③
◆◆◆
寝所に横たわる彼女を眺める蓮の姿。
白い着物に浅葱の袴を纏う彼は、彼女の目覚めを戸惑いながらも心待ちにしていた。
銀色とも見紛う白い髪を掻き揚げながら、時折そっと摩南の頬に指先を伸ばし、優しく触れる。
「忘れたりしない…
間違えるもんか…
君は…摩南だろう?」
眠る彼女に向かい呟く蓮
幼い頃、偶然出会った女の子。
夏休みで、母の田舎へ遊びに来てるのだと言った
遊び慣れた裏の里山に、一人分け入った時、僕らは偶然出会った。
小さな赤い鳥居が幾つも並ぶ、小さな祠と手入れされた社。
そして、脇には龍神を奉る泉。
僕の住む世界。
それは、この世とは次元が違う世界。
自然の力を操る、様々な能力を持つ者が集う。
人間達が、神と呼び崇め奉る種族もいれば、その力と姿形に畏怖を抱く種族もいる。
僕の一族は、摩南の田舎の土地神として奉られた、水を守護する者達。
龍神と呼ばれる者。
そんな話を彼女に言える訳などなく、僕は彼女の手を引き川遊びへと誘う
里山の脇に流れる小川で、水飛沫を上げはしゃぐ摩南におずおずと僕は言った。
「僕のおばあちゃんの家は、山の向こうなんだ。
でもね、引っ越すかもしれないから、いつ此所に来れるかも分かんなくて…」
「そっか…
つまんないなぁ。
会ったばっかりなのに」
「あっ、な、名前なんて言うか聞いてもいい?」
「うん。いいよ!
まな。摩南って言うの」
無邪気に微笑んで、名前を教えてくれた摩南。
「僕は…れん!蓮って言うんだ!」
名前を呼び合い、川で過ごす時間はあっと言う間だった。
夕方、熱い陽射が弱まった頃に僕はふと身体に異変を感じた。
水に漬かる足元に目をやると、ぽわりと淡い光が揺らめいていた。
次元を超える時に包まれる光が、自分の意思とは別に身体を包もうとしている。
…このままじゃあ、摩南のいる前で突然消える!
「ごめん!摩南!
僕…帰るから…」
慌てて岸に上がり、僕は里山の樹々の間へと走り出した。
「えっ!?れ、蓮…?」
驚き、僕の名前を呼ぶ彼女を振り返りもせず、僕は山へと姿を消した。
いや、走る途中で、自分が住む世界に引き戻されたと言った方が正しい。
木立ちに差し掛かった時には白い光に全身が包まれ、気が付くと、一族が住む社に戻っていたのだから。
「なんで…突然…」
不思議に思いながらも、摩南の目の前じゃなくてホッとしていた僕。
「また…逢えるかな?」
その呟きと同時に、僕の意識はゆっくりと途切れた。
次に目を開けたのは、見慣れた自分の部屋。
傍らに座る母が、僕の顔を覗いて静かに微笑んだ
「僕どうしたの?」
柔らかな手が、僕の髪を撫でた。
「驚いたでしょう?
でもね、喜ばしい事なの
貴方の身体は、成人する為の準備を整え始めたのよ。
その為に、こちらへ、
この社へと引き寄せられたの。」
思いがけない母の言葉に僕は喜びで胸が一杯になった。
「じゃあ、父様や皆みたいに、色んな場所に自分で行けるんだね!」
…あの場所じゃなくても摩南に逢える!
幼い僕は、社を含むこの土地でしか、人の世へ行けなかったのだ。
…成人となれば、能力は増し他の地にも跳べる。
単純に喜んでいる僕に向かい、母が言ったのは意外な言葉だった。
「蓮…貴方の身体は、普通の龍体とは少し違うの
皆は徐々に身体が成長するけれど、貴方の身体は一度眠りに着かなければならない。」
その時、スッと寝所の紗の薄布が開かれた。
「父様…」
「他の幼い龍体に、会わせずに育てたのはその為
理由を知ってても、どこかで引け目を感じて欲しく無かったからだ。」
深い蒼の瞳と、漆黒の長い髪を後ろで束ね、長身のしなやかな身体を持つ父が、母の隣りに腰を下ろす。
「一族の中に、時折現れるのだよ。
だが、幼い姿が長く続く分、成体となった時の能力は他の者よりも強い。
目覚めれば、それを実感出来るだろう。」
二人は、顔を見交わせ嬉しげに微笑み合った。
嬉しさのあまり、蓮は起き上がろうとしたが、なぜか四肢に力が入らない
不思議に思っている蓮に父が言った。
「もう、変化が始まっているのだ。
まぁ、冬眠の様なものと気楽に考えておくと良い
後もう一つ…
お前は、人の精を取り込まなくてはならない。
これは、また目覚めてから話をした方法が良いだろう。
幼いお前には……まだ、どういう意味なのかが解らぬだろうからな…。」
「人の…精?」
きょとんとした瞳の僕に、二人は苦笑した。
「さぁ、今は眠りに着くのが先よ。
目覚めた時、自分で驚かない様に心積もりしておくと良いわ。」
こくりと頷く僕の額に、父の掌が当てられた。
温かな光に包まれ、再び僕はまどろんでゆく。
大人になれる喜び。
そして、無邪気に遊んだ摩南を思い出しながら…
「眠ったか…」
「ええ。目覚めたらびっくりするでしょうね。
いきなり大人の身体に成長してるのですもの。」
龍の長は額から手を離し、傍らの妻へと顔を向けた
「しかも、いきなり人の精を必要とするのだ…
普通ならば、成長するに自然に気付く男女の営み。
それを、強引に手ほどきを受け見知らぬ者と交わるのだ。
…………戸惑うだろうよ。」
「同じ龍と番いになろうとも、一年に一度は人と精を交わさねばならないと言うじゃないですか。
ましてや、この子は、遥か昔の想いを魂に刻んでいるのに…」
切なげな表情が、母の面に浮かんでいた。
「番いに巡り合うか判らぬまま精を交わす為だけに、人の身体を抱かなければならないからな
だが、多才な能力を維持する為には必要だと伝えられている。
一番良いのは、人間に転生した魂と出会える事だが…」
微かな溜め息が、父の口から漏れた。
「一族の誉れとも伝えられる番いの魂ですもの。
必ず巡り合う筈ですよ…
…彼女の魂に。」
二人は、互いの顔を見て軽く頷いた。