」
『本当ですか?去年もそう言って、ギリギリになって大慌てで徹夜をしていた記憶が……』
「うるさいなぁ、フララはもう……」
どうしてこんなに小言が多いロボットになってしまったのか、と少々後悔気味なのですが、分解しようにもセキュリティシステムを強化し過ぎてそれも難しいという事態。それに、ここまで文句を言うのにはちゃんとした理由があるので、なかなか強く出にくいようです。
と言うのも、実は一ヶ月半後に、彼女を始めとする各地の研究所の『人工知能』を専門に扱う研究者たちが集まり、それぞれの成果を発表し合うという感じの催しが開催されます。毎年開催されるこの大会の中で、マナ博士の発表は毎回様々な学者たちから評価されているのですが、実はその裏では毎回内容を本部に届ける締め切りの1時間前まで徹夜で研究をし、本番も前日になってようやくパワーポイントやら何やらを作成する、という怒涛の日々を繰り広げていたのです。こんな事ばかりやっていると健康にも頭脳にも悪い、と言う事で再三フララは博士に注意しているのですが、創造主である彼女は態度をでかくして一切聞きません。ただ今回ばかりはさすがの『彼女』でも引き下がるわけにはいきませんでした。
しばらくのにらみ合いの後、ちゃんと内容は考えている、というマナ博士の言葉にフララは反応しました。彼女の思考回路が推測するに、この一言は恐らく自分に勝つために言ったでまかせである可能性が高い、でも本当に何かを考えている可能性も捨てがたい……もしここで自分がきつい事を言ったら、それこそ博士はヘソを曲げて完全に怒ってしまう。そう言う事態はさすがに避けたい……。
0.5325秒の間に、フラタックは自身の中でどう彼女に言葉をかけるかを決めました。
『どういう内容ですか?』
もしこれで何も答えられずしどろもどろなら、自分の予想があっていると言う事になる。そちらの方が、これまでの実績からして可能性が高い……そんな事を考えていた『彼女』ですが、返って来たのは予想外の返事でした。
「うーん……『観察日記』っていうのは?」
『……え?』
間の抜けた声を出してしまったフララの一方で、一気にアイデアとやる気が湧き出たのか次第にマナ博士の表情は明るくなってきました。思わぬ形でしたが、何とか『彼女』の願った通りになったようです。
そして、早速博士は自身が創造したロボットに、今回の「研究」について説明を始めました。
『つまり、私がその「観察日記」というのを記述すればいいんですね?』
「うん。人間の小学生たちも、今の時期は色んなものを観察して、日記に記載してたんだよ」
そういえば、フララもネットからの情報で「観察日記」というのが夏の季節には非常に大きなイベントである事、それを達成するためにたくさんの人間が苦労している事などの基本的な内容がインプットされているのを思い出しました。今回必要な項目へと記憶の回路の電流が流れ始め、『彼女』の方もやる気が出てきたようです。ただ、普段から『彼女』も様々な実験や発明の内容などを記録し、スパコンを超えるであろう記憶の「収納ボックス」の中に収めています。今回もそのような感じで良いか、と尋ねた所……
「そこがミソなのよ!
『観察日記』って、ただ単に内容を記録すればいいってもんじゃないんだよね。観察した対象に関してどう思ったか、どう感じたか、それを書き記すのが結構重要になってくるんだよー」
『はぁ……と言う事は……』
創造主であるマナ博士に関しての記録を数多く有しているフララは、次第に彼女がどういう目的をもってこの『研究』を行おうとしているのか、少しづつ見えてきました。観察日記の内容を通して、ロボットである自分がどのような感情を持っているか、どういう視点で対象を見続けているか……そして、どこまで「人間」に近いものを記述する事が出来るのか。確かにこれは例の研究発表会でも大いに通用しそうな内容です。
やってみるか、というマナ博士に対するフララの返事は、勿論『OK』でした。ただし、そこですんなりと終わらないのがこの両者。観察日記の内容について、『彼女』は嫌な未来を想像し始めていたのです。
『私の記録回路を参考にしますと、間違いなく博士はサボりに徹する毎日を過ごしそうな予感がします』
「ひ、ひどい!この天才博士の私がそんな事する訳……
『ありますね』
天才博士が創った天才ロボットの記憶ボックスには、信頼と実績の怠け記録がしっかりと残っているようでした。
ただ、今回ばかりはさすがにマナ博士自身も怠けてばかりはいられません。これからしばらくの間、彼女はフララに監視……いや、観察日記をつけられ、最終的にその内容を研究者の前で発表するという事になるのですから。それに、博士にはちゃんとした目的がありました。
「やっぱり、フララが見守ってると私もやる気がでるもんね♪」
『は、博士……』
お世辞やおべっかであると言う可能性は高いのですが、それでも自身の存在意義をしっかりと認めてくれる一言には、フララも非常に嬉しくなりました。誰かに褒められると「嬉しさ」というやる気が体の中にみなぎり、体を走る電気のめぐりが一気に良くなる。マナ博士が自身の大事なロボットに組み込んだこのシステムは、今回も大いに役立ちそうです。
「じゃあ、早速明日からやろうか!」
『了解です!』