#2:少年と憂鬱
腕時計を巻いた右手を持ち上げ、文字盤を確認しては、また下ろす。
ここに来てから、いったいこの動作を何度繰り返しただろうか。
人々が行き交う駅前。待ち合わせ場所兼目的地に選んだ映画館の前で、僕はひたすらに暑い真夏の日差しを浴びながら、相手の到着を待ち続けていた。
「だ、大丈夫かな。変な風に見えたり、しないかな」
家を出る前にさんざん時間をかけて確認した身だしなみを、改めてチェックしてみる。できるかぎり野暮ったくない服装を心がけたつもりだけど、目の前を通り過ぎる同年代と思わしき人たちと比べて、少し地味な印象が否めない気もする。
とはいえ、持ちうる限りの衣服で可能だった最大値がこれなのだ。それに今回はあくまで"クラスメイト"としての誘いであり、変に気取ったところで不自然にしか見えない。だから、今更服装について神経質になる必要など無いのだ。それは分かっている。……分かっては、いるんだけど。
「……う、うう」
胸ポケットに入れたウォークマンからは、お気に入りのジャズ楽曲がイヤホンを通じて耳に入ってくる。しかし、いつもならちゃんと気分を落ち着かせてくれるはずの深くて仄かに甘い旋律は、今この瞬間も胸の鼓動がどんどん早まっていくのを全然鎮めてくれない。
ああもう、しっかりしろ。せっかくここまできたんじゃないか。
弱気な自分を心の中で叱咤しつつ、僕はまた飽きもせずに腕時計に目を向けた。
デジタルの文字盤には『14:47』の表示が映っている。
待ち合わせの時刻は3時。そろそろ"彼女"がやってくる。……はずだ。メールの返信にはそう書いてあったのだから、間違いない。……と思いたい。
実を言うと、誘った僕自身が未だに信じられない。
"怪しげなサプリメントを思わず購入してしまったら本当にすごい効き目だった"ってくらい信じられない。
ひょっとして、あの返信メールは全部僕を引っ掛けるための嘘で、他のクラスメイトの女子たちと一緒に、"彼女"がどこか遠間から僕を眺めてせせら笑ってるんじゃないか――そんな全力で後ろ向きな考えも、あくまでほんの少しだけど浮かんできてしまう。
もちろん、それは僕の弱くて醜い部分が生んだ妄想だ。
メールの内容は、夏休みの初日から毎日考え、デートのお誘いだと気づかれないように工夫したし、それ以上に、"彼女"はそういったことをする人じゃない。どこか掴みどころがなくて飄々としてるけど、これと決めたらどんなことでもとことんやり通し、クラスのみんなを引っ張っりながらも、他の人を気遣うことが出来るムードメーカーだ。
ちなみに僕は、座学なら人よりも上かもしれないけど、必要以外で他人と交流するのが不得意で、運動も大体中の下にいるかいないか。なにより、さっきの通り僕は自分を肯定することがとても苦手な人間だ。
そうやって考えてみると、そんな僕が、彼女を好きになって、……本当にいいのかな。
「いやいやいやいや、その考え自体がどこまでも後ろ向きじゃないかあああ!!」
「どの考えが?」
「……え?」
不意に背中から掛けられた声の方に振り向くと、そこには――。
「あ、もしかして待たせちゃった? したらごめんね」
待ち合わせの相手――"彼女"が、ショートヘアの髪を片手で掻きながら苦笑いしていた。
一瞬、マネキン人形みたいに静止してしまった僕は、慌てて首を横に振る。
「……ぜ、全然そんなこっ……そんなことないよ! ぼっ僕も今さっき来たばっかりだから!!」
ところどころ言葉をつっかえながら、僕はとっさに嘘をつく。
「そう?」
「そ、そう!」
それでも、ややばつが悪そうに僕の顔を――覗き込んで(!)くる"彼女"の目を、僕はじっと見返すことが出来ず、映画館の入り口にの方に顔を向ける。
「ほ、ほら、早めに席をとっておいた方が後々楽だよ。い、行こう?」
「おお、それもそうだね。行こう行こう!」
僕の背中に、"彼女"の軽快な声が響く。ぐちゃぐちゃだった心が、それだけですっと軽くなるのを感じた。
◇
「えっと、あの、……なにか、飲みたいものとかある?」
チケットを買って場内までの通路を歩きながら、若干立ち直った僕は、少しでもエスコートらしいことをしようと、横に並んで歩いている"彼女"に言った。
「んっとね、……よし、ジンジャーエールで!」
「う、うん。わかった」
偶然にも、それは僕の大好きな飲み物と同じだった。すごく些細な偶然に、内心で大きくガッツポーズを取りながら、僕は"彼女"と共に売店の方へ歩いていった。
三題噺:サプリメント、ジンジャーエール、ウォークマン