第2話 「おで、兀突骨。孟獲に会いに行く」
1.おで、しゅっぱつ
烏戈国の翌朝は、大地を揺らす三万の足音と共に明けた。中原の諸将が見れば、その奇怪な姿は、戦慄と恐怖に支配される。全身を油の染み込んだ黒光りする藤の鎧で包み、刃をも通さぬ強靭な肉体を持つ大男たちが三万人。彼らが一斉に動くだけで、地響きは盤蛇谷を越えて南蛮全土に届くほどの質量を持っていたのである。
しかし、その実態は、ただのピクニックである。
兵士たちの手にあるのは、鋭い矛ではなく、色とりどりの風呂敷に包まれた特大の弁当箱である。彼らは「戦場への行軍」に向かう兵士の顔ではなく、「隣町の祭り」に向かう子供のような期待に満ちた瞳を輝かせていた。
出陣の門前では、これから出発する藤甲兵たちと、それを見送る民たちの間で、絶望的に緊張感のない会話が繰り広げられていた。
「おや、木鹿じゃないか。そんな真っ黒な格好して、今日はどこへ遊びに行くんだい?」
「おばあちゃん。これは王様が決めた『大遠足』だよ。北の方から来る諸葛亮っていう人が、盤蛇谷で盛大にお湯を沸かして待ってるらしいんだ。だから俺たちも、お返しにダンスとお土産を届けに行くのさ」
「それは楽しそうだねぇ。お湯があるなら、この洗濯物も持っていっておくれよ。ついでに洗ってきてくれたら助かるんだけど」
「あはは、いいっすよ!鎧が頑丈だから、タライ代わりにちょうどいいしな!」
別の場所では、若い娘たちが兵士の鎧を物珍しそうに眺めていた。
「ねえ、その藤の鎧、油臭いけど水には浮くんでしょ?向こうで川遊びするなら、今度私を背中に乗せて泳いでよ」
「お安い御用だ。諸葛亮さんの火で川が温まったら、最高に気持ちいいお風呂になるからな。お土産に綺麗な石でも拾ってくるよ」
兵士たちの視線の先には、山のような巨体を揺らして歩く兀突骨の姿があった。
その背後には、執事の土安が設計した『全自動・歩行連動型・巨大豆煎り機』が連結されており、大王が一歩踏み出すたびに「カラカラ、ポーーーーン!」と香ばしい豆が弾ける音が響き渡っていた。
「……土安。お豆、いい匂い。……諸葛亮どの、喜ぶかな。……おでも、一個、食べていいか?」
「王、なりません。これは大切なお客様への献上品。行軍の振動こそが、豆を最も均一に熱する最高の方法にございます。銀坑洞に到着する頃には、諸葛亮殿の冷え切った心をも溶かす、最高の仕上がりとなるでしょう。……あぁ、そこの兵士。洗濯物を鎧に括り付けるのは構いませんが、シワにならないよう丁寧に。美観を損なうことのないように」
沿道には、さらに多くの民が集まり、もはや完全に「旅行の見送り」のノリで声をかけていた。
「お父ちゃん、ダンスで足を挫かないでねー!」
「諸葛亮さんに、この魔除けのトカゲのしっぽ渡してー!」
「しっかり食べてくるのよ、おやつは一人大百足三匹分までよー!」
平和であった。どこまでも、あまりに平和な出撃であった。そこには敵意も、殺気も、軍略という言葉の入り込む隙間も存在しなかったのである。
帯来洞主は、自身の愛馬に跨りながら、その光景を虚無の表情で見つめていた。
彼の隣を、三万の巨漢たちが「お茶会!ダンス!お土産!」と楽しげな合唱をしながら出発の準備をしている。
「(……ダメだ。もう何も言うまい。俺が何を言っても、この三万人の脳内には届かない。俺の言葉は、この国の空気を通ると全部『おもてなし』に翻訳されちまうんだ……)」
帯来洞主の理性が、ぷつりと音を立てて切れた。彼は静かに目を閉じ、天を仰いだ。これから向かう先には、血で血を洗う戦場が待っている。しかし、目の前に広がるのは、三万人の「全力のピクニック」である。
「……あぁ、いい天気だ。……もう、ピクニックでいいよ。諸葛亮、頼むから、お前もピクニックだと思ってくれ。死ぬ気でフォークダンスを踊ってくれ……。じゃないと俺が死ぬ……」
使者としての矜持を完全に捨て去った帯来洞主を乗せ、三万の藤甲兵は、南蛮の山々を揺らしながら進軍を開始したのである。
2.おで、あるく。
「おで、兀突骨。今日は、みんなでお出かけ。とっても、にぎやか」
南蛮の深奥、鳥も通わぬ密林の奥から、大地を揺るがす規則的な「震動」が響き渡っていた。
三万を超える巨漢たち藤甲兵を率い、その兵らの数十倍にもなる巨躯を揺らしながら、大王・兀突骨が北上を開始したのである。
彼が一歩を踏み出すたびに、古い地層は悲鳴を上げて数センチ沈み込み、周囲の樹木からは驚いた猿たちが「またかよ」と言わんばかりの顔でボタボタと落ちてくる。
だが、この「歩く天災」に同行する三万の兵士たちに、軍事的な悲壮感は微塵もなかった。
彼らは、王の歩調を完璧に把握していた。
「――はい、野郎ども!せーのっ!」
前線を任される将、奚泥が、樹上を猛烈な速さで飛び回りながら声を張り上げる。王の巨大な足が地面に着地する寸前、三万の兵士たちが一糸乱れぬタイミングで、その場で「ぴょん」と軽やかに跳ねる。
ズゥゥウゥゥウゥゥン!!「パッ!」
巨大な衝撃波が地表を駆け抜け、土埃が舞い上がる直前、兵士たちは空中に逃れる。
着地と同時にまた次のステップへ。
この「兀突骨式・耐震ステップ」は、烏戈国における義務教育の集大成であり、彼らにとっては朝のラジオ体操に近い、楽しい親睦行事であった。
「土安。みんな、おでの足音に合わせて、楽しそうに踊ってる。お外、楽しいんだな。おでも、とっても嬉しい」
兀突骨は、背後で三万の屈強な男たちが一斉にぴょんぴょん跳ね回っている光景を、慈愛に満ちた瞳で眺めた。
「左様でございますな、我が王。皆様、王とのピクニックを心より楽しんでおります。この跳躍運動は足腰の鍛錬にもなり、さらには王の歩みが引き起こす地殻変動を『お祭り』へと昇華させる、合理的かつ文化的な行軍法でございます。……おっと、兵士の一人が跳躍のタイミングを誤りましたな。あとで膝にシップを貼ってやりましょう」
執事の土安は、激しく揺れる大地の上で、水一杯こぼさない完璧な姿勢で歩きながら答えた。その手には、王の鱗に付いたわずかな汚れも見逃さないための、特注の巨大ブラシが握られている。
「そうか。みんなダンス好き、よかった。……でも、土安。おで、おなかすいた。踊ってると、おなか、すく」
「ご安心を。すでに最後尾の調理部隊には、特製の『移動式・自動回転焼き機』を稼働させております。行軍の震動を動力源として、大百足が一番美味しく焼ける回転数を維持しておりますよ。王に届く頃には、ちょうど良い脂の乗り具合となりましょう」
3.蜀漢軍・前線拠点
一方、烏戈国の陽気な行軍とは対照的に、蜀軍の前線拠点は、この世の終わりを予感させる絶望的な沈黙に包まれていた。
「……報告せよ。あの、地平線の彼方から迫りくる『規則的な地震』の正体は何だ。なぜ杯の水が、こうも美しく円を描いて飛び跳ねるのだ」
蜀の勇将・魏延は、本陣の机に置かれた杯を見つめ、額に冷や汗を浮かべていた。
蜀の軍律は厳格であり、勝利は緻密な計算の上に築かれるべきものだった。
だが、いま目の前で起きている事象は、兵法書を物理的に踏み潰して進んでくる「理外の暴力」であった。
「はっ……。偵察部隊の報告によりますと……」
副官が、震える手で偵察兵の記録を読み上げる。
その顔は青白く、もはや知性で事態を処理することを諦めかけていた。
「南方の地平より烏戈国の兵が約三万、北上中。その軍勢を中心として、巨大地震が継続的に発生。震源の移動速度は、成人の歩行速度と一致。……さらに信じがたいことに、彼らは衝撃のたびに空中にて滞空しているとのこと。」
「地殻移動だと?莫迦な。蛮族にそのような技術などあろうはずがない。あるいは地脈を操る妖術か」
魏延が吐き捨てるように返すが、副官の震えは止まらない。
「いえ、違います……。彼らが空を飛んでいるように見えるのは、あまりの衝撃波により、一歩ごとに全兵士が数メートルも跳ね上げられているからに他なりません!」
その時、蜀軍の陣営をも激しい震動が襲った。遠方から響く「ズゥゥゥン……」という地響き。それは確かに、何者かが「歩いている」音であった。
「な、なんだ、あの巨躯は……!?」
魏延が遠眼鏡を覗き込み、絶句する。
砂塵の向こうから現れたのは、山そのもののような巨漢――兀突骨であった。
彼が一歩踏み出すたびに、大地は悲鳴を上げて陥没し、その余波で周囲の三万の藤甲兵たちがポップコーンのように空中に跳ね飛ばされている。だが、驚くべきはそれだけではない。
「……音が聞こえます、将軍。あの化け物の背後から、『カラカラ、ポーーーーーン!』という、山を削り、岩を砕くような不気味な破砕音が……!」
偵察兵が聞いたその「不気味な音」の正体は、大王の歩行振動を利用した『全自動豆煎り機』が、最高に香ばしい豆を焼き上げている音に過ぎなかった。
「……あれは、我らへの威嚇か。一歩ごとに大地を砕き、岩(のような豆)を弾けさせ、全兵士を跳ね飛ばしながら進軍するなど、正気の沙汰ではない。……一体、どれほどの闘志と殺気を秘めれば、あのような行軍が可能になるのだ……!」
魏延は天を仰いだ。「……丞相に伝えろ。敵は人外である。我々は今、絶望と対峙しているとな。」
蜀将たちの冷汗は止まらなかった。彼らから見れば、それは破滅の化身による死の行軍。しかし、その実態は――。
「……土安、お豆、いい色になってきた。……しょかつりょう、どの、待っててくれ。……今、おいしいの、持っていく」
「ええ、王。歩調も安定しております。このままの振動を維持すれば、銀坑洞に着く頃には最高の食べ頃となりましょう」
「史上最強のピクニック」が、何も知らない蜀軍の恐怖を尻目に、着々とその歩みを進め、近づいていた。
4.ピクニックの下見
「王!下見してきたっす!北の連中、すげえ変な車(木牛流馬)に豆をいっぱい積んでたっす!」
樹上を弾丸のような速さで駆け戻ってきた奚泥が、巨大な袋を兀突骨の足元に置いた。
「おお、奚泥。えらいぞ。これ、豆か?」
「そうっすよ王!ちょいとつまみ食いしたっすけど、素朴な味わいで最高っす。あっちの連中、これを食べながら軍議をやってるなんて、なかなか風流っすね!お茶会にぴったりっすよ!」
兀突骨は指先で豆を一粒つまもうとしたが、彼の指はあまりに大きく、豆は砂粒ほどでしかない。恐る恐るつまんでみるが指先で粉々になってしまう。
しかたがなく、彼は豆を袋ごと口に流し込もうとして、土安にたしなめられる。
「王、お行儀が悪うございます。その豆は、後ほど孟獲大王への献上品として、『全自動・歩行連動型・巨大豆煎り機』で香り高く炒り上げましょう。北の知恵者が選んだ豆ですから、きっと滋養もあるはずです」
「土安、物知り。……ところで、おでの『お土産』、できたか?」
土安が最後尾に指示を送ると、巨大な牛車に引かれた、ボコボコと不気味な重低音を立てる巨大な金属製の竈が姿を現した。
「土安。孟獲、最近、元気ないって聞いた。たいらい(帯来)も、孟獲のお顔、しわしわしてたって言ってた。……おなか、すくと、しわしわになる。おで、心配」
兀突骨は、遠い親戚を心配するような優しい声で言った。
「左様でございます。孟獲大王は、北のお客様への対応で、少々心労が重なっているご様子。……そこで、この土安が提案いたしましたのが、烏戈国特産の『大百足の姿焼き・薫製仕立て』でございます」
土安が竈の蓋を少しだけ開けると、中からは周囲の草木を一瞬で麻痺させそうなほど強烈な、だが烏戈国の人々にとっては堪らない芳香が漂ってきた。
「体長十尺(約三メートル)を超える特級の大ムカデを、王の行軍による震動を利用して、均一に焼き上げました。余分な脂が落ち、殻はサクサク、身はジューシー。旨味が中心に凝縮されております。これ一匹で、蜀の兵全員とダンスパーティすら可能となる活力が湧き上がることでしょう」
「土安、完璧だ!おでの行軍、お料理にも役立ってるんだな。おで、役に立てて嬉しいぞ」
兀突骨は満足げに、さらに一歩を強く踏みしめた。ズゥゥゥン!!三万の兵士が「パッ!」と跳ねる。
竈の中では、大ムカデが絶妙に躍動し、さらに美味を増していく。
5.孟獲。大ムカデ、くうか?
ズウゥゥウゥン。ズゥゥゥウゥゥン。定期的に揺れる大地。
南蛮の最後の拠点、銀坑洞。
そこは今、一人の男の「胃の悲鳴」と、一人の女の「激しい罵声」で満たされていた。
「……あ、あかん。胃が灼ける。諸葛亮め、『山々に配置した偵察兵が鏡で通信している』だと?うちの作戦が全てバレているとは、どんな技術力だ、勘弁してくれ……。俺はただ、役所で静かにお茶を啜っていたいだけなんだ……」
岩の机に突っ伏して震えている男。その名は南蛮大王・孟獲。
南蛮を統べる大王・孟獲は、ボディビルダーのごとき隆起した筋肉を震わせ、岩の椅子で丸まっていた。
彼の正体は、かつて中央から「南蛮の地を適当に治めておけ」と派遣されてきた真面目な漢人の文官である。たまたま見た目が威圧的で強そうだったばかりに「偉大なる大王の再来だ!」と勘違いされ、引くに引けなくなって今日に至る。
突然の諸葛亮の侵攻に、孟獲はとりあえず抵抗してみるものの、連戦連敗。まるで相手にされないかのように、捕らえられる度に解放され続け、そしてまた敗走を繰り返し、最南端の烏戈国近くの銀坑洞まで後退していた。
「シャキッとしなさいよ、孟獲ッ!大王がいつまでも湿気た面してんじゃないわよ、この意気地なし!」
火を吹くような勢いで、腰の飛刀を孟獲の顔面に飛ばしながら叫んだのは、妻の祝融である。
「鏡だの地雷だの、そんな小癪な玩具を振り回す野郎に、何でそうもビクついてんのよ!私が奴の喉笛をこの刃で切り裂いて、心臓を抉り出してやるって言ってるじゃない!ぐずぐず抜かしてると、あんたから先に仕留めるわよ!」
「祝融、頼むから殺気で全てを解決しようとしないでくれ。防衛線の再構築と、補給路の――」
その時、銀坑洞全体が、まるで巨大な臼で挽かれるように激しく震え、天井からパラパラと岩屑が降り注いだ。
ズゥゥゥゥゥン!!
「ヒィッ!地震!?諸葛亮がついに地脈を爆破したのか!?」
「違うわ、孟獲!来たのよ、あの『のろまな鱗』が!」
洞窟の入り口から、太陽の光が完全に遮られた。そこには、四つんばいになって這い入ってくる、二十尺(約六メートル)の異形の顔――兀突骨があった。
「孟獲。祝融。……お待たせ。おで、来たぞ。お土産、いっぱい持ってきたぞ」
兀突骨は、洞窟の天井を頭でゴリゴリと削り、火花を散らしながら広場まで這い入ってきた。その背後には、澄ました顔の執事・土安が、まるで高級ホテルの支配人のような足取りで控えている。
「兀突骨!あんたのそのノロマな歩き、私の気が短いことを知っての嫌がらせ!?さっさと進みなさいよ、この鈍間!」
「孟獲。むかえにきたぞ。お茶会、しよう。お土産、もってきた」
「お、おお……兀突骨か。よ、よく……来てくれたな……(うわあ、相変わらず話が通じそうにない……)」
「あんたぁッ!なんでこんなに遅いのよッ!!」
祝融が、爆風のような勢いで兀突骨に掴みかかった。彼女にとっての「挨拶」は、全力の殺撃と同義である。彼女は跳躍し、兀突骨の顔面に鋭い飛刀を叩き込んだ。
「おお、祝融。今日も元気。いい挨拶だ。おでのまつ毛、少し痒かったから、ちょうどよかったぞ。ありがとう」
兀突骨は、飛んできた刃を「まつ毛」でパチンと弾くと、空中の祝融を、まるで仔猫を拾い上げるような手つきでヒョイとキャッチした。
「ちょっ……何すんのよ、この鱗怪獣!下ろしなさいッ!」
「祝融、高いところ、好きだったな。ほら、ここ、景色いいぞ。おでの肩、鱗が温まってて、座り心地いいぞ」
兀突骨は、祝融をそのまま自分の広い肩の上に乗せた。地上六メートルを優に超える絶景。
祝融は真っ赤になって、兀突骨の頭をポカポカ(実際には大岩を粉砕する威力)と殴り続けたが、兀突骨は「ははは。おでの頭、痒かったんだ。ありがとう」と、幸せそうに目を細めている。
「誰が掻いてあげるもんですかッ!これは殺意よ、わかってんの!?あんたのその分厚い皮に、この刃が通るか試してやりたいくらいだわ!」
「さつい……?ああ、南蛮の挨拶か。おでも、お返し。……わあっ」
兀突骨が「わあっ」と小さく(本人はそのつもりで)叫ぶと、洞窟内に局地的なサイクロンが発生し、孟獲の机の上に整然と並べられていた「対蜀軍防衛線図」が木っ端微塵に吹き飛んだ。
「あああああ!俺の、三日三晩かけて作った防衛線図がァァ!」
「孟獲、しわしわ。お顔、しわしわだぞ。……土安、あれ、出して。孟獲を、元気にするやつ」
兀突骨が指示を出すと、土安が恭しく銀の盆を差し出した。そこには、行軍の震動で絶妙に加熱され、黄金色に輝く「体長三メートルの大百足の姿焼き」が鎮座していた。
「孟獲大王。我が王からの心尽くし、行軍中の調理により旨味が極限まで凝縮されております。さあ、冷めないうちに」
「……土安、これ本当に食べなきゃいけないのか?」
「何をヘロヘロ抜かしてんのよ!男ならさっさと食らいつきなさい!」
祝融が大ムカデの足を一本むしり取り、豪快にかじりついた。
「……フン、サクサクしてて悪くない味ね。でも、パンチが足りないわ!もっと火山の硫黄でもぶっかけて、私の怒りみたいに激辛にしなさいよ!調理した奴をここに連れてきなさい、叩き直してやるから!」
「祝融様、左様で。では次回は、火山の深層水を隠し味に、より『攻撃的』な風味に仕上げておきましょう」
土安がさらりと恐ろしいことを言い放つ。兀突骨は満足げに頷いた。
「祝融、うれしい。よかった。孟獲、お前も、くえ。しわしわ、治るぞ」
「……わかった。食べるよ。食べるから、その指で俺を『そっと』押すのはやめてくれ。肺がひしゃげる音がしたんだ」
6.もうかく、しわしわ。
大ムカデを無理やり完食させられた孟獲は、逆流しそうな胃液を必死に抑えながら、改めて本題を切り出した。
「……ゴホン。さて、兀突骨大王。蜀軍は現在、盤蛇谷の北口に布陣している。彼らは我々の藤甲が油に弱いことを見抜き、火計の準備をしているという情報がある。これを防ぐためには、気象予測に基づき雨季の到来まで防衛に徹底し、雨に合わせて――」
「孟獲。雨、いいな。おでの鱗、きれいになる。……でも、雨、お魚さん、びっくりするぞ。お魚さんの気持ち、考えたことあるか?」
「……いや、魚のメンタルケアの話じゃなくて、戦術的優位性の構築の話をしてるんだ」
「戦術……?難しい言葉だなあ。土安、それ、食べられるのか?」
「王、戦術とは、いわば『お茶会の席順』のようなものでございます。誰をどこに座らせて、一番美味しくお茶を飲んでいただくか……そのための知恵にございます」
土安の「翻訳」を聞いて、兀突骨はパッと顔を輝かせた。
「そうか!お茶会か!土安、おでお茶会大好きだ!諸葛亮どのも、お茶、好きかな?」
「あんた、脳みそまで鱗でできてんの!?お茶会なんてふざけたこと言ってんじゃないわよ!」
祝融が岩を蹴り上げた。
「奴らは、私たちを檻に入れて、中原の連中に見せしめにするつもりなのよ!だったら、こっちから奴らを火あぶりにして、私の強さにひれ伏させてやるのが筋でしょうが!殺るか殺られるか、それ以外に何があるってのよ!」
「祝融、火、あぶないぞ。おでの鱗、少し焦げたことある。熱かったぞ。……お茶会なら、熱くない。みんなで、にこにこ、できる」
「にこにこ!?冗談言わないで!私は戦場に愛想を振りまきに行くんじゃないの!奴らの死体を積み上げて、私の美しさを誇示しに行くのよ!」
祝融と兀突骨。二人の会話は、もはや「平行線」ですらなく、別の銀河系を走っていた。孟獲はその中間で、胃を抑えて蹲る。
「……ああ、神よ。なぜ俺の周りには、まともな会話ができるやつはいないのか。俺はここに派遣されて来ただけなんだが……」
7.わんわん。きた。
そこへ、孟獲の膝元へ小さな、だが元気いっぱいの影が走り寄ってきた。
「おじちゃーん!わんわんー!おっきな、わんわん来たのー!」
孟獲と祝融の娘、花鬘である。
彼女にとって、二十尺の鱗に覆われた怪物は、単なる「少し育ちすぎたゴールデンレトリバー」程度の認識であった。
花鬘は迷うことなく、兀突骨の丸太のような足にしがみついた。
「おお、花鬘。今日も、ちっちゃくて可愛いな。よしよし、いい子だ。おでの爪、研いでくれるのか?」
兀突骨は、指一本でそっと花鬘の頭を撫でる。
それだけで花鬘の体は地面に数センチ埋まったが、彼女は「きゃっきゃっ」と声を上げて喜んでいた。
「おっきなわんわん、おてー!」「……ん。おて」
兀突骨が、城門よりも巨大な掌を花鬘の前に差し出す。その風圧だけで会議室の地図や兵法書がすべて吹き飛んだが、土安が即座にそれらをキャッチし、銀色のトレイに載せて片付けた。
「お見事な『おて』にございます、王。花鬘様、王の右足の付け根付近に、少々砂埃がついております。よろしければ、その可愛らしいお手々で、ブラッシングのお手伝いをしてくださいますかな?」
「やるー!わんわん、きれいにするー!」
花鬘は自分の体よりも大きなブラシ(実際は兵士の盾である)を抱え、兀突骨の膝を一生懸命にこすり始めた。
「……あぁ。花鬘、じょうず。……おで、眠くなってきた。……孟獲、祝融、お茶会の前に、ちょっと寝ていいか?」「寝るなッ!!!」
祝融は、花鬘の「わんわん、おねんねー」という子守唄(という名の破壊的な鼻歌)にかき消され。手に持った飛刀をどこに投げるべきか分からず、立ち尽くしている。
最強の援軍として期待された兀突骨は、今や一人の幼子に手懐けられ、巨大な「癒やしスポット」と化していたのである。
「(……もう、何もかもが遅い……)」
孟獲は、花鬘が兀突骨の大きな口に、お土産の炒り豆を「餌付け」として詰め込んでいる光景を、ただ無心で眺めていた。
「(……。蜀軍の皆、悪いことは言わない。今のうちに引き返してくれ。……)」
こうして、銀坑洞の軍議は「お茶会の余興」から「巨大わんわんのブラッシング」へと完全に移行した。
しかし、このグダグダな平穏の裏で、蜀軍の将兵は今なお「定期的に発生する巨大地震」の恐怖に震え、最善の迎撃態勢を整えようとしているのである。




