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42.葛城健人の初恋

『葛城健人の初恋』


葛城健人の初恋は、高校三年の後期から始まった。

きっかけは、図書委員会だった。

三年になってから割り振られた委員会で、正直なところ最初はまったくやる気がなかった。

図書委員なんて地味で、雑用ばかりで、面倒くさい。

その日も昼休み。

図書室の奥の机で、葛城は腕を枕にして寝ていた。


「かったりぃなぁ……」


ぼそっと呟いて、目を閉じる。

静かな図書室。

カーテン越しに入る柔らかい光。

本の匂い。

気づけば、うとうとしていた。


――ガサ……ゴソ……。


物音がする。

最初は気にしなかったが、何度も続くので目を開けた。

顔を上げると、少し離れた棚の前で誰かが動いている。

同じ図書委員の女子だった。

背の高い本棚の前で、黙々と本を整理している。

脚立を持ってきて、棚の上段の本を一冊一冊並べ替えていた。


「……真面目やなぁ」


葛城はぼんやり見ていた。

その子は、小柄だった。

脚立の上で、つま先立ちになりながら必死に手を伸ばしている。

あと少し。

あと少しで届きそうなのに届かない。

背伸び。

ぐらっ。


「……!」


脚立が揺れた。

ガタンッ。

体がバランスを崩す。


「キャッ……!」


思わず葛城は立ち上がった。

反射的だった。


落ちる――そう思った。


けれど、彼女はなんとか手すりを掴み、体勢を立て直した。

ドクン。

葛城の心臓が遅れて跳ねる。

落ちたら危なかった高さだ。

なのに。

彼女は、少し驚いた顔をしただけで、また本の整理を始めた。

まるで何事もなかったかのように。

葛城は立ち上がったまま、呆然と見ていた。

そのとき。

ふと、彼女と目が合った。


「あ……」


一瞬、沈黙。

サボって寝ていた自分。

真面目に働いている彼女。

なんとなく気まずくて、葛城は目をそらした。

すると彼女は、慌てて脚立を降りてきた。


「あの……すみません!」


突然頭を下げる。


「うるさかったですよね……」


「もうちょっとで終わるので……すみません」


葛城は驚いた。

謝るのはどう考えても自分の方なのに。


「いや……別に……」


ぼそっと返す。

彼女は本当に申し訳なさそうにしていた。

その姿を見ていると。

なんとなく、放っておけなくなった。

葛城は頭をかきながら言った。


「……手伝うわ」


「え?」


「それ、俺の仕事でもあるし」


脚立を押さえながら、本を渡す。

彼女は目を丸くした。


「あの……すみません……」


「せっかく休んでたのに……」


「いいのいいの」


葛城は笑った。


「もともと俺の仕事でもあるし」


彼女は少し照れたように笑った。


「高いところ……少し怖かったんで」


「助かります」


「ありがとうございます」


満面の笑みだった。

その笑顔を見た瞬間。

葛城は、はっきり自覚した。


(あ……)


(これ……好きやわ)


それから、葛城は図書委員をサボらなくなった。

むしろ逆だった。

如月リナと同じ当番のやつがいると、


「ジュース奢るから変わってくれ」


そう言って当番を交換した。

なるべく、同じ時間に図書室に行くようにした。

彼女と一緒に本を整理したり、

貸し出しカードを整理したり。

そんな時間が、やけに楽しかった。

ただ。

その頃から。

妙なことが起きるようになった。



ある日。

如月さんと一緒の当番で、図書室へ向かおうとしていたときだった。

廊下を歩いていると、クラスメイトに呼び止められた。


「おい葛城」


「電話だ。職員室来い」


「俺にですか?」


「そうや」


葛城は首をかしげながら職員室へ向かった。

受話器を取る。


「もしもし?」


ツー……ツー……ツー……


切れている。


「……なんや?」


首をかしげながら図書室へ戻ると。

その日は、たまたま早く閉館する日だった。

如月さんと、ほとんど一緒にいられないまま帰る時間になってしまった。


(あの電話なければ……)


(もっと一緒におられたのに……)


そんな小さな違和感。

でも、気にしなかった。

たまたまだと思っていた。

やがて。

卒業が近づいた。

葛城は決意した。 


(告白しよう)


でも。

直接は気まずい。

だから。

ベタだけど、手紙を書くことにした。


__________

如月さんへ

同じ委員会になって、

一生懸命な如月さんにいつの間にか惹かれていました。

如月さんの笑顔が好きです。

付き合って下さい

                  葛城健人

__________

短い文章だった。

でも。

精一杯だった。

葛城は何度も読み返し、封筒に入れた。

そして。

放課後。

如月さんの下駄箱にそっと入れた。


それから――


何日経っても。

何もなかった。

返事もない。

呼び出しもない。

廊下ですれ違うだけ。

若かった葛城には、それがすべての答えだった。


(振られたんや……)


自分から確認する勇気もなく。

そうこうしているうちに、委員会の活動も終わった。

如月さんと会う機会もなくなった。

たまに廊下ですれ違うと。

如月さんは、こちらを見て


「あっ」


と、小さく手を振ろうとしてくれた。

でも。

葛城は目をそらした。

振られたと思っていたから。

それから卒業して。

如月さんは。

淡い初恋として。

葛城の心の中に残り続けた。

ずっと。


__________

同窓会の日。

会場の入り口で。

向こうから歩いてくる女性を見た瞬間。

葛城の心臓は跳ねた。


(如月さん……)


綺麗になっていた。

でも。

笑い方は、あの頃のままだった。

挨拶すると。

彼女は嬉しそうに笑った。

葛城の仕事の話をすると。


「すごいね!」 


と、本気で褒めてくれた。


(こんな楽しそうに笑ってくれるなら……)


(脈ありなんちゃう……)


昔の気持ちが、再び燃え上がる。

失敗してもいい。

もう我慢できなかった。

葛城は言った。


「あのとき……」


「手紙なんで無視したん……」


言い方は少しきつかった。

でも聞かずにはいられなかった。

すると。

リナは困った顔をした。


「手紙……?」


「ごめんね、わからないの……」 


その答えを聞いた瞬間。

葛城の胸が熱くなった。


(あぁ……)


(やっぱ如月さんや……)


彼女は、人の気持ちを無視するような人じゃない。

ますます昔の気持ちが蘇る。

気づいたら。

口が動いていた。


「如月さん……今付き合ってる人おるん?」


そして。


「好きやったんや……」


そう伝えた。

リナは少し困った顔で笑った。


「ごめんね……」


「私、今好きな人……付き合ってる人がいて……」


胸が少し痛んだ。

でも。

彼女は続けた。


「でも……気持ちは嬉しかったよ」


その言い方が。

本当に彼女らしくて。

葛城は、余計に諦めきれなくなった。

長い人生だ。

今の彼氏と別れる可能性だってある。

だから。

せめて連絡先だけでも。

そう思って。

無理やり紙を握らせた。

「困ったことあったら連絡して」

あわよくば。

連絡が来ないか。

そんな期待を、少しだけ抱いていた。

同窓会が終わったあと。

外が騒がしいことに気づいた。


「おい!すげーぞ!」


「如月さんの彼氏!」


「あの真田心だって!」


「マジで!?」


有名人だった。

葛城でも知っている。

雑誌でもよく見る。

地位も。

財力も。

容姿も。

全部揃った男。


(あんな人が……)


(如月さんの彼氏……)


遠くから見えた。

リナは。

とても幸せそうな顔で笑っていた。

甘い顔。

恋人にしか見せない顔。

葛城は、その場でへたり込んだ。


「なんや……」


「俺……」


「やっと初恋に向き合えたのに……」


「その日のその日で振られるって……」


「なんてついてないんや……」


でも。

葛城の不幸は、それだけじゃなかった。

翌日。

会社に行くと。

急な辞令が出ていた。



「葛城健人」


シンガポール支社立ち上げに伴う責任者に任命…


ざわめく社内。


「え?」


「シンガポール……?」


しかも。


移動は――


明日。


海外支社の立ち上げメンバー。


栄転だった。


大出世だった。


断る理由はない。


ないけど。


「なんでこんな急なん……」


葛城は天井を見上げた。


「せめて……」


「如月さんとの思い出に浸らしてよーー……」



__________


その頃。


心は、ソファに座りながらコーヒーを飲んでいた。


「ねぇ……真」


静かな声。

真は背筋を伸ばす。


「あの葛城って男どうなった?」


真は淡々と答えた。


「移動の手配をしました」


「シンガポールです」


「海外支社立ち上げメンバーとして任命されたので」


「少なくとも軌道に乗るまで……10年は帰って来れないかと」


心はふっと笑った。


「あの子……いい子みたいだし」


「リナ曰く……幸せになれるといいねぇ……だって」


真は続ける。


「地位や給料面などは、ボスの言う通り保証しました」


心は窓の外を見た。


「そう……」


「幸せに……」


小さく呟く。


「リナの居ないところで幸せになってよ……」


「葛城くん」


遠くからの視線。


図書室での妨害。


ラブレターの焼却。


同窓会での失恋。


そして。


海外への移動。


そのすべてに。


真田心が関わっていることを。


葛城健人は。


知らない。


知る由もなかった。

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