春の宴
様々な煌びやかな装束を身に纏い、龍達が集う春の宴。
上座には、一族の長、鎮耶と朱璃が並び、その脇には蓮の姿が見える。
臣下達の堅苦しい挨拶も終り、長の計らいで無礼講となった宴では、楽しげに杯を交わしながら、皆思い思いに席を移していた。
「蓮。もしも、宴に疲れたら、ちゃんと私に教えてね。
皆も、貴方の姿が見れて安心したでしょうから、長居をせずとも良いのですよ。」
朱璃は少し声を落とし、息子に気遣いの言葉を告げた。
「大丈夫ですよ母上。
別に初めての宴でもない。
皆に構われ過ぎる前に、韻がどうにかしてくれる筈です。」
蓮はにこやかに微笑み、母に答える。
「少しは…気持ちが落ち着いたかしら?」
「ええ…。
まさか、昔を知る者と結界に籠ると思ってなかったから…
少し…動揺してたかな。」
ふぅと朱璃は、溜め息を漏らした。
足付きの杯を片手に、こくりと一口甘い酒で喉を潤す。
「蓮…この話は、私達の口からは、誰にも漏らさないつもり。
自分自身の思うがままにやれば良いわ…」
優しい口調だが、その眼には厳しさも浮かんでいた。
蓮には、母の無言の想いが良く分かる。
どれを選んでも、迷いと哀しみを伴うのだからこそ、心を強く持てと言うのだろう。
今、こんなにも溢れ出す想いを諦めるのも、確かに辛い。
だが、人と共に過ごすならば相手は自分よりも、早く年老い死んでゆく。
「しばらく時間が欲しいな…
無茶をするつもりは無いからご安心を。」
蓮は、声を潜め母に呟いた。
「そうね…
ゆっくり考えなさい。」
蓮は、二人を見つめる父の鎮耶の視線にも気付いた。
母の隣りで酒を傾け、臣下達の話に耳を傾けながらも、蓮の事が気になっていたようだった。
蓮は、心配無いとでも言う様に、鎮耶に小さく笑みを見せる。
そんな、小さなやり取りに気付かぬ者達は、微酔いに任せ幾人かづつ、酒を注ぎに上座の側へと寄って来始める。
そんな顔触れの中、韻は長老頭の父の脇で苦笑いを浮かべ、鎮耶の前に腰を下ろし挨拶をしていた。
その後ろに控える、風龍の一族の中には、年若い女の姿も幾人か見える。
…韻が苦笑する訳だ。
蓮は、思わずふぅと溜め息を漏らしていた。
…摩南が側にいれば、この宴ももっと楽しいだろうに。
隣りに並ぶ父と母の様に、周りの者に気遣いながら、時折そっと互いを思いやり、微笑み合えたら…
取り囲むざわめきの中、切なさに胸を痛める蓮。
…もし
…僕が今、念を送れば、摩南も返してくれるだろうか?
顔を会わせなくても、僕の想いに答えてくれるだけでも良い。
一月後と、約束を交わしておきながら、もう自分が耐えられないなんてな。
「…蓮様…
どうなさいました?」
名前を呼ばれ、ハッとすると、長老頭が蓮の顔を覗き込んでいた。
「あぁ、すまない。
少し酒が回ったかな。」
さり気なく、取り繕う言葉を言う蓮。
すかさず韻が、
「少し外に出られた方が良いのでは?」と、助け船を出す。
長老頭は、横目でちらりと韻を睨み、少し慌てて言葉を続けた。
「では、我が一族の者の挨拶だけでもお聞き下さい。
皆様の御側仕えとなる者もおりますので。」
鎮耶は落ち着いた声で、長老頭の焦りを宥める言葉を掛けた。
「館に上がったからでも良いだろう?
全く見知らぬ顔の者ではないのだからな。」
「そうね…その方が、互いに打ち解けて、話もしやすいと思うわ。
改めて場を設けるから、楽しみにしててちょうだい。」
朱璃は皆に向け、艶かな笑みを浮かべる。
長夫婦の意見は、長老頭を充分に満足させるものだった。
普通ならば、側仕えの者に場を設けて御対面など無い。
せいぜい、主の暇な時間に挨拶を述べる程度だ。
彼は、長夫婦の気遣いにゆっくりと頭を下げる。
慌ただしいこの場でよりも、一族の者の姿、人柄をも蓮に判って貰える絶好の機会なのだ。
次代の長の心に止まるには、自然に打ち解けた方が良い…
器量も心根も、申し分ない娘達なのだからと、長老頭は言葉に出さず思っていた。
「有り難いお言葉です。それでは、私共の挨拶は是にて…」
その言葉と同時に、丁重に頭を下げる風龍の一族。
面を上げた韻に向かい、蓮は声を掛けた。
「韻。花園で酒を覚ますのに、付き合ってくれないか?
父上、母上、少し席を外しても良いですか?」
ちゃんと戻って来ますよ、と言いながら、蓮は腰を上げる。
「見事な花園を散策させて頂けば、すぐに酔いも覚めるでしょう。」
韻は蓮の傍らに寄り、長夫婦に微笑んだ。
◆◆◆◆
夕暮れ時の、柔らかな陽射しに包まれた、春の花満開の花園。
遠目に見える館の周りは薄く闇に包まれ、宴の明かりが煌めいている。
「はぁっ、俺が余興をする事もなく、場が凌げて良かったな。
お二方に感謝せねば。」
大きく息を吐き、手足を伸ばす韻。
「気を使わせたな…」
「まぁ、返って良い話になって、父も、うちの一族も喜んでいるがな。」
「韻がそう言ってくれると安心だ。」
舞い散る花吹雪。
摩南も、あの公園の桜を眺めているだろうか?�
柔らかな桜色が舞う、二人の再会の場所。
「蓮…俺は、しばらく花でも眺めておく。
一人で酔いを覚ましてこい。」
韻は、軽く蓮の肩を叩いた。
韻には、隠し事は出来ないか。
「僕は、そんなに上の空に見えてたのか?」
蓮は、くすりと笑い韻に尋ねる。
韻は、蓮の肩を押し、
「気付いたのは、俺と鎮耶様と朱璃様ぐらいだろうがな。
ほら、余り時間も無いんだ。」と言い、蓮を促した。
「判った。
韻の優しさに甘えよう。
宴に帰る時には、念を送ってくれ。」
蓮は、花びら舞い散る花園の中に、ゆっくりと足を進めていった。
韻は後ろ姿を眺めながら、
「お前が、あんな顔を見せるとはね…
初めて、魂の半身の話をした時と同じ位、切なげだったぞ…」と、ぽつりと呟いた。
俺も幼い頃から、言い伝えは知っていた。
だが、蓮本人がその話を初めて語ってくれた時の表情は、本当に悲哀に満ちていた。
まだ、成人したばかりの俺達の歳には似合わない、切なげな笑み。
俺は、気に入った娘に想いが届かないと嘆いても、蓮程の想いをまだ知らなかった。
あれから、蓮も幾人かの娘と共にいたが、あいつにあんな顔をさせたのは、今回が初めてだろう。
「無邪気で素直な、お前を見てみたいもんだ。」
韻は、遠のく蓮の後ろ姿に呟いていた。