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~ 八ノ刻   刹那 ~

 都会の外れ、住宅街の中に佇む小さなアパートの一室で、古澤正昭は自分の携帯電話を重苦しい面持ちで見つめていた。


 正昭に奇妙な電話がかかって来たのは、今から一時間ほど前のことだ。ノイズが酷く聞きとり難かったが、声の主は、正昭の知る女性の名前を騙っていた。


 神居結衣。半年ほど前に亡くなった、以前に≪奇跡空間ミラクルゾーン≫のディレクターを務めていた女性だ。彼女が亡くなってから、番組のディレクターは室井が引き継ぐ形となり、自分たちはそのままスタッフとして残留した。


 そんな彼女から、今になって電話をもらう。常識では、およそ考えられない話である。普通に考えて、誰かが彼女の名前を騙っている。そう思わなければ、正直なところやっていられない。


 だが、そんな考えとは別に、正昭は自分に電話をかけてきた声の主が、本物の神居結衣ではないかという疑念も捨てきれないでいた。


 数日前、西岡が亡くなるきっかけとなってしまった、あの生放送。あれで使う予定の幽霊屋敷の映像を撮影しに行った後、正昭は奇妙な女の霊に悩まされることになった。天井から、ロープで首を吊った黒髪の女が現れて、じっとこちらを見つめてくるのだ。そんな悪夢を見た翌日、番組のレギュラーの一人である陰陽師、御鶴木魁の霊視を受けたことは記憶に新しい。


 魁の霊視によれば、女の霊は幽霊屋敷の中で自殺した自縛霊とのことだった。魁は室井と共に再び屋敷へと向かい、そこで様々な幽霊を除霊し、悪夢は完全に終わったかに思われていた。


 自分の夢に現れた、あの首吊り自殺をした女。あれが神居結衣であった可能性は、ほぼゼロだ。なぜなら、あの女の幽霊は、正昭が知る生前の神居結衣とは似ても似つかないものだったのだから。


 除霊は成功した。首吊り女の霊はいなくなり、自分は悪夢から解放された。そう信じていた矢先に、プロデューサーとディレクターが相次いで変死。果ては、亡くなった女の名前を騙る、謎の電話までかかってくる。


 これはもう、間違いないだろう。自分たちは、神居結衣の霊に祟られている。なぜ、今になって彼女の霊が行動に出たのか、それは正昭にもわからない。ただ、このまま放っておけば、いずれは自分も西岡や室井のように、無残な変死体になる可能性は否定できない。


「しかし……。仮にこれが祟りだったとして……いったい、俺たちに何ができるよ……」


 ふっ、と力なく息を吐いて、正昭は携帯電話を机の上に置いた。


 自分には、幽霊と戦う力など何もない。御鶴木魁のような陰陽師に頼るという手もあるが、今から連絡をしたところで、この夜更けに果たして彼が来てくれるだろうか。


 駄目もとで、警察にでも相談しようか。一瞬、そんな考えも頭をよぎったが、正昭は直ぐに首を振って、今しがた浮かんできた考えを否定した。


 警察なんかに話をしても、頭がおかしくなったと思われるだけだ。それに、もしも警察に話をしてしまえば、それは自分たちが過去に行ってきた所業までも、白昼の下に晒すことになってしまうかもしれない。自分と西岡、それに室井や順平たちの中に秘められた、忌まわしき過去の大罪を。


 やはり、警察に話をするのは駄目だ。ここは一つ、今晩をなんとか無事に乗り切って、明日の朝一番で魁に連絡をしよう。


 そう、正昭が思ったとき、唐突にインターホンの音が鳴り響いた。一瞬、肩をすくめ、恐る恐る後ろを振り返る。インターホンの音は止むことなく、ひっきりなしに鳴っている。


 まさか、神居結衣の霊が、自分を直接殺しに来たのか。そんなことはないと思いつつも、気づけば正昭の右手には、愛用のゴルフクラブが握られていた。


 こんなものが、幽霊相手に役に立つのか。はっきり言って保証はないが、気休め程度にはなるだろう。


 ゴルフクラブを片手に、正昭はそっと玄関の扉に足を忍ばせた。しかし、覗き窓から外の様子を窺うと、果たしてそこに立っていたのは、正昭の考えていたような女の幽霊などではなかった。


「加瀬……」


 扉の向こうに同僚の姿を見て、正昭は思わず呟いた。


 覗き窓から見えたのは、カメラマンの加瀬順平だった。こんな夜中に、いったい何のようだろう。少々訝しく思ったものの、正昭は扉のチェーンロックを外し、順平を部屋の中に招き入れた。


「おい、どうしたんだよ。こんな夜中に……いきなり、連絡もなく来るなんてさ」


 玄関の扉が閉まると同時に、正昭は順平に向かって問い質した。まさか、彼も自分と同じように、神居結衣からの電話をもらったのではないか。そう思ったからだ。


「へへ……。どうした、だって? お前だって、わかってんだろ? 俺が、わざわざこんな夜更けに、お前のところまでやってきた理由を……」


「な、なんだよ、それ。そんなこと、急に言われたって、わかるわけ……」


「とぼけんじゃねえよ! 今日、俺のところに神居結衣の名を騙って電話をしやがったのは、お前だろう! いや、お前に違いねえんだ!!」


 いきいなり怒鳴りつけられて、正昭は何が何だかわからなかった。


 自分が神居結衣の名を騙り、順平に電話をかけた。そんなこと、当然のことながら思い当たる節はない。


 そもそも、神居結衣からの電話をもらったのは、こちらも同じなのだ。それなのに、何を勘違いして、順平はそんなことを言うのだろう。慌てて説明しようとする正昭だったが、順平の口が、それを許さなかった。


「俺にはわかってんだよ。あの電話越しの声が、お前だったってことぐらいはな。あの時の秘密を握っているのは、もう俺とお前しかいねえ。だったら、お前が俺を殺しちまえば、もう誰も秘密を喋る可能性のあるやつはいなくなる……。そう思って、西岡さんや室井さんも殺したんじゃねえのか?」


「ちょ、ちょっと待てよ! いったい、何の話だ、加瀬!」


「何の話だぁ? てめえ……俺がまだ、お前の仕組んだトリックに、気づいてないとでも思ったかぁ?」


 首を横に傾け、順平の身体がゆらりと揺れた。内気で温厚なカメラマン。そんな印象は、既に順平の中から消えていた。


「俺のとこにかかってきた電話の声……あれ、変えたのお前だろ? 音響やってるお前なら、自分の声をかえて電話するなんて、簡単だろうからなぁ……」


「電話の声!? それじゃあ、やっぱりお前も、あの電話を……」


 なんということだ。神居結衣からの電話をもらったのは、自分だけではなかったのだ。あの声の主は順平のところにも電話をかけ、しかも順平は、その犯人が正昭ではないかと疑っている。


「お前が俺を殺そうってんなら、俺だって考えがあるんだよ……。どんな手を使ったか知らねえが、西岡さんや室井さんみたいな殺され方するのは、まっぴらごめんだからなぁ……」


「お、落ちつけ、加瀬! あの電話をかけたのは、俺じゃない! 誰か、俺たちを陥れようとしている人間か、あるいは神居結衣の霊そのものが……」


「黙れよ! だったら、その手に握ってる獲物はなんだ! そいつで俺の頭をかち割ろうって……そう思ってたんじゃねえのか!?」


 順平に言われ、正昭ははハッとした面持ちで、自分の右手に握られたゴルフクラブに目を向けた。その瞬間、冷たく鋭い何かが腹に突き刺さり、正昭の身体に恐ろしいまでの激痛が走った。


「あっ……がぁぁぁぁっ!!」


 ゴルフクラブを取り落とし、身体をくの字に曲げて、正昭はその場にへたり込んだ。腹が熱い。生温かい感触が両手に伝わり、目の前の床に赤いものが広がってゆくのが見える。


「死ねよ、古澤! 俺は絶対に死なねぇ! 俺は絶対に殺されねぇ! 俺は……俺は生き残るんだぁ!!」


 焦点の合わない目で、順平は手にした包丁を何度も正昭の背中に降り降ろした。その度に、赤い鮮血が辺りに迸り、順平の身体を徐々に染めてゆく。


 やがて、目の前に倒れている正昭が完全に動かなくなったところで、順平はがっくりと腰を折ると、実に満足そうな表情になって笑っていた。光りを失い、灰色に淀んだ瞳で天井の一点を見つめ、その口からは乾いた笑い声が漏れている。


 自分はもう、誰かに殺されることなどない。神居結衣の霊を騙る者は死に、自分は助かった。そう、助かったのだ。


「は……はは……。俺は勝った……勝ったんだ……」


 これから先、正昭を殺したことで、自分がどうなってしまうのか。そんなことは、今の順平にとってはどうでもよかった。ただ、目の前で冷たくなっている元同僚だった物を横目に、自分だけが死の連鎖から逃げられたと思い、ひたすらに笑い続けていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 月曜日になると、街は急にいつもの顔を取り戻す。祝日の、親子連れや恋人たちからなる人混みとはまた違う、ビジネスマン達が行き交うそれに姿を変えるからだ。


 都会の真ん中では、その傾向は特に強い。祝日の人混みの中にある顔の多くが楽しげな笑顔であるのに対し、平日のそれは、実に無機的で機械的なものに変わってしまう。お得意の取引先に見せる営業スマイルは持ち合わせていても、自分自身が、仕事の最中に本気で笑うことなど考えられない。そんなビジネスマン達の生き様が、如実に反映されている。


 窓辺から、時折聞こえる車の走行音。それに、どこか遠くから断続的に響いてくる、工事現場の作業音。それらの音を聞きながら、犬崎紅は険しい表情を崩さないままに、部屋の中をぐるぐると回っ


 紅が今いるのは、雪乃のマネージャーである高槻のマンションである。休日が終わり、月曜日になっていたが、紅は照瑠や亜衣と共に、火乃澤町に帰るという選択をしなかった。二人は紅の出席日数のことを気にしていたが、そんなことは、今の紅には些細なことでしかなかったのだから。


 呪いの館の潜入映像を生放送で流し、プロデューサーの変死によって放送中止となった番組、ミラクルゾーン。そのカメラマンを務めていた加瀬順平が、同僚の音響スタッフ、古澤正昭を殺害した。そのことを紅が知ったのは、今日になってからのことである。


 事件をニュースで聞いたとき、紅は直ぐに、事態が最悪の方向に向かっていることを理解した。プロデューサーの変死に始まる一連の騒動。その関係者が、とうとう呪いや祟りとは関係なく、自ら手を下すという形で人を殺したのだ。


 順平が正昭を殺した理由。それは、紅にもわからない。呪いの中には人間の精神を錯乱させ、正常な判断力を喪失させるものもある。そういった類の呪詛を受けて、順平が発狂してしまった可能性。これも、まったくないと言えば嘘になる。


 だが、それ以上に紅が心配していたのが、呪いの伝染とも言える自己暗示だった。


 呪いや祟りは伝染する。呪詛の話に詳しい者にとっては、これは別に不思議なことでもなんでもない。ただ、病気のように感染するわけではなく、ましてや霊的な何かによって伝染するわけでもない。


 呪いの伝染。それは、強烈な自己暗示により、呪いに関わった者達が自ら破滅の道を選択してしまうことである。自分は呪われている。自分は祟られている。そう、勝手に思い込むことで、一種の強迫観念のようなものに取り憑かれ、最後は自ら命を経ったり精神崩壊を起こして奇行に走ったりするようになる。


 今回の事件の発端は、心霊番組の生放送中にプロデューサーが変死したことだ。田舎の村で起きた変死事件であればいざ知らず、全国ネットで放送されるようなテレビ番組の関係者が、収録中に変死した。しかも、その後を追うようにしてディレクターまでもが変死し、果てはカメラマンが同僚を刺殺するという凶行に出た。


 ここまで異常な事態が頻発していれば、人々の間に呪いが伝播するのは時間の問題だ。ここに来て、公安の香取が気にしていたことが、改めて現実味を帯びて来た。


 公安四課第零系。別名、死霊管理室。彼らの仕事は心霊事件の隠蔽だが、それは何も、国家が幽霊の存在を認めたくないというだけではない。


 霊的な存在の有無に関係なく、オカルトな事件の類によって、社会に無用な混乱が起きることを防ぐこと。それこそが、彼らが結成された本来の目的ではないだろうか。呪いの伝染によるパニックが懸念される今、紅にはそうとしか思えなかった。


「それにしても……」


 部屋の中を歩き回る足を止め、紅は口元を隠すようにして手をやった。


 今回の事件は、色々とわからないことが多過ぎる。昨日、室井のアパートを訪れた際に、ADの宮森が口にしていた神居結衣という女。高槻から改めて話を聞かされたが、彼女がかつてミラクルゾーンの制作に関わっていたことと、既にこの世を去っていること以外には、これと言って目ぼしい情報も得られなかった。


 今回の事件は、果たして本当に、その神居結衣という女の祟りなのか。高槻の話では、宮森は彼女の霊が復讐を始めたのではないかと、本気で勘繰っている様子だったという。現に、死亡した室井の頭部から神居結衣の指輪が発見されたことからも、彼女が事件に何か関わっているのは間違いない。


 だが、それにしても、やはり今回の事件は色々と腑に落ちない点が多過ぎる。神居結衣の指輪にしても、なぜ今になって、室井の頭部から発見されたのだろう。室井の死因が西岡の死因と同じならば、西岡が亡くなった際にも、彼の身体の中から神居結衣の遺品が発見されてもおかしくはない。混乱の中、それどころではなかったのかもしれないが、二人の死に方は似ている部分と異なる部分を併せ持っている。


 また、それ以前に、そもそも神居結衣の遺品が被害者の体内から発見されたという事実。これが、紅にはどうにも理解し難いことだった。


 普通、死んで悪霊になった存在が人を祟るのであれば、対象者の身体に憑依するのが手っ取り早い。その上で、体内から魂を削り殺し、徐々に衰弱死させてゆくのが普通のやり方だ。今回の事件のように、いきなり頭をふっ飛ばして殺害するなど、そんな殺し方のできる霊などそういない。


 仮に、生前の神居結衣が一種の超能力的な力を持っていたとしても、それでは対象を殺すのに時間がかかり過ぎている。


 自分の駆る犬神、黒影も、呪殺に用いようと思えばいくらでも用いることは可能だ。その気になれば、憑依対象の内臓を体内から破壊してしまうような酷い霊傷を与えたり、魂そのものを焼き尽くし、肉体には一切の傷をつけずに殺したりすることもできる。


 だが、それに比べて、神居結衣の怨念はどうだろう。確かに、二人の人間の頭を吹き飛ばしたのが彼女の力なのであれば、その力は下級の神にも匹敵する恐るべきものだ。しかし、それにしては、あまりに場所を選ばずに、無節操に殺戮を繰り返しているようにしか思えない。わざわざ目立つ人前で、第一の犠牲者である西岡を殺した理由がわからない。


 それに、室井の体内から発見された指輪。しつこいようだが、あれがいったい室井の死と何の関係があるのか。今まで自分が見たり聞いたりした、呪いや祟りの話を全て合わせて考えたが、紅にはやはり納得のゆく答えが見つからなかった。


「くそっ……! この不自然なまとまりのなさは、いったい何なんだ!!」


 苛立ちを隠しきれず、紅は側にあった本棚に向かって無造作に拳を叩きつけた。ゴッ、という鈍い音がして、本棚が揺れて拳に痛みが走る。自分でも思った以上に強い力で叩いてしまったのだろう。思わず手を引っ込めると、なにやら本棚の直ぐ下の方に、一冊の本が転がっているのが目に付いた。


 先ほど、本棚を叩いたとき、その衝撃で落としてしまったのだろうか。何気なく手をとってみると、どうやらアイドルの写真集のようだった。


「これは……長谷川の写真か」


 本の中身を開き、紅は適当に読み流すようにしてページをめくった。アイドルの写真集などに興味はなかったが、写真そのものは、よく撮れていると思う。アイドルの写真集など、水着や際どい場面ばかりを収めたものだと思っていたが、この写真集は、そこまでいやらしい印象を与えるものではない。


 そういえば、自分も故郷の村にいたときに、主に野山の生き物を中心にカメラに収めていたことがある。もっとも、今ではその写真やカメラを紅が与えてやった少女も、既にこの世に生きてはいない。彼女の死は、自分が闇の世界の住人と本格的に戦う決意をさせたものであり、今もなお自分の心を縛りつけている。


 気がつくと、紅は両目を閉じたまま、本を片手に回想に浸っていた。が、部屋の扉が開く音がしたために、直ぐにそれは終わりを告げた。


「やあ、犬崎君。ちょうど、お茶が入ったんだ。少し、休憩したらどうだい?」


 扉の向こう側から、ティーカップを乗せた盆を持った高槻が姿を見せた。いつもは雪乃と一緒にテレビ局へ出かけているが、今日の仕事は家でもできる事務的なものばかりだから。そう言って、紅と一緒に事件の謎を追うことに協力してくれていたのだ。


 ちなみに、肝心の雪乃は、今日は体調不良ということで休みを貰っている。まあ、これも方便のようなものなのだが、少しでも自由に動きたいのだから仕方がない。春先で、特番の収録などが立て続かないことで、なんとか休みを取れたのは幸いだった。


「おや……? それ、雪乃の写真集じゃないか。犬崎君も、そういうのに興味があったのかい?」


 紅が手にしている本を見て、高槻が意外そうな顔をした。同じ高校男子でも、紅はアイドルに夢中になるような人間ではない。そう思っている部分があったからだ。


「いや、別に興味があったわけじゃない。ただ、さっき本棚から落としてしまってな。ちょっと気になったんで、少し中身を見てみただけだ」


「なんだ、そうだったのか。僕はてっきり、君が雪乃のファンの一人として、彼女を応援する気になってくれたのかと思ったのに」


「期待させて悪かったな。だが、心配するな。俺は長谷川達の曲を進んで買うようなことはしないが、何か変な事件が周りで起きたら、その解決には全力を尽くさせてもらう。それが俺にできる、あいつらに対しての最良の関わり方だからな」


「そうか……。でも、そう言ってくれると、僕も嬉しいよ。熱狂的なファン……っていうのとは少し違うんだろうけど、純粋にありがたいことは確かだしね」


 相変わらず、愛想のない少年だ。そう思った高槻だったが、あえて口には出さなかった。


 紅の言葉が、照れ隠しから来るものなのか、それとも単に不器用なだけなのか。そのどちらかは、高槻にもわからない。ただ、紅が雪乃に何かあった際、力を貸してくれるということだけは確かである。今回のような事件があったときには、何の力も持たない高槻にとって、この申し出は素直に嬉しかった。


「それにしても……」


 再び写真集をめくりながら、紅が何の気なしに口を開いた。


「意外と、よく撮れている写真だな。こうして見ると、スライドショーを見ているような気にさせられる」


 コマ送りの映像を見るようにして、紅はパラパラとページをめくる。最後の方は夜の場面になっており、花火を背景に縁側に佇む浴衣姿の雪乃が映っていた。


「これは……?」


 突然、紅がページをめくることを止め、本の中から白い紙きれを取り出した。どうやらコンビニのレシートのようで、日付は随分と前のものになっていた。


「こんな物が間に挟まっていたんだが……これは、あんたが挟んだのか?」


 例の如く、ぶっきらぼうな口調で紅が言った。レシートを受け取った高槻は、しばらくそれを眺めていたが、やがて急に何かを思い出したようにして手を叩いた。


「あっ、思い出したよ。これ、僕がしおり代わりに使ったレシートだ。こんなところに挟んだまま、忘れて本を片付けていたんだな……」


「しおり代わり?」


「そうだよ。昔から、僕はその辺にある物をしおりに使ってしまう癖があってね。いつのことかは詳しく思い出せないけど……たぶん、雪乃の写真集を眺めていたときに、仕事の電話か何かが入ったんだと思う。それで、適当にその辺にあったレシートを挟んで、本を閉じたまま本棚に戻してしまったんだ」


「なるほど。仕事に追われて、しおりを挟んだ事実を忘れてしまったというわけか。まあ、よくある話だな」


「まったくだよ。人間の記憶なんて、曖昧なものだからね。こうやって間に挟んだまま忘れてしまうと、意外と自分でもわからなくなってしまうものなんだな。」


 テーブルに紅茶の入ったカップを並べながら、高槻はすこしばかり苦笑しながら語っていた。それを見た紅も、軽く笑って本を閉じた。


 このまま考えていても、今はどうどう巡りで話にならない。時間が無尽蔵にあるわけではないが、ここは一つ、高槻の勧めに乗っておき、休息を取ることも大事だろう。


 ページを閉じた写真集を目の前の本棚に戻そうと、紅はそっと手を伸ばす。だが、写真集が本棚の所定の位置に戻ろうとしたその時、赤い二つの瞳の奥に、何かに閃いたような輝きが宿った。


 突然、本を引き抜いて、紅は再びページを開いた。先ほどと同じように、いや、それよりも更に早く、何度も写真集のページをめくってゆく。


「ちょ、ちょっと犬崎君!? いったい、どうしたって言うんだ!?」


 紅茶を並べる手を止めて、高槻も紅に尋ねた。が、紅はそんな高槻の言葉など完全に無視し、ひたすらに本のページをめくっているだけだ。


 様々な角度から撮影された、実に多彩な長谷川雪乃の写真たち。ページを素早くめくることで、一種のスライドショーを見ているような感覚に陥ってくる。白いワンピース姿で砂浜を駆けまわる姿から、数枚の水着写真を経て、最後は浴衣で夕涼みをする姿まで。夏の日の一日の様子が、誰かの走馬灯でも覗いているかのように現れては消えて行く。


 やがて、全てのページを閲覧し終え、紅はそっと写真集を閉じた。そして、目の前で呆気に取られている高槻を他所に、確信めいた様子で頷いた。


「なるほど……。写真……間に挟む……その手があったか!!」


「な、なんだい、急に。写真がどうとか、間に挟むとか……。それ、今回のことに、何か関係があるのかい?」


「ああ、大ありだ。プロデューサーの変死した原因……。そいつが何なのか、少しつかめた気がする」


「ええっ! ほ、本当かい!?」


「嘘を吐いてどうする。だが、それでもまだ、こいつは俺の想像に過ぎない。俺の考えをはっきりさせるためにも、今はもう少しだけ証拠が必要だ」


 閉じた本を落ちついた様子で本棚に戻し、紅は赤い瞳だけを高槻に向けた。あまりに急なことで、高槻の方は紅の話についていけていないようだった。


 出された紅茶を無視し、紅は携帯電話を取り出すと、そのアドレス帳から嶋本亜衣の番号を探しだす。恐らく、今は授業中のはずだが、事態が事態なだけに急を要する。


 数秒の間、耳元でコール音を聞かされた後、電話の向こうから聞き覚えのある声がした。忘れようにも忘れられない、やたら甲高くテンションの高い声。知っている者からすれば、名乗らなくとも相手が誰なのか直ぐにわかる。


≪どうも~! 亜衣ちゃんで~す!!≫


「嶋本か。今は授業中だと思ったが……話をしても、問題ないか?」


≪うん、平気だよ。こっちも今、授業が終わったところだしね≫


「だったら、話は早い。俺は今、高槻さんのマンションにいるんだが……そこに、一つ送ってもらいたいものがある」


≪送ってもらいたい物? それ、何なのさ≫


「お前が録画していた、例の心霊番組のビデオだ。速達で、着払いにしてくれても構わない。できれば明日までに、東京に着くよう手配しろ」


≪明日までぇ! そんな、無茶苦茶なぁ!!≫


「文句を言うな。プロデューサー変死事件の謎を解く鍵は、そのビデオにある。事態が最悪な方向に流れている以上、そちらに戻ってビデオを確認している暇はないんだ!!」


 いつになく焦った口調で、紅は電話の向こうにいる亜衣に向かって叫んでいた。できることなら、今この場で亜衣の録画したビデオを確認したい。そう言わんばかりの空気を漂わせていた。


≪むぅ、仕方ないですなぁ。それじゃあ、悪いけどそっちの住所を教えてくれない? 後、本当に着払いで送りますから、その辺は恨みっ子なしですぞ≫


「問題ない。では、今から住所を言う。一度しか言わないから、ぼんやりして聞き逃したりするんじゃないぞ」


 最後まで念を押す形で言い、紅は亜衣に高槻の家の住所を告げた。送り先を言い終えた後、紅は無造作に電話を切り、それをポケットの中に押し込んだ。


 これで、第一の準備は整った。後は映像を確認するだけだが、それだけでは事件を解決に導けない。自分の予想が正しいと信じるならば、もう少しの下準備が必要となる。


「高槻さん。悪いが、車を出してくれないか?」


 コートかけにあった黒い外套を身にまとい、紅は外出の準備を整える。折角、紅茶を入れたのに。そんな抗議の声が聞こえてきそうだったが、今は一刻の時間も惜しかった。


「犬崎君。今度はいったい、どこに行くつもりなんだ?」


「わからない。だが、探さねばならない相手がいる。そいつに会えば、今回の事件が呪いなのか祟りなのか、全てがはっきりするはずだ」


「探さなければならない人かい? それ、いったい誰なんだ?」


 早くも玄関に向かって歩き出した紅を、高槻が慌てて止めた。紅が振り返り、血の様に赤い瞳で見据えてくると同時に、その口がゆっくりと開かれる。


「神居結衣だ……。あんたが言っていた……例の番組で以前にディレクターをやっていた女だよ」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 昼下がりという時刻は、時に言い様のない気だるさを運んで来ることがある。


 自分の自宅を兼ねる事務所の一室で、御鶴木魁はいつもの通り、至福の一時を楽しんでいた。海外から取り寄せた高級な紅茶と、行きつけの洋菓子屋で買ったケーキを食べるのが彼の日課だ。


 陰陽師などという仕事をしているが、緑茶に和菓子など古臭いと魁は思っていた。自分のやりたいことを、やりたいようにやって生きる。太く短い人生を楽しむというのが、彼の性分である。


 唯一、気になることと言えば、甘い物の食べ過ぎによる生活習慣病である。もっとも、そんなことを気にする必要もなく、魁の身体は至って健康そのものだった。生まれつき、なぜか太らない体質の人間がいると言われているが、もしかすると、彼自身もそういった者の仲間なのかもしれなかった。


「ふぅ……。しかし、どうも大変なことになってきたみたいだねぇ」


 紅茶を飲む手を休め、魁が傍らに置いてあった新聞を片手にして言った。彼の前には、弟子の弓削総司郎が座っている。魁と同じく紅茶を楽しんでいるようだったが、こちらはともすれば遠慮がちに、様子を窺うようにして飲んでいる。


「先生……。いったい、何があったんっすか?」


 サングラスの奥に、二つの暗い闇を佇ませ、総司郎は魁に尋ねた。世界を見るための光りを失った彼にとっては、外界の情報は感覚的な物を通してしか得られない。テレビのような音が出るものならば話は早いが、新聞に書いてある内容は、当然のことながら読むことができない。


「総ちゃん、俺たちが追ってる今の事件なんだけど……どうやら、ディレクターの室井さんも亡くなったみたいだね。昨日、自宅のマンションで亡くなっているのを、仕事仲間が見つけたってさ」


「ほ、本当っすか!? それじゃあ、まさか室井さんも……」


「ああ、そうだよ。新聞には変死としか書いていないけど、プロデューサーの西岡さんと同じ死に方だった可能性は十分にあるね。しかも、今回はそれだけじゃなくて、もう一つ悪いニュースがある」


「もう一つ……ですか? まさか、他の番組スタッフの人も、軒並み変な死に方したってんじゃ……」


「その、まさかに近い事態だよ。どうやら、俺たちがまったりしている間に、事件はマズイ方向に動き出したみたいだね」


 新聞を置き、魁は珍しく難しい顔になっていた。普段の飄々とした表情からは想像もできない、瞳の奥で光る鋭い眼光。視力を失った総司郎でさえ、今の魁を包む空気から、彼が本気になっているのは容易にうかがい知ることができる。


 御鶴木魁が本気になるとき。それは即ち、彼が自分のプライドをかけて、己の敵と認めた者と戦うことを決意したときだ。いつもは冗談のような態度ばかり取っているが、本気になった魁の恐ろしさは、何よりも総司郎自身がよく知っている。


 彼がここまで本気になることなど、≪奇跡空間ミラクルゾーン≫の撮影で心霊スポットに赴いたときでさえなかった。それは、あの幽霊屋敷の探索のときでさえ例外でない。あの時も、魁はその力の半分程度しか見せぬまま、巨大な蛇の霊を軽くいなして見せたのだから。


「この、新聞記事に書いてあるんだけどさ。なんでも、カメラマンの加瀬さんが、音響スタッフの古澤さんを刺殺したってさ。加瀬さんは、ほとんど錯乱に近い状態にあるみたいだから、警察でも目下取り調べ中ってところかな」


「なっ……そ、そんな! それじゃあ、俺たちが幽霊屋敷の幽霊を除霊したのって、なんの役にも立たなかったってことっすか!?」


「残念だけど、そう言うことになるね。まったく……今回の事件の黒幕とやら、随分とこっちを馬鹿にしたことをしてくれるじゃないか……」


 下唇を噛んだまま、魁は口元を覆い隠すようにして両手を組んだ。


 自分の関わった心霊番組で、立て続けに三人の死者が出る。しかも、幽霊屋敷に巣食う自縛霊を除霊して、安心していた矢先の隙を突く様にして。


 プライドの高い魁にとって、これは放ってはおけない問題だった。今回の件、あの幽霊屋敷の幽霊どもとは、恐らく何の関係もない。屋敷に巣食っていた幽霊たちは、しがない浮遊霊も含め、完璧に除霊を終えたはずだ。


 だが、噂というものは、こちらの意思など関係無しに囁かれるものである。テレビ局側が緘口令のようなものを布いているいるとはいえ、ここまで騒ぎが大きくなったのだ。被害者の全員が心霊番組の撮影スタッフであり、しかも魁自身が除霊に関わった人間であるとすれば、予期せぬ風評被害まで起こりかねない。


 こうなったら、もう手段を選んではいられない。向こうがその気ならば。こちらにも考えがある。現代を生きる陰陽師の力を舐めたこと。事件の黒幕が何者なのかは知らないが、そのことを、身をもってわからせてやる。


「出掛けるよ、総ちゃん……」


 顔の前で組んでいた手を両膝に置き、魁はスッと立ち上がった。行く当てなど決まってはいなかったが、ここでいつまでもお茶を飲んでいるわけにもいかない。まずは情報を集め、事件の裏に潜む何者かをいぶり出す。こちらの力を見せつけてやるのは、その後でも十分だ。


 久々に、本気で仕事にかからねばならないこと。目の前の魁の様子から、それは総司郎もわかっていた。テーブルの上に慌てて食器を置くと、総司郎もまた出掛ける仕度を整える。目で物を見ることはできなかったが、感覚を頼りに動くことは、勝手を知る部屋の中では楽だった。


「それじゃ、行こうか、総ちゃん。でも……その前に、どうやらお客さんが来たようだ」


 スーツの襟を直したところで、魁がふっと窓辺に向かって呟いた。その言葉に、総司郎もまた窓の方へと顔を向ける。そこには誰の姿も見えなかったが、予期せぬ客人の来訪を、二人はしっかりと気づいていた。


「いいかげん、出てきなよ。さっきから、俺たちのことを見張っていたんだろう?」


 懐から退魔の呪文が刻まれた鉄扇を取り出し、魁がそれを窓に向けた。すると、窓からなにやら黒い影のような物が染みだして、それは瞬く間に流動的な球体の姿を形作る。


「先生……。こいつは……」


 総司郎が、腕をまくって身構えた。その腕に刻まれた梵字の刺青が、彼の感情に呼応して赤く光った。


「ああ、間違いない。こいつは、あの少年が使っていた犬神だね。どうやら、俺の式神を捕まえたときに、俺の臭いも記憶していたらしい」


「犬神っすか……。確か、四国の方には、そんな神霊を使う連中がいるって話を聞いたことがあります。外法を使って人を守る連中もいるみたいっすけど……中には、呪いの代行をするような連中もいるって噂っす」


「詳しいね、総ちゃん。でも、安心してくれて構わないよ。どうやら今日は、こいつも俺と戦いに来たってわけじゃなさそうだからね」


 鉄扇を閉じ、それを懐にしまい直すと、魁はそっと手を伸ばして黒い球体に触れた。一瞬、球体の表面がどろりと歪んだように思われたが、直ぐに元通りの形となり、ゆらゆらと部屋の中で揺れていた。


「先生……。そいつ、何て言ってるんっすか?」


 黒い球体と霊的な交感を続ける魁の横で、総司郎が不安そうに見つめている。もっとも、彼の場合は既に瞳を失っているため、見つめるというのは正しくない。霊的な力、魂の有無を感じ取る第六感。それを最大まで用いて意識を拡張し、周りの空気を感じ取っているに過ぎない。


 一方、そんな総司郎の不安を他所に、魁は実に楽しそうな笑みを浮かべていた。やがて、その指を引き抜いたところで、魁は顔だけを総司郎の方へと向ける。そこには先ほどのような怒りや苛立ちはなく、いつもの魁の見せる余裕に満ちた笑顔があった。


「なるほど、こいつは面白い。あの少年、どうやら今回の事件のトリックに気がついたみたいだね」


「ほ、本当っすか!?」


「彼が自分の犬神を使って、わざわざメッセージを運ばせたくらいだ。恐らく、信憑性は高いだろうね。それに、何やら俺にも手伝って欲しいことがあるみたいだし……。今回の黒幕、こっちで探そうと思ってたけど……このまま彼の話に乗って、美味しいところだけいただくのも悪くないね」


 同意を求めるような視線が、総司郎に向けられた。相手の魂の揺らぎから、いち早くそれを察した総司郎は、無言のまま魁に頷いて答えた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 翌日は、生憎の雨だった。


 スタジオでの収録を終え、篠原まゆは局内にある会議室の一つへと向かっていた。もっとも、これから番組の打ち合わせというわけではなく、雪乃を通して犬崎紅に呼び出されたからだったが。


 紅の話では、例の連続変死事件について、今から話したいことがあるということだった。急な話だとは思ったが、まゆも当事者の一人ではある。事件の行末が気にならないと言えば、それは嘘になってしまう。


「すいません。遅くなりました……」


 遠慮がちに会議室の扉を開ける。つい、敬語になってしまうのは、仕事の空気が未だ身体から抜けていないからだ。それと、紅に対する遠慮のような気持ちも、少しだけ含まれている。


「遅かったな。まあ、これで今回の関係者が、一部を除いて頭を揃えたわけだ」


 横を見ると、部屋の隅の壁にもたれかかるようにして、紅が腕組みをしたまま立っていた。その赤い瞳でにらまれると、思わず委縮してしまいそうになる。照瑠から、紅は本当は優しい人間だと聞かされてはいたが、やはり苦手意識というものは、そう簡単に抜けるものではない。


「とりあえず、適当な場所に座れ。話は全て、それからだ」


 腕も指も一切動かさず、紅は目だけでまゆに訴えた。愛想のない言われ方をするのは腹が立ったが、ここで口論をしても仕方がない。言われるままに椅子に腰かけ、まゆは辺りの様子を見回した。


 部屋の中にいる人間は、自分も含めて全部で九人。事件当日に知り合った雪乃と、そのマネージャーの高槻。自分に代行を頼んで来た少女、凍呼もいる。


 陰陽師の御鶴木魁と、その弟子の弓削総司郎の姿もあった。彼らもまた、この事件には少なからず関係がある。紅と初めて出会った日の夜、テレビ局のスタジオで互いに険悪な雰囲気になっていたのは、記憶に新しい。


 一方、紅の側に座っている男は、まゆも初めて見る顔だった。年齢は、三十代後半といったところだろうか。紅や総司郎とはまた違う、なんだか近寄りがたい雰囲気を全身から放っている。不良やチンピラ、それにヤクザなどが持っているものとは、まったく異質で強烈なものだ。


 いったい、あの男は何者なのだろう。男の正体が気になったまゆだったが、残念ながら、それを本人に問うほどの勇気はなかった。男と目線が合いそうになったところで、まゆは思わず顔を背け、残る一人に目をやった。


 最後の一人はADの宮森だ。番組スタッフの三人が死亡し、一人は殺人罪で塀の中。そんな混沌とした状況に置いて、一番下っ端の人間だけが生き延びる。なんというか、随分と皮肉な話もあったものだとまゆは思った。


「さて……。とりあえず、何から話したものかというところだが……」


 壁から身体を離し、紅が頭を掻きながら背を伸ばした。その場にいる全員の視線が、一斉に紅に向けられる。


「まず、最初に言っておこう。今回の事件の全貌だが……こいつは、決して祟りなんかの類じゃない。幽霊屋敷の霊どもの仕業でも、神居結衣とかいう女の霊の仕業でもな」


 一瞬、部屋の中にいた何人かの目が丸くなった。雪乃とまゆ、それに凍呼の三人は、思わず顔を合わせて固まってしまった。


 魁と、それに先ほどの名前を知らない男だけは、随分と落ち着き払った様子で話を聞いている。もしかすると、ここに来る前に紅の方から、ひとしきりの説明を受けていたのかもしれない。


「そもそも今回の事件は、生放送の本番中にプロデューサーが変死したことが発端だ。しかも、聞くところによれば、いきなり眼球が膨らんで、頭が吹っ飛ぶという凄まじい死に方だったようだな」


「そいつは俺も知っているよ。なにしろ、番組の収録中に目の前で見たんだからね。君たちも、あのときは一緒のスタジオにいたけど……あれ、やっぱり見ていたんだろ?」


 ADの宮森が、魁とまゆの方を交互に見て尋ねた。魁は何も言わなかったが、まゆは軽く首を縦に振って返事をした。


「この話を聞いたとき、俺は妙に引っ掛かる物を感じていた。人間の頭を吹っ飛ばすような力を持つ者など、そうどこにでもいるもんじゃない。それが、幽霊であっても、人間であっても同じことだ。呪いにしろ、祟りにしろ……たかだか一人の人間の怨念で、ここまで激しく人を破壊することなど不可能なんだ」


「怨念の力で頭を吹っ飛ばせないって……。だったら、君はプロデューサー達の死因が、祟りなんかじゃないって言うのかい?」


 高槻が、意外そうな顔で紅を見た。心霊現象に対しては肯定的になっていたものの、高槻は所詮素人である。紅の言う、向こう側の世界・・・・・・・のルールなど、その殆どが未知の世界の話だった。


「そこだ。俺が最も疑問に思ったのは、あんたの口から祟りの話が出たときだ。確か……神居結衣とかいう女の霊が、番組関係者に復讐して回っている。そんな予想を立てていなかったか?」


「そりゃ、確かにそんな話もしたけど……。でも、別に僕だって、自分で勝手に予想を立てたわけじゃない。そこにいる、ADの宮森君。彼から話を聞いて、そう思ったんだ」


「そうか……。まあ、そんなことは、今はもうどうでもいい。仮に、この話が本当だったとして、そうなると生前の神居結衣は、とんでもない力を持った超能力者ということになる。だが、そんな話はどこにもなかったし、そもそも犯人は神居結衣の怨霊なんかじゃなかった」


「怨霊じゃない!? それじゃあ、今回の事件の犯人ってやつは、いったい……」


 それ以上は、高槻も言葉を発することができなかった。


 今回の事件の犯人。それは神居結衣の怨霊などではないという。では、合わせて二人もの人間を変死に追いやった、真の黒幕とは何者なのだろう。そんな強大な力を持った相手とは、いったいどんな存在なのだろう。


 昨日、紅に言われるままに、街中をあれこれと引っ張り回された記憶が蘇った。雪乃の写真集を見て何かを閃いた後、紅は高槻に車を出させ、今回の事件に関係した者の家の何件かを尋ねてまわった。その際、何やら探っている様子だったが、何をしているのかまでは告げてくれなかった。


 あれはきっと、今回の事件の証拠になるものを探していたのだろう。もっとも、それはなにも、目に見える物証のようなものではないのかもしれない。幽霊が足跡や指紋を残すなどという話は聞いたことがないため、紅にしかわからない、何か霊的な痕跡のようなものを探っていたのかもしれなかった。


「今回の事件の全貌。それを知るためには、まず先に見てもらいたいものがある。昨日、俺が嶋本に頼んで送らせた、例の番組を録画したものだ」


 部屋の隅の台にあったリモコンを取り、紅がテレビの電源を入れた。チャンネルを合わせて操作すると、画面が数日前に放送された、≪奇跡空間ミラクルゾーン≫のものに切り変わった。


「これが、問題の番組だ。スタジオの映像には問題ないんだが……重要なのは、この後だ」


 リモコンの早送りボタンが押され、映像が流れるように去って行く。スタジオの場面は全て飛ばし、やがて画面は、番組の目玉とも言える記録映像のシーンになった。あの、凍呼が主役の廃屋探索レポート。≪本当にあった呪いの館≫の名を冠したやらせ映像だ。


 屋敷の扉を開け、画面の中の凍呼が恐る恐る中に入って行く。昼だというのに室内は薄暗く、カビと埃の臭いが画面越しにも漂ってきそうな雰囲気である。


 廊下を抜け、凍呼が部屋に入ろうとしたところで、紅は唐突に映像を止めた。一時停止の指示を出し、画面の中の世界で時が止まった。


「とりあえず、こいつを見て欲しい。番組の撮影班が訪れた時、ここは浮遊霊や自縛霊の巣窟だった。俺や、そこの陰陽師なら、普通の人間には見えないものが映っているのもわかっただろう。それに、霊感を持っていない人間であっても、よく見れば変な物が映っているのに気がついたはずなんだがな……」


 止まった画面の一部を指差し、紅はそこを軽く指先で叩いた。まゆがじっと目を凝らして見ると、隣にいた凍呼が軽い悲鳴を上げて口元を抑えた。


 そこにあったのは、紛れもない人間の目玉だった。暗い、部屋の隅の影になった場所。およそ人間が隠れるスペースなどない部分に、実にはっきりと人の目玉が映っていた。


「確かにこの屋敷は、本物のお化け屋敷だった。やらせで映像を撮影しても、これだけ色々な霊が映るんだからな。こんな場所に足を踏み入れて、霊を刺激するようなことをすれば……後で変なことが起きても、何ら不思議じゃない」


 悪戯に、霊を刺激するな。そう言わんばかりの口調で、紅は凍呼の方に目をやった。別に、凍呼自身が好き好んで屋敷に足を踏み入れたわけではなかったが、屋敷の霊にしてみれば、そんなことはどうでもいい。中途半端な気持ちで霊の巣窟に土足で上がったという点では、凍呼にもまったく非がないわけではない。


「この映像を撮影した後、スタッフの一部は怪奇現象に悩まされたらしいな。残念ながら、再現映像を流す前に番組が中断されてしまったみたいだが……家に帰ったお前達が、何がしかの恐怖体験をしたこと。これは、間違いないな?」


 念を押すようにして、紅が凍呼に問う。いきなり話を振られ、凍呼はしばし緊張した面持ちで、その場に固まって動けなかった。


「は、はい……。あの……確かに、変なことは起きました……。夜中に金縛りに遭って……それから、全身にも蛇に絞められたような痕が残って……」


 震える声で、凍呼が胸元を抱えるようにしたまま紅に語った。できれば、あのときの記憶はさっさと忘れたい。そんな風に思われる言い方だった。


「でも……最後は、その蛇のお化けも、御鶴木先生が退治してくれたみたいなんです。だから、もう、お化けに怯える必要もないって……そう、思ってたのに……」


 金縛りの記憶と、全身に霊傷を残された記憶。そして、室井の遺体を目の当たりにしたときの記憶。色々な物が頭の中で蘇り、凍呼は今にも泣き出しそうになっていた。


 自分は別に、好きで心霊番組のレギュラーをやっているわけではない。お化けとか、幽霊とか、妖怪とか……そういった類の物が出る話は、実のところ大の苦手だ。話を聞くだけなら耐えられるが、いくらなんでも、自分が当事者になってしまってはやってられない。


 もう、いい加減に終わりにして欲しい。そんな凍呼の、心の叫びが聞こえてきそうだった。


 さすがに、これ以上は凍呼に話をさせるのも無理だろう。仕方なく、紅は再び画面に顔を向け、先ほどの解説の続きを始めた。


「さて……。そこの陰陽師が、この屋敷に巣食う霊を退治したこと。それは、俺も薄々感づいていた。普通、これだけの霊が映り込んだ映像を直に見たら、大なり小なり何らかの影響がある。霊の持っている負の波動を受けて、気分を悪くする人間だっているかもしれない」


「負の波動、か……。でも、その映像の幽霊たちは、御鶴木先生が退治したのよね? だったら、今回の事件には、その映像は何も関係がないんじゃない?」


「ああ、お前の言う通りだ、篠原。実際、俺も最初の方は、映像に関してはそこまで注意を払っていなかった。ただ、もしかすると編集の際にカットされた部分に、何かまだ祓い損ねたものがいたんじゃないかとは疑っていたが……」


「えっ、違うの? だったら、その映像と今回の事件の関係性って、いったい何なのよ!?」


「そう慌てるな。物事には、説明するための順序がある。まずは手始めに……この映像に隠された本当の悪意を、俺がお前達に見せてやる」


 リモコンを画面に向け、紅の瞳がスッと細くなった。その場にいる全員の視線が、否応なしに画面に集中する。


「見ていろよ……。こいつが今回の諸悪の根源……二人の人間を変死に追い込んだ、忌まわしき≪呪い≫の正体だ!!」


 そう、紅が叫ぶのと、彼が映像のコマ送りを始めたのが同時だった。先ほどの、早送りの映像とはまた違う、ストップモーションの繰り返し。ビデオではなく、スライドショーか何かを見せられているような、実に遅々としたコマ送り作業。


 いったい、これは何の意味があるのだろう。紅は何を考えて、こんな奇妙なことを始めたのだろう。


 そう、まゆが訝しく思ったとき、彼女の視線は画面の中に映し出されたものに釘付けとなった。


「ちょっ……な、なによ、これ……」


 それ以上は、何も言葉が出なかった。まゆだけでなく、その場にいた殆どの人間が、画面の中に映し出された物を見て絶句していた。


 そこにあったのは、幽霊屋敷の探索映像の一コマなどではない。未だかつて誰も見たことのない、実に奇妙で不可解な映像。暗闇に包まれた、どこかの高台のような場所にある、三本の足を持った奇怪な鳥居が映し出されていた。

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