37.隠れ優秀
『隠れ優秀』
関西視察から戻って数日。
ようやく慌ただしい日程も落ち着き、組織の本拠地にはいつもの日常が戻っていた。
ただ――
一つだけ、以前と違うことがあった。
リナが、やたらと心の近くにいる。
廊下でも。
執務室でも。
会議の合間でも。
気づけばすぐ隣。
黒服たちは、ひそひそ話していた。
「……最近」
「うん」
「リナさん」
「ずっとボスの横にいるよな」
「火事の件からだろ」
「完全に心配してる」
「まぁ」
「ボスの命握ってる人だからな」
「リナさんが」
そんなある日。
心の執務室。
リナが少し遠慮がちに言った。
「ねぇ…心くん」
「ん?」
「私……」
少し迷う顔。
「何か手伝えることないかな?」
心は一瞬だけ止まった。
「手伝う?」
「うん」
リナは真剣だった。
「心くん、すごく忙しそうだし…」
「私も何か出来たらいいなって」
「邪魔にならないことなら…」
心は椅子にもたれながら考える。
(手伝い……か)
実際のところ。
仕事は山ほどあった。
この組織には、
裏金の帳簿。
外部に出せない資金。
表と裏の資金移動。
複雑な収支。
普通の会社なら経理部がある。
だがここは違う。
裏の金や、外に出せない資金の流れがある以上、
信用できる人間にしか触らせられない。
その結果――
全部、心が一人で処理していた。
正直。
猫の手も借りたい状態だった。
だが問題がある。
この組織の人材構成。
武闘派 多数。
頭脳派 少数。
パソコンを使える人間は一握り。
しかもそういう人間は各拠点に散っている。
つまり。
本部の仕事は心に集中する。
その量は常識外れだった。
普通の人間なら処理しきれない。
心だから回っていると言ってもいい。
心はリナを見る。
「本当にいいの?」
「めちゃくちゃ助かるけど…」
「リナ、大変じゃない?」
するとリナはすぐ首を振った。
「ううん!」
「心くんのそばにいるなら何か私にもさせて下さい!」
その笑顔は本当に嬉しそうだった。
心は小さく笑う。
「分かったよ」
「じゃあ甘えちゃおうかな」
「パソコン作業お願いしてもいい?」
「はいっ!」
リナは満面の笑みになった。
本当に嬉しそうだった。
心の役に立てることが。
その様子を見て、心は少し思い出していた。
(そういえば…)
以前、会社にいた頃。
リナが作ったプレゼン資料を見たことがあった。
あれは驚いた。
細かい。
整理されている。
見やすい。
内容も正確。
あの時は思った。
(この子…めちゃくちゃ優秀じゃん)
だから軽い気持ちだった。
「じゃあこの入力お願い」
「はい!」
こうしてリナの仕事が始まった。
———
数日後。
執務室の光景は少し変わっていた。
心が仕事をしている横で。
リナがパソコンを打っている。
カタカタカタカタ。
書類が一枚ずつ処理されていく。
山積みだった収支報告。
裏金の入出金。
帳簿入力。
次々と片付いていく。
処理された書類は経理担当の部下に回される。
そのスピードに部下たちは驚いていた。
「早くない?」
「めちゃくちゃ早い」
「ボス一人の時の三倍くらいじゃない?」
「いや四倍」
そんな視線にも気づかず。
リナはにこっと笑った。
「入力するだけなので」
「何か他にあれば回して下さいね」
その言葉に。
部下たちは一瞬固まった。
(入力だけ……?)
(この量を……?)
———
そんなある日。
心の机に書類が積まれた。
収支計画案。
裏資金の運用案。
今後の資金対策。
つまり。
面倒な書類。
しかも頭を使うやつ。
心はちらっと見た。
「……あとでやるか」
先に処理する案件があった。
そのまま机の端に置いた。
そして数日が過ぎた。
ある日。
部下が書類を持ってきた。
「ボス」
「これ確認お願いします」
心は受け取る。
そして一枚めくる。
……止まった。
「……これ」
もう一枚めくる。
さらにめくる。
「……は?」
内容は――
完璧だった。
非の打ち所がない。
数字の整合性。
資金の回し方。
将来のリスク対策。
全部組まれている。
心は顔を上げた。
「これ…誰がやったの?」
部下が答えづらそうに言う。
「リナさんです…」
「はっ?」
心はもう一度書類を見る。
「なにこれ」
「完璧なんだけど」
実は。
数日前。
リナは忙しそうな心を見ていた。
机の上。
放置された書類。
少し迷った。
「……私も」
「少しなら手伝えるかな」
そう言って内容を読んだ。
そして気づいた。
「あ…ここ」
「この資金こっちに回したら…」
「人員も調整できる…」
気づけば。
全部整理していた。
そして書類をまとめ。
経理担当の部下の所へ行った。
「すみません…」
「心くん…とても忙しそうで…」
少し申し訳なさそうに。
「差し出がましいのですが」
「こちらの案…まとめてみました」
「確認して…ご指導いただけないでしょうか」
部下はぽかんとしていた。
受け取って見る。
そこには。
数日前に心へ提出された
収支計画案。
裏資金案。
行動計画。
それが。
完成形になっていた。
「どうぞよろしくお願いします」
リナはにこっと笑って去っていった。
部下たちは困った。
最終判断はボス。
勝手に決められない。
そして今。
その書類が心の前にある。
心はしばらく見ていた。
そして。
くすっ。
笑った。
「完璧」
部下が固まる。
心はページをめくる。
「あぁ…ここの金」
「こっち回すのか」
「なるほど」
「人員も余るな」
「これ気づかなかったわ」
そして小さく笑う。
「さすが」
「俺のリナ」
くつくつ笑う心に部下は焦る。
「あの…」
心は書類を閉じた。
「これでいいよ」
「この案通して」
「え?」
「いいんですか?」
心は笑う。
「いいも何も」
「こんな完璧なの出されて」
「修正しようがない」
そして指示を出す。
「すぐ今の体制から切り替えて」
「はいっ!!」
部下は走っていった。
———
それから数ヶ月。
収支報告が上がる。
経理部がざわついた。
「……え」
「ちょっと待て」
「これ」
「収益」
「五倍……?」
裏資金の流れが改善され。
無駄が消え。
資金が回り。
利益が跳ね上がっていた。
部下たちがざわつく中。
心は椅子に座って笑った。
「やっぱりね」
「昔からリナは隠れ優秀なんだよ」
部下たちは聞く。
心は懐かしそうに言う。
「俺みたいに目立つタイプじゃなくてさ」
「静かに仕事して」
「完璧に終わらせる」
「でも主張しないから」
「手柄横から取られて」
「それでも」
心は少し笑う。
「仕事終わったんだからいいじゃない」
「って言うんだよ」
「俺が怒ると」
「心くん起こらないでって」
部下たちは黙っていた。
心は最後に言った。
「お前ら」
「リナに甘えてないで」
「これくらい作れるようになれ」
そしてにっこり笑う。
「次からは」
「お前らで作って」
「リナに確認してもらえ」
部下たちが青ざめる。
心はさらに笑顔になる。
「リナの負担増やして」
「もし俺との時間減ったら」
一瞬だけ。
空気が凍った。
「……わかってるよな?」
「はい!!!!」
こうして。
リナは知らないうちに。
組織の中で――
隠れ財務長のような存在になっていた。
本人は。
ただ。
「心くんの役に立てたらいいな」
と思っていただけだった。
本人の知らないところで…
組織での居場所が、ゆっくりと確実に形成されていた…




