表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/52

47.捕獲

『捕獲』



山奥のコテージ。


外界から切り離された場所。


鳳グループが密かに所有する別荘地の一角だった。


周囲はすべて鳳グループの土地。


民家もない。


店もない。


携帯の電波もほとんど入らない。


完全な隔離空間。

リナはそこに連れてこられた。

説明は簡単だった。


ここは当面の隠れ場所。

食料は定期的に届けられる。

仕事は在宅のパソコン業務。

外に出る必要はない。

出られる場所でもない。

人が去ったあと。

コテージの中は静かになった。


そして——


リナは床に崩れ落ちた。


「……っ」


声が出ない。

胸が痛い。

息が苦しい。

そして。

涙が溢れた。


「……いや…」


小さな声。


「いや……」


手で口を押さえる。

でも止まらない。


「嫌だ……」


「嫌だよ……」


声が震える。


「心くんが……」


涙が床に落ちる。


「私以外の誰かに触って……」


「私以外の誰かに笑って……」


「私以外の誰かを……愛して……」 


嗚咽が止まらない。


「嫌だ……」


「嫌だよぉ……」


肩が震える。


「心くん……」


涙で視界が滲む。


「助けてよぉ……」


誰もいない。

声はコテージの中に消えるだけだった。

どれくらい泣いたのか分からない。

涙が枯れる頃。

リナは静かに呟いた。


「もう……」


心はいない。


あの優しい手も。


温かい体温も。


あの穏やかな眼差しも。


全部。


誰かのものになる。

昔から思っていた…


心が幸せになればいい。


近くで見守れればいい。


そう思っていた。


でも。


リナは気づいてしまった。

自分はそんなに強くない。

愛している人が。

別の人と。


家庭を作り。


子供を抱き。 


幸せそうに笑う。


そんな姿…


見ていられない。

だから逃げた。

せめて。

見えない場所へ。

心のいない世界へ。


「……それでも」


生きていかなきゃいけない。

その時。

ふと。

思い出す。

優しい声。


「リナ……大好きだよ」


胸が締め付けられる。


「あんなに……」


「暖かい人……」


涙がまたこぼれた。


「もう……」


いない。

そして。

ぽつりと呟く。


「子供のため……なんて」


「かっこいいこと言ったけど」


「私……」


笑った。

歪んだ笑い。


「どす黒いよ……」


「全部……」


「全部……」


拳を握る。


「心くんがいない世界なら……」


「誰か……」


言葉はそこで消えた。



それから……


半月。


リナはそこにいた。

眠れない夜。

何度も夢に見る。

心の顔。

声。

触れた手。

それでも。

生活は少しずつ慣れていった。


朝。


洗濯を持って外へ出る。

庭。

山の空気。

青い空。

冷たい風。

リナは大きく深呼吸した。

肺に空気が満ちる。


(この風が……)


(私の黒い感情を)


(全部……)


(運んでくれたらいいのに)


シーツを干す。

風に揺れる布。

その向こうに。


人影。


リナの心臓が跳ねた。


一瞬。


時間が止まる。

咄嗟に振り向く。


そして。


走った。


見ちゃだめ。


走れ。


走れ。


捕まったら。


終わる。


あの人に触れられたら。


もう。 


戻れない…


リナは山の中へ駆け込んだ。


枝に腕を切られる。


足がもつれる。


それでも走る。


やがて。


木陰にしゃがみ込む。


膝を抱え。


息を殺す。


(あれは……)


心くんだった。


少し…


やつれていた。


ちゃんとご飯食べてる? 


その瞬間。


後ろから声。


「みつけた」


腕を掴まれた。

リナの体が震える。


「リナ」


耳元で囁く声。


「俺言ったろ?」


低く。

優しく。


「かくれんぼは」


「俺としちゃだめだって」


リナの腕は傷だらけだった。

心はそれを見て眉をひそめる。


「ああ……」


「山の中逃げるから」


「こんな傷だらけ」


リナは小さく抵抗する。


「待って……」


「行かない……」


「ダメ……」


でも力は弱い。

心はそっと抱き上げた。

横抱き。


「だーめ」


優しく言う。


「行くよ」


そして。


コテージへ戻った。


ベッドの横。


リナは座らされた。


静かな部屋。


心は立っている。


リナは俯いたまま。


沈黙。


やがて。


心が言った。


「なんで」


「逃げた?」


声は静かだった。


怒鳴っていない。


責めてもいない。


ただ。

聞いている。


「リナの口から」


「ちゃんと聞きたい」


リナの唇が震える。

そして。

小さく言った。


「私……」


「心くんのこと……」


涙が落ちる。


「もう」


「好きじゃなくなった」


静寂。


「へぇ」


心の声。


「そうなんだ」


少し間。


「それで?」


リナは続ける。


「鳳さんって人……」


「心くんの婚約者……」


声が震える。


「お腹に……」


「赤ちゃん……」


「いるんだって」 


拳を強く握る。


「鳳さんなら……」


「心くんを幸せにできる」


「そう思った」


涙が止まらない。


「だから」


「逃げるの手伝ってもらった」


沈黙。


「へぇー」


心の声は低い。


「それが」


「リナの気持ち?」


少し間。

そして。


「悪いけど」


静かに言った。


「無理だわ」


空気が変わる。


「リナには」


「選択肢なんてない」


「俺の傍以外」


声が低くなる。


「聞いてるんじゃない」


「俺が」


「そうした…決めたんだ」


リナは膝をついた。

手を組む。


「お願い……」


涙が止まらない。


「もう……辛いの……」


「私は……汚いんだよ」


「心くんの幸せ願ってるって言って」


「本当は……」


嗚咽。


「誰かに笑う姿」


「誰かに触れる姿」


「誰かを愛する姿」


「見てられない」


「お願い……」


「解放して……」


「せめて」


「遠くに……」


その瞬間。

空気が凍った。

心の雰囲気が変わる。


闇が落ちる。


「……なんでだよ」


低い声。 


「なんで」


「これだけ愛してるって言ってるのに」


「なんで」


「他のやつ信じるんだよ!!」


怒鳴り声が部屋に響いた。


「リナ」


声が震える。


「お前」


「分かんねぇだろ」


「いなくなった時の」


「恐怖」


拳が震える。


「もしかしたら」


「もうこの世界にいないかもしれない」


「その絶望」


息が荒い。


「必死に探した」


「街を潰した」


「人を潰した」


「情報集めた」


「でも」


「いないんだよ」


声が割れる。


「この恐怖」


「分かるか?」


沈黙。

そして。

低く言った。


「子供?」


「そんなもん」


「最初からいない」


リナが顔を上げる。

心は言った。


「お前以外で」


「反応しないのに…」


「できるわけない」


部屋が静まり返る。


「孤児院出てからずっと」


「リナのために」


「全部やった」


「再会してから」


「住処奪って」


「交友関係管理して」


「仕事も用意して」


「全部」


「お前が離れないように」


息を吐く。


「とっくに」


「選択肢なんてない」


そして。

小さく笑った。


「俺」


「お前に」


「狂ってるよ」


その言葉を聞いて。


リナは…


心を抱きしめた。


泣きながら。


心も。


離さなかった。


まるで。


存在を確かめるように。


何度も。


何度も。


互いを求めた。


長い夜が。

静かに。

山のコテージを包み込んでいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ