46.捕食者
『捕食者』
夜。
ビルの最上階。
心の執務室は、いつもより静かだった。
机の上にはタブレット、報告書、監視映像の画面がいくつも並んでいる。
その中央に立つ男。
真田心。
誰も口を開かない。
空気が重い。
理由は一つ。
リナが消えた。
やがて、警備担当が報告を始める。
「リナさんは…ボスの会社へ届け物に来ていました」
心は黙ったまま画面を見ている。
「その後、建物から出てきて…」
「突然走り出しました」
別の画面に切り替わる。
防犯カメラ。
そこには、走るリナの姿。
必死に。
振り返りもせず。
ただ走っている。
警備が続ける。
「現場が混乱しているところへ…黒いセダンが停車」
映像が止まる。
車。
高級セダン。
「リナさんが自ら乗り込み…そのまま走り去りました」
沈黙。
誰も動かない。
心はゆっくり椅子に座った。
「……会社に届け物」
小さく呟く。
その直前。
今日、会社に来ていた人物。
鳳沙織。
心の目が細くなる。
「なるほど」
小さく息を吐いた。
「見られたか」
あの場面を。
舌打ち。
「チッ…」
部屋の空気がさらに冷える。
心はゆっくり目を閉じた。
思い出す。
孤児院。
捨てられた子供。
何もない場所から。
這い上がった。
その過程で。
必要だったもの。
後ろ盾。
心は一度、ある大企業の跡取りとして養子縁組をした。
ただの足場。
上へ登るための。
そして。
家同士の関係。
財閥。
企業。
政治。
その中でどうしても必要になった。
婚約。
紙切れの契約。
条件付き。
「いずれ解消する」
最初からそう決まっていた。
だから受けた。
ただの形式。
それだけの話。
心は机を軽く叩く。
「まさか」
「こんな形で足を引っ張るとはな」
低い声。
「昔の俺を…」
「ぶん殴ってやりたい」
「失態だな」
今日。
鳳沙織は突然オフィスに現れた。
応接室。
丁寧な笑顔。
完璧な令嬢。
そして。
いきなり。
抱きついてきた。
心はすぐに引き離した。
やんわりと。
あくまで丁寧に。
外様の顔。
「すみません」
「前にも言いましたが」
「俺には好きな人がいます」
「婚約は無理です」
言葉は穏やか。
態度も丁寧。
だが。
完全な拒絶。
沙織の目が揺れた。
だがすぐに笑う。
「心様」
「あなたにはこれから後ろ盾が必要になります」
「私なら」
「あの子より」
一瞬。
心の目が冷えた。
沙織は続ける。
「諦めません」
「絶対に」
そして去っていった。
その直後。
リナ失踪。
心は指で机を叩いた。
「……面倒な」
だが。
状況は理解している。
リナは。
自分の意思で車に乗った。
つまり。
説得されている。
あの女に。
リナの性格は分かっている。
優しい。
自己犠牲。
家族に弱い。
俺のため…
とでも言われたか…
心の目が暗くなる。
「俺から逃げたか」
静かな声。
もし。
リナが逃げる気で。
そして。
鳳グループが本気で隠すなら。
見つけるのは簡単じゃない。
財閥。
金。
人脈。
国家レベルの力。
普通の捜索じゃ無理だ。
だが。
心は笑った。
「だから?」
ポケットから携帯を出す。
番号を押す。
繋がる。
「俺だ」
相手は黙っている。
心は淡々と言った。
「鳳グループの関係施設」
「全部洗え」
「ホテル」
「別荘」
「研究所」
「海外拠点」
「全部だ」
部屋の全員が固まる。
心は続ける。
「街を封鎖」
「県跨ぎで包囲」
「空港」
「港」
「全部」
「監視」
短く。
「どんな手を使ってでも」
沈黙。
そして。
心は最後に言った。
「リナを連れ戻せ」
電話を切る。
静寂。
誰も息をしない。
心はゆっくり立ち上がる。
窓の外。
夜の街。
その目の奥に。
闇が広がっていた。
小さく呟く。
「リナ」
声は優しい。
だが。
その瞳は。
獲物を追う捕食者だった。
「逃げても」
「無駄だよ」
机の上の防犯映像。
そこには。
走るリナの姿。
心はそれを見ながら微笑んだ。
「世界のどこに行っても」
「見つける」
そして。
低く。
囁いた。
「俺のものなんだから」
部屋の全員が。
その瞬間。
背筋を凍らせた。




