~ 七ノ刻 闇捜 ~
照瑠が高槻からの呼び出しを受けたのは、その日の昼を過ぎた辺りのことだった。
雪乃の家で、紅からの連絡を待っていた際、照瑠は雪乃の携帯電話を通して高槻から連絡を受けた。なんでも、今度は≪奇跡空間ミラクルゾーン≫の作成に関わっていたディレクターが、プロデューサー同様に変死したとのことだった。
同じ芸能界に関わる人間とはいえ、いったい高槻は、どこからそんな情報を仕入れてきたのだろう。一瞬、怪訝に思った照瑠だったが、紅に取り次いで欲しいという高槻の話を受けて、直ぐにそんな考えは吹き飛んだ。
昨日の夜、照瑠たちの前から姿を消した後、紅とは一度も連絡が取れていない。向こうから連絡をくれるのを待ってはいたが、昼を過ぎても何の音沙汰もない。
このまま紅を信じて待っていようか。そう思っていた照瑠だったが、さすがにそんなことは言っていられなかった。
高槻の話を信じるならば、例の番組の関係者が、既に亡くなっているということになる。当然、事件との関連性を疑うのが普通であり、それは紅に伝えておかねばならないことでもある。
放っておけば、事件はますます迷宮入りするばかりだ。警察内部にまで顔見知りのいる火乃澤町とは違い、ここは大都会のど真ん中。味方になってくれる人間も少なく、協力者も数えるほどしかいない。変死の真相が呪いにしろ祟りにしろ、完全に敵地であることに変わりはないのだ。
一端、電話を切る形で、照瑠は高槻との話を終えた。そして、亜衣と交互に電話をする形で、何度も紅の携帯電話に連絡をすることになったのである。
結局、紅が捕まったのは、それから三十分ほどしてからのことだった。五分おきくらいに、何回もしつこく電話をしたからだろうか。照瑠の方から再度の電話をかける前に、紅の方から連絡があった。
「九条か……。こう、何度も連絡をよこすとは……何か、急ぎの用事でもできたのか?」
電話の向こうの第一声が、これだった。いつにも増して不機嫌そうな様子だったが、照瑠はあえてそれを無視した。今は、とにかく高槻から言われたことを紅に伝えなければならない。その上で、紅と改めて合流し、高槻の話を聞く必要がある。
ディレクターの変死を端的に伝え、照瑠は紅との話を終えた。初めは適当に話を聞いていた紅も、新たな犠牲者が出たということで、最後はやけに慎重になっているようだった。
「さて、と……。それじゃあ、私はちょっと出かけるね。犬崎君とは連絡が取れたけど……あいつに全部押し付けて、私だけ遊んでいるってわけにもいかないし」
部屋の隅に置いておいた鞄を拾い、照瑠はそう言って立ち上がった。その後ろから雪乃や亜衣がついてきたが、照瑠は直ぐに振り返り、彼女達を制するようにして右手を突き出した。
「ごめん。悪いけど……今回は、私一人で行かせてくれない? なんだか、ちょっと嫌な予感がするから」
「むぅ、友達がいがないですなぁ……。折角ここまで一緒に来たのに、今さら抜け駆けですか、照瑠どの?」
同行を拒否されて、亜衣があからさまに不満そうな顔をした。
「本当にごめんね、亜衣。だけど、さすがに今回は、私達も迂闊に動けないわよ。高槻さんの話を聞く限り、人が一人亡くなっているみたいだし……。それに、あまり大人数で行っても、雪乃やまゆさんの立場だってあるだろうし……」
最後の方は、少しばかり言葉を濁す形になった。
自分や亜衣とは違い、雪乃やまゆは芸能界の人間だ。そんな人間が、奇怪な変死事件を追いかけて動き回っているということが、三流週刊誌の編集者にでも知られたらどうなるか。その先は、照瑠でなくとも簡単に予想がつく。
変死事件と絡め、あることないことを書き立てられた挙句、場合によっては芸能人としての生命線を断ち切られるかもしれない。決して大袈裟な話ではなく、それは十分に考えられることだ。
火の無いところに煙は立たぬというが、それはあくまで一般人を相手にした場合の話。火の無いところに、あえて煙を立てることを仕事にしている連中がいることくらい、業界内部の話に疎い照瑠でもなんとなく想像はできる。
それに、照瑠はなによりも、高槻に余計な心配をさせるのが嫌だった。
変死したディレクターの謎を追うということは、それは即ち事件の核心に近づくということだ。確かに、事件を解決するためには必要なことなのだろうが、核心に近づけば、それだけ危険も増す。紅と自分がいる限り、そう簡単に雪乃の身に何かが起こるとは思えなかったが、高槻はあの通りの男だ。雪乃の身を案じ、余計な気苦労を変に背負い込まれるのも申し訳ない。
なんだかんだで、自分は結局世話やきなのだと照瑠は思った。火乃澤を離れ、わざわざ東京にまで出てきても、観光をそっちのけで他人の心配ばかりしている。それが他人を癒すことを生業とする、癒し手の性だと言われれば、それまでな気もするが。
「それじゃあ、私はもう行くね。これ以上、犬崎君を待たせると、どんな文句言われるかわからないし」
「しょうがないですなぁ……。でも、本当に一人で大丈夫なの? やっぱり、せめてもう一人くらい一緒に行った方が、なんとなく安全な気もするけど……」
名残惜しそうに、亜衣が探るような視線を照瑠に向けてくる。話の流れで、このまま自分も一緒に連れて行ってもらえないだろうか。そんな淡い期待を抱いているのが見え見えだ。
亜衣が照瑠と一緒に行きたい理由。それは一重に、好奇心から来るものだろう。勿論、友人として照瑠のことを心配しているのもあるだろうが、半分は興味本位ということで間違いない。
このまま亜衣を連れていけば、きっと面倒なことになる。かといって、ここで強引に振り切って出掛けたとしても、下手をすればこちらを尾行しかねない。紅とは別の意味で感覚のずれている亜衣のこと。その程度のことであれば、絶対にする。
果たして、この流れをどう切り抜けるか。そんな照瑠に救いの手を差し伸べたのは、意外なことに、まゆだった。
「仕方ない。それじゃあ、私が一緒に行ってあげるわ。一応、この中では最年長ってことだし……別に、構わないわよね?」
明らかに同意を求める視線を照瑠に向け、まゆは早くも玄関に出て靴を履いていた。断ろうにも断れない。そんな空気を、あえて自分から作りだしているようだった。
「えっ……。で、でも……まゆさん、本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫って、何が?」
「だって、まゆさんだって雪乃と同じ、テレビに出ている人なんでしょう? それが、呪いだの祟りだのが絡んでいそうな心霊事件を追いかけているなんてことが知られたら、やっぱりまずいんじゃ……」
「ああ、なんだ、そんなこと。だったら、無用な心配ってところかな。私、雪乃と違って、そんなに顔が売れているわけじゃないからさ。スタジオ用のメイクをしているわけでもないし、普段着で歩いていれば気づかれないでしょ」
自分と雪乃は別格だ。だから、照瑠と一緒に歩いても大丈夫。それが、まゆの告げた理由だった。
確かに、彼女の言っていることも一理あると照瑠は思う。しかし、本当に平気なのだろうか。本人から保証されても未だ不安な照瑠だったが、まゆは気にすることもなく、照瑠の手を引いて外に出た。
「それじゃ、ちょっと行ってくるからね。二人とも、とりあえず留守番よろしく!!」
これから凄惨な事件の現場に向かうというのに、まるで買い物にでも出かけるような言い方だった。その、あまりに場違いなまゆの行動に、照瑠はしばし首を傾げながら雪乃の部屋を後にした。
廊下を曲がり、エレベーターの扉の前に立つ。ボタンを押して呼び出すと、エレベーターは直ぐに二人の前にやってきた。
開かれた扉の向こうには誰もいない。日曜日だが、外出する者は少ないのだろうか。それとも、日曜日だからこそ、住民たちはそれぞれの部屋で、ゆっくりと余暇を過ごしているということだろうか。
無機的な個室に入ったところで、まゆが壁にもたれかかったまま溜息をついた。なんだか、随分と気を張った。そんな風にも受け取れる様子だった。
「はぁ……。とりあえず、なんとか抜けられたわね。雪乃が一緒に来るって言いださなくって、本当に助かったわ」
「ええ、まあ……。でも、それにしても、今日はいったいどうしたんですか? 急に、私と一緒に犬崎君や高槻さんに会いに行くなんて言い出して……」
先ほど、雪乃の部屋を出る際に見せたまゆの態度。それがどうにも気になって、照瑠は思わずまゆに尋ねていた。
「ああ、それね。一応、私だって当事者だし、そもそもの依頼人みたいなものじゃない。だから、いつまでも年下のあなた達に甘えてられないかなって……そう思っただけよ」
「そうだったんですか。なんか、返って気を使わせたみたいですいません」
「別に、九条さんが気にすることはないわよ。真相を知りたいっていうのは、私だって同じだからさ。確かに、ちょっと怖いのもあるけど……ここは、お互い様ってやつでしょ」
親指を立てて、まゆがにやりと笑って見せた。強がっているのか、それとも本心からなのか。それを照瑠が確かめようとしたとき、エレベーターの扉が重たい音を立てて開かれた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
駅前の大通りを抜け、閑静な住宅街に入った直ぐの場所に、そのマンションは建っていた。
連絡用の携帯電話を片手に、照瑠とまゆは互いに顔を見合せながら歩いてゆく。二人一緒に行動しているとはいえ、土地勘の無い場所を歩くのは、なぜかどうしても気後れする。
電柱の横を曲がったところで、照瑠は見慣れた白金色の髪を見つけた。黒いコートと、その色とは対照的な白い肌。そして、燃えるような赤い瞳が、こちらを横目で睨んでいた。
「遅いぞ、九条。既に、高槻さんも到着しているんだからな。少しは時間というやつを、気にして動いたらどうなんだ?」
出会ったそうそう、いきなりの憎まれ口。その横柄な態度に、早くもまゆが辟易したような顔をしている。が、照瑠にとっては、これも普段の日常の一コマ。すかさず紅の前に歩み寄ると、彼を正面から見据えて言い返した。
「悪かったわね、犬崎君。でも、女の子の身だしなみってのは、時間がかかるものなのよ。いいかげん、そのくらいのことは理解してもいいんじゃない?」
「興味はない。人が死んだ現場に出掛けるのに身だしなみを気にするなど、俺には理解できない感情だ」
「その言葉、そっくりそのまま返すわよ。昨日の夜、連絡も無しにほっつき歩いていた人に、常識なんて語って欲しくないんだけど」
昨晩、連絡一つよこさずに、散々心配をかけたこと。それを引き合いに出した照瑠だったが、紅にはあまり響いていないようだった。
「とにかく、今は時間が惜しい。既に警察の連中も来ているみたいだ。高槻さんとは、現場で合流しよう」
そう言うが早いか、紅は照瑠とまゆを置いて、さっさと先に歩き出した。相変わらずの愛想のなさだが、これはもう仕方ない。喉まで出かかった言葉を飲み込んで、照瑠とまゆも、その後を追う。
現場に到着すると、既にそこは警察の人間でごった返していた。マンションの入口には黄色いテープが張られ、住民たちが何やら聞きこみを受けている。そこから少し離れた場所で、高槻が現場の様子を遠巻きに窺っていた。
「待たせたな。とりあえず、現場の状況はどうなっているんだ?」
出会いがしらに、紅は高槻にいきなり質問をぶつけにいった。こういうときは、まずは挨拶からするものではないか。つい、そんな言葉を口に出しそうになった照瑠だったが、現場の片隅に丸まっている者の姿を見て、出て来た言葉を飲み込んでしまった。
(あれは……?)
そこにいたのは、照瑠よりも一回り小柄な一人の少女だった。何やら相当に恐ろしいものを見たらしく、両手で口元を隠すようにして震えている。
隣にいるのは、あれは彼女の付添いの男だろうか。震える少女に代わり、現場に駆け付けた警察官の質問に答えていた。
いったい、あれは誰だろう。警察官と一緒にいることからして、事件の関係者なのだろうか。そう、照瑠が考えていた矢先に、彼女の隣にいたまゆが、スタスタと歩きだして少女に近づいて行った。
「ねえ……。あなた、大丈夫?」
少女の側に寄るなり、まゆは腰を屈め、目の前で震える彼女に話しかけた。その言葉に、少女の顔が一瞬だけ上を向く。いきなり声をかけられたのが不思議だったのか、怪訝そうな様子でまゆの顔を覗きこんでいる。
「あの……。あなたは?」
「篠原まゆよ。あなたと同じ事務所にいて……。ほら、例の番組の代行を引き受けた」
「えっ……!? そ、それじゃあ、あなたが私の代わりに、ミラクルゾーンに出演してくれた……」
「そういうこと。まあ、あなたと違って私は売れてないからね。顔を覚えてもらっていなくても、仕方ないと思うけど……。改めてよろしくね、葵璃凍呼さん」
自嘲気味に笑い、まゆは凍呼の横に並ぶようにして腰を降ろした。そして、優しくその肩に手を回すと、そのまま諭すようにして話を続けた。
「とりあえず、今は場所を移さない? こんなところで丸まっていても、警察の人の邪魔になるだろうし……。後のことは、あそこにいる宮森さんが、なんとかやってくれるわよ」
まゆの視線が、一瞬だけ宮森に向けられる。凍呼に代わり、警察の質問を受けていた男だ。番組に出演したのは一度きりだったが、打ち合わせの段階で、まゆも宮森の顔は知っていた。
宮森の方は、未だ警察からあれこれと訊かれている。本当は、彼にも事情を尋ねたかったが、今はさすがに無理そうだ。そうなると、後の話は宮森ではなく、ここにいる凍呼に尋ねる他にない。
とにかく、まずは凍呼を落ちつかせ、それから話を訊くしかないだろう。まゆは凍呼に立ち上がるよう促すと、そのまま彼女を連れて照瑠たちのいる場所へと戻った。どうやら紅も高槻との話を終えたらしく、戻ってきたまゆに三人の視線が向けられた。
「お前は……確か、篠原まゆとか言ったか? いきなり現場に踏み込んで関係者を引っ張ってくるなんて、随分と大胆なことをするものだな」
赤い瞳を向けるや否や、紅のぶっきらぼうな台詞が口から飛び出す。照瑠の手前、露骨に嫌な顔はできなかったが、それでもまゆは、やはり紅の出すこの雰囲気とは、どうしても相容れないものがあると感じてしまった。
「ま、仕方ないでしょ。別に、警察の捜査を邪魔しに行ったわけでもないし……。ただ、事務所の後輩に、ちょっと助け船を出してあげただけよ」
「事務所の後輩? そう言えば、その女……昨日のテレビ局でも会ったな。確か、あの陰陽師と一緒にいたやつじゃなかったか?」
「ええ、そうよ。彼女、ミラクルゾーンのレギュラーだからね。私が例の事故のあった生放送に出演したのは、あくまで彼女の代理ってことだし」
「そういうことか。なら、話は早い。お前……あの、マンションの中で何を見た?」
紅の瞳が、まゆの隣にいた凍呼に向けられた。あくまで自然に接したつもりだったが、それでも今の凍呼には、いささか刺激が強過ぎたのだろうか。幽霊のような紅の外観も相俟って、彼女は一言、短い悲鳴を上げただけだった。
「ちょっと、犬崎君! いきなりそんな訊き方ってないんじゃない!?」
後ろから、照瑠が紅の背中を小突いて言った。話の腰を折られてむっとする紅だったが、照瑠はそれに取り合わなかった。
「なぜ止める、九条? 俺はこの女に、ただ目の前で起きたことを尋ねただけだぞ」
「だから、そういう言い方がまずいんだってば! 彼女、怯えているじゃない。もっと、こう……優しく思いやりのある訊き方ってものができないの!?」
「残念ながら、俺はそういった類の感情を持ち合わせていないんでな。お前の期待には答えられそうにない」
ざっくりと、斬り捨てるような言い方だった。もっとも、その半分が嘘であることを、照瑠は当に気づいているが。
犬崎紅は、不器用なだけだ。今の言葉とて、彼の本心などではない。ただ、自分をさらけ出すことを良しとしない部分もあるため、時にこういった誤解や衝突を招いてしまうことがある。
まったく、相変わらず世話の焼ける男だと照瑠は思った。紅は頭も切れるのだが、たった一人では警察や探偵の真似ごとなど決してできない。確かに、事件を解決する際に見せる彼の才能は素晴らしいものがあるが、こうも聞き込みが下手糞では先が思いやられる。
探偵は、あくまで事件を解決する最終兵器。本当に必要な情報は、大概は助手が集めて来ることが多い。以前、どこかで見た探偵物のテレビ番組を思い出し、照瑠は自分と紅の関係に、彼らの姿を重ねていた。
「ねえ、あなた……。もしかして、まゆさんの知り合いの人?」
紅とは違う柔らかい口調で、照瑠が凍呼に尋ねた。まだ、少しだけ緊張しているようだったが、それでも同年代の少女に話しかけられて安心したのだろうか。今度は悲鳴を上げることもなく、凍呼は照瑠に自分の見て来たものを語りだした。
金曜日から連絡の取れなくなったディレクターに会おうと、ADの宮森と一緒にマンションを訪ねたこと。そこのマンションで、無残にも頭部を粉砕された、室井の死体を見つけたこと。死体を見て気を失い、気がつけば宮森に介抱されていたこと。
全てを話し終えたとき、凍呼は掠れた声で泣いていた。あの、室井の寝室で見てしまったものが頭に蘇り、自分の感情を抑えきれなくなっているようだった。
「なるほどねぇ……。まあ、確かに、そんな物を見たら気絶の一つや二つだってするわよね」
凍呼の前で、照瑠が大きく首を振って頷いた。そして、目元を赤くしながら泣き腫らしている凍呼の頭に手を乗せると、すっと息を吸い込んで、意識を彼女の心に集中させた。
この歳の少女にしては小柄な凍呼と違い、照瑠は随分と背が高い。170㎝を越える身長は、それこそ知らない者が見れば、雑誌のモデルやバレーボール部のエースと見紛う程だ。
「あ、あの……」
自分よりも一回りも背丈の高い少女に、いきなり頭に手を乗せられる。意味がわからないという表情で、凍呼は照瑠の顔を、覗き込むようにして見上げている。
どれくらい、そうしていただろうか。時間にして、物の数分の出来事だったのかもしれない。
気がつくと、凍呼はいつしか泣き止んで、呼吸も随分と落ちついたようだった。ほっと溜息をつき、照瑠は満足そうに凍呼の頭から手を離す。隣にいた紅も、横目でその様子を窺いながら、自嘲気味な笑みを浮かべていた。
「やるな、九条。さすがは九条神社の跡取りと言ったところか? 以前に比べ、随分と力を増したようだな」
「まあね。犬崎君ほどじゃないけど、これでもちゃんと、修業だけは続けてたから」
「そいつは頼もしいな。お前のような芸当、俺には到底真似できん。こういった面倒事の際は、今度からお前が先に話を聞け」
「それはどうも。でも、犬崎君も、少しは人と話すときの作法ってものを、勉強した方がいい気がするけどね」
多少の皮肉を込めたつもりで、照瑠は紅に言ってやった。嫌味というよりは、自分の中にあった驚きの気持ちを隠そうという方が強かった。
あの紅が、よりにもよって他人を認め、誉めるような発言をする。なんとも珍しいこともあるものだ。そんなことを思いながら、照瑠は再び凍呼に話しかけていた。
「少しは落ち着いた? なんか、とんでもない目に遭っちゃったわね」
「えっ……。は、はい……」
いったい、自分に何が起こったのか。肝心の凍呼は、わけがわからないという顔をして突っ立っている。まあ、何の霊感もない凍呼にしてみれば、照瑠が癒しの気を送り、彼女の気持ちを鎮めたことなど知る由もないのだが。
とりあえず、この場はなんとか落ちついたか。そうこうしている内に、照瑠や紅たちの下に、先ほどまで警察の質問に答えていた宮森がやってきた。宮森は紅たちの中に高槻の姿を見つけると、何やら慌てた様子で小走りに駆け寄ってきた。
「あっ、高槻さん! 来てくれたんですね!!」
「宮森君か。君から連絡を受けたときは、こっちも自分の耳を疑ったよ」
「すいません。なんか、変なことで呼び出しちゃって……」
宮森が、申し訳なさそうに頭をかいていた。どうやら今回の件は、宮森が高槻に連絡をよこして話が伝わったようだ。と、いうことは、宮森と高槻は、顔見知りの関係ということだろうか。
「それで……何か、僕たちに協力できそうなことはあるのかい? さっき、随分と警察に色々訊かれていたようだけど?」
「ええ、まあ……。俺と、そこにいる凍呼ちゃんが、室井さんの遺体の第一発見者でしたからね……」
「それじゃ、君たちが警察に疑われているってことなのかい?」
「いや、それはないと思います。ただ……室井さんの死に方が死に方なんで、色々と詮索されるのは仕方ないですけどね……」
宮森の眼が、一瞬だけ高槻から逸らされた。高槻は室井の死に様を目の当たりにしたわけではなかったが、それでも先ほどの凍呼の様子と、今の宮森の口調からはっきりとわかる。ディレクターの室井が、通常では考えられない様な、酷い死に方をしていたということは。
「それよりも、高槻さん。実は……俺、さっきヤバいもん見ちゃったんですよ」
急に小声になって、宮森は高槻だけに囁くようにして言った。照瑠や紅も耳を澄ませたが、宮森が出来る限り他人に話を聞かれたくないと思っているのは明白だった。
「俺、高槻さんに、神居さんの話しましたよね。例の、≪奇跡空間ミラクルゾーン≫を、以前に担当していたディレクターの……」
「そう言えば、そんな話も聞いたね。で、その神居さんが、どうしたって言うんだい?」
「はい。実は、警察の……あれ、鑑識官って言うんですか? そんな人が袋に入れて持って来た物の中に、血まみれになった女物の指輪があったんです。」
「女物の指輪? でも、そんなもの、警察の人がわざわざ見せてくれるものかな?」
鑑識官が、現場で上がった証拠を一般人に見せる。そんなことは考えにくいと首を傾げた高槻だったが、目の前の宮森は、至って真面目な顔だった。
「たぶん、半分は偶然みたいなもんだと思います。本当は、俺に質問して来た刑事さんの方に見せるつもりだったんだろうと……」
「なるほどね。それで、その指輪は誰の物だったんだい? まさか……」
「その、まさかですよ。神居結衣さんの話、覚えてますよね? 発見された指輪、その神居さんがつけていた物でした。それも、発見された場所が、またおかしくて……」
「発見された場所?」
「そうです。指輪のあった場所、どこだったと思います? 警察の人の話だと……室井さんの砕け散った頭の中から見つかったってことでした」
「なっ……。あ、頭の中って……。どうして、そんな場所に指輪なんか……」
「それは、こっちが聞きたいくらいですよ。お陰で、俺も警察の人から長々と話を訊かれることになったし……正直、何がなんだか、さっぱりわからないです」
一瞬、場の空気が凍りついた。
神居結衣のことは、当然のことながら高槻しかその存在を教えてもらってはいない。しかし、今までの話の流れから、その人物が故人であることは容易に想像できる。宮森の言っていた≪生前≫という言葉を信じるならば、既に神居結衣という女性は、この世に存在してはいない。
そんな人間の指輪が、砕け散った室井の頭部から発見された。これはいよいよ、話が怪奇な方向に傾いてきた。照瑠も紅も、そんな宮森の話を聞いて、ただならぬ事態が起きていることだけは理解していた。
(しかし……。それにしても、まさか人間の頭の中から指輪が出て来るなんて……そんなことが、本当に起こり得るのか?)
話を全て聞き終えて、高槻は改めて腕を組み考えた。
――――今回の事件は、先代ディレクターの神居結衣による祟りである。
以前、宮森と初めて会ったときのことが、高槻の頭の中で再生される。だが、その一方で、一抹の疑念も捨てきれてはない。
自分の番組が穢され、低俗な物に変わってゆくことに怒りを覚え、とうとう番組関係者に死の制裁を加え始めた女性ディレクターの怨霊。確かに幽霊が犯人の事件としては、整合性の取れている話でもある。
しかし、仮に本当に神居結衣の霊が今の番組の在り方を嘆いているとして、いきなり祟りなどという行動に出るだろうか。世界中から奇跡の感動エピソードを集め、高視聴率を記録するような番組を作っていた女性が、そんな身勝手な理由から、人殺しに走るだろうか。
生前の神居結衣がどんな女性であったのか。それは高槻も知らないが、さぞ聡明な女性であったことは想像できる。そんな彼女のイメージと、人間の頭を砕いて殺すという残虐な手口。それが、どうにも結びつかない。
「神居さんの祟り、か……。僕には正直、何が真実なのかわからないな。犬崎君、君は今の話を聞いて、どう思う?」
「そう、いきなり言われても困る。今の俺たちには情報が少な過ぎだ。その、神居結衣というのがどんな女だったかということ含め、きちんと話を聞かせてもらわないとな」
「ああ、そうだったね。それじゃあ、それは僕の方からしておこう。できれば宮森君にも同行してもらえると嬉しいんだけど……大丈夫かい?」
高槻の顔が、宮森に向けられる。本当は、彼の口から話をしてもらうのが一番いい。そう思った高槻だったが、宮森は首を縦には振らなかった。
「すいません。俺、これから凍呼ちゃんを送っていかなくちゃならないんで……。あんな事件の現場に居合わせちゃったことだし……事務所の方から変な難癖つけられても、彼女が可哀想ですから」
「確かに、それもあるな……。だったら、僕は僕で、残る女の子たちを送ってゆくことにするよ。犬崎君と話をするのは、その後になるけど……それで、構わないかな?」
「問題ない。俺の方でも少しばかり、調べたいことがあるんでな。しばらくは、一人で行動させてもらうが……そこにいる二人を送ったら、改めて連絡をよこせ」
赤い瞳が、睨むようにして高槻を見てきた。苛立っているというよりも、何やら色々と考え込んでいる。そんな風にも受け取れる様子だった。
現世の常識しか知らない高槻にとって、霊だの呪いだの祟りだのといった、常世の常識はまるでない。紅が何を考えているのか、そんなことは、今の高槻では知る由もない。
今回の事件が、本当に神居結衣の怨霊によるものなのか。もし、そうだとすれば、これから先も番組関係者が殺され続けるのではないか。それこそ、目の前にいる宮森は元より、果ては凍呼やまゆの命でさえ危険が迫っているのではないか。
室井の変死のことを考えると、事態は決して楽観視できるものではないと高槻は思っていた。しかし、自分にできることが限られている以上、ここから先は、全てを紅に委ねて見守る以外に方法が見つからなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
扉を開けると、むっとした血の臭いが鼻をついた。
思わずハンカチで口元を抑えたものの、香取雄作は気を取り直し、改めて部屋の中へと入って行った。
仕事柄、凄惨な殺人事件の現場に出くわすことも少なくはないが、やはり、血の臭いというものは慣れるものではない。臭気にやられて嘔吐するような醜態を見せることはないものの、この臭いを好んで嗅ぎたいとまでは、さすがに思うは至らない。
部屋の奥に入ると、そこでは未だに現場検証が続けられているようだった。血飛沫の飛び散った現場の部屋では、鑑識の男と担当刑事が、なにやら色々と話をしている。今回の変死事件が、あまりに奇妙で説明がつかない。そんなことを互いに愚痴っているようだった。
固く、やけに周りに響く足音を立てながら、香取はつかつかと二人の男の側へと歩いて行った。途中、その足音に気づいたのだろう。鑑識の方がこちらを向き、刑事の袖をつついて促した。
「あん? なんだ、お前は?」
明らかに不機嫌そうな顔をして、担当刑事が香取に睨みを利かせてきた。見るからに柄の悪い、悪人面をした男だ。何も知らない者が街中で出会ったら、刑事ではなく暴力団の一味と思われるかもしれない。
「公安第四課、警視正の香取雄作だ。これより本件は、警視庁公安部の管轄に入る。よって、そちらには捜査の担当から外れてもらうことになるが……異論はないだろうな?」
懐から旧式の警察手帳を取り出し、香取も自分の身分を明かして男に言った。相手の気迫に負けず、至って冷静な口調で言ったつもりだったが、香取の階級を聞いても男は引き下がらなかった。
「公安だぁ? こっちはそんな話、上からは何も聞いてねえぞ!?」
「当然だ。公安部の仕事は秘密裏に行われるのが常だからな。こちらの事情を説明する義理は、初めからない」
「ああ、そうかい。だがな、こっちだって、身体張って仕事してんだ。公安だかなんだか知らねぇが、後からやってきて、勝手に人の手柄を横取りしようってのかい?」
男の凄むような声が、部屋の中に響き渡る。手を伸ばせば届く距離にいるというのに、こうまでして大きな声で話さねばならない理由はなんなのか。そう思ってしまうほどに、担当刑事の男は荒れた声を香取にぶつけて来た。
仕事上、仕方のないこととはいえ、この手の輩の扱いは本当に困る。目の前の男は、恐らくは現場からの叩き上げ。香取のようなキャリア組のことを、殊更嫌悪しているタイプの人間だ。それが、公安のような秘密組織に属するものであれば、尚更執拗に突っかかって来る可能性もある。
先ほど、こちらの階級を聞いても尻込みしなかったことからして、階級を盾に男を黙らせることは不可能だろう。目上の人間に立てついても、始末書の数枚を仕上げて提出すればよい。そんな風にしか考えていない、短絡的な相手かもしれない
折角現場に到着したのに、これでは捜査が進まない。なんとか男を現場から追い出したいと香取が考えた時、目の前の男のポケットから、携帯電話の呼び出し音が鳴り響いた。
「あんだぁ? この、クソ忙しいときに……」
周りにいる全ての人間に聞こえるように悪態を吐きながら、男はしぶしぶ携帯電話を取り出して耳に当てた。しばらくは、男は実に不満そうな顔で電話の向こう側の声に耳を傾けていたが、やがて、用件も済んだのか、電話を無造作に折り畳んでポケットにねじ込んだ。
「おい、ついてたな、あんた。俺は署長に呼ばれて、これから署に戻ることになった。ついでに、現場の指揮も、あんたら公安に任せろって命令だ」
「そいつは助かるな。賢明な判断に、感謝しよう」
「へっ、良く言うぜ。後からのこのこ来て、その上で根回しするなんざ、随分と汚ねえ仕事がお得意のようだな、公安さんはよ!!」
喉の奥で不快な音を鳴らし、男は痰唾を香取の足下に吐き捨てた。現場がマンションの一室であることなど、まったく気にしていないようだった。
ドスドスと、まるで地鳴りのような足音を立てて、男は部屋を出て行った。後に残された鑑識官に、香取は場所を外すようにだけ指示を出す。まだ、現場の検証さえしていないというのに、なんだか随分と興醒めしてしまった。
軽い溜息を吐いた後、香取は目の前に転がっている変死体に改めて目をやった。報告にはあったものの、こうして見ると、その余りの酷い死に様に異様なものを感じざるを得ない。
肉体の酷く損傷した遺体はこれまでも数多く見てきたが、その臭気と同じく、やはり慣れるものではない。仕事柄、顔にまで露骨な嫌悪感を露わにすることこそないものの、死んだ人間を目の当たりにするというのは、決して気分の良いものではない。
遺体は頭部を激しく損傷しているが、逆にそれ以外の外傷は見当たらなかった。いったい、何をどうすれば、ここまで激しく人間を破壊できるのか。最も有力なのは爆発物の類を用いたという線だが、これは今回の事件には当てはまらないような気がした。
「やれやれ。到着早々、変なのに絡まれて災難でしたね」
突然、後ろから声がした。聞き覚えのある声に、香取はゆっくりと振り返る。見ると、そこには眼鏡をかけた細身の青年が、腕組みをしたまま壁にもたれかかっていた。
「氷川か……。相変わらず、人の背後を取ることが趣味のようだな」
「そいつはどうも。まあ、俺たちの中で香取さんの背後を取れるのは、この俺くらいの者ですけどね」
「下らない前置きは不要だ。それよりも……この現場を管轄している警察署に根回しをしたのは、お前か?」
「ええ、そうですよ。香取さんと違って、そういう仕事は俺向きなんでね。面倒事が起きる前に、さっさと済ませておきました」
指先で眼鏡の位置を少しだけ上げて、氷川と呼ばれた男がにやりと笑った。
氷川英治。香取と同じく、彼もまた公安四課に所属する死霊管理室のメンバーである。巧みに己の気配を消して相手の背後を取ることを得意とし、同時に情報戦のエキスパートという側面も持つ。同じ死霊管理室の中でも、香取がもっとも信頼している部下の一人だった。
香取が現代を生きる傭兵に例えられるならば、氷川は正真正銘のスパイと言うに相応しい男だった。それこそ、ハリウッドのスパイ映画にでも登場しそうな、絵に描いたような工作員のイメージが強い。映画のような常識外れのアクションはできないだろうが、その頭脳はときに、死霊管理室の大いなる助けとなる。
スッと伸びた背をまったく曲げず、氷川は室井の変死体に近づいた。香取同様に、その顔に嫌悪の色は現れていない。不快な臭気は感じているだろうが、精神状態のコントロールという点でも、氷川は香取より上だった。
脳漿をぶちまけ、その頭部の上半分を失っている無残な死体。腰を屈めて覗きこむと、氷川は首だけを香取の方へと少し向け、遺体と交互に見比べながら口を開いた。
「ったく、こりゃまた酷い死に様ですね。やっぱり今回も、例のテレビ局で起きた事件と同じ手口ってことですか?」
「ああ。断言はできないが、死んだのが例の番組を作成していたディレクターだからな。死亡の原因は未だ不明だが、恐らく死因が同じことは間違いない」
「そうですか。まあ、その死因がわからないんじゃ、さすがにこれ以上は俺もお手上げですけどね。現場から、火薬の類でも発見されりゃ、直ぐにでも捜査権を通常の警察に返せますけど……」
「残念ながら、それは無理そうだな。ショットガンで頭を砕いたのとも違う。こいつは明らかに、内部から頭を粉砕されている」
「へぇ……そいつは興味深い。まさか、犯人は中国秘伝の暗殺拳の使い手だった、なんてことにはなりませんよね?」
「ふっ……。いくらなんでも、それはないと思いたいがな」
両手の人差し指と中指を立てて冗談を言う氷川に、香取も思わず苦笑して答えた。
もし、氷川の言うように、相手が人間だったのであればどれほど楽か。例え漫画の世界から飛び出してきた暗殺拳の使い手であっても、相手が人間であれば、まだ勝機はある。
だが、目の前に転がる室井の遺体は、その死の原因が明らかに向こう側の世界の力によるものだと物語っていた。その力の正体は、果たして呪いか祟りか、それとも香取の知らぬ超能力の類なのか。霊感のような力を持ち合わせていない香取にとって、そこまではわからない。
やはり、これ以上は自分たちでは限界か。後は鑑識の人間たちに現場を任せ、監察医の検死解剖結果を聞く他にない。無論、こちらで子飼いにしている、信頼できる法医学者に依頼をしなければ駄目だろうが。
そこまで考えたとき、今度は香取の携帯が唐突に鳴り始めた。取り出して画面に映し出された文字を確認すると、香取は一言、「少し頼む……」とだけ残して部屋を出た。
血の臭いが充満している部屋の中とは違い、外の空気は爽やかだった。下から吹き上げるような風がマンションの廊下を抜け、香取の服の裾を揺らした。
「俺だ。こちらは今、現場で取り込み中なんだが……用件は何だ?」
開口一番に、香取は自分の名前も名乗らず尋ねた。相手が誰であろうと、香取は電話越しに自分の名を名乗ることをしない。自分に電話をかけてくる人間は、即ちこちらの正体を知っている人間でもある。それがわかっているからこそ、あえて面倒な社交辞令など避けて通る。
≪こちらの要件など、そっちもわかっているだろう? あんた達、警察の人間が封鎖していて、俺はそちらに入れない≫
電話越しに聞こえて来たのは、まだ若い少年の声だった。声の主が先日の夜に出会った外法使い、犬崎紅であることは、電話に出たときから知っていた。
≪あんたは言ったな。俺たちは、利害の一致から協力する必要があると≫
「ああ、そうだ。そちらが連絡をくれたことは、俺も感謝させてもらう。お陰で、地元の警察が色々と動く前に、うまく騒ぎが広がるのを止められた」
≪そいつは結構なことだったな。だったら、代わりに一つだけ教えて欲しい。そのマンションで死んでいる男の状態なんだが……例の、頭が砕け散ったプロデューサーと、死因は同じと見て間違いないのか?≫
「司法解剖に出していないから、まだなんとも言えん。ただ、男の死因が銃機や爆発物によるものでないことだけは確かだ。部屋には弾痕も、火薬を使用した形跡もない。俺も今しがた現場に到着したばかりだが……他に、不審な点は見当たらなかった」
≪そうか……。こちらも、何かわかったら、また連絡をさせてもらう。その代わり、重要だと思った情報は、随時提供してもらわないと困るがな≫
「配慮させてもらおう。もっとも、お前の行動次第では、こちらも協力を打ち切らせてもらうぞ」
≪構わない。そうなったら、そうなったで……こちらも勝手にやらせてもらう≫
電話が切れた。自分も他人のことは言えないが、香取は電話越しに話した紅に対し、随分と愛想のない人間だと感じていた。
紅の口調には、あの年頃の少年が持っていそうな明るさや快活さはない。外法使いとして、闇の中に巣食う向こう側の世界の住人たちを、常に相手にしているからだろうか。こちらの感情を見せない喋り方に臆することもなく、向こうもまた、端的に自分の言いたいことだけを述べてきた。
この関係は、事件が解決するまでの一次的なものに過ぎない。本来、自分たちは、紅のような人間が関わった事件の後始末をするのが主な仕事だ。それまでは、互いに腹の探り合いのような会話を続けながら、それぞれが事件の真相に迫って行く他にないのだろう。
まったくもって、不便な立場であると香取は思った。この仕事を続けて長いが、単に心霊事件の痕跡を隠すだけでなく、ときに自分たちが前面に立って、事件の解決に努めねばならないときもある。その際に、紅のような人間が部下として常駐できないのは、やはり問題があると感じていた。
自分たちは、真実を突き止め、それを隠すことが仕事である。そのためには、迂闊に人前で真実を晒すような行動はできず、それ故に霊能力者との接触も、極力避けるように言われている。
だが、それならば、何の霊能力も持たない捜査員が、本当に呪いや祟りのような力と対峙せねばならなくなった際はどうするのか。この辺り、上の人間はもしかすると、自分たちを使い捨ての駒としてしか考えていないのかもしれない。
ふっ、と自嘲気味な溜息を吐きながら、香取は携帯電話をしまって現場であるマンションの一室に戻って行った。
こんなことは、考えていても仕方がない。公安四課第零系の仕事を請け負ったときから、自分の生き方というものは決まっている。真実を突き止め、それが表沙汰になった際の混乱を防ぐことで、この国の秩序を守ること。それが、死霊管理室とも呼ばれる、自分たちの部署の職務なのだ。
現場に戻ると、未だ消えぬ血と肉の臭いが再び鼻先に漂ってきた。濃厚な死臭に一瞬だけ顔をしかめたものの、香取は直ぐに平静を保ち、部屋の奥へと消えて行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
加瀬順平が室井の死を知ったのは、その日の夕方になったときのことだった。
生放送の本番中に、プロデューサーの西岡が変死してから早数日。いったい、何が起きているのかもわからないまま、今度はディレクターが死亡した。しかも、彼に連絡をよこしてきた宮森の話によると、室井の遺体はスタジオで西岡が死んだときの状況を思わせるようなものだったという。
宮森が、なぜこんなときに室井のマンションを訪れたのか。そんなことは、今の順平にとってはどうでも良いことだった。
室井との連絡が金曜日から途絶えていたことは、順平とて知らないわけではない。本番中は風邪をひいていた様子もあり、恐らくは見舞いにでも行ったのだろう。そして、そこで頭部の砕け散った室井の遺体を発見し、慌てて警察に電話をしたということだ。
いったい、自分たちの周りで何が起こっているのか。あれこれと考えてはみるものの、順平にはどうにも説明できそうにない。
本当にあった呪いの館。そんなタイトルを番組に冠し、やらせ映像を撮影したことがよくなかったのだろうか。あの、撮影現場となった廃屋に入った際に、全員が強力な呪いのようなものを受けてしまったのではないだろうか。
だが、仮にそれが本当だとしても、それらの霊的な障害は、全て御鶴木魁によって祓われたはずだ。自分は現場に同行しなかったが、彼と一緒に再び屋敷を訪れた室井は、その目の前で魁の力の片鱗を目の当たりにしたという。心霊現象には懐疑的な室井だったが、そんな彼の口から語られた話だけに、返って信憑性が高いと言えた。
もっとも、その室井自身が、今では物言わぬ肉の塊になってしまった。わざわざ番組子飼いの陰陽師に除霊までしてもらったというのに、これではさぞ室井もやりきれない気持ちでいっぱいだろう。
(除霊は失敗だったのか……。いや、そんなはずは……そんなはずはない!!)
いつの間にか、順平は自分の震える身体を抱きかかえるようにして、独り毛布にくるまっていた。
魁の除霊が失敗だった可能性。それは、確かに考えられなくもない。が、もしも除霊が失敗だったならば、その後もスタッフの間で怪奇現象が続いていたはずだ。
御鶴木魁の話によれば、あの屋敷でカメラを回していた順平は、目に見えない様々な霊を映像に収めていたという。その結果、それらの霊的な波動を受けて、身体に変調をきたしたとのことだった。そんな身体の不調も、魁が除霊を行った後にはすっかり消えていたのだが。
では、そんな除霊が済んだ後に、西岡と室井が亡くなった理由はなんだ。それも、頭部が砕け散って死亡するなどという、どう考えても不可解な死に方で。
やはり、あの屋敷の祟りは終わっていなかったのか。魁の除霊をくぐり抜け、番組スタッフの誰も気がつかないところで、息を殺して潜んでいた大悪霊。そんなものが、今になって動き出したのではないか。
考えても考えても、どうどうめぐりをしてしまう。呪いなどあるはずはない。祟りなど、この世に存在しない。そう、わりきってしまえれば、どれだけ楽だろう。
いや、本当は、順平にもわかっているのだ。今回の一連の事件が、ある一人の人物の怨念によって引き起こされているということを。幽霊屋敷の祟りとは関係なく、もっと何か別の存在によって、恐ろしい連続殺人が行われているということを。
そう、殺人だ。今回の事件は、ある人物の怨霊が、ミラクルゾーンのスタッフを地獄へ引きずり込もうとして行った殺人なのだ。
幽霊が人を殺すことを、果たして殺人と言ってよいのか。その言葉の是非は、今の順平には関係なかった。ただ、次は自分の番なのではないかと思うと、それだけで気が狂いそうだった。
西岡は、生放送の本番中に、スタッフの目の前で変死した。室井に至っては、自室に籠っていた状態で、原因不明の死を遂げた。これは即ち、こちらを狙っている怨霊の力からは、どこにいても逃げられないということを示している。
「い、嫌だ……。俺は死にたくない……。死にたくない……」
頭から毛布を被り、その端をしっかりと両手で抑え、順平は一人部屋の中で震えていた。気がつくと、窓の外が既に暗い。食事を摂ることも忘れて引き籠っていた結果、知らずに夜を迎えていたようだった。
突然、部屋の中に軽快な電子音が流れだした。一瞬、肩を震わせる順平だったが、それが自分の携帯電話から発せられる音だと知り、恐る恐る手に取った。
「は、はい……」
震える声で、順平は相手に返事をした。電話番号は非通知で、誰がかけているのかはわからなかった。
≪加瀬君だね……。久しぶり……≫
電話の向こう側から、何やら奇妙な声がした。機械によって、声色が変えられているのだろうか。これでは相手が男なのか女なのか、まったく判断できない。
「だ、誰だ……!?」
≪酷いなぁ……。忘れ……とは言わせ……いよ≫
雑音が酷い。ザリザリと、なにやら鑢で削るような音が混じり、声がよく聞こえない。
「おい、お前は誰だ! 誰なんだ!?」
≪ふふふ……。あなた……ても……私……忘れ……いよ……≫
「わ、忘れないって……。ま、まさか!?」
≪思い……した……? そう……。あなた……考え……通り……≫
声が、不敵に笑って言った。ノイズに混じって聞きとりにくい部分もあったが、順平には、既に電話の相手が誰なのか、当に見当はついていた。
心臓の鼓動が、普段よりも激しくなっているのが自分にもわかる。携帯を握る手がじっとりと汗ばみ、自分の意思とは無関係に震えている。
電話越しに、相手が声を殺して笑っているのがわかった。
嫌だ。これ以上は聞きたくない。相手の名前を聞いてしまえば、それだけで自分の精神は決壊を迎えてしまう。
≪私は……かみ……い……。あなた……ち……された……神居結衣よ……≫
そこまで聞いたとき、電話が順平の手からするりと抜け落ちた。
嘘だ。そんなこと、あるはずがない。神居結衣は、前任のディレクターは、半年以上前に死んでいるはずだ。
「は……ははは……」
乾いた声が、喉の奥から漏れた。やはり、今までの一連の事件は、神居結衣の怨念によるものだったのだ。認めたくない。怨念など、この世にあるはずがない。彼女の怨念の存在を認めてしまえば、それは即ち、自分が死の運命から逃げられないことを認めてしまうことに等しい。
「俺は……俺は認めないぞ……。怨念なんて……幽霊に復讐されるなんて……絶対に認めないぞ!!」
自分に言い聞かせるようにして、順平は独り、部屋の中で叫び声を上げていた。その瞳に、既にまともな人間の輝きはない。どんよりと光りを失って、正常な判断ができなくなっていることは明白だった。
顔を震わせ、ひきつらせながら、順平は先ほどの電話について考える。あの電話の声は、本当に神居結衣のものだったのか。機械によって変声されたような声では、男なのか女なのか、よくわからない。
そうだ。あれは、神居結衣の怨霊などではない。あれは、神居結衣の怨霊を語る、何者かの仕業なのだ。そんな人物に、順平は一人だけ心当たりがある。あいつならば、変声機を使って声を変えることも、造作なくやってのけるはずだ。
「あいつだ……。あのとき、俺達と一緒に仕事をした、あいつが犯人だ……」
亡くなった西岡と室井、それに自分に共通する秘密を抱える者。その相手の顔を思い浮かべ、順平はにやりと笑って立ち上がった。
「待ってろよぉ、古澤ぁ……。俺は、絶対に殺されねぇ……。お前みたいな裏切り者に、殺されてなんかやるもんかよぉ……」
ふらふらと、まるで何かに取り憑かれたようにして、順平は台所の方に向かって歩いて行った。焦点の合わない目で、時折、同僚の古澤正昭の名を呟きながら、乾いた笑い声を上げていた。