~ 弐ノ刻 再会 ~
春先の東京は、東北よりもさらに温かい風が吹いていた。桜の季節は終わってしまい、そろそろ初夏になろうかという頃合。都心では、既に夏物の服を着て歩いている者の姿もちらほらと見受けられる。
新幹線から降りたところで、犬崎紅は思わず天を仰ぐようにして目元を覆った。
陽射しが強い。東北の涼しい風が吹く火乃澤町に比べ、ここは既に夏と言っても過言でない。
もっとも、本格的に夏を迎えたら、いよいよそんなことは言っていられなくなる。東北の夏は冬の寒さが嘘のような猛暑日になることも多く、紅の生まれ育った四国に至っては、毎年の如く水不足に悩まされる。東京も蒸し暑い場所ではあるが、熱中症で倒れる危険性は、地方の都市にいる方が高い。
先天的な色素欠乏に悩まされる紅にとって、これらの陽射しはまさに天敵と言っても過言ではなかった。強過ぎる陽射しは紅の雪のように白い肌を焼き、あまりに酷いときは火ぶくれのようになってしまう。向こう側の世界の者と戦うために身体は鍛えていたが、この体質だけはどうにもならない。
現に、この陽気の中であっても、紅は漆黒のコートで全身を覆い、強過ぎる太陽の光から身を守っていた。本当ならば、仕事着でもある修行僧のような服装が一番落ちつくのだが、この都会の中心で、さすがにそれは目立ち過ぎる。
「ねえ、犬崎君。そんなに着こんで、暑くないの?」
紅の顔を、下から覗き込むようにして亜衣が訊いてくる。心配しているというよりは、あまりに季節外れなその格好を、不思議に思っているような感じだった。
「問題ない。それに、俺はどうも真昼の陽射しが苦手でな」
「ふぅん……。前から思ってたけど、なんか吸血鬼みたいだよね」
「吸血鬼、か……。なるほど、確かに言い得て妙だな、それは」
亜衣の言葉に、自嘲気味な笑みをこぼしながら答える紅。外法使いとして、時に忌み嫌われて来た赫の一族の末裔としては、確かに吸血鬼のような存在と通じる部分もある。
そもそも小説に登場するドラキュラのイメージは、かつて串刺し侯爵と呼ばれて恐れられた、ルーマニアの貴族が元になっていると聞いたことがある。彼は一見して殺戮と拷問が好きなサディストに思われがちだが、彼をそこまでの凶行に走らせた原因は、その居城が絶えず隣国からの侵略に晒され続けてきた国境付近にあったからとも言われている。
他国の侵略から国土を守るため、あえて残虐な処刑を公開し、敵の戦意を削ぐことで母国を守った闇の英雄。殺された方からすればたまったものではないが、闇を用いて何かを守ろうとしたという点では、確かに自分と共通する部分もあると紅は考えていた。
「ふぅ……。それにしても、東京駅は広いですなぁ。あっ、あんなところに、≪東京バナナ≫売ってますぞ、照瑠どの!」
口数の少ない紅を他所に、亜衣が一人で勝手にはしゃいでいる。目的はあくまで雪乃に会うためだというのに、早くも忘れてしまったのだろうか。
この辺り、照瑠からすると、まだまだ亜衣は子どもだ。もう、高校二年にもなるのだから、いいかげん少しは大人になって欲しい。まあ、その容姿からして小学生に見紛うような身長なので、傍から見れば精神と肉体のバランスが見事に合致しているということになるのだろうが。
「ちょっと、亜衣! あんまり、勝手にふらふらしないでよね! ただでさえ、身長も精神年齢も小学生並みなんだから……迷子になっても知らないわよ!!」
「むぅ、失礼な! 私だって、そのくらいは考えてるよ!!」
「そう? だったら、まあ別にいいんだけど……」
口ではそう言いながらも、どこか不安を隠しきれない様子で亜衣を見る照瑠。その手前では、紅がいつもの無愛想な空気を振り撒きながら、少しばかり先を歩いている。
(それにしても……まさか、犬崎君が、いきなり東京に出るなんて言いだすとはね……)
昨日の夕方、亜衣と一緒に紅の家まで相談に行ったときのことが思い出される。
雪乃からのメールを見せた後、紅は照瑠と一緒に亜衣の家まで行くこととなった。亜衣がその場で雪乃に連絡し、運よく繋がったのが事の始まりだ。
雪乃が紅に相談したいと言っていた内容。それはやはり、昨日のテレビ番組のことだった。なんでも、生放送中に何かアクシデントがあったらしく、放送は突然の中止。その番組に出演していたタレントの一人と出会った雪乃は、彼女から奇妙な話を聞かされたという。
――――本番中に、番組プロデューサーの頭が砕け散った。
要約すると、そんな話だったらしい。実際に本人と話をしたわけではないので、照瑠にはどこまで本当の話なのかは知らない。ただ、亜衣と代わって電話をしていた紅も、いつになく真剣な表情になっていたのは記憶に新しい。
生放送の本番中に、人間の頭がはじけ飛ぶ。にわかには信じ難い話だったが、なぜか紅はさして疑うこともなく聞いていた。まだ、怪奇現象の類と決まったわけでもないのに、その日の紅はやけに物分かりが良さそうだった。
極めつけは、電話の後に、亜衣の家に録画してある≪奇跡空間ミラクルゾーン≫のビデオを見せて欲しいと願い出たことだ。もっとも、彼女が今まで撮り溜めしておいた物ではなく、あくまで昨日の生放送の物だけだったが。
結局、紅の住居でもあるボロ屋を後にした照瑠たちは、そのまま亜衣の家でビデオを見せてもらうことになってしまった。彼女の言っていた通り、ビデオに録画されていたのは心霊特番の生放送。途中、いくつかの再現映像を挟み、最後は問題の廃屋探索記録映像にさしかかった。
テレビ番組スタッフと思しき数名の男と、番組のレギュラーでもあるゴスロリ姿のアイドルが、誰もいない古びた家の中に入って行く。そして、ADの男が襖を蹴破ったところで、その向こう側から赤黒い血の様な液体が一度に溢れ出て来る。
はっきり言って、趣味の良い物とは決して言えない映像だった。それに、実録と称してはいるものの、やはりどこか胡散臭い。なんというか、怪奇現象が起きるタイミングが出来過ぎていて、作り物のような感じが否めないのだ。
やがて、映像が終わったところで、司会の女子アナが更なる再現映像があると叫んでいた。正直、これ以上は食傷気味だったが、まだこんなものに付き合わされるのか。そう、照瑠が思った矢先に、画面の向こう側がにわかに騒がしくなった。
悲鳴、絶叫、それに観客のどよめきなどが入り混じり、何と言っているのかよく聞こえない。続けて、画面が妙な音と共に切り替わり、≪しばらくお待ちください≫という文字が表示されてしまった。
どうやら、何かトラブルがあったようだが、なにしろあんな映像を見せられた後である。オカルトや都市伝説に夢中の亜衣ならばいざ知らず、照瑠はこれも、テレビの演出の一環ではないかと疑った。
こんな物を見せられては、紅もさすがに今回の件から手を引くのではないか。自分でさえ疑わしく思っているのだから、心霊現象に詳しい紅ならば、尚更だろう。そう思った照瑠だったが、紅の口から出たのは意外な言葉だった。
――――土日の連休を利用して、東京へ行く。
それが、ビデオを見て紅が出した答えだった。
あのビデオから、紅がいったい何を感じ取ったのか。それは、照瑠にもわからない。人を癒すことはできても、それ以外の能力に関しては、照瑠はまだまだ素人だ。
霊能力者の中にも個性があり、照瑠のようなヒーリングが得意な者、何かを探すことに特化している者、未来を予知できる者など、実に様々な者がいるのはわかる。が、紅のように様々な能力に通じている者は、この日本を探してもそういないのではないか。
彼の力は悪霊と戦うことに特化しているとはいえ、向こう側の世界の住人達に関する知識、外法や邪術を含めた禁断の儀式に関する知識は、照瑠よりも数段上だ。霊視などに関しても、恐らくは紅の方が上だろう。なんというか、実に万能な人間である。まるで、向こう側の世界の住人と戦い、常世と現世の橋渡しをするために存在している。そんな感じさえ抱いてしまう。
「おい、着いたぞ、九条。どうやら、あれが迎えの車だ」
突然、手前から声をかけられて、照瑠はハッとした顔をして我に返った。
「あ、ごめん……。それより、迎えの車ってどういうこと? もしかして、既に誰かと約束していたの?」
雪乃から電話で話を聞いて、その翌日に強引に東京行きのチケットを買って町を出た。そんな強行軍を行っておきながら、この手際の良さはいったいなんだろう。
昨日の夜、亜衣の家を出た後にどんな魔法を使ったのか。照瑠はそれを紅に尋ねてみようと思ったが、彼女がそうするよりも早く、紅が目線だけで照瑠に伝えた。
紅の赤い瞳が示す先。そこにあったのは、白く塗られた一台の車。その運転席から出て来た男の姿を見て、照瑠も紅が何を言わんとしているのかがわかった。
「あっ、あの人……。確か、雪乃のプロデューサーをやっていた……」
長谷川雪乃が、まだ移籍をする前に所属していた事務所で、彼女を含めたT-Driveのプロデューサー兼マネージャーをやっていた男。名前は確か、高槻とか言ったか。背ばかり高い優男のような印象が強烈で、照瑠も彼のことはしっかりと覚えていた。
「昨日、嶋本が長谷川に連絡を取ったとき、電話の向こうにあの男がいたんだ。だから、少し代わって話を聞いて……それから、迎えに来てくれるように頼んでおいた」
頼まれてもいないのに、紅が照瑠に説明した。後から妙なタイミングで訊かれても迷惑だ。ともすれば、そう言わんばかりの口調だった。
「なるほどね。まあ、確かに雪乃だけじゃなくて、高槻さんとも話ができたんなら、犬崎君が東京まで来た理由もわかるわね。あの人が犬崎君に何かを頼むってことは、それなりに信憑性もありそうだし」
昨年の暮れに起きた事件のことを思い出しながら、照瑠は改めて納得した。
高槻は、今時の芸能界に関わる人間にしては珍しく、自分の担当するアイドルを個人としても大切にする人間の一人だ。こと、雪乃たちT-Driveに対する思い入れは強く、彼女達が芸能界の毒や、その他様々なトラブルに巻き込まれないよう、時に身体を張って守るだけの覚悟を持っている。
そんな高槻が、わざわざ犬崎紅と接触を試みた。これはいよいよ、きな臭い物が漂ってきたと言える。雪乃だけならばいざ知らず、あの高槻までが動くとなれば、これは東京のスタジオで何か良からぬことが起きていると考えるのが普通だ。
「やあ、待たせたね。でも……まさか、本当に東京まで出て来てくれるなんてね。今さら、僕が言うのもなんだけど……ちょっと、色々と不安にさせ過ぎたかな?」
「問題ない。こっちも、今しがた到着したところだ。少し目を離すと、そこにいる小さいのが行方不明になりそうで心配だったがな」
「まあ、そう言わないであげてくれよ。彼女だって、雪乃のことが心配で、ここまで来てくれたんだろう?」
淡々とした口調で語る紅の毒舌を物ともせず、高槻はあくまで自分のペースで話を進めている。この辺り、照瑠から見ても高槻は大人の男だ。少々責任感が強く、雪乃たちのこととなると頭に血が昇り易いのが欠点だが、そこが帰って彼の人間臭さを強調していてよい。こんな男性に守られている雪乃たちが、少しだけ羨ましく思えてしまう。
案内されるままに車に乗り、照瑠たちは東京駅を後にした。車はどうやら高槻個人の所有しているものらしい。車内に飾り毛はないが、それなりに清潔にはしているようだ。彼がマネージメントを務めるT-Driveの面々も、送迎などはこの車で行っているのだろうか。
休日の東京は混雑しており、車はあまりスピードを出せなかった。この辺り、自分の住んでいる東北の田舎町とは違うと照瑠は思う。地元では信号にひっかかる以外、そこまで車が足を止められることはない。だが、この大都会のど真ん中では、好き勝手に車を走らせるというわけにもいかないようだ。
「うげ……。なんか、ちょっと酔ったかも……」
後部座席にいる亜衣が、早くも腹を抱えて情けない声を出している。高槻の運転は決して荒くないが、慣れない東京の空気にやられてしまったのだろうか。
「おい、九条。そこの車酔い女、さっさとなんとかしろ。こんな狭い中で吐かれたら、臭くてやってられないからな」
助手席に座っている紅が、後ろも振り向かずに言う。相変わらず、口の悪い男だ。少しは心配の一つでもしてみろと言いたくなった照瑠だが、隣にいた亜衣が口元を抑えて苦しんでいたので止めておいた。
確かに、こんな狭い車内で吐かれたらと思うと、隣にいる照瑠とて気が気ではない。それに、車を汚してしまったら、わざわざ迎えに来てくれた高槻にも失礼だ。
「もう、しょうがないわね。調子に乗って、新幹線の中で色々と買って食べ過ぎるからよ」
「むぅ……面目ない……」
「いいから、ちょっと動かないで。背中さすってあげるから……これで、目的地に到着するまでは我慢してよね」
そう言いながら、照瑠は自分の右手を亜衣の背中にかざし、深く息を吸い込んで意識を集中させる。そのまま背中をゆっくりと、上から下に撫でるようにしてさする。傍から見れば、単に友人の背中をさすっているだけにしか見えないが、これは列記としたヒーリングの一種だった。
相手の霊脈、魂の呼吸そのものとも言える流れを探り出し、それに同調させるようにして気を送り込む。そうすることで、相手の魂の中心部分に活力を送り、病気や怪我の痛み、果ては霊的な存在によって傷つけられた魂そのものまで癒し、回復させる。それこそが、照瑠が修業の末に身に付けた、九条家に伝わる癒しの力だった。
癒し手として、自分はまだまだ未熟な部分が多い。それは照瑠も自覚しているが、亜衣の車酔いを治す程度なら既に朝飯前だ。
「どうやら、静かになったようだな。まったく……色々と、世話の焼ける女だ」
助手席では、相変わらず紅が亜衣に向かって悪態を吐いている。もっとも、普段ならばここで言い返す亜衣も、さすがに今は元気がない。照瑠の力が全身に行き渡るまでは、普段の調子も出せそうになかった。
「ところで……」
赤信号に差し掛かったところで、車を止めた高槻に紅が尋ねた。
「あれから、そっちの様子はどうだ? 何か、特に変わったことはなかったか?」
「そうだねぇ……。別に、これと言って進展はないよ。昨日、君に電話で話したことと、ほとんど状況は変わってない」
「そうか……。こうなると、後は長谷川に会ってみるまでは何も言えないか……」
昨日、亜衣の携帯電話を通じて雪乃と、そして高槻と話したときの記憶が紅の頭に蘇る。
心霊番組の生放送中に、番組プロデューサーの頭が砕け散った。これは、東京に来る前に照瑠や亜衣にも噛み砕いて話した話だ。
問題なのは、その事件の詳細を、局が隠蔽しようとしているのではないかということだった。
雪乃から話を聞いた際、高槻は高槻で事件の詳細を調べようと動いたらしい。同じテレビ局中で行われた生放送の収録が、よりにもよって本番でぶち壊しになる。高槻は番組と直接関係はなかったが、噂くらいは耳にしたのだろう。雪乃から相談されたことも相俟って、個人的な伝手を当たり、それとなく調べてみたらしいのだ。
ところが、そんな高槻の努力も虚しく、彼はいきなり高い壁にぶち当たった。
――――関係者の心情を考慮して、余計な情報は公開しない。
これが、局から高槻に出された返事だった。事故死したプロデューサーの周りにいたスタッフは、軒並み精神的な苦痛を訴えているとかで、会って話をすることさえも許されなかった。知り合いの関係者に話をしても、よくわからない、もしくは知らないの一点張り。それ以上は、何も聞き出すことができなかった。
放送中に撮影機材が転倒し、それに巻き込まれてプロデューサーが亡くなった。結局のところ、わかったのはそれだけである。
これが、一年前の高槻であれば、「そんなこともあるか」と言って気にも止めなかっただろう。だが、彼は知っている。昨年の暮れ、雪乃と共に事件に巻き込まれたことで、この世には人間の理解の範疇を越えた、向こう側の世界というものが存在することを。中途半端な気持ちで霊的な存在に近づいたり、その力を物にしようとしたりすれば、手痛いしっぺ返しを食らうということを。
心霊番組の生放送中に、プロデューサーが示し合わせたように変死。しかも、その事実を微妙に捻じ曲げて、可能な限り表沙汰にならないようにしようと、何らかの力が働いている。なんだか随分ときな臭いものが漂っている気がして、高槻は雪乃の携帯を通じ、自分も紅に思っていることを打ち明けたのだった。
呪いの館を映した心霊ビデオと、奇妙な死に方をしたプロデューサー。そして、それらの事実を隠そうとする、未だ見えない謎の力。
紅も高槻から聞いた話なので、どこまでが本当かは知らない。ただ、これらのことを考えた場合、放っておいてよい事態ではないということだけは理解できた。他にも理由はあるのだが、高槻の言葉が紅を東京に向かわせる理由の一つになっていたのは間違いない。
信号が再び青になり、周りの車に合わせて高槻の車も動き出す。紅と照瑠、それに未だ車酔いから立ち直れない亜衣を乗せて、車はカフェやレストランが立ち並ぶ繁華街の方へと入って行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
身体がだるい。
夕暮れ時を告げる鐘の音を聞いて、葵璃凍呼は静かに目を覚ました。
「ううっ……。頭、痛……」
まだ、全身の疲れが抜けていないのだろうか。どうにも全身に力が入らず、断続的に響くような頭痛が頭を襲う。
時計を見ると、時刻は既に午後の五時を示していた。正午になる前に寝てしまったことを考えると、随分と長い時間に渡って眠っていたらしい。
ふらつく足取りで立ち上がり、凍呼はベッドから抜け出した。先日、体調不良を訴えて生放送の特番に出るのを止めたが、身体の具合は一向によくならなかった。
いや、本当は、体調そのものは快方に向かっているのだ。ただ、あまりに身体と心に受けたダメージが大き過ぎて、その回復に時間がかかっているだけだ。
パジャマの袖をそっとつかみ、凍呼はそれをゆっくりと下にずらしてゆく。袖の中から現れた腕は、驚くほどに細く、白い。テレビ映りを気にして体系には常々気を配っていたが、友人などからは痩せすぎだと言われる。もっとも、ゴスロリアイドルで売っている自分としては、不健康そうな雰囲気の方が調度よいとは思うのだが。
まあ、それでも、さすがに本当の病気になって倒れてしまっては話にならない。それは凍呼も理解していたし、なによりも今は、袖の中から現れた腕に残る生々しい痣の痕が気になった。
どこかにぶつけたわけではない。ましてや、誰かに殴られたわけでもない。白い肌にうっすらと残る痣は、何かで絞められたような痕にも見える。
今月に入ってから撮影に及んだ、幽霊屋敷の探索レポート。その後に自分を襲った怪現象のことを思い出し、凍呼は消えかけた痣が再び傷むのを感じていた。
秋葉原を中心に活動する、売れないゴスロリアイドルとして活動して、早数年。そんな自分に表舞台に立つチャンスが訪れたのが、昨年のことだ。超常現象や未解決事件の謎を探る心霊ミステリー番組、≪奇跡空間ミラクルゾーン≫。その出演者の一人に、突如として選ばれたのがきっかけだった。
一部の人間の間以外では、さしたる知名度もない自分が、なぜ。最初はそう思った凍呼だったが、みすみすチャンスを逃すつもりはなかった。番組の方からも、ミステリアスな雰囲気と可愛らしさの両方を持った女の子が欲しいと言われており、凍呼に白羽の矢が立ったのである。
はっきり言って、凍呼は心霊番組など好きではなかった。ゴスロリアイドルなど称しているが、凍呼は怖い話がてんで苦手だ。ゴスロリ道を邁進する人間の中には「私は魔女」などと公言している者もいるが、さすがにそこまではできない。それに、魔女は魔法を使うだけの人間として割り切ったお付き合いができるかもしれないが、幽霊や妖怪、モンスターの類となると、もはやその限りではない。
だが、それでも凍呼はめげることなく、番組のレポートを頑張った。ある時は、廃病院の潜入取材。ある時は、富士の樹海で自称霊能力者の先生と一緒に野営を敢行。また、ある時は、ゲストのタレントと一緒にこっくりさんをやらされて、スタッフの仕掛けたどっきりに泣かされかけたこともある。
正直なところ、辛いことの方が多かった。それでも、自分がこの業界で生きて行くには仕方がないと、半ば割り切った感情を持って頑張った。
そんな折、凍呼が今までの人生の中で、最も恐ろしい体験をしてしまうことになった取材。それが、先日の番組で放送された、呪われた館の潜入取材だった。
廃屋の潜入取材など、今さら珍しくもない。そう、初めの頃は思っていた。実際、ここだけの話、廃墟探索の取材はほとんどがやらせだ。
廃墟や廃屋とはいえ、他人の持ち物である以上は持ち主が存在する。そんな場所に勝手に入っては、いくらテレビの取材でも、不法侵入で訴えられかねない。
それらの問題を解決するため、番組スタッフは事前に土地や家の持ち主ときちんと交渉を行っている。また、実際に潜入したスタッフやゲストに危険がないよう、先にADなどに下見をさせてもいる。当たり前と言えば当たり前の措置なのだが、まあ普通は気がつかないだろう。その結果、番組の取材の真似をして、日本全国で廃墟への不法侵入が後を絶たないのは問題だが。
今回の取材も、所詮は子ども騙しのお化け屋敷探索。何か、少しばかり驚けるように、スタッフが事前に仕込みをしている可能性はある。が、実際に身の危険を感じるようなことなど、絶対に起きるはずもない。
全てが仕組まれ、仕込まれた、予定通りの段取りで進む潜入取材。何も起こるはずがないし、起きてはならない。そう、信じていたのに。
腕についた痣を撫でながら、凍呼はディレクターの室井からあった電話の内容を思い出した。
――――プロデューサーの西岡が、収録中に亡くなった。
端的に言うならば、それだけを伝えられた。本当は、もっと詳しく聞きたかったが、電話の向こうの室井も体調が優れていないようで、湿った咳をしていたので止めておいた。
恐怖は終わらない。そんな安っぽいホラー映画のキャッチコピーのような言葉を思い出し、凍呼は自分の肩を抱いて身体を震わせた。
あの日の取材は、確かに普通の取材ではなかった。レポートの撮影そのものは上手くいったが、その後に奇妙な現象に悩まされたのは、記憶に新しい。
最終的に番組では、それらスタッフや凍呼が体験したことまでをも再現フィルムで再現し、予定を変更して生放送のプログラムに組み込んだ。なんというか、転んでもただでは起きない。プロデューサーである西岡に、そんなイメージを抱いた矢先に彼の訃報を聞かされたのだ。
このままでは、自分も危ないのではないか。事件はまだ、何も解決していないのではないか。そんな不安が、凍呼の頭をふっと掠める。
「どうしよう……。今だったら、室井さんに連絡して繋がるかな……」
どうしても、不安が拭えない。思い出したくもない記憶が、先ほどから凍呼の頭の中で延々と回っている。
ベッドの脇に置いてあった携帯電話を握り締め、凍呼は室井の番号へと電話をかけてみた。
二度、三度、電話越しに無機質な呼び出し音だけが聞こえてくる。だが、肝心の室井は仕事で忙しいのか、一向に凍呼の電話に出ようとしない。
やはり、室井は忙しくて駄目だ。ならば、自分の事務所のマネージャーにでも連絡するか。
いや、それも駄目だろう。彼は今回の事件には関与していないため、凍呼の話も半信半疑にしか聞いてくれそうにない。それに、もしも聞いてくれたとして、何の力も持たない彼が、本当に役に立つとは思えない。
こうなったら、残された頼みの綱はたった一つだ。可能性は低く、本当に頼りになるのかも疑わしかったが、今の凍呼には頼れる人間が他にいない。
再び携帯電話を開き、凍呼は素早くアドレスを呼び出して電話をかける。数秒の後、やけに軽い雰囲気の、男の声が聞こえてきた。
≪はい、もしもし≫
「あっ、御鶴木さんですか……。私です。先日、お世話になった、葵璃凍呼です」
≪葵璃……? あっ、もしかしてトーコちゃん?≫
「はい、そうです。あの時は、本当にお世話になりました」
≪いや、別に構わないよ。こっちも、仕事だったしね。それよりも、霊傷の方はどう? まだ、どこか傷むとかある?≫
「いいえ。でも、まだ少しだけ痣が消えなくて、身体もなんだか重たい感じがしますけど……」
≪おいおい、無理しちゃ駄目だよ。身体の傷は治っても、魂の傷ってやつは治りが遅いからね。まあ、くれぐれも痩せ我慢だけはしないことだね≫
相変わらず、軽いノリの言葉が電話の向こうから聞こえてくる。知らない者が聞けば、その軽薄そうな喋り方に嫌悪感を抱く者もいるだろう。実のところ、凍呼も最初はそうだった。もっとも、今となっては彼だけが、凍呼に残された唯一の頼みの綱なのだが。
≪それよりも、今日はどうしたの? 俺、さっき収録が終わったばっかりでさぁ……。ちょっと、色々と忙しいんだよね≫
「ごめんなさい。でも、今日はどうしても訊きたいことがあって……。それで、電話したんです」
≪訊きたいこと? もしかして、この間の生放送が、途中でぶち壊しになったってやつ?≫
「はい……」
目の前に相手がいないにも関わらず、凍呼は携帯電話を片手に独りで頷いていた。
御鶴木魁は、凍呼が代役を頼んで欠席した生放送の本番にも顔を見せていたはずだ。ならば、魁であれば、西岡の死の真相を知っているのではないか。自分たちに降りかかった災いが、本当に終わりを告げていたのか。それを、確かめたかったのもある。
それから凍呼は、魁に自分の疑問に思っていたことを一気にまくし立てるようにして話していった。番組の収録が終わったばかりで、本当は向こうも迷惑に思っているかもしれない。それでも凍呼は構わずに、西岡の死について何か知らないかと食い下がった。
程なくして、全てのことを話終えると、凍呼は思いの他に自分が昂奮していたことに気がついた。
息が荒い。微熱のせいで体温が上がっていることも考えられるが、それだけが原因ではないだろう。
電話の向こう側にいる魁は、未だに何も言ってくれない。やはり、怒らせてしまったか。そう思い、ようやく申し訳ないという気持ちが凍呼の頭をよぎったが、次の瞬間、再び魁の軽い雰囲気の言葉が聞こえてきた。
≪うーん、西岡さんの死の原因か……。実は、あれは俺も気になってたんだよね≫
「気になってた!? それじゃあ、やっぱり御鶴木さんは、西岡プロデューサーが亡くなる瞬間を見たんですね!?」
≪まあね。ただ、どんな死に方だったのかは、ここではあえて言わないでおくよ。女の子の君に、あれはちょっとばかり刺激が強過ぎるだろうからね≫
肝心なところで、魁は言葉を濁してしまった。やはり、あの生放送で何あったのだ。それが何なのかまでは、凍呼も知らない。ただ、何か恐ろしいことが起こっているというだけは、魁の言葉を聞いた凍呼にもしっかりと伝わった。
≪それじゃあ、トーコちゃん。悪いけど……もし、外に出られるようだった、これから局の方に来てくれないかな≫
「えっ、これからですか……?」
≪そうだよ。俺の方でも話を整理しておきたいし、ちょっとばかり気になることもあるからね。まあ、具合が悪いんだったら、無理はしなくていいけどさ≫
「いえ、大丈夫です。これから行くと、そっちに着くのが六時半くらいになりそうですけど……構いませんか?」
≪ああ、問題ないよ。それじゃあ、俺は局のビルで待ってるから。こっちに着いたら、また電話ちょうだい≫
電話は切れた。なんというか、最後まで軽い雰囲気を崩さない男だった。
しかし、これは同時に好機でもある。身体の具合は優れなかったが、ここで魁に会っておかねば、悪い想像ばかりが頭の中で膨らみそうで嫌だった。
パジャマを脱ぎ、凍呼はいつも自分が街に着て行くお気に入りの服を引っ張り出して着替えた。髪型まで普段と同じにするわけにはいかなかったが、今はとにかく急いでいるのだ。魁に会う際、失礼のない服装にさえなっていれば、それで以外はどうでもよかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
照瑠たちが高槻に案内された場所に着いた頃には、もう既に夕方になっていた。まあ、東京に着いたのが既に昼過ぎだったのだから、これは別に不思議なことではない。あの人と車の多さを考えれば、比較的スムーズに動けたと思う。
車を駐車場に止め、高槻は目と鼻の先に見える店へと照瑠たちを案内した。どうやら大きなカフェのようで、夕食前なのに客で賑わっていた。
「さあ、着いたよ。この先で、雪乃たちが待ってる」
「雪乃たち? ってことは、ゆっきー以外のT‐Driveの人も、来てるわけ?」
車酔いから完全に復活したのだろうか。亜衣が、高槻の顔を見上げるようにして尋ねていた。
「いや、そうじゃない。実は、僕や雪乃が例のテレビ番組で放送事故があったのを聞いたのは、その番組に出ていた女の子から相談を持ちかけられたからなんだ。篠原まゆって言うんだけど……君たち、知ってるかな?」
「篠原まゆ? う~ん……なんか、聞いたことあるような、ないような……」
高槻の言葉に、亜衣が珍しく難しい顔をして首を傾げている。怪談や都市伝説のことには詳しいが、芸能人の名前に関しては、亜衣はそこまで詳しくない。幼馴染である雪乃は別として、そこまで有名でない人物になると、顔と名前が一致しないことも多い。
「まあ、君が悩むのも無理はないけどね。あまり、こんなこと言うと可哀想だけど……彼女、雪乃たちと比べても売れてないから。ただ、この間の≪ミラクルゾーン≫には、代役みたいな感じで出演していたらしいけど…・・」
「代役? ってことは、ゆっきーはその子から、≪プロデューサーの顔面グチャグチャ破裂事件≫を聞いたんだね」
「顔面グチャグチャって……。まあ、確かに、それはそうなんだけどさ……」
周りの目を気にしながら、高槻が亜衣の言葉を遠慮がちに反芻した。なんというか、ネーミングセンスが皆無だ。いや、それ以前に、こんな公衆の面前で大声を出して話すようなことではない。
確かに、相談を持ちかけたのはこちら側だし、この店に亜衣や照瑠、それに紅を案内したのも高槻自身。だが、それでも、ここには他の客もいるのだ。食事中の人間だっているだろうに、そんな中で、いきなり顔面がグチャグチャだの破裂しただのという言葉を聞けば、気を悪くする人もいるかもしれない。
「ちょっと、亜衣。頼むから、それ以上は大声で喋らないでね。皆が皆、あなたみたいな怪談好きってわけじゃないんだから。あまり騒いで、変な目で見られても知らないわよ」
「むぅ、失礼な! 私は別に、事実を言っただけじゃん!!」
「そういうところ、犬崎君に似てきたわね……。なんか、もう怒るのも馬鹿らしいから止めておくわ……」
車に乗っていたときは吐く寸前まで苦しんでいたのに、酔いが収まったらこれだ。紅も不用意な発言から周りの反感を買うことがあるが、亜衣と違って無口なので、まだマシか。
なんだか、本題にさえ入っていないのに、照瑠は早くも頭が痛くなってきた。こんなことで、本当に自分たちは、長谷川雪乃の力になってやれるのだろうか。
高槻に案内される形で、照瑠は店の奥にある席に向かって歩いた。席はかなり奥まった場所にあり、外から見てもわからない。国民的なアイドルとお忍びで会うには、調度良い場所であると言えた。
「やっほー、ゆっきー! 久しぶりぃ!!」
奥の席に雪乃の姿を発見し、亜衣が手を振りながら近づいて行った。一瞬、そんなことをしたら雪乃の正体が周りにバレるのではないかと思ったが、照瑠は直ぐに、それが無用な心配であると気がついた。
テレビの画面に映っているときと比べ、普段着でいる際の雪乃はとかく地味だ。それこそ、どこにでもいる普通の高校生といった感じで、特に人目を引くようなことはない。顔は間違いなく美少女の類に入るのだろうが、それでも雪乃は大人しい。服装が落ちついていることも相俟って、彼女のことをT-Driveの長谷川雪乃だと気づいている人間は、店の中にはいないようだった。
「あ、亜衣ちゃん。それに、犬崎君も……。本当に、東京まで来てくれたんですね」
サングラスを外し、雪乃がこちらに軽く会釈する。顔の半分ほどを覆い隠すような、大きなものだ。恐らく、変装のつもりなのだろうが、あれはあれで、変に目立つ。普段の雪乃の大人しさを考えた場合、あんな物は、返って無い方がいいのかもしれない。
「久しぶりだな、長谷川。それよりも、お前の隣にいる女。そいつが、今回の依頼人か?」
久方ぶりの再開を喜ぶ亜衣を押しのけ、紅が間に割って入った。相手がトップアイドルであろうと、紅はまったく容赦がない。普段の尊大な態度を崩さずに、ややもすると不機嫌そうな態度のまま椅子に腰かけた。
「篠原まゆです。あなたが、雪乃の言っていた、霊能力者の人ですか?」
雪乃の隣にいる少女が、遠慮がちに紅に尋ねた。歳は、雪乃と同じか一つ上くらいだろうか。こちらは雪乃に比べ、格好も少々派手だ。芸能人として見ると華に欠けるのかもしれないが、学校にいれば、まず間違いなくモテる部類に入る。
もっとも、そんな今風の容姿に反して、まゆと名乗った少女は雪乃と同じくらい静かだった。遠慮を知らない紅の態度に、萎縮してしまったのではないかと思われた。
「霊能力者、か……。どっちかというと、俺はもう少しスレた人間なんだが……まあ、今はどうでもいい」
相手の気持ちなど関係ない。そんな様子で、紅はまゆに一切の気づかいを見せずに話を進めようとする。この当たり、照瑠などは、もう少し処世術を身に付けた方がよいと紅に進言したくなる。悪気はないのだろうが、なんというか、本当に愛想がない。接客のような仕事には、まず向いていないタイプの人間だ。
「とりあえず、お前が見た物とやらを、もう一度俺に話せ。実際に本人から聞いた方が、新しくわかることもあるからな」
「は、はい。わかりました……」
同年代の相手だというのに、まゆは紅の放つ威圧感のようなものに、完全に飲まれてしまっている。こんなことで、本当に話ができるのか。怪訝そうな顔をしてまゆを見る照瑠だったが、やがて彼女の口から、ぽつり、ぽつりと当日のことが語られ始めた。
あの日、まゆは番組レギュラーを務めるタレントの代役として、≪奇跡空間ミラクルゾーン≫の生放送に出演していた。自分が代役を引き受けることになったのは、確か葵璃凍呼とかいう少女の代わりだったか。あの、廃屋探索レポートに映っていた、ゴスロリ服を着ていたアイドルだ。
自分がなぜ、あの番組で葵璃凍呼の代役に抜擢されたのかはわからない。ただ、葵璃凍呼とは所属していた事務所が同じだったため、適当に上の方で話がつけられていたのかもしれない。もっとも、まゆは凍呼とは直接話をしたことがなかったため、彼女がどんな人間なのかまでは知らなかった。
幽霊やオカルトなどに興味がないのに、心霊番組のゲストなど務まるのか。そんなことをぼんやりと考えていた矢先、あの忌まわしい事件が起きたのだ。
プロデューサーの西岡の眼球が膨れ上がり、その頭部もろとも、粉々に弾け飛んで死亡する事件。目の錯覚と言われれば、それまでなのかもしれない。西岡の周りにいたスタッフたちが盾となり、まゆも、その全てを自分の目で見たわけではない。
だが、それでも、あの日に見た恐ろしい出来事が、単なる機材の転倒事故とは到底思えなかった。番組スタッフや事務所の方からは事故としか説明されなかったが、いくらなんでも不自然すぎる。
極めつけは、やはり雪乃のマネージャーである高槻が、こっそり調査した結果を聞いたことだった。なんでも、番組関係者は貝のように口を閉ざし、局もあくまで事故としてしか公表していない。下手に調べようにも手掛かりもなく、傍から見ても隠蔽工作の臭いが見え隠れするのがきな臭い。
「結局、私が見た物、なんだったんでしょう……。やっぱり、ただの見間違えだったんでしょうか……」
最後の方は、少しばかり不安そうな口調でまゆが締めくくった。話を聞いている間、紅は始終無言のままだったが、やがてゆっくりと目を開き、その赤い瞳をまゆに向けた。
「なるほど、話はわかった。断言はできないが、何か厄介な事が起きているのは確かだな」
「厄介なことって……。それじゃあ、やっぱり!!」
「勘違いするな。まだ、俺は何の結論も出していない。ただ……そこの高槻マネージャーと電話で話した後、俺も俺なりに事件を探ってみた。例の、ミラクルなんたらとかいう番組を録画したビデオを、この小さいやつの家で見させてもらった」
紅が、亜衣の方を少しだけ見て言った。いつもなら、ここで亜衣が「そんな紹介の仕方ってないじゃん!!」などと言って噛みついて来るのだが、今日は紅の方が少しだけ早かった。
亜衣が何かを言おうとした瞬間、紅の手が彼女の口元をつかんで抑えた。いったい何事かと目を丸くするまゆだったが、紅は「うるさい口を塞いだだけだ」と言って、それ以上は亜衣に興味も示さなかった。
「はぁ……。相変わらず、あなた達は二人して話が噛み合わないわね。それで、犬崎君。あなたの見立て、どうだったの?」
このまま亜衣に構っていては、一向に話が進まない。少々可哀想な気もしたが、照瑠は自分から紅に尋ねる形で話を戻した。
「すまないな、九条。一応、俺の見立てなんだが……恐らく、事件の原因は、あの廃墟探索の映像にはないな。霊視もしたから、それは間違いない」
「霊視? でも、私には、何も感じられなかったけど……」
「それは仕方ないだろう。霊視と言っても、本当に高度なやつは、それなりに修業を積まねばできないからな。それに、あの映像は、何者かが霊害封じに近い行いを施した可能性があった。一応、気を張って集中すれば、あの映像の中にも霊が見えたんだが……本体は完全に成仏していたのか、特に害のあるものでもなさそうだったな」
「ふぅん……。でも、それじゃあ、番組のプロデューサーさんが亡くなった原因は? 映像と関係ないんだったら、やっぱり事故かもしれないってこと?」
「さあな。そこまでは、俺もわからない。ただ、話を聞く限りでは、そのプロデューサーの死に方が普通ではないのは確かだ。テレビ局や番組関係者が事実を隠そうとしている辺り、幽霊なんかとは別に、何らかの力が働いている可能性もある」
「うーん……。私には、それでもいまいち、真相ってのが見えてこないけど……」
珍しく、照瑠は胸の前で腕を組み、両目を瞑って考え込んだ。
紅の言いたいことは、照瑠もわかる。心霊特番が放送事故で中止になり、しかも原因はプロデューサーの変死。更に、その事実を関係者が隠そうとしている節があるとなれば、妙な陰謀を疑いたくもなる。
「あの……。ちょっと、いいですか?」
先ほどからずっと黙っていた雪乃が、ここに来て初めて口を開いた。相変わらず、テレビに映っていないときは控え目な印象が目立つ。もっとも、以前に火乃澤町で初めて会ったときのような、妙におどおどした雰囲気は払拭されていたが。
「犬崎君。そのプロデューサーさんが亡くなったのって、本当に幽霊が関係しているんですか? もしかして……私の事件のときみたいに、誰かが呪いをかけていたって可能性とか……ないですよね?」
ほんの思いつきで口にした、些細な一言。たったそれだけのことだったが、紅の眉が微かに動いた。
「あっ、ごめんなさい。やっぱり、私みたいな素人が、変に口を出したらまずいですよね……」
不要な一言で、紅の気分を害してしまったか。そう思い、雪乃は咄嗟に謝った。
「気にするな。それに、お前の言いたいことも、もっともだ。今回の事件……俺も幽霊の仕業ではなく、もっと人為的なものではないかと疑っていたからな」
別に、怒ったわけではなかったのか。ほっとして胸を撫で下ろす雪乃と、それを見て申し訳なさそうにする照瑠。紅はあの通りの性格なので、誤解を生んでしまうことなど日常茶飯事だ。
「ねえ、犬崎君。雪乃はああ言ってるけど、本当なの? 今回の事件も、やっぱり呪いの類かなにかが関係しているとか……」
「断言はできない。だが、そう考えねば、何かと辻褄の合わないことも多いんでな。少なくとも、単に心霊番組を作って、その結果、霊の祟りに遭って死んだというわけではなさそうだ」
「だったら、仮にプロデューサーの人が呪われていたとして、誰が呪いなんて仕掛けたのよ。それも、人間の頭を吹っ飛ばしちゃうくらい、強力なやつを……」
「それはまだ、俺にもわからない。ただ、これが何らかの呪いの力である線は濃厚だ。その可能性を除外した場合……後は、念力で人間の頭を粉々にできるような、超能力者にお出まししてもらうしかなくなるだろうからな」
最後まで真顔で、しかし知らない者が聞いたら一笑に伏しそうな話を、紅はさらりと言ってのけた。霊能力者が超能力者の存在を否定するのは矛盾しているとも思ったが、それでも、巫女としての修業を積んだ今であれば、照瑠も紅の言いたいことがなんとなくわかる。
なんでもありの超能力に比べ、霊能力とは、あくまで別の世界に住まう住人たちと関わりを持つための力だ。紅の言葉を借りるならば、向こう側の世界に触れるための力と言った方が正しいか。
霊の姿を見る。霊の声を聞く。霊を操り、時に霊と戦う。果ては、己の中に存在する霊的な力を用いて、病気などを治療する。様々な力の種類はあるものの、人間を玩具のように、簡単に壊してしまう力というものは照瑠も聞いたことがない。霊的な力の有無に関わらず、人を殺すということは、そう簡単にできるものではないのだ。
「とりあえず、後はこちらで情報を収集する他にないな。一応、現場に探りも入れておきたいが……今から、例の生放送が撮影されていたスタジオに向かうことは可能か?」
一通りの話を終え、紅が高槻に尋ねた。時刻は既に六時を周り、そろそろ日も暮れてきた。
「スタジオか……。まあ、僕や雪乃は構わないけど、君たちはどうするつもりなんだい? 明日も日曜日で休日だと思うけど、どこか、泊まる当てでもあるのかい?」
「問題ない。いざとなれば、俺はその辺の漫画喫茶でも渡り歩いて夜を明かすさ」
「漫画喫茶って……。そりゃ、君はいいかもしれないけど、残りの女の子たちはどうするんだよ……」
昨日の今日で、いきなり東京まで足を伸ばすという強行軍。かなりの無茶だとは思っていたが、高槻は改めて呆れたような声を出して紅に言った。
紅が独りで寝るのは可能でも、まさかこの大都会の真ん中で、高校生の少女を二人も連れて歩きまわるのは得策ではない。もし、何か事件にでも巻き込まれた場合、いろいろと面倒な事態も発生する。
やはり、ここは雪乃に頼んで、彼女の暮らしているマンションに泊めてやるのが理想だろう。年頃の少女が三人も寝るには少しだけ狭いかもしれないが、都会の真ん中に放り出すよりはマシだ。
「ふぅ、仕方ない。それじゃあ、悪いけど雪乃。今日は君の家に、お友達を泊めてあげるってことでいいかい?」
「はい。私は別に、構いませんよ。なんだったら、まゆさんも一緒にどうですか?」
言いたいことは、わかっている。そんな口ぶりで、雪乃は高槻に答えてみせた。長年、芸能界という特殊な環境で過ごして来ているからだろうか。こういった空気を読む力に、最近は雪乃も長けてきたと思う。
結局、その日は雪乃のマンションに女性陣を泊めるということで、一応の話はまとまった。後は、現場となった局のスタジオに、紅を連れて行って検証させるだけだ。
テレビ局の見学そのものは、一般人でもコネ次第でどうにでもなる。問題なのは、局が事件を隠すような動きに出ている以上、果たして事件の起きたスタジオに入れるかどうかということだ。
こればかりは、高槻も紅に保障する術がない。しかし、今、この場にいる全員が、今回の事件に不穏なものを感じているのは事実である。それを放って日常へと戻ることは、高槻自身もまたできそうになかった。