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「おで、兀突骨。今日も、南蛮は平和です。」  作者: こくせんや


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第1話 「おで、兀突骨。今日も南蛮は、いい天気」

1.おで。おはよう


南蛮の最果て、烏戈国に夜明けの静寂を切り裂くのは、天地を揺るがす咆哮であった。

「ふぁあぁぁあぁぁ。ねむいぃぃぃいぃぃ」

王宮である巨大な岩山の頂から、それは放たれた。この国の王、兀突骨ごつとつこつの目覚めを告げる、ただの欠伸あくびである。

しかし、二十尺を超えるその巨躯と、鋼を凌ぐ心肺から絞り出された音波は、もはや物理的な質量を伴った衝撃波であった。


――ドォォォォォォォォン!!


大気が激しく震え、周囲数里の密林に潜んでいた鳥たちが一斉に飛び立つ。あまりの音圧に、枝で眠っていた猿たちが数匹、気絶して地面へポロリと落ちた。だが、その麓で暮らす烏戈国の主婦は、揺れる洗濯物を見上げ、眉ひとつ動かさずに呟いた。


「あら、王様がお起きになったわね。今日は昨日より少し、声に張りがあるかしら」

「昨晩、川で捕れた大きなトカゲを丸呑みにしてたからな。さあ、猿が落ちてきたぞ。拾って朝飯の支度だ」


隣の家の男も、生返事をする。彼らにとって、大地を震わせるこの咆哮は、ただの「おはよう」の挨拶。平和な朝の訪れを告げる、ありふれた時報に過ぎなかった。


2.烏戈国の実態


この地は、古の奇書『山海経』の「南山経」に記された魔境であると噂されている。「人の顔を持つ猿・狌狌せいせい」や「虎の斑紋を持つ馬・鹿蜀ろくしょく」、あるいは「蛇の尾を持つ亀・旋亀せんき」が跋扈し、旅人を捕らえて喰らうと。

しかし、その実態は少し違う。実際にあるのは、執拗な熱気と、中原では見かけないほど奇妙な形に育っただけの、ごく普通の獣や魚たちだ。伝説の怪物などいない。ただ、自然の造形が少しばかり過剰なだけである。そして、その過剰な自然の象徴こそが、この国の王――兀突骨であった。



この烏戈国の王、兀突骨。その姿は黒い鱗に覆われ、その姿は二十尺とも言われる巨躯である。

だが、その中身は驚くほどに優しい。彼にとって、世界はいつも優しく、そして少しだけ「もろい」場所だった。彼が本気でくしゃみをすれば木々がなぎ倒され、彼が本気で走れば大地に亀裂が入る。だから彼は、自分なりに細心の注意を払って「平和」に生きている。


3.おで、部屋のあかり、ほしい。


王宮の寝室にて、兀突骨はのっそりと巨大な寝床から起き上がった。彼が少し寝返りを打つだけで、岩の床がミシミシと悲鳴を上げる。


「んんー。おで、よく寝たぞ。……でも、なんだか、お部屋、くらいな」


兀突骨は、丸太のような太い指で目をこすりながら、薄暗い洞窟の壁を眺めた。

そこへ、規則正しい、そしてあまりに落ち着いた足音が響く。


「おはようございます、我が王。本日の目覚めの一発、実に見事な共鳴でございました。居住区の猿たちも、王の健康ぶりに感服して気絶していたようでございます」


銀の盆(といっても、兵士が使う大盾ほどの大きさがある)を恭しく掲げ、入ってきたのは執事の土安とあん


彼は、二十尺を超える巨人の傍らにいながら、まるで静かな書斎にいるかのような平穏さを崩さない。


「土安、おはよ。おで、また猿を驚かせちゃったかな。ごめんな、猿たち」


「滅相もございません。彼らも王の活力を間近で感じられて、光栄に思っているはずです。さあ、朝食でございます。今朝は『野豚の丸焼き、地熱温泉の蒸し野菜添え』と『大百足の煎じ茶』でございます」


「わあ、おいしそう。……でも土安。お部屋、暗い。お日様、見えないと、お肉の色、よくわからない」


兀突骨が不満げに鼻を鳴らすと、洞窟内に突風が巻き起こった。


「左様でございますな。ここは岩山をくり抜いた構造ゆえ、採光には少々難がございます。いかがいたしましょう、松明を増やしましょうか?」


「ううん。松明じゃなくて、お外の風、ほしい。窓、あけよう。窓があれば、みんなの顔も、見える。おで、窓、ほしい」


「窓、でございますか。……なるほど。王宮に新たな『展望』を設けるというわけですな。それは素晴らしい。ですが王、この壁は厚さ数メートルはございます。少々お時間がかかりますが……」

「土安、大丈夫。おで、今すぐ、あける」


兀突骨はのっそりと立ち上がると、寝室の壁、つまり岩山の外壁に直面した。

彼は、障子でも引くような、あるいはカーテンをそっと開けるような、彼なりの「最も優しい力加減」で、岩盤の表面に指先をかけた。


ドスゥゥゥウゥゥン!!


大地が跳ね上がり、王宮の一部が文字通り消失した。そこに現れたのは、直径十メートルを超える、あまりにも開放的すぎる「大穴」。


そして、崩落した巨大な岩塊は、烏戈国の居住区のすぐ北側に位置する、唯一の街道へと直撃した。

峡谷を走る道は、兀突骨が「あけた窓の破片」によって完全に埋め尽くされ、文字通りの石壁となって北との交通を遮断したのである

「おお。明るい。風、くる。土安、お肉、よく見える。おいしそうだなあ」


兀突骨は満足げに目を細めた。その真下の広場では、民たちが特に慌てる風もなく、その光景を見上げていた。

「おーい、危ないぞー。上から王宮が降ってきて、北の道が埋まっちゃったぞー」

「まったく、王様も元気ねえ。今朝は模様替えの気分だったのかしら」

「道が塞がったなら仕方ない。今日はこっちの広場で市を広げるとしよう。王様のおかげで、北からの嫌な冷たい風が遮られて、こっちはポカポカしていい具合だ」

「この落ちてきた岩、平らでいい座り心地だぞ。ここに屋台でも出すか。王様の欠伸もよく聞こえる特等席だ」

民たちは、街道が物理的に消滅したという事態を嘆くどころか、それを「心地よい防風壁」や「ちょうどいいベンチ」として即座に受け入れ、整然と生活を続けていた。


「王、お見事でございます。北の街道を塞ぐことで、不要な外気の流入を抑えつつ、寝室の採光を確保する。まさに一石二鳥の意匠。眼下の住人たちも『日当たりが良くなって洗濯物がよく乾く』と称賛しております」


崩れ落ちた斜面。そのまだ残る土煙を切り裂き、落下した岩をまるで足場にするかのような身軽さで、一人の男が駆け上がってきた。奚泥である。彼は危機的状況を微塵も感じさせない満面の笑みで、大王の足元へ滑り込むように着地した。


「うひょーーっ!うっひょひょひょーーい!!大王、大王ッ!いやぁ、たまりませんねぇ!空から瓦礫の雨あられ!ボク、最高にスリリングで楽しかったぁ!

で、大王!見てくださいっ!巻き込まれた、ドジでオモシロい鰐をゲットしましたぁ!うひょひょ!これぞ天の恵み、今日の朝飯のオカズの足しにしましょう?ね!?丸焼きにしちゃいましょうよぉ!!」


奚泥は小脇に抱えた、頭のひしゃげた哀れな鰐を、まるで宝物のように掲げてみせた。


4.おで、しょかつりょう。しんぱい。


そこに、慌ただしい足音と共に一人の男が駆け込んでくる。


南蛮王・孟獲の妻、祝融しゅくゆうの弟である帯来洞主たいらいどうしゅであった。


彼は姉の命を受け、援軍の要請を伝えに来たのである。しかし、彼の足は一瞬にして凍りついた。

視線の先では、兀突骨が「大鰐、うまそう」と呟きながら、奚泥から受け取った大鰐の上下の顎に手を掛けていた。


メリ、メリメリ、ブチィッ!!


生々しい破壊音と共に、分厚い皮を持つ大鰐が、まるで枯れ木のように素手で真っ二つに引き裂かれる。兀突骨は何の気負いもなく、内臓がこぼれ落ちるその肉塊を、無造作に焚き火へと放り込んだ。あまりの光景に、帯来洞主は言葉を失い、戦慄で膝を震わせる。


「おお、たいらい。久しぶり。……なんで、そんなに震えてる?寒いのか?」


返り血を浴びたまま、兀突骨がきょとんとした顔で首を傾げる。目の前の怪物が、あまりに無邪気なトーンで話しかけてくる異常事態。帯来洞主は引きつった笑みを浮かべ、必死に使者としての役目を果たす。

「お、兀突骨大王!大変です!北の国から諸葛亮が、万の兵を連れて攻めてきました!孟獲様が『助けて、兀突骨の兄貴ィ!』と泣いております!」


なんとか、わかりやすく伝えようと、必死に話す帯来洞主であったが、兀突骨にそれは難解すぎた。

「しょかつりょう……。北の国の、えらい人。万の、おともだちと一緒に、おでのところに遊びに来るのか。……そんなに遠くから。大変だ。喉、かわいてる」

「(おともだち!? 万の軍勢だぞ!?)」


帯来が絶句する。


5.おで、しょかつりょう、に会いに行く。


「……頼む、大王!諸葛亮の野郎は『火計』の達人なんだ。盤蛇谷ばんだこくみたいな狭い場所に俺たちを誘い込んで、一気に火を放つ算段をしているらしいんだよ!義兄さんの孟獲も『燃やされる、マジで熱い、助けてくれ』って泣いてるんだ。大王、火だぞ!熱いんだぞ!わかるだろ?」

帯来洞主は、ひしゃげた表情で自らの眉間を指先で押さえ、必死に理性を保ち、何度目かの説明と説得を試みる。


せめて、危機感が伝わってほしい。


その切なる願いに対し、兀突骨はゆっくりと瞬きをし、慈愛に満ちた表情で口を開いた。


「……あつい。……火。……そうか。わかるぞ」


大王は巨体を揺らし、深く、深く頷いた。


「……しょかつりょう、どの、そんな狭いところで、一生懸命、お湯を沸かして……。きっと、川の魚たちが、寒がってるのを、心配してるんだな。……優しい人だな。でも、お魚、煮えちゃったら、泳げなくなる。……おで、心配だぞ」


「(……お魚の心配!?)」


帯来の思考が、南蛮の湿った空気の中で停止する。

そこへ、執事の土安が鈴を転がすような丁寧な、異常なまでの馬鹿丁寧な声で追撃する。


「王、誠に慈悲深い御心にございます。お魚への配慮、執事として感服いたしました。……温まると言えば王、先ほど淹れました『大百足の煎じ茶』ですが、王の喉を温めるには少々温度が足りぬと懸案しておりました。その諸葛亮とかいう野良仕事の者が火を焚きつけているのであれば、王のティーポットを温めるための火に焚べる薪割り係として、ちょうど良い下働きになりましょう」


「(……薪割り係?諸葛亮が、か?)」


「……お茶、あたたかいの、いいな。……しょかつりょう、お茶会の準備、頑張ってるんだな。……おで、お土産、いっぱい持って、お礼しなきゃ。……土安、お茶菓子が、たくさん必要」


少々困った表情を浮かべる兀突骨。


「違う違う!兀突骨大王!」


帯来は崩れかけた岩壁を叩き、叫んだ。


「魚もお茶もどうでもいいんだよ!諸葛亮の火計をどうにかしてくれって言ってんだ!火。メラメラ。ドカーン!わかる!?援兵を出してくれよ、援兵を!」


「……えんぺい。……うん、えんぺい。あれ」


兀突骨は再び、ぽわぽわとした、平和そのものの表情に戻る。


「……お山に行って、みんなでえんそく。……おで、知ってるぞ。……お花を、たくさん持って、走るんだな。……しょかつりょう、どのも、一緒に、遠足したい?」


土安が、吸い付くような所作で王の鱗にブラシを当て磨きながら、滑らかに話を繋ぐ。


「王、左様でございます」 土安は一礼し、トドメを刺すように続けた。 「これより盤蛇谷にて、盛大なお茶会を開催いたしましょう。諸葛亮殿が沸かしたお湯で最高級の『大百足の煎じ茶』を淹れ、お花に囲まれてにこにこするのです」


「……たのしみ。しょかつりょう、どの、待ってろよ。お土産持って、みんなで、にこにこ……」

そこへ、崖下から「うっひょお!」という軽い声が響いた。崖を飛び跳ねていた奚泥が飛び込んできたのである。


「あはは!ピクニックっすか、最高っすね!だったら俺も行くっす!お祭り騒ぎっす!諸葛亮さんも、目を回して喜ぶっすよ、王!」


「……めをまわす。……楽しそう。……おでも、しょかつりょう、どのと一緒に、くるくる回るぞ。……たいらい、わかった。……孟獲のところに、みんなで『ピクニック』に行く。お茶会、たのしみ……お土産、いっぱい持ってな」


帯来洞主は力なく項垂れた。


「(……ピクニック。もうピクニックでいいよ……。あいつを『火の周りで踊らせる』だけでも、結果的に戦力にはなるだろうし……)……あぁ、そうだよ、ピクニックだ。大王、その最強の藤甲兵のみんなと一緒に、孟獲様のところまで盛大にピクニックに来てくれ。頼むからさ……」


「……しょかつりょう、どの。……お茶会、好きかな。……おで、踏まないように、気をつけるぞ」


「ええ、王。あの薪割り係の者が王のステップに耐えきれず地面に埋まってしまっても、執事の私が優しく掘り起こして差し上げましょう。さあ、まずはピクニック前のブラッシングです。お祭りに相応しい光沢を鱗に与えておきましょう」


「しょかつりょう、どのを、かんげいしないと。おで、かんげいの看板、描くぞ。おでの顔、描く。それ見たら、北の人、おでのこと、大好き。おで、うれしい」


「王、それは、とてもよろしゅうございますね。大王自ら書かれた歓迎の看板。ダンスパーティも大層盛り上がることでしょう。」


地鳴りのような兀突骨の鼻歌が響き、土安のブラシが再び鱗を磨く。


帯来洞主は「とりあえず兵が動くなら、もう何でもいいや……」と、差し出された『野豚の丸焼き』を、虚無の表情でむさぼり食うのであった。


こうして、南蛮史上最も平和で、最も話の噛み合わない軍勢が動き出そうとしていた。


目的地は、戦火の渦巻く決戦の地、銀坑洞。

目的は、諸葛亮との「お茶会」である。

いよいよ南蛮最恐の烏戈国と、蜀漢の知性との決戦の日が近づいていたのである。


6.蜀漢軍の「戦慄」


烏戈国のグダグダな朝とは対照的に、蜀軍の陣営は凍りつくような軍事規律に包まれていた。


「……報告せよ。今朝ほど南方で観測された、あの怪異な轟音の正体は」


羽扇を揺らし、蜀の丞相・諸葛亮が問いかけた。


「はっ……。偵察部隊の報告を申し上げます」


参軍・馬謖が、顔を青くして書簡を読み上げる。


「本日未明、烏戈国境付近にて『地を裂く咆哮』を確認。その衝撃波は凄まじく、一帯の森はなぎ倒され、原生生物はことごとく絶命。直後には山体そのものを破砕する大震動が走りました」

「……地震ではないのか?」


「当初は私もそう考えました。ですが、烏戈国軍は重機一つ動かさず、わずか一晩で街道を完全封鎖してみせたのです。偵察部隊の聞き取りによれば、現地の民はこれを――『王の、兀突骨の気まぐれ』と。既存の築城術など通用しない、人外の力による要塞化が進んでいます!」


「重器なくして山を穿つか。兀突骨、恐るべき土木技術の持ち主か」


「さらに、敵の王・兀突骨が、巨木を根こそぎ引き抜き、我らの戦意を挫くための『呪術的な文様の看板』を制作中。それを目撃した偵察兵の中には、そのあまりの禍々しさに正気を失う者も出ております」


「心を攻める……。蛮族の王、侮れぬな。一兵を損じることなく我らの進軍路を奪うとは、並の将ではあるまい」


諸葛亮は鋭い眼光を地図に向けた。彼らは知らなかった。自分たちが戦おうとしている相手が、今この瞬間、「お茶会のお菓子に、この変な顔をした亀は失礼かな?それとも、大ムカデの姿焼きの方が喜ぶかな?」と真剣に悩んでいるだけの、心優しい巨人であることを――。



結び


今日も烏戈国は平和であった。


街道を完全に塞いだ数百トンの岩塊の影では、男たちが「ちょうどいい日陰ができた」と喜び、その岩肌を洗濯板代わりにして、のんきにふんどしを洗っている。


村の広場では、老人たちが『山海経』の狌狌せいせいに似た、ただ耳が真っ白で異様に毛深いだけの不気味な獣を座布団代わりに敷き、穏やかに囲碁を打っていた。


また、ある家では、兀突骨が看板を彫るたびに発生する「ズシン、ズシン」という一定の揺れを天然の「ゆりかご」として利用し、母親が赤ん坊を寝かしつけていた。赤ん坊は大地を揺るがす地響きの中で、胎内のような安心感を得てスヤスヤと眠りについている。


兀突骨は、そんな平和な景色を眺めながら、樹齢千年の巨木を十数本束ね、特製の「自画像入りウェルカムボード」を爪で彫り続けている。鼻歌まじり、ご機嫌である。


「おで、兀突骨。今日も南蛮は、とっても平和だぞ」

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