指輪の約束、心の確認
指輪に添えた自分の手に唇を重ねると、碧色の燐光が現れ二人を包む。
摩南の身体が光を受け、一瞬かあっと熱を帯びた。
それは、すぐに燐光と共に鎮まり、碧色に煌めくのは指輪の石だけとなった。
次第に、碧の光は石に吸い込まれ、中心に星の形を止どめ煌めき出した。
蓮は、ゆっくりと唇を離し、摩南に告げる。
「僕に逢いたいと思う時に、この石に摩南の念を込めてくれれば良い。
唇を重ねて、逢いたいと強く願えば必ず僕が感じ取れるから」
「この指輪に願えば良いのね。」
摩南は、微かに光る石と、蓮の指先に唇を重ねた
「あぁ。
摩南、自ら人の世に渡る事が少なくなった僕だけど、人目を避け、次元を超えられる日が丁度一月後に有る。
その日の朝、僕は、この指輪に力を送り摩南の返事を待つ…」
摩南が面を上げると、蓮の表情は曇り、昔の別れ際に浮かんでいた寂しげな笑みに変わっていた。
「もしも、僕に逢わない方が良いと想うなら…指輪の熱と、光が消えるまで外しておいてくれればいい…」
「蓮が…私に逢いたくないと思った時にも教えて欲しい。」
すぐに返された摩南の言葉に、蓮は一瞬戸惑った
「なぜ?
僕が、摩南に逢いたくないなんて考える訳が無いだろう?!」
儚げな微笑みを返し、摩南は言った。
「逢いたくないじゃなくても、私と逢うのが辛いと感じるかもしれないから。
蓮の事だから、そう思ってても私が望めば、必ず来るつもりだと思うの。」
彼の手を包み、ぎゅっと握り締める。
「でもね、蓮の気持ちも大切にしたいから…
あ、あのね、自惚れてるとかじゃないよ。
…只…勝手に、そう思っただけで。」
摩南の気遣いは、心の片隅で危惧した蓮の不安を、物の見事に言い当てていた。
彼女への想いが溢れ過ぎて、逢うのが辛いと考えてしまいそうだった蓮の気持ちを。
いずれは、父の後を継ぎ一族の長に。
そして、蓮の能力ならば、あの土地を含む地方を統べる長になれると期待する者も多い。
もう一つは、転生したと語られる魂の事だった。
龍の一族の誉れと呼ばれた番いの魂。
再び巡り逢い、互いに魅かれ合うなら潔く摩南に別れを告げるかもしれない。
だが、摩南に心を奪われたままならば?
皆が知ればどうなる?
必ずや引き離され、摩南にも危害を加えるとも限らない。
そんな想いを抱えていた自分。
蓮は、彼女の言葉を聞き、予測にしか過ぎない考えに、何処か怯えていた自分を恥じた。
…今、素直な気持ちを伝えなければ、余計に摩南に心配されてしまうな。
蓮は、摩南の手を解き、腕を引き寄せその問いに答えた。
「摩南…判ったよ。
もし…もしも、僕が摩南に逢うのが辛いと思ったなら…
この石に封印した僕の念を解き放ち、光を消し去る。
それで良いかい?」
蓮の瞳を見つめ、小さく頷く摩南。
「うん…」
…彼女の心は、僕よりも遥かに優しくて…強いのだろう。
「蓮と別れて…いつもの自分の生活に戻ってからの方が、寂しさが込み上げて来るのかもしれないね…」
「僕も…同じだよ。
一夜だけとは言え、摩南の事を離したいとは思えない。」
蓮は、褥の傍らの真白な着物に手を伸ばし、ふわりと摩南の肩に羽織らせる。
袷を閉じる指先は、宝物を扱う如く限り無く優しい。
「さぁ、そろそろ身支度を整えて…身を清める時間も削ってしまって御免よ。」
摩南は、ふふっと笑い、
「お互い様でしょ?」と、顔を綻ばせた。
「部屋まで送ってくれるの?
それなら…蓮の着物を着たまま帰りたい。駄目…かな?」
良いよと返事をすると、蓮は立上がり、「少し待ってて。」と部屋の隅へと足を運ぶ。
蒔絵を施した、小振りの箪笥を開き、中から取り出したのは、贅を凝らした絞りに、龍の模様が浮かぶ柔らかな絹の兵児帯。
「これを…」
着物に手を通した摩南に、鉄紺の帯を手渡す蓮。
「うわぁ…綺麗…これを使っても良いの?」
「あぁ、摩南が持っていてくれれば、僕だって嬉しい。」
摩南は、引き締まった蓮の裸体に、、少し恥じらいを感じ、目を伏せながら身支度を整え始めた。
そして、彼も着替えにと用意されていた、真新しい着物を広げ袖を通す。
蓮は、彼女が巻くには長めの自分の帯を身に纏う摩南を、幸せな思いで眺める。
彼女の肩先に掛かる濡羽色の髪と、鉄紺の帯が真白な着物に映えて美しい。
彼は帯を締め終えると、褥に座る摩南を、背後から抱き締め黒髪に顔を埋めた。
「身体は大丈夫かい?
夢中になって、摩南に無理をさせてしまっただろう?…」
蓮の言葉に、彼女の頬が紅く染まった。
幾度も焦らされ、互いに求め合い、蓮から与えられた快感に酔い痴れた身体には、まだ余韻が残っている。
蓮の温もりと言葉に、一瞬どくりと鼓動が上がった。
「大丈夫…私が、蓮に抱かれたかったの。
無理は…してないよ。」
…思い出すとぞくぞくする。あんなに、蓮の表情が変わるなんて。
優しくて切なげな微笑みとは違う、蓮の男の顔。
闇に揺れ、ゆらゆらと色を変える彼の瞳。
その眼差しに支配される感覚にどんどん溺れてた…
摩南は、悦びに乱れ喘いだ自らの姿を思い出し、今更ながら恥ずかしさに身体を熱くする。
蓮は、髪を掻き分け、白い首筋に唇を落とし、新たな華を散らす。
はぁっと甘い吐息を漏らし、摩南の頬が更に朱く染まる。
「摩南の、夢中になる声が…もっと聞きたいのに。
可愛いく啼いて…
僕を欲しがる声…」
彼女はゆっくりと振り向き、蓮に柔らかな唇を重ねる。
じっくりと、互いに唇を味わう二人。
しばらく接吻に夢中になっていた蓮の意識に、空間の僅かな揺らぎが時間の終りを告げた。
弾む吐息を漏らしながら、蓮は唇を離す。
二人を繋ぐ銀色の糸が、唇から離れ、ぷつりと切れた。
「もう時間…?」
炎に目をやれば、それはすっかり蒼く染まっている
言葉無く、炎を見つめる二人の瞳。
その揺らめきを移す様に、柱の周りを取り囲む暗闇がぐらりと歪んだ。
「次元の歪みに巻き込まれれば、摩南の身体が辛いからね。
さぁ…」
蓮は、彼女の手を取り、自らも立ち上がる。
傍らに纏めて置いたバッグと、服を胸元に抱え、摩南は蓮の身体に身を寄せた。
「ほんの一瞬、意識が途切れるからね。
良いかい?」
「うん…」
小さく頷き、自分を見上げる彼女の目元を蓮は掌で包む。
ぽわりと碧色の燐光が薄闇に光った。
がくりと摩南の四肢が緩み、蓮は両腕で彼女の身体を抱き上げた。
歪む暗闇へと足を進めた後、彼は振り向き部屋を見渡した。
寝乱れた褥。
微かに漂う摩南の残り香
「このまま…
封印しておこうか…」
誰も立ち入らぬ様、二度とこの部屋で、誰かを抱く事など無い様に…
また、新たなに結界を設ければ良いだけの事
念を込める蓮の身体からも、揺らめく碧の光が立上ぼる。
光は部屋全体を包み、この部屋は、摩南との想い出の時間と共に封印される。
腕の中、自分の衣服を纏い、束の間の眠りに落ちる彼女。
蓮は、儚げな笑みを口元に浮かべると、想いを吹っ切る様に暗闇に身体を沈ませた。
蓮の放つ碧の炎は、瞬時に暗闇に融け、残されたのは静寂。
それと、乱れた褥の枕元に揺れる、蒼い炎の妖しい煌めきだけ。
龍と人との交わりの夜は静かに終る。
だが、蓮が気付かぬ事が一つだけ有った。
蒼く色を変えた炎は、摩南が去った後も消えぬまま闇に浮かぶ。
この結界に、人の気が無くなればすぐに立ち消える筈の炎。
それは、未だ揺らめき、色を止どめていた………
.
夜風が優しく摩南の頬を撫でる。
ふと目を覚ませば、そこは既にあの公園の木立ちの中。
柔らかな碧色の光に包まれ、蓮が腕に抱き上げた摩南の顔を眺めている。
「摩南…
ほら、もう月が沈む…」
ゆったりと空の端を染め始める朝焼けの色。
白く霞み、輝きを消す月が彼方に見える。
…また、いつもの私の日常に戻る。
でも、そこに蓮はいない。
ぎゅっと着物の袷を握り締めたのは、夢ではないのを確認する為。
蓮の纏った衣装と、指輪の煌めきだけが、摩南に残される宵闇での証し。
「ねぇ…このまま部屋の玄関まで送って?」
「勿論…摩南が大丈夫なら。」
彼を見つめて頷けば、一瞬にして目の前の風景が見慣れた物に変わる。
明りが着かぬ玄関。
薄闇の中、蓮は抱き上げていた彼女を床にそっと下ろした。
「ありがと、蓮。」
抱えた荷物を靴箱の上に置き、摩南は彼の胸へと再び顔を埋める。
「明るくしちゃうと淋しくなりそうだから…このままでお別れしても良い?」
「そうだね…」
言葉を終えると、二人はごく自然に唇を求めていた。
薄闇で浮かぶ互いの輪郭を辿り合い、吐息の熱さを確かめようと幾度も唇を啄む二人。
奥の部屋のカーテンは、少しづつ朝の光を受け、明るく染まり始めた。
「じゃあ、一月後…」
「うん…どんな答えを選ぶかは蓮の自由だからね。」
「あぁ、判ってるよ。
摩南…おやすみ。
良い夜をありがとう…」
朧に薄闇に浮かぶ、蓮と摩南の微笑み。
「おやすみ、蓮…」
碧の光は輝きを増し、摩南の身体をぎゅっと抱き締めると、蓮は幻の如く消え去った。
彼女は、指輪に残る碧色の煌めきにそっと唇を落とし呟く。
「蓮…」
…このまま、蓮の着物と蓮の匂いに包まれて寝ようか。
そんな事を思いながら寝室へ行き、窓のカーテンから顔を覗かせ、公園を眺める。
ぼやけて朧気な月が、空の端に微かに姿を止どめていた。
不思議な一夜…
だが夢とは呼べぬ、確かな温もりが、摩南の身体のそこかしこに残されている
「少し…眠ろうかな…」
窓から離れ、布団へ潜り込む。
いつもとは違う肌触り。
胸元に目をやれば、蓮が散らした紅い華が、幾つも散りばめられていた。
ふっと顔を綻ばせ、摩南はそっと瞼を瞑った。
まどろみの中、蓮との一夜を思い返しながら……
第一章終了です。
この後は、他キャラも出てきます~。
番外編キャラの蓮の両親も登場しますよ。