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打ち明け話


春の木立ちの外れ。


韻は、時間を稼ぐ為に、ゆっくりと散策を続けていた。


少し先へ進めば、庭先で酒を酌み交わす人々に姿を見つけられる距離。


何故その場所かと言えば蓮を探す者を足止めする為であった。


気になる事、蓮に聞きたい事は山程有るが、今はそれ処ではない。

すぐに戻ると言った彼の言葉を信じて、この場を繋がねばと考えたからだ


「…蓮…早く来いよ。

何だか今日は、貧乏くじばっかり引いてるよなぁ俺って…」


韻がぶつぶつと独り言を呟いていると、木立ちの奥から蓮の気が感じられた。


穏やかな微笑みを浮かべてはいたが、少し申し訳無さそうな表情で、ゆっくりと韻に近付いて来る


「やっと来たな。」


韻は、棘のある口調で言った。


「悪かったな。

今日は、韻に気を使わせてばかりだ…

只、彼女の事は、本当に予想外の出来事だったんだ。

信じてくれよ…」


韻に謝りながらも、蓮の微笑みは崩れないままだ


「判った!

その代わり、ちゃんと説明してくれ。

あの娘が、何故この花園にこれたのかをな。」


「あぁ、僕も、韻に聞いて貰った方が良いかと思えて来た。

その方が、色んな憶測も出来そうだしな。」


「まぁ、その前に一旦宴に戻らないと。

早目に切り上げる為にも卒無く皆に声でも掛けてくれよ。蓮!」


「あぁ、そのつもりだ。

韻を、これ以上疲れさせては悪いからな。」


蓮は、韻の肩を軽く叩き館へと足を進める。


韻は肩を並べ、蓮と共に歩き始めた。


「…お前に隠れて、よくは見えなかったが…

感じの良い娘だったな。何よりも、お前のあんな顔が見れて嬉しかった」


韻は、少し声を潜めて、蓮に笑いながら語り掛けた。


蓮は僅かに顔を綻ばせ、照れながらもはっきりと言葉を返す。


「彼女の前だと、自分が素直に出せるんだ…

側に居たい。

互いにそう思うのなら、そこから始めるよ…」


そう言うと、彼は満面の笑みを浮かべ、韻の瞳を真っ直ぐに見た。


迷いは吹っ切れたか…

こんな良い顔をして言われたら何も返せなくなるな。


「後でゆっくり、お前の惚気を聞かせて貰うさ」


賑やかな宴の声がどんどん近くなり、二人の姿に気付いた者達が声を上げる。


「おぉ、

やっと戻られた!

宴の主役が居られぬと、座が寂しい限り。」


「韻様まで姿を消しては尚更の事。

さあさあ、御席に御戻り下さいませ。」





周囲へ微笑み掛けながら雅な装いをした輪の中へ足を進める二人。


上座に坐する長達は、ゆったりと手招きをし、端麗な若者を呼んでいる。


未来の長への敬意と親しみを込めた乾杯の声が、そこ此処で上がっていた


「韻も一緒に、こちらに御座りなさいな。」


朱璃の華やかな声が響く


「風に当たったせいか、蓮の顔が穏やかになったな…まぁ昨夜から落ち着く暇も無く、この宴が始まったから仕方無いだろう。」


長の鎮耶のその言葉に、隣りの朱璃も頷いた。


蓮は自分の席に腰を下ろし、韻もその傍らに用意された席に、軽く頭を下げながら、腰を落ち着けた。


「花園を歩いたら、蓮の疲れも取れたみたいです

御心配無く。」


にこやかに笑い、韻が答える。


長老方が勧める酒の酌を受ける蓮は、その言葉を聞くと、

「久々の盛大な宴だからかな。僕の宮では、こんなに多くの者が集う事が余り無いし。」

と言い、静かに微笑み盃を飲み干した。


「蓮さえ良ければ、貴方の宮で皆も宴を楽しみたいに違い無いでしょうけど…」


「そうですな。

蓮様が、騒がしいのが苦手なのは存じて居りますので、御無理にとは言いませんが…もう少し賑やかでも良いのでは?」


すかさず、韻の父親が顔一面に笑みを浮かべ語り掛けた。


それを受け、臣下達も口々に言葉を継いだ。


「奥様を娶られれば、宮も自然と賑やかになるに違い有りませんぞ。」


「そうですとも。

御側仕えする者達も増えるでしょうからな。

今は、身の回りのお世話する者も最小限度。」


「先を見越して、館の仕事に慣れた娘達が居る方が良いのでは有りませんか?」


さり気ない会話だが、それは臣下達の嫁候補を、蓮の身近に置く作戦とも言えた。


側に仕える娘達は、皆、素姓も家柄も申し分無い者なのだから。


ましてや、蓮が今まで共に過ごした女達は、気心知れた者に限られていた



華やかな美貌に目を魅かれ見初めるよりは、自分が過ごす時間を共有出来る女性を選ぶのが、彼の常だったのだ。


「皆の気遣いは嬉しいがまだしばらくは、今のままで良い。

そうだな…

もっと神気を上げ、能力を高めてからでも遅くは無いだろうから。」


真面目な表情で答える蓮


鎮耶は、そんな息子を眺め、くすりと笑みを浮かべた。


「お前も成長したと言う事だ。

去年までのお前なら、只要らぬとだけしか答えなかっただろうに…」



長老頭は、

「勿論、蓮様を焦らせるつもりなどございません。

ですが、我が息子もそうですが一族を継ぐ立場として意識して頂きたいと思いまして、皆もつい口を挟んでしまうのですよ。」

と、韻の顔に目をやる。


「その想いは、僕も韻も重々判っているとも。

安心しておくれ。」


蓮の目配せに頷きながら

「勿論です。」と、韻は落ち着いた表情で答えた


「さあ、折角の機会だ。

久々に顔見る者達に、挨拶をして来るとしよう」


盃を置き、立ち上がり掛けた蓮に皆は驚き、声を上げた。


「これは御珍しい!

自ら上座に侍れない者はさぞ、喜ぶでしょうな」


「年寄りが控えていると皆も緊張するだろう。

韻と二人で行くと良い」


鎮耶の言葉に、朱璃は思わず吹き出して笑った。


「そうね、ぞろぞろ引き連れて挨拶するより良いわね。

堅苦しい宴じゃないんだもの。」


「一通り回ったら、一度戻って来い。

その後は、韻とゆっくり飲むなり好きにすれば良いだろうよ。

但し、一夜位は、この春の宮で過ごして帰って欲しいがな?」


蓮は、父の言葉に笑いを零し、「あちらには、明日の夜に戻るつもりですよ。

父上こそ、飲み過ぎて、床から顔を出されぬのでは?」

と言い、隣りの母、朱璃に向かい笑い掛けた。


「大丈夫よ。

必ず、私が起こして差し上げるわ。」


朱璃の瞳は、悪戯を思い付いた少女の様にきらりと輝いた。


「そう成らぬ様、気を付けるさ心配するな。」


妻の朱璃の言葉に苦笑いを浮かべ、蓮を促す様に軽く手を振る鎮耶。


蓮の「では、行くか。」と言う言葉に、韻は一礼をし、腰を上げた。


振り返れば、様子を眺めていた者達が、声を掛けられ話を交わすのを楽しみに待っている。


それぞれの一族の主な者が集まった広い座敷を見て、韻の口から溜め息が零れ落ちた。


「ゆっくり出来るまでには、かなり掛かりそうだな。」


蓮がちらりと隣りを見れば、韻の口先が僅かに尖っていた。


「まぁ、韻に彼女の事を聞いて貰う為にも、頑張って早く切り上げるよ。

面倒だろうが、一人より二人の方が場を過ごせる筈だ。 韻、頼む。」


「了解。」


小さな声で会話を交わすと、二人は彼等を待つ人々の間に足を踏み出した


◆◆◆◆


宴の部屋から、少し離れた場所に用意された蓮の部屋。


大きな窓の外には、花園が広がり、ぽっかりと丸い月が空に煌めいて、風流な景色を作り出している。


「流石に人疲れしたな…

俺でさえ、くたばってるんだ。蓮は、もっと疲れただろ?」


韻ははぁっと長い息を吐き、蓮に問い掛ける。


「まあな…でも、いつもよりは大丈夫だ。

なんせ、早くお前と話がしたくて、挨拶を終わらすのに必死だったせいだろうな。」


床に寝転び、長い手足を伸ばしていた蓮は、片肘を付き、韻に向かい顔を上げた。


韻はごろりと寝返りを打ち、俯せたまま、組んだ腕に顎を乗せ蓮の顔を見上げた。


「なぁ…話聞かせてくれるんだろ?

愛しの昔馴染殿の。」


「あぁ…」


疲れた蓮の表情が弛み、穏やかな顔に変わってゆく。


「僕でさえ、不思議に思う話なんだ。

水底の宮や、人界への道が繋がる宮なら未だしも、この春の宮は宙空に有って、同族の龍でさえ用も無く入り込む事は許されない。

それなのに、彼女の魂が迷い込んだ…」


「強い力を持つ者が、魂を導き引き寄せぬ限りは無理な話。

…本当にお前じゃあないんだな蓮…」


真摯な眼差しで、韻が問い掛けた。


僅かな沈黙。


柔らかな風に揺れる草花のざわめきが、二人を包んだ。


「…一瞬、自分でも戸惑ったよ

知らず知らずの内に、彼女を呼び寄せる程の念を込めたのかとな。」



さらりと白銀の髪を掻き揚げ、蓮は月を見上げる


「だが、冷静に考えればその位で、この結界に入り込む事は出来ない筈…

しかも、話を聞くと、此処へ辿り着く前に、違う空間に引き込まれたらしいんだ。」


少し驚いたかの様に、韻の瞳が軽く瞬いた。


「その昔馴染殿は…

あぁっ、呼び辛い!

先に名前位教えろ!蓮!」


「摩南…

摩南と言う名だ。」


蓮はゆっくりと瞼を瞑り彼女の姿を思い出し、名を口に出して答えた。


「取りあえず、今は摩南と呼ばせて貰うぞ。

彼女は、元々、異界に同調しやすい体質なのか?それならば、まだ話も繋がるだろう?」


「摩南の血筋には居たらしいが彼女は違う筈。

だがな…今回の話を聞くと、どうやら龍との関わりが有るかもしれないんだ。


摩南が迷い込んだ空間に…龍の次元を知る、女の姿が有ったらしい…」


「異界に近寄り過ぎて、魂が迷った人間じゃないのか?

身体が朽ちても、彷徨っている輩…」


蓮の顔をじっと見つめ、言葉を待つ韻。


「そんな輩が、懐かしい龍の次元へ戻りたいなどと言うだろうか?

その女、愛しい魂の片割れと離れた事を、暗闇で嘆いていたらしい…


その上…微かにだが、龍の気が摩南の周りに残っていたんだ」

蓮は月からゆっくりと目線を下ろし、韻の顔をじっと見つめた


戸惑いを紛らわすかの如く、再び月光に煌めく銀色の髪を、片手で掻き揚げる。


「まさか…そう決め付けるには早いんじゃないのか?

それに、魂が人界に紛れたと言えど、龍魂が迷いの闇に止どまるなんか有り得ない…


お前の魂の片割れと言われる、神気を帯びた龍魂なんだぞ!」


瞬きを忘れ、射る様な視線で蓮を見つめながら、韻は起き上がり、胡座を掻き座った。


華奢な硝子の瓶に手を伸ばし、自らの盃に酒を注ぎ、一気に飲み干す。


そんな韻の様子を眺めながら、静かに蓮は言葉を続けた。


「番いの片割れの魂、

燎駕(リョウガ)様の魂は、僕の中で眠っている…

転生したと言えど、人格と身体は僕自身の物。

燎駕様が目覚め、僕が対話を望まなければ、気を感じる事など無い筈なんだ。


…だが…その女は、懐かしい気を感じると言ったらしい。」


「…神気の弱い龍の魂が迷ってるんだろうよ… 」


「いや…気になる理由がはっきりしてるんだ。

摩南に、微かに残っていた龍の気…

あれは、我が一族の発するもの

しかも、単一の精を操る者の気じゃない。」


蓮も身体を起こすと、韻と対面する様に座り直した。。


「なぁ、蓮。

今、俺達が何を語ろうと憶測にすらならない。

お前が彼女と一緒に居る事で触発されて、何かが起こるなら、積極的に様子を見た方が良いだろう


…俺も協力するし、長も口出ししないと思うぞ」


「そうだな…

それに、父上も母上も、自分の思う様にしろと言っていた…

余程の事が無い限り、見守って下さる筈だ。」


蓮と韻は、互いに視線を交わし頷いた。


「ならば、韻に頼みたい事が有るんだ。

摩南の祖母の家系…あの社に連なる血筋に纏わる話を調べてくれないか?

微細な話…いや、噂話でも構わない。」


「俺なら、お前の宮の水脈を使っても、周りに不思議がられないからな」


普段は海の水底の宮に住む両親よりも、韻の方が、気軽に蓮の宮を訪れる機会が多かった。


河の上流、涼やかな水を迸らせ山肌に滝が流れ落ちる次代の長の住い。


韻が友としてふらりと立ち寄り蓮の帰宅を待つ事も、館の者には自然になっていたのだ。


「お前が下手に動いたり、ぼんやりしてると探りが入りそうだしな。」


にやりと口元に笑みを浮かべる韻。


「ま、誰と言うなら、俺の親父殿を筆頭にした長老方だが…」

「あぁ。

僕の宮の側仕えの者は、それ程口五月蠅くは無いが…今は、余り詳しく動きを知られない方が良い。


一夜を過ごした相手が関わるとなったら…気にせずには居られないだろうから…」



「二人の密会の邪魔をされたくは無いだろうからなぁ。

しかし…互いに気持ちを確かめ合って喜ばしい限りなのに、厄介な事で落ち着かないな、蓮。」



少しだけ苦笑いを浮かべ蓮は言った。


「確かに…

でも、この不思議な導きが無ければ、もっと戸惑ったかもしれない。

しかも、戸惑う間に流れが変わり、摩南と過ごせなくなっていたなら…


そう考えたら、これは二人の大事な接点だから」



「くくっ、愛の試練って奴だな?

あぁ~、茶化してる訳じゃあ無い!怒るなよ~」


冷ややかな眼差しの蓮に向かい慌てて韻は酒を注ごうと瓶を持ち上げた。


「ほら!もっと呑めよ!

あのな、俺は嬉しいんだ

お前が、あんな柔らかな表情で笑い掛けるのなんか、初めてみたんだぞ?

勿論、お前は、今まで付き合った女達には優しかったさ。


でも…本当に無防備な顔は見せて無かっただろ?」蓮は杯を差し出し、韻から酒を注がれると、一気に飲み干す。


「確かに…摩南と居る時の様に無邪気に笑う事は無かったな…

だが、心を許していたからこそ共に居たんだ。

嘘じゃない…」


蓮は、過去の恋人を思い出しながら、はっきりと言った。


長の宴で幾度も顔を合わせ、自然と対話が増え、互いに時間を共有出来た一族の女性。


宮で側仕えをする中、細かな優しい心映えに和み、日常を共に過ごした女性。


どの女性にも、安らぎを感じ、好感と優しさを抱き側に居たのだ。


只、摩南への想いの様な激しさは無かった。


「そう、嘘じゃないさ…

でも、今となれば彼女に変わる者はいない。


お前は、龍の一族の中でも、裏表無く接してくれる相手を選んでたんだ。

そのお前が、一番素顔を見せれる相手に巡り逢って、彼女が欲しいと全身全霊で感じた…」



「そうだ…

摩南の変わりはいない。

韻の言う通りだよ。」



…僕本人よりも、韻の方が僕の気持ちが良く見えてるんだろう

本音を言えば、昔、彼女達は宵闇での一夜を過ごす事を、何故嫌がらないのか疑問に思っていた。


能力を高める為、一族の誉れの為と判っていて、逃れられないと承知していても、何処か納得出来ないのではと?


僕ならば、愛した女が他の見ず知らずの男に抱かれなければならないのは辛い。


例え、一夜の儀式に過ぎないとしても…


いや、本音ならば彼女達も、我慢してくれていたのかもしれない。


古からの習わし、そして強い血族を繁栄させる為と、心を押し殺していたかもしれない。


だが…それを、素直に言ってくれる者はいなかった。


…あぁ、そうか。

僕は聞きたかったんだ。


摩南の様に、僕に抱かれながら戸惑いや不安を訴えて欲しかった。


気持ちが溢れ過ぎて止まらないと言って欲しかったんだ。


「素直に、それを言葉に出来なかった僕にも非は有るか…」



新たに酒を注ぎ、蓮は言った。


「ん?何がだ?」


足を寛がせ、韻は不思議そうに問い掛けた。



「いや…僕が素直だったら、多少は違ってたかもなと思ったんだよ。


摩南の前だと、今までと違ってつい本音を漏らしてしまうのにな。」



「だからこそ、諦め切れなかったんだ。

大変なのは、まだまだこれからだぞ?」


「勿論判ってるさ。」




月を仰ぎ見て言う蓮。


「明日の夜、一度宮に帰ってから、摩南に会いに行くよ…

結界の中なら、時間を気にせず詳しく話を聞けるだろ



僕ならば、愛した女が他の見ず知らずの男に抱かれなければならないのは辛い。


例え、一夜の儀式に過ぎないとしても…


いや、もしかしたら彼女達も、我慢してくれていたのかもしれない。


古からの習わし、そして強い血族を繁栄させる為と、心を押し殺していたかもしれない。


だが…それを、素直に言ってくれる者はいなかった。


…あぁ、そうか。

僕は聞きたかったんだ。


摩南の様に、僕に抱かれながら、戸惑いや不安を訴えて欲しかった。


気持ちが溢れ過ぎて止まらないと言って欲しかったんだ。


「素直に、それを言葉に出来なかった僕にも非は有るか…」



新たに酒を注ぎ、蓮は言った。


「ん?何がだ?」


足を寛がせ、韻は不思議そうに問い掛けた。



「いや…僕が素直だったら、多少は違ってたかもなと思ったんだよ。


摩南の前だと、今までと違ってつい本音を漏らしてしまうのにな。」



「だからこそ、諦め切れなかったんだ。

大変なのは、まだまだこれからだぞ?」


「勿論判ってるさ。」


月を仰ぎ見て言う蓮。


「明日の夜、一度宮に帰ってから、摩南に会いに行くよ…


結界の中なら、時間を気にせず詳しく話を聞けるだろうし。」

「…あの結界なら、しばらくはばれないさ。

彼女とゆっくりしろ。」


蓮はその言葉を聞き、胸が熱く高まるのを感じていた。

そして、知らず知らずの内に顔は綻び、柔らかな笑顔を浮かび上がらせる。


「良い顔しやがって!

皆に見せてやりたいぜ。」


「自分でも不思議な位、摩南を思うと癒される…

だが、くれぐれも他言無用だぞ? 韻。」



そんな蓮の照れ笑いは、韻を心底喜ばせた。


幼い頃から、立場上年齢よりも大人びた振る舞いを身に着けていた友人の、あどけない表情。


新鮮なその姿に、韻は一層蓮の恋を、手助けしてやろうと思うのだった。


月明りに照らされた蓮の顔は、より一層輝きを増す。


黙っていれば近寄りがたい程の端麗な造りだが、無防備とも言える柔らかなその表情は、蓮を見慣れた韻でさえも、心魅かれるものだ。


しばし、蓮のその顔に見惚れながら、韻は考えていた。



…蓮は、今のままでも鎮耶様に劣らない長の素質を持ってる。


だが、人によっては、卒が無い蓮を捕らえどころの無い者と感じている筈だ。


…今の蓮を垣間見る奴がいればそんな考えなんて吹き飛ぶな。

韻は友人の顔を眺め、そんな事を考えていた。



◆◆◆◆◆◆



『……、…何故?

宵闇の儀式は一夜だけ…

ねぇ……人界へ忍びに行くのは何の為なの……

教えて………、……!!』



押さえ切れぬ感情が、女の声色に映る。


掠れて全ては聞き取れぬ言葉。


誰に向かい、話しているのだろう?



摩南は夢の中、誰かの記憶を辿っていた。


断片ばかりで、流れも判らぬ様々な光景と女の言葉。


輪郭はぼやけ、途切れ途切れの会話は、何を意味するか教えてくれはしない。



そんな中、突然はっきりと浮かび上がったのは男性の顔だった


生き生きとした表情で話し掛け手を差し延べる姿。


一生懸命に、誰かを宥めているのだろう、覗き込みながら、時折困った様に首を傾げている。


切なげな声が響き渡った光景の後で、摩南の心はほっと癒される。



『……あの方も…一族から離れ…この様に休まる場所が欲しかったのだろうか?


私では…癒しになれなかった?

此処は…私の素顔を出せる場所でも……私が欲しているのは…貴方なの、……!!』



再び彼女の啜り泣きは、辺りに響き渡る。


あの男の顔が現れ、瞼を閉じながらゆっくりと霞んでゆく。

少し心配そうな微笑みを残し、目尻に一筋の涙が零れ落ちた。


誰なの?…この男の人は?


『……、ごめんなさい…

そして…ありがとう…』



長い髪に隠れた女の横顔。


遠くを見つめながら唇に浮かぶ優しげな微笑み。



……貴女は誰か教えて?


摩南は、心の中で再び問い掛ける。


次元に引き込まれた前回とは違い、これは正に夢の中。


無駄かもしれないと思いつつ、初めて微笑んだ彼女に問い掛けてみたかったのだ。


『人の命は短い……

だからこそ…この様に心に残るのだろうか…?』


啜り泣きの姿とは違い、その横顔は儚さを残しながらも、威厳漂うものだった。



『生涯の伴侶はあの方だけ…

なのに…この慈しみの思いは何故消えないのか…』


朧気に霞み逝く女の姿。


摩南は、夢の終わりを感じ取る


暗転する視界。

掠れ逝く女の声。




意識が吸い込まれる中、遠くで愛しい人の声が微かに聞こえた

…摩…南…

甘い声が、摩南の心を喜びで満たしてくれる。


そして、はっと気付けば、元の状態で部屋に居た。


摩南は、横たわったまま、蓮の帯に顔を埋め考えた。


「この前と違って、次元に引き寄せられなかったのは、蓮と蛍太のお陰なのかもね。


でも…前よりも色んな光景が、頭に流れ込む様に入って来た…なんでだろう?」



奇妙とも言える夢見だが、不思議と寝覚めは良い。


むしろ、普段よりもすっきりとしている目覚めだった。



「悪い夢じゃないって事なのかな?」


ころりと寝返りを打ち、彼女は呟く。


彼女は指環を翳し、微笑み唇を寄せた。


「どうかな?蓮。」


指環からは、微かに伝わる温もり。

彼の想いを伝える温かさに、摩南の心は喜びで満たされていた。



◆◆◆



「今日の夢を聞いた限りだと、大丈夫そうだね。」



摩南と蛍太は、仕事の帰り際にカフェで和んでいた。


「そうだね。

確かにこの前の女の人なんだけど、ドラマや映画の予告みたいに、色んな光景が次々に写し出されてゆくんだよ。


でも、嫌な感じは全然無いし。やっぱり、何か私と関係有る人なのかな?」



蛍太は灰皿に煙草の灰を落としながら、顔を横に向け、ふうっと煙を吐き出した。




「今は断言出来ないね。

これからも夢に見るなら、内容を覚えておいた方が良いんしゃない?」


摩南は、その言葉でふと思い出した。


「人の命は短いって言ってたけど…

もしかして、私に関わる人じゃなくて彼の……」



「ちょっと待って。

摩南、何でも結び付け過ぎても駄目。

特にこの手の内容はね。

仮にそうだとしても、それに囚われ過ぎるのは良くない事だよ?」


蛍太は真剣な眼差しで、摩南を見ていた。


夢の憶測と仮説に囚われ、現実を忘れる者も中には居る。

彼は、自己が造り上げた世界に迷い込むのを、警戒させていたのだ。


夢の光景が何かを訴えていたとしても、受け止める側の解釈次第で、様々な話を造り上げる事が出来る。


蛍太は、自らが創造した夢に溺れ、抜け出せない者を間近に見て来た。


そして、その傍らでほくそ笑む違う世界の輩。


その輩は、自ら人界を離れたい魂に誘いを掛け、闇を彷徨わせるのだ。



無論、そんな輩ばかりでは無い

高貴な霊気、神気を持ち、異世界と繋がりを持つ様に切っ掛けを与える者もいる。


摩南に起こった話の様に。


だが、いつでも姑息に足元を掬おうと狙っているのだ。


光があれば陰が有る。


高貴で澄んだ気に溢れる者を羨み、そこには逝けぬ悲哀が嫉妬を生む。


摩南への助言に冷静さが加味されるのは、蛍太の優しさなのだ


「了解!

蛍太の水晶と、この指環に守られてるんだから、感謝しなきゃね。


多分、私一人だったら、その内夢の話に釘付けになって、混乱する様になってかもしれないし…」



「ま、僕にしてみれば、水晶に感謝って素直に言える摩南だから心配なんだけど。

あ、勿論信頼は嬉しからね」


にこやかに笑う蛍太に釣られて摩南も顔を綻ばした。

「判ってるって。

だけど、少しでも嫌な感じがする物は、身に着け無いのも知ってるでしょ?


直感を信じなさいって蛍太の言葉信じてるもん。」


互いに信頼の眼差しを交わす摩南と蛍太。



…そう、私一人だったら、蓮への気持ちも、不安定に揺れてばかりになってた筈。


蓮と数日過ごした時間は、夢じゃないと信じれるよ。


でもね、やっぱり誰にも話せずにいたら、いつか限界が来るもの。


蛍太みたいに判ってくれる人が身近に居たからこそ、蓮との一夜に素直になれた。


…そんな気がするんだよ。





「ねぇ、蛍太。

その内、田舎に一緒に行ってくれない?

あの社に行ってみたいの。

何も判らなくても良い。

只、あの場所に久しぶりに行ってみたくて。」



彼はお気に入りのカップに口を付け、珈琲を飲み干した。

「良いよ。

あの辺は興味深い場所だったし行きたい神社仏閣も有るんだよね~。


まぁ、夜遊び場所が無い分、摩南が美味しい物をご馳走してくれるでしょ?」


ね、と首を傾げる蛍太に、彼女は溜め息を漏らした。



「蛍太は食いしん坊だからなぁその上、舌が肥えてるし。 …私のお財布事情を、頭に入れておいて。

ねぇ、社長?」



彼はくすくすと笑いながら、

「それなりに、財布に入ってるでしょ?

財布に見合った分しか、ご馳走にならないから安心して。

どうしても食べておかなきゃ後悔しそうな物なら、自分で出すから楽しみにしてなさい?」


と摩南に言った。


「心強いお言葉ありがと。」

「どういたしまして。」



仕事後の、いつもの和やかな一時。


懐かしさと温かさを感じさせるアンティークの家具と、気の許せる友。


そして、愛しい者を語る時間となった。


摩南は、そんな幸せを噛み締めながら、目の前の友と、窓からの風の心地良さに癒されるのを感じていた。

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