目覚めた龍の戸惑い
「君の言う通り、あの一帯には僕の眷属が多く居る。
只、僕の身体は特異でね、それを意識させぬようにと、他の幼い龍体と離されて育ったんだ。
幼い時は、自分の宮と、あの社の周りに有る結界内が、僕の遊び場所だった。」
「でも、私小さい頃は、泊まりがけで、何度も田舎に行ってたけど、会ったのは一度だけだよ?」
「幼い僕が、人の目に写るには色んな条件が必要なんだ…
あの夏の日は、祭りが近くて、人の世との次元が一番近付いていたから」
ふうんと頷きながら、自分の話を熱心に聞く摩南のまなざしを受け、蓮の心が踊る。
「それに、あの後すぐ、僕は成体になる為に眠りに着いた。
目覚めには数年掛かる」
実は、彼は目覚めてすぐに、出会った場所にも、摩南の祖母の家にも訪れていた。
制約無しに、人界に行ける事に胸を弾ませながら。
しかし、成長した摩南は、幼い頃より訪れる機会も減り、姿を見る事は叶わなかったのだ。
その上、成体となったのを機に龍の眷属との対面に追われ、次元を超える事も減った。
だが、何よりも蓮を戸惑わせたのは、人の精を受ける為の交わりを聞かされた事だった。
龍が操るのは主に水だが火、風地の力を操る者もいる。
稀に、全ての能力を操る者が生まれ一族の羨望となる。
眠りの時期を経て、一気に成長し、徐々に様々な能力を開花させる性質を持つ特別な龍。
その開花に必要なのが、人の精気なのだ。
成人し、交わりを知る為あてがわれた年上の眷属の女性。
成長した自らの身体が欲する欲とその反応。
媚薬の効果も有り、それは衝撃だった。
その反面、相手と心を交わす事無く、身体を重ねなければならない事に侘しさを抱いたのも事実だ。
蓮は、時折次元を超えても、人を避ける様になっていた。
一度だけ、遠目に摩南の姿を見た事がある。
亡くなった祖父の法事にやって来た彼女は、十代半ば。
元より、大人びた綺麗な目鼻立ちの彼女。
若々しさの中にも、伏せた目元や表情に、女性としての魅力がほんのり滲む。
後二、三年もすれば一端の女性として、摩南を見る男も増える事だろう。
そして…愛しい男と巡り会い、綺麗な花を咲かすのだろう。
女という存在を意識し過ぎる余り、蓮の心は気後れした。
一族の羨望を受ける蓮の元には眷属の女性が寵愛を受けようと自ら擦り寄る機会も多く、そんな輩に辟易していたのも有る。
無邪気に遊んだ二人の思い出が唯一、心の拠り所となっていた蓮。
美しく花開く予感を感じさせる彼女に、無意識で魅かれ、戸惑う想いにはまだ気付いてはいなかった。
その戸惑いを、女性に対しての億劫な気持ちだと解釈し、時が過ぎたのを実感する。
「眠る事無く、普通に成長してたら、もっと一緒に摩南と過ごせただろうな…」
蓮が、そんな独り言を呟いている時、偶然、摩南が顔を向けた
周りにいる人達との会話に、軽く笑みを浮かべた表情は昔とは違い、大人の落ち着きさえ見えた。
…僕だけじゃなく、摩南も変わっただろうか?
彼の碧の瞳は、気付かぬ内にゆらゆらと揺らめき、深く水を湛えた蒼色へと変わっていた。
蓮は、掌を宙に向け次元の扉を開き、摩南を一瞥すると身を翻し、中へと消えた。
振り向く事無く……
「れ…ん…蓮、どうしたの?」
はっと気付けば、摩南が蓮の顔を覗き込み、名を呼んでいた。
「あ、あぁ、ごめん。
…昔の事を思い出してた
摩南は、もう違う土地に住んでいるんだね。
今でも、あの場所に行く事は有るのかい?」
摩南は小さく首を振り、
「私が地元から出た後、おばあちゃんも亡くなったの。
学生の時程、地元にも帰れないし、親が別れてからは、実家も無くなったから…最近は、何年も帰ってないよ。」
「そうなのか…」
摩南は手を伸ばし、蓮の袖口をそっと指先で掴んだ。
「蓮の話、もっと聞かせて?龍と話せるなんて、夢でもなかなか無いでしょう?」
蓮は、彼女の指先の動きにどきりとする。
動きと共に、仄かに薫る彼女の香水が蓮の鼻先を掠める。
彼の着物の袖口を握ったまま、彼女は言った。
「あのね、小さい時に田舎で過ごした日は、私にとってすごく幸せな思い出なの。
大人になって良く判ったよ。
未だに、昔に戻ってあの場所に帰りたいなんて思う事もある位にね…
だから…この夢で、蓮に遭えて嬉しいよ…」
「嬉しい…?」
「うん。最初は驚いたけどね。でもね、昔遊んだ蓮なら、この不思議な夢も楽しめそうなの。」
その摩南の言葉は、蓮に喜びを与えた。
…夢だと信じてくれるなら、一族の者にも言えなかった想いを摩南になら話せるかもしれない
そんな想いが、蓮の頭の片隅に過ぎった。
袖口にある摩南の手を、ゆっくりと握り締める彼の手。
「摩南は軽蔑するかもしれない…それでも、僕の話を聞いてくれるかい?
もし、途中で嫌になったら、帰りたいと言ってくれて構わないから。」
蓮の真摯な瞳を見て、摩南は少し驚いた。
…丁寧な物腰、冷静な口調は徐々にほぐれて、今の蓮の瞳は縋る様に私を見つめてる。
「良いよ…話して…」蓮の顔が微かに綻んだ。
二人は手をそっと離し、膝に戻す。