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~ 九ノ刻   禍崇 ~

 時間の止まったような静寂の中で、全員の視線が一点に集まっていた。


 本当にあった呪いの館と称して作られた、廃墟となった屋敷の探索映像。やらせを抜きにしても、確かにそこには無数の霊が存在していた。制作者の意図とは別に、本物の心霊映像として、様々な霊が映り込んでいた。


 だが、それらのことを除いても、今、目の前の画面に映し出されている映像は、あまりに奇妙だった。


 暗い、決して開けない夜を思わせる空間の中に立つ、奇怪な三本脚の鳥居。ちょうど、真上から見ると三角形の形になるように、三本の柱の上部が繋がっている。三方向、どこから見ても鳥居の姿となるような、そんな不可思議な作りになっている。


 三柱鳥居と呼ばれるこの鳥居は、実はそこまで珍しいものではない。確かに、まゆや凍呼のような人間からすれば奇異に映ったかもしれないが、少しでも民俗学や神社などの話に詳しい者にとっては、それなりに名の知られているものである。


 問題なのは、この鳥居が日本各地に点在する三柱の鳥居の、どれにも当てはまらないということだった。作られた目的さえ不明な三柱鳥居だが、目の前の画面に映っているそれは、どこに立てられたものなのかさえ定かではない。背景には鬱蒼とした森のような物が映っているだけで、神社の境内の中にあるものなのかさえわからない。


 そして、この映像を見て、御鶴木魁のような人間までもが我が目を疑った理由。それは、この鳥居から放たれる、恐ろしいまでの悪意に他ならなかった。


 霊的な負の波動。呪いのオーラ。呼び方は様々だが、それが意味しているところは一つ。触れた者に災いを成し、闇の世界に引きずり込む。最終的には死という形で、関わった人間に破滅を呼ぶ。


 いったい、この鳥居は何なのか。なぜ、こんな物が、例の廃墟探索映像の中に入っていたのだろう。そして、そもそもこの鳥居は、どこの誰が何の目的を持って立てた物なのだろう。


 あまりにもわからないことが多過ぎて、その場にいる誰もが次の言葉を出せなかった。ただ、静寂の中で時だけが流れ、不気味な沈黙が辺りを支配していた。


「さて……。そろそろ、本題に入らせてもらいたいんだが……構わないか?」


 水を打ったように静まり返った部屋の中に、紅の声だけが響いた。その声につられるようにして、何人かの人間が顔を上げた。


「こいつの正体が何なのか、正直なところ、俺にもわかってはいない。ただ……この鳥居の画像から放たれる、凄まじいまでの悪意。それが、番組のプロデューサーとディレクター……二人の人間の命を奪ったのは間違いない」


「え!? ちょ、ちょっと待ってよ……。だったら、そんなものを直に見ちゃって、私たちは大丈夫なわけ!?」


 目の前の鳥居の画像が、西岡と室井の二人を殺した。それを知ったまゆが、慌てて抗議の声を上げる。二人の死の原因があの映像ならば、そんな物を直接凝視して、果たして本当に大丈夫なのだろうか。


「心配するな、篠原。確かに、普通の心霊映像なら、こいつは危険極まりない代物だ。霊害封じの類を施さない限り、まともに直視すれば、祟りを受けることは間違いない。あくまで、普通の心霊映像だったらな……」


「普通の? ってことは、それ、何かの細工でもしてあるってわけ?」


「鋭いな。お前の考えている通り、こいつには悪意の矛先を特定の人間に向ける細工が施してある。いったい、何をどうやったのかは、俺にも不明だが……とにかく、本来であれば無差別に撒き散らされるはずの負の波動を、どこか一点に集約するようにして放っている」


「どこか一点に集約? ま、まさか、それって……!!」


 頭の中で、様々な物が一つに繋がって行く感覚がまゆを襲った。紅の話を信じるのであれば、西岡と室井の二人の命を奪ったのは、この鳥居の映像だ。そして、本来であれば無差別に撒き散らされる呪いのようなもの。それを一点に集約して放っているとすれば、話は見えてくる。


「この映像を細工したやつは、最初からターゲットをプロデューサーとディレクターの二人に絞っていた。だから、その二人だけに霊傷が現れるように、負の波動の矛先を特定の人間に対して集約し、凝縮させたんだ。他の者が見ても影響を受けず、かつ決して怪しまれないように……あくまで、コマとコマの間に挟むようにして、誰にも気づかれずに対象を殺せるようにな」


「へぇ、こいつは面白いね。君の犬神を通して話には聞いていたけど……要は、幽霊屋敷の映像の間に呪いの映像を紛れ込ませて、誰にも知られずに西岡さんたちを呪った……。そういうことかい?」


「そうだ。この仕掛けを企んだやつは、最初からわかって廃墟探検の映像を選んだんだろうな。何の変哲もない映像に紛れ込ませれば、いくら対象を指定したとはいえ、俺たちのような人間に気づかれるかもしれない。だが、幽霊だらけの屋敷の映像に紛れ込ませれば、それは上手い具合に隠れ蓑になる」


 木を隠すには森の中。そして、呪いを隠すには幽霊の中。そう言わんばかりの口調で、紅は言い切った。


 この映像に罠を仕掛けた者は、実に巧妙な手口で二人の人間を殺した。恐らくは、幽霊屋敷の幽霊たちが、御鶴木魁によって除霊されること。そこまで読んで、仕掛けを施すに至ったのだろう。


 幽霊屋敷の幽霊たちが放置されていれば、それは隠れ蓑となって真実を隠す。その一方で、幽霊が退治されてしまえば、おのずと映像に対して疑いを持つ者がいなくなる。もとより、除霊の済んだ映像という認識を周りに与えることで、二人の人間が亡くなった原因が、別のところにあるのではないかと錯覚させることも可能だ。


 どちらにせよ、廃屋探索の映像が、二人の人間を殺したわけではないと思われる。そうなれば、この罠を仕組んだ者のたくらみは、決して明るみに出ることはない。


「呪いを廃屋探索の映像に隠した、か……。なかなか面白い推理だね。でも……だったら、何で西岡さんと室井さんは、あんな唐突に死んだりしたんだい? 仮に、君の言っている話が本当だったとして……そんなに強力な力を持った映像なら、試写の際に亡くなっていてもおかしくないじゃないか」


 魁が紅に、挑戦的な目を向けて来る。興味半分、しかしともすれば、話の主導権を他人に握られているのが、あまり面白くないといった気持ち半分といったところか。


「確かに、そっちの言うことにも一理ある……」


 珍しく、紅も魁に同意した。この場に照瑠がいたならば、普段の彼との違いに言葉を失ったことだろう。もっとも、紅としても今は事を荒立てる気はなく、あくまで説明の方を重視しているだけだったが。


「しかし、考えても見ろ。いくら凝縮された負の波動を受けたからといって、たったの一瞬……三十分の一秒に満たない時間しか目にしないんだぞ。潜在意識の中には刷り込まれるだろうが、一瞬の映像が与える影響は微々たるものだ。だから、当然のことながら死ぬまでに時間がかかるし、何度も見なければ即死もしない」


「なるほど。それじゃあ、番組の放送中に西岡さんが亡くなったのは、試写に加えて本番でも映像を見たからってことか」


「そういうことだ。室井とかいうディレクターが、プロデューサーよりも遅れて亡くなったのは……まあ、個人差みたいなものだろう。霊的な攻撃に対する耐性みたいなものは、個々人によって異なるからな」


 紅が、横目でちらりと雪乃の方を見た。彼の言わんとしていることが何なのか。それを知って、雪乃も軽く頷いて答えた。


 以前、紅が初めて雪乃と関わった事件で、彼は雪乃のことを耐霊体質であると言っていた。要するに、霊的な感性が極めて鈍く、故に霊の攻撃に対しても強いという体質のことである。


 心霊スポットなどに行ってもまったく霊を感じない代わりに、呪いや祟りといった霊的な攻撃にも強い。長期間、攻撃を受け続ければその限りではないが、昨年の暮れの事件では、その体質が雪乃の命を繋ぐ鍵となった。


 雪乃が耐霊体質ならば、恐らく西岡は、その反対だったのだろう。室井に比べても霊的な攻撃に対する耐性が低く、それ故に、本番で映像を見終えた際、その身体に蓄積していた負の波動による影響が加速度的に高まったのだ。



――――刹那の魔。



 そんな言葉が、紅の頭をふっとよぎった。


 誰にも気取られないよう、瞬きするよりも短い時間の中に、恐るべき呪いを忍び込ませて相手を殺す。巧妙に真実を欺き、あらゆる者の目を巧みに誤魔化し、人知れず目的を遂行する悪魔の罠。


 こんな恐ろしく、かつ巧妙な罠を仕掛けた者は、いったい誰なのだろう。その答えは、紅の中では既に予想がついていた。


「今回の事件の真相……。それは、呪いの館の幽霊どもの祟りでもなければ、ましてや神居結衣なんていう女の祟りでもない。全ては西岡と室井……二人の男の死を望む人間が、巧妙に仕組んだ罠だ!!」


 赤い瞳が、その場にいた全員に向けられる。罠を仕掛けた犯人は、ここにいる人間の中にいる。そう、紅の瞳が語っている。


「そろそろ、黒幕の正体を暴いてやってもいいだろうな。廃屋探索の映像に仕掛けを施して、プロデューサーとディレクターを殺した人物……。それは他でもない、貴様のことだ!!」


 紅の指が、部屋の隅に座っている男の顔に向けられた。その動きに合わせ、全員の視線が一斉に男の方へと向けられる。


 彼の指差した方向で、青い顔をして唇を震わせている一人の男。それは他でもない、ADの宮森良太だった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「そ、そんな……! 宮森さんが……あの人が、今回の事件の黒幕だったって言うんですかぁ!?」


 突然、凍呼が叫んで立ち上がった。今まで信頼して来た人間が、唐突に全員の前で犯人呼ばわりされる。その現実が、どうしても信じられないようだった。


「ふぅ……。残念だけど、そいつは事実だよ、トーコちゃん。俺も、そこの外法使いから大まかな話は聞いていたけど……まさか、本当にここまで話を繋げて、呪いの正体を暴くとは思わなかった。揚足を取って、俺が代わりに主役になってやろうかと思ったけど、どうやらお呼びでなかったようだね」


「真実って……。それじゃあ、御鶴木先生は、最初から今の話を知っていたんですか!?」


「ああ。もっとも、全部じゃなくて、あくまで大まかな部分だけだけどね。昨日、こいつの犬神が、わざわざ俺のところまで来てメッセージを伝えてくれたんだ。それに乗って動いたお陰で、ある女の人の幽霊を、あちこち探し回ることになっちゃったけど……」


 飄々とした口調で、魁が両手を広げて喋っていた。もう、これ以上の茶番はお終いにしたい。さっさと犯人を捕まえて、家に帰って休みたい。そんな空気を醸し出している。


「今回の事件、そもそも神居結衣の名前を最初に出したのは、貴様だったようだな。確か、最初は高槻さんに、神居結衣の祟りである可能性をほのめかしたはずだ」


 上から見下ろすような目線で、紅は宮森を睨みつけた。もっとも、別に弁解するでもなく、宮森はただ、紅の話を聞いているだけだったが。


「俺のような霊能力者が現れたことで、貴様は相当に焦ったんだろうな。予定外の登場人物は、シナリオを大きく狂わせる可能性がある。だから、貴様はあえて神居結衣という女の存在を出すことで、捜査の目を廃墟探索の映像から離れさせようとした。何が何でも、今回の事件を神居結衣のせいにしたい。そう思わせるために、色々と自分から動き回ったんだ」


「くっ……」


 宮森の口から、舌打ちのような低い声が毀れた。固く歯を食いしばり、両肩を震わせて、なんとか屈辱に耐えている。傍から見ても、宮森が紅の言葉に対し、何か思うことがあるのは明白だった。


「決定的だったのは、室井とかいうディレクターの頭から発見された、神居結衣のものとされる指輪だ。あれだって、お前がそこにいる女……葵璃とか言ったか? 警察が現場に来るまでに、彼女の隙をついて細工することはいくらでも可能だ。素人を怖がらせるだけなら問題なかったが……俺たちのような、本物の力を持った人間には、返って妙な疑念を植え付けただけだったようだがな」


 反論の余地はない。確かに、状況証拠だけしか揃っていないとはいえ、現状で映像に細工できるのは宮森しかいない。雑用のような仕事を全て請け負っていた宮森ならば、ドサクサに紛れて映像の入ったデータを回収。それに細工を施すことなど、造作もないことだろう。昔のように全てをテープに録画していた時代ならいざ知らず、今ではコンピュータの力を少し借りれば、かなり容易に映像の編集作業だってできてしまう。


 番組制作スタッフの内、二人は変死で一人は殺害。残り一人は塀の中で、未だに軽い混乱状態にある。消去法で考えていった場合でも、やはり宮森しか残らない。事件が神居結衣の怨念によるものではなく、人為的に仕組まれたものだと考えた場合、宮森以外に犯行に及べる人間はいないのだ。


 もう、さすがに年貢の納め時か。そう思ったのかは定かではないが、宮森の口から軽い溜息と共に笑いが漏れた。


「はは……。そうさ……そうだよ……。全ては俺が仕組んだこと……。俺が、やったことなんだ……」


 普段の明るく、それでいてどこか間の抜けたような空気は、完全に失われていた。やつれた頬と、ひきつった笑顔。未だ誰にも見せたことのないような病んだ表情で、宮森は静かに語りだした。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 宮森良太が神居結衣と初めて出会ったのは、陽射しのまぶしい夏の日のことだった。


 当時、まだ大学生でしかなかった彼らは、試験の帰りに研究室で顔を合わせて知り合いとなった。宮森は、大学では主に映像に関する科目を専攻しており、結衣とは同じ研究室で共同制作に携わっていた。


「あら、今日も遅くまで頑張ってるわね。でも、あまり無理して身体を壊したら駄目だぞ、宮森君」


 まだ、研究室を訪れて日が浅かった宮森にとって、結衣は憧れの先輩の一人だった。その飾らない、男勝りな風貌とは反対に、結衣は後輩に対する気遣いも忘れない女性だ。そして、そんな彼女に宮森自身が惹かれてゆくのに、そう時間はかからなかった。


 仕事もできて、気遣いも上手い。才色兼備のような理想の女性。当然、先輩たちからは、「止めておけ」と釘を刺された。現に、当時の結衣には浮ついた噂の一つもなく、≪難攻不落の城≫として、学生の間では有名だった。


 このまま待っていても、時間が解決してくれるはずもない。気持ちを伝えるにしても、なんとかして結衣に、相応しい男として認めてもらわねば意味がない。


 以来、宮森は一心不乱に彼女の共同制作に協力し、その手腕を少しずつ認めてもらえるようにもなっていた。


 この調子で行けば、もしかすると自分の想いを受け入れてくれるかもしれない。そう思っていた宮森だったが、時間というものは残酷である。


 先輩である結衣は、当然のことながら、卒業時に大学側へ提出する制作物を完成させた時点で、研究室を去ってしまった。宮森も彼女の手伝いはしていたものの、結局最後まで想いを告げるには至らなかった。


 学生時代の恋心など、所詮は儚いものなのか。なにやら踏ん切りのつかない思いではあったものの、こうなっては仕方がない。彼女のことを早く忘れるためにも、宮森は自分自身の卒業制作に没頭することにした。彼女が去り、学年が上がった今、次は自分が卒業のための制作物を作る番だった。


 本当は、想い人を忘れるために作っていただけの、逃避のような製作行為。しかし、例えどのような物であれ、人の想いが込められたものは、時に他人を魅了する力を発揮するのだろうか。


 宮森の作った卒業制作物は、その出来栄えを研究室の教授も認めてくれるほどだった。なんというか、一つの大仕事をやりきった感じがして、宮森は正に感無量という心持だった。


 それから程なくして、宮森は今のテレビ番組作成会社に就職が決まった。もっとも、いかに大学で優秀な成績を残したからといって、現場の仕事はそこまで楽ではない。加えて、昨今の就職難も相俟って、宮森はADから下積みをせざるを得なかった。


 映像の世界、制作の世界で、自分はもっと大きな仕事がしたい。そう思っても、やはり現実はなかなか上手くはいかないものだ。


 職人気質の古株社員たちからは、宮森のような人間は、現場の空気も知らないゆとりの御坊ちゃまとしか見てもらえない。その程度ならまだわかるが、テレビ番組作成とはいえ、腐っても企業。会社組織の負の側面である、上司の嫌がらせなども日常茶飯事だった。


 どう考えても一人では運べないような荷物を、ひたすら運搬させられるだけの日もあった。自分の中で温めていた、いつか出世したら使ってやろうと思っていた企画書の案を、休日の際にデスクの中を漁られる形で盗まれたこともある。しかも、その後に上司がそっくりそのまま自分の企画に盗用しており、なんとも言えぬやるせなさを抱いたものだ。


 自分はいったい、ここで何をしているのか。こんなことが、本当に自分のやりたいことだったのか。何度も心が折れそうになったが、そんなとき、彼のことを支えてくれた人が一人だけいた。


「あら、相変わらず遅くまで頑張ってるわね。学生時代から、ずっと変わらないわね、宮森君」


 あの日、卒業を境に会えなくなっていた、結衣の言葉だった。彼女もまた宮森と同じ道に進んでおり、なんの偶然か、同じ会社に勤めていた。


 もっとも、宮森とて、別に狙って彼女の就職先に応募をしたわけではない。たまたま就職した先に、彼女がいたというだけだ。それに、昔は単なる先輩と後輩の関係だったが、今では上司と部下の関係でもある。以前のように、気さくに自分から声をかけることなど、なかなかどうして難しい。


 しかし、それでも宮森が、この再会に何らかの運命を感じていたのは間違いない。今度こそ、今度こそ自分は想いを告げるんだ。そう思って、ひたすらに仕事を頑張った。


 当時、彼が入社して間もなく、結衣はディレクターの職に就いていた。大学を卒業したての、しかも女性とあっては、これは異例の出世である。そんな彼女に追いつくのは、いかに宮森が歯を食いしばって頑張ろうとも、なかなか難しいことだった。


 自分だって、同期の中では優秀とされている人間の一人なんだ。だから、頑張って結果が出せないはずがない。今はしがないADでも、いつかは必ず……。


 そんな想いを胸に秘めつつも、宮森は結衣が、いったいどのような番組を作っているのか気になった。彼女が制作に関わっていたのは、≪奇跡空間ミラクルゾーン≫と呼ばれるバラエティ番組。一見して怪奇番組と見紛うようなタイトルだったが、その中身を見たときに、宮森はそれが誤解と偏見であると知った。


 世界中を飛び回り、毎週、様々な奇跡と感動のエピソードを紹介する。しかも、決して安っぽいお涙ちょうだいストーリーばかりではなく、時に人として、深く考えさせられるような物語も多かった。


 自分の小ささと、尊敬してきた結衣の大きさを、改めて感じさせられた瞬間だった。今の自分では、逆立ちしても結衣には敵わない。もう、いいかげんに、学生時代の片想いを引きずるのは止めよう。そう、思ったこともある。


 しかし、そんな宮森の気持ちを知ってか知らずか、結衣は職場でよく彼に絡んで来た。気がつけば、帰りに居酒屋で酒の友として誘われることも多く、恋人未満であるが友達以上であるような、奇妙な関係が続いていた。


 このまま、こんな時間がずっと続けばいい。柄にもなく、そんな感傷的な気分に浸ってしまったこともある。例え、今は恋人として側にいることができなくても、自分は十分に幸せだ。こうして、自分のことを理解してくれる女性と、少しでも片を並べて話ができるのであれば。


 このときは、そんな他愛もない毎日が、ずっと続くものだとばかり思っていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 宮森が結衣の訃報を聞いたのは、彼が今の会社に入ってから一年ほど経ったときのことだった。


 彼女が亡くなったという話を聞いたとき、宮森は自分の耳が信じられなかった。警察の発表では自殺ということだったが、そもそも結衣には自殺に至るような動機がない。仕事も順調に軌道に乗っており、こと彼女の担当する番組、≪奇跡空間ミラクルゾーン≫の視聴率は、うなぎ昇りだったというのに。


 いったい、彼女はどうして自殺などしてしまったのか。なぜ、一言自分に相談してくれなかったのか。こんな頼りない自分であっても、話をしてくれれば、何か力になれたかもしれないのに。


 結局、自分は彼女にとって、何の力にもなれないのか。虚しさだけが心を支配し、宮森は自分の目の前が真っ暗になるのを感じていた。


 おしまいだ、なにもかも。大袈裟と言われるかもしれないが、結衣は自分にとっての生きる糧だった。いつか、彼女に相応しい男になって、彼女に自分の気持ちを伝えたい。それだけを糧に、今まで頑張ってきたというのに。


 自分の信じていた物が音を立てて崩れて行くのを感じながら、宮森は気がつくと橋の上にいた。


 夕暮れ時、街外れの橋の上には、遠くからカラスの鳴く声だけが聞こえてくる。下を除けば、そこには列車の線路が見える。この上から、列車が走り込んで来た時に合わせて飛び下りれば、痛みを感じる暇もなく死ねるだろう。


 そうだ。どうせ生き甲斐を失ってしまったんだから、これ以上は生きていても仕方がない。なぜ、結衣が自ら命を経ってしまったのか。その理由はわからないが、彼女の気持ちだけは自分にもわかる。


 死んで、楽になってしまおう。弱い男だと笑われても構わない。情けない人間だと馬鹿にされてもいい。希望を失ったのにも関わらず、惰性でダラダラと生き続けるよりは、はるかにマシだ。


 淀んだ闇をその瞳に宿したまま、宮森は電車が下を通るのを待った。やがて、風を切る微かな音と共に、橋の下に特急列車が近づいてきた。


 このまま落ちれば、全ては終わる。そう思い、宮森は手すりに手をかけた。が、彼が飛び降りようとした、正にその瞬間、後ろから唐突に呼び止められ、思わず動きを止めた。


「やれやれ、自殺ですか……。夕暮れ時に、橋の上から飛び込み自殺なんて、あまり感心できませんよ?」


 振り向くと、そこには知らない男がいた。今まで、誰も橋の上にいなかったというのに、いったいどこから湧いて出てきたのか。いや、それ以前に、この男はいったい何者で、なぜ自分に構うのだろうか。


「余計なお節介は止めてください……。どうせ、俺はもう生きる意味を失ったんです。だから……放っておいてくれませんか?」


「おやおや……。まだ若いのに、随分と悲観的な考えを持っているようですね?」


「お節介は止めろって言っただろ?それに、若いって……あんたも、俺と年齢は、そう変わらないように思えるけどな」


「これは失礼。ですが……僕は別に、ただの気まぐれであなたの自殺を止めようとしたわけではありません。今日はあなたに、少しばかり伝えておきたいことがありまして……」


 青年の顔が、にやりと笑う。この世の全てを知っている。そんな人間が見せる、一種の余裕とも言えるような表情だ。


「あなたの尊敬していた女性……確か、名前は神居結衣さんでしたか? 彼女の自殺の原因を、僕は知っているんですよ」


「なっ……!? どうしてあんたが、神居さんの名前を!!」


「それは、企業秘密というやつです。ただ……もし、あなたが真実を知りたいというのであれば。あなたがそれを知って、新たに生きる希望を見出すというのであれば……僕はあなたに、僕の知る全てを教えましょう」


 不敵な笑みを浮かべたまま、青年がゆっくりと宮森に近づいてきた。彼の手に握られているのは、一冊の古びた日記帳。目の前に差し出されたそれに目をやると、そこには宮森の良く知る筆跡で、結衣の名前が書かれていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「それから……俺は、その日記帳を読んで真実を知ったよ。彼女が……神居さんが、なんで自殺なんかしてしまったのか。彼女をそこまで追い込んだのは、いったい誰なのか……」


 会議室の片隅で、宮森良太は紅たちを前に静かに語っていた。その声は震え、かつての宮森の面影はない。ただ、自分の感情を吐露することで精一杯な、小さく掠れた声だった。


「彼女の日記に書いてあったことを、俺は今でも忘れない。彼女が死んだ原因を作ったのは……否、彼女を殺したのは、あの会社でミラクルゾーンの制作に関わっていた連中だったんだからな!!」


 宮森の顔が上がり、その瞳が全員を睨むようにして見た。


 神居結衣は、自殺ではなく殺された。しかも、その犯人はミラクルゾーンの制作スタッフ。あまりに衝撃的な事実に、その場にいた誰しもが言葉を発することができなかった。


「あの当時……神居さんは、本当に頑張っていたんだ。ミラクルゾーンみたいな、一見して低俗な番組で、あそこまでの視聴率を叩き出す。それだけ彼女の才能は非凡で、仕事のできる女性だったんだ!!」


「確かにな……。貴様の話を効く限りでは、神居結衣はやり手の人間だったらしいな」


 紅が、宮森に同意した。もっとも、その目は常に正面に向けられ、首を縦に振ることはない。油断なく相手を見据えつつ、彼の懺悔に耳を傾けている。


「でも……そんな神居さんのことが、プロデューサーの西岡は気に入らなかった。ディレクターの癖に、自分よりも後輩達から支持を受ける。女の癖に、自分よりも仕事ができる。そんな風にしか、神居さんのことを見ていなかった……」


 宮森の顔が、再び下に向けられた。その瞳は、いつしか涙で滲んでいる。尊敬していた人に対する。差別と偏見の眼差し。その、あまりに理不尽な扱いに、悲しさを覚えずにはいられないようだった。


「だから、あいつは……西岡は、ミラクルゾーンのスタッフを抱き込んで、番組を完全に私物化することを考えたんだ! カメラマンの加瀬と、音響の古澤……それに、子飼いの部下だった室井を抱き込んで、彼女の尊厳をズタズタに踏みにじったんだ!!」


「尊厳を踏みにじる? だが、いくらパワハラの酷い上司でも、下手をすれば逆に訴えられるんじゃないか? それこそ、貴様の話にある神居結衣なら、そのくらいの行動力はありそうなものだがな」


「ふふふ……。確かに、そうかも知れないさ。ただの、ちょっとした嫌がらせ程度なら……神居さんは、絶対にあんなクズどもに屈したりはしなかったさ……」


 宮森が、肩を震わせながら呟いた。泣いているのか、それとも笑っているのか。恐らくは、その両方だろう。


「だけど、それは連中もわかっていた。だから、絶対に彼女が逆らえないようにするために、あいつらは手段を選ばない行動に出たんだ!」


「手段を選ばない行動だと?」


「そうさ! あいつら、彼女に全員で乱暴して、その様子を記録しやがったんだ! その上で、西岡の野郎……あの下衆は、神居さんに言い寄ったんだよ! 俺の女になれば、今よりいい思いをさせてやる。番組をよこせば、この映像も他所には流さないってな!!」


 最後の方は、怒りに任せてまくし立てているような感じだった。一瞬、部屋の中の空気が破れるような感じがして、さすがの紅も、それ以上は言葉を失っていた。


 謎の青年が、宮森良太に渡した神居結衣の日記。そこに書かれていた、西岡達による非道な行いの真実。衝撃に次ぐ衝撃の連続で、頭を追いつかせるのが精一杯だ。


 たかだか仕事の主導権を握るために、犯罪と知りながら手段を選ばぬ行動に出る。およそ、紅には理解し難い心情だったが、目の前の宮森が嘘を言っているようには思えなかった。


「このことを知ったとき、俺でさえ自分の目を疑ったさ。でも、現実ってやつは残酷なんだ。彼女の日記は確かに本物だったし、彼女が自殺したのも本当のことだ。そして……彼女が亡くなった後、西岡と室井が番組を私物化して、その手柄を全て横取りしやがったのもな!!」


「なるほど……。それが貴様が、今回の復讐計画を思いついたきっかけか」


「ああ、そうだよ。もっとも、事実を知っても、そう簡単に計画を実行するわけにもいかなかったけどな。ただ……運命の神様ってやつは、やっぱりいるんだな。あいつら、下っ端のパシリが欲しかったから、よりにもよって、俺を番組のスタッフに選びやがったんだ。まったくもって、間抜けな連中だよ」


 今は亡き西岡と室井に対し、宮森が軽蔑するように鼻で笑った。同じ死者であっても、結衣に対するような追悼の念などない。ただ、復讐を遂げたという満足感だけが、今の彼の中を満たしていた。


「あいつらの下で仕事をするようになってから、俺は機会を窺った。すると、あいつがまた、俺の前に現れたんだ」


「あいつ?」


「俺に、神居さんの日記を渡してくれた男だよ。あいつは俺に、今回の復讐計画を持ちかけて来た。やらせ映像の中に、邪神の祟りを歪ませた、特殊な映像を紛れ込ませる。そうすることによって、特定の人間にだけ祟りが起こるようになって、一種の呪いみたいな効果を発揮する。そう言って、俺に必要な物を全て渡してくれた」


「なるほどな。だが、お前がそうまでして、犯行を神居結衣のものと認めさせたかった理由はなんだ? やはり、彼女のされたことを、連中に忘れさせないためか?」


「ああ、それもあるね。俺は何度か家に行ったから、そのときに隙をついて中を物色させてもらったりしたけど……西岡と室井の家には、神居さんを脅迫するのに使った映像ディスクなんかは見当たらなかった。だから、この二人にはさっさと死んでもらって、残る二人を脅かすことにしたんだ。その上で、映像の入ったディスクを回収して、連中を始末するつもりだった」


「だが、それはカメラマンの加瀬を暴走させ、古澤を殺害させるに至った。そういうことか……」


「その通りだよ。最後の最後で、予定が狂って少しだけ焦ったけどね。でも、俺はこれでも満足だよ。連中の内、三人は死亡で一人は塀の中。もう、あいつらが神居さんの……結衣の映像を外部に流すような心配もない。俺の復讐も、ここで終わったんだ……」


 ほっと最後の溜息を吐いて、宮森が力なく項垂れた。


 気が弱く、いつも肝心なところで自分に自信が持てず、好きな女に想いを告げることさえできなかった宮森。そんな彼にとって、結衣のような存在は、正に生きるための糧だった。彼女が支えてくれたからこそ、今の自分がある。そう、宮森は信じていた。


 今回の復讐を決意したのも、そんな宮森の想いがさせたことだ。確かに、証拠として謎の男から預かった日記帳を警察に渡せば、西岡たちに捜査の手が回ったかもしれない。が、それは即ち、結衣が乱暴された際の光景が収められた映像が、表の世界に出回る危険を意味している。


 捨て鉢になった西岡たちが映像をネットにでも流してしまえば、もう宮森に止める手立てはない。それ以前に、彼らがしらを切り通せば、そこで警察の追及も終わる。むしろ、結衣の日記を持っていたことで、こちらに変な疑いが掛からないとも言い切れない。


 死して尚、想い人が映像の中で辱められる。宮森にはそれが、どうしても許せなかった。どんな手を使ってもいい。最悪、自分が警察に捕まることになってもいい。なんとかして、あの四人に復讐してやろう。そう思って、今日まで生き長らえて来た。


 その復讐も、今日で終わる。全ての真実が明るみに出された今、自分に言い逃れをする術はない。もっとも、果たして呪いによる殺人が、法的にどのような処罰を受けるのかは、宮森自身もわかってはいないのだが。


「やれやれ……。これで、説明は終わりかい? なんか、ちょっと待ちくたびれちゃったんだよねぇ……」


 部屋に籠る陰鬱な空気を払うようにして、魁が大きく伸びをした。そして、待っていたかのように懐に手を伸ばすと、その中から一枚の紙人形を取り出した。


「ねえ、宮森君。君の言っていた神居さんって人なんだけどさぁ……。別に、復讐とか望んでなんかいなかったと思うんだよね。君が勝手に思い込んでいるだけでさ」


 魁が苦笑しながら紙人形を机に置く。人形はそのままスーッと動き、宮森の前まで来ると音もなく止まった。


「俺、そこの外法使いから連絡受けて、総ちゃんと一緒に神居結衣って女の幽霊を探したってわけ。本当に彼女が人を呪い殺しているのかどうか、それを確かめるために……とりあえず、今回の事件の関係者の家に、ありったけの式神を放って捜索させたんだ」


「さ、探したって……。それじゃあ、結衣の魂は、まだ……」


「ああ、そうだよ。彼女の魂は、まだ現世に留まっていた。しかも、彼女を見つけた場所が、どこだったと思う?」


 自分の手柄を見せびらかすようにして、魁はあえて勿体をつけるような話し方をする。先程まで、紅に主導権を握られていたことに対する憂さ晴らしだろうか。こんな時でさえ、あくまで自分のペースでしか物事を考えないのが、彼らしいと言えば彼らしい。


 突然、ボッという音がして、宮森の前に置かれた紙人形に火がついた。一瞬、それに驚いて、宮森が立ち上がり後ろに下がる。


 紙人形は、紫色の炎を上げて燃えていた。その炎から出た煙は、徐々に固まって人の姿を形作る。うっすらと白く、それでいて生前の面影を残した、女性の姿へと変わってゆく。


「あ……あぁ……」


 全員の目が、人形から出た煙に集中していた。紅と総司郎は、既にこういった状況に慣れているからだろうか。別段驚きはしなかったが、それでも静かに事の行く末を見守っていた。


「か、神居……さん……」


 そこにいたのは、紛れもない神居結衣だった。もっとも、生前に宮森に見せていた、気丈な瞳はそこにない。ただ、目の前で全てを吐露した男に対して、憐みとも取れる視線を向けていた。


「彼女の霊がいた場所。それ、他でもない君の家だったんだよねぇ。霊感の鈍い君にはわかんなかったみたいだけど……彼女、ずっと君を見守っていたみたいだね。復讐なんかに手を染めて、何もかもを失ってゆく。そんな君の姿を、ずっと憐れんでいたってことだよ」


「そ、そんな……。だったら、どうして神居さんは、俺に何も言ってくれなかったんだ! いや、俺なんかじゃなくたっていい! あんた達みたいな、霊感の強い人間に言えば、真実だって告げられたのに!!」


「残念だけど、そいつは無理な相談だ。人間、死んで幽霊になったところで、そう簡単に超能力が使えるわけじゃないんだから。特に、彼女みたいに自分よりも他人を心配する人ってやつは、怨念なんかにも成り難い。だから、必然的に力も弱く、現世に訴える方法も限られてしまうってわけ」


 死んだ者が、幽霊となって目の前に現れる。それだけならば、よくある怪談話として、あちこちで囁かれているものだ。


 問題なのは、その幽霊が、果たしてどこまでの力を持っているかということだろう。死んだ人間の誰しもが、人知を越えた超能力を持っているわけではない。そもそも霊とは人間の残留思念のような側面も持つ。そのため、本来であれば酷く不安定で、弱々しい存在なのだ。


 神居結衣は、確かに自ら命を断った。その原因は、西岡達による忌まわしい辱めと、彼らの強迫によるものだったのは言うまでもない。プライドの高い彼女のこと。気が動転した結果、衝動的に死という道を選んでも、誰も責めることなどできはなしない。


 だが、それでも神居結衣は、そんな西岡達に対する怨念以上に、後輩の宮森のことを心配していた。死して尚、自分の心を許した相手として、宮森の側にずっと付き添っていた。


「俺だって、式神を君の家に送って隅々まで調べさせなかったら、彼女の霊の存在なんて気づきもしなかったさ。無論、彼女の口から、君の所業を聞くこともね。だから、俺は彼女の霊を紙人形の中に宿らせて、こうしてここまで運んできてやったってわけさ」


 飄々とした口調で、魁はさらりと言ってのけた。本人にしてみれば、ただ、自分の思うことを言ったまでのこと。しかし、それでも宮森にとっては、彼の心を砕くのに十分過ぎる言葉だった。


「は……はは……。神居さん……ずっと、俺の側にいてくれたんっすね……。俺なんかのために、死んでからもずっと、あの世にも行かないで……俺のこと、見守ってくれてたんっすね……」


「そういうことさ。これで、君にもわかっただろう? 呪いってやつは、割に合わない。復讐なんてもんに力を入れても、それは意味がないってね」


 魁が指を鳴らし、その音と共に煙が消える。後に残されたのは、焼けて失われた紙人形の残骸のみ。依代よりしろとして使っていた人形を失ったということは、神居結衣の霊は、もうここにはいないのだろうか。


「ふぅ……。どうやら、これで事件は解決のようだな。それでは、後は全て、こちらに任せてもらおうか?」


 今まで、部屋の隅で沈黙を保っていた男が唐突に口を開いた。あの、全身からただならぬ気を発していた、厳つい風貌の男だ。


 警視庁公安部第四課、第零系担当、香取雄作。彼もまた、紅によってこの部屋に呼ばれた人間の一人だった。お互いに情報を交換し合うという約束があるため、彼にも真実を知る権利はある。


 その結果、事件が闇に葬られたとしても、それはあくまで紅の預かり知らぬこと。ただ、最初から宮森を問答無用で連行されてしまっては、後味の悪い結果になる。そう思い、彼には魁と違い、最後まで真実を伝えてはいなかったが。


「待て。その前に、一つだけ教えてもらいたい」


 男が宮森に近づいたところで、紅がそれを制した。宮森には、まだ聞きたいことがある。今回の事件の真の黒幕は、宮森だけというわけではない。


「貴様に神居結衣の日記を渡した男……。その男について、詳しく教えて欲しい。名前や……あるいは、風貌だけでもいい。何か、手掛かりになるようなものはないか?」


「名前か……。今となっては、本当の名前かどうか怪しいけど……一応、俺に名乗った名前ならある」


「本当か!? そいつの名は、いったい何と言う!?」


「まあ、そう慌てないでくれよ……。俺が聞いた、やつ……名前は……」


 そこまで言って、宮森は急に咳込んで言葉に詰まった。勢い余って、つい舌を噛んでしまったのか。そう思った紅だったが、状況は少しだけ違っていた。


「あっ……かっ……はっ……」


 だんだん咳が酷くなり、宮森の顔が見る見る青ざめてゆく。胸を抑え、喉に手を伸ばし、呼吸さえままならない状態なのが素人目にもわかる。


「み、宮森さん!!」


 突然の変調に、凍呼が慌てて駆け寄った。その肩をつかみ、香取が宮森に近づこうとする凍呼を押さえる。


「待て! 様子が変だぞ!!」


 香取の声に、その場にいる全員が一斉に立ち上がった。宮森は、既に頭を抱えて部屋の隅にうずくまり、ガタガタと小刻みに震えている。時折、湿った咳を吐き出しながら、明らかに不自然な動きで揺れている。


「う、嘘……。これって……」


 口元を押さえ、まゆが下がりながら言った。彼女の脳裏に、数日前の生放送で目にした光景が蘇る。あのときも、亡くなった西岡と室井が、湿った咳をしてはいなかったか。だとすれば、この後、宮森に起こることは、まゆでなくても容易に想像がつく。


「あっ……がぁぁぁぁっ!!」


 突然、奇声を発して宮森が身体を大きく仰け反らせた。その顔を見た高槻と、残る三人の少女たちの顔が、瞬く間に驚愕の色に染められた。


 野球ボールのように大きく膨らみ、その頭部からはみ出した眼球。既に顔面の半分を覆うほどにまで肥大化したそれは、鮮血をほとばしらせながら、徐々に宮森の顔面を崩壊に導いてゆく。醜く膨らみ、原型を留めぬまでに変形した頭は、既に人の物ではない。



――――バンッ!!



 次の瞬間、風船の破裂するような音がして、宮森の頭が粉々に砕け散った。赤黒い肉片が辺りに撒き散らされ、まゆは思わず吐き気を催してその場にへたり込む。


 隣で何かの倒れる音がした。見ると、そこには惨劇を目の当たりにした凍呼が、白目を向いて気絶していた。


 長谷川雪乃は、その顔を高槻の胸にうずめて震えている。その高槻も、あまりの出来事に、何をしてよいのかわからない。雪乃のことを受け止めることも忘れ、ただ茫然と立ち尽くしている。


「せ、先生……。これ、いったい何なんっすか!? なんで、いきなり、こんなこと……」


 魁の横では、総司郎も信じられないといった様子で固まっていた。さすがの彼も、いきなりこのような展開になるとは思っていなかったのだろう。視力を失い、霊的な感覚からしか物事を見ることができなくなっていたのは、不幸中の幸いか。もっとも、それでも人の死を肌で感じるというのは、決して気持ちのよいものではなかったが。


「なるほど……。どうやら今回の黒幕は、かなり頭の切れるやつらしいね」


 珍しく、魁も複雑な顔をして、宮森であったものの遺体を見つめていた。それは紅も同様で、震える拳を握り締め、怒りに顔をゆがませるのが精一杯だった。


 今回の事件に用いられたのは、邪神の祟りを歪めたもの。呪いであれば呪い返しで宮森が死ぬ危険性があったが、祟りであれば、宮森本人に危険はない。事件のカラクリを暴いたところで、宮森が代わりに死ぬという可能性はなかったはずだ。


 では、それにも関わらず、宮森が亡くなってしまった理由は何か。答えは簡単だ。彼は謎の青年の正体を隠すため、口封じとして殺されたのだ。そう考えて、間違いはない。


 恐らく、この仕掛けを青年に教わった際に、身体に何か細工のようなものをされたに違いない。西岡や室井に与えた負の波動による障害が、そのまま宮森の身体にも現れるよう、何らかの霊的なスイッチのような物を植え付けられていたのだ。


 スイッチが発動する条件は、宮森が男の素性を語ろうとすることだろう。これにより、宮森は嫌でも男の正体を告げられなくなり、その足取りは完全に消える。最初から最後まで、あらゆる面で、完璧に仕組まれた話だった。


 絶望の淵に立たされた人間に言い寄り、言葉巧みにその人間を闇の道へと誘って、用済みになれば何の未練もなく使い捨てる。嘘と真実を巧妙に絡み合わせ、自分の正体が決して他に知られないよう、闇の狭間を暗躍する恐るべき呪殺師。


 闇の死揮者コンダクター。その存在の影を、紅は今回の事件の裏に感じざるを得なかった。毎回、あと一歩のところまで追い詰めながら、最後は尻尾さえつかませずに逃走する。そして、今回も例の如く、死揮者の情報は何も得られないまま終わってしまった。


 結局、自分は踊らされていただけだ。いや、自分だけでなく、宮森も、魁も、そして香取でさえも、全員が死揮者に踊らされていた。彼の操る闇の旋律に沿う形で、破滅のステップを踏まされていた。


 悔しさと怒り。その二つが、なんとも言えないやるせなさとして襲ってきた。果たして自分は、本当に闇の死揮者を追い詰めて、彼と対峙することができるのか。あかの一族の末裔として、彼と決着をつけることができるのか。


 最後の惨劇の場となった会議室で、紅は無言のまま、自分の爪をひたすらに掌に突き立てていた。

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