36.嬉しい誤算
『嬉しい誤算』
火事騒ぎの一件以来――
リナは、心のことが心配で仕方なかった。
最初に聞いた時は、
「裏の仕事はしているけど危ないことはないよ」
と心は笑って言っていた。
だから信じていた。
でも。
あの日。
ホテルの廊下で聞いてしまった。
黒服たちの会話。
火事。
危ない現場。
危険な仕事。
そして部屋に戻ると――
心は、どこか誤魔化すような顔をしていた。
それが余計に不安だった。
(私が見ていないところで……)
(心くん……危ないことしてるんじゃ……)
そんな考えが、頭から離れなくなった。
そしてふと、昔のことを思い出す。
孤児院の頃。
心はよく喧嘩していた。
友達と殴り合い。
擦り傷。
青あざ。
血。
そのたびに――
リナが間に入った。
「やめて!」
泣きながら止めた。
そして心の怪我を手当てした。
「なんで危ないことするの……」
涙が止まらなかった。
悲しくて。
怖くて。
「もうやらないって言って」
心は最初、むすっとしていた。
でも。
リナが泣いたまま口をきかないと。
「……わかったよ」
「もうやらない」
そう言って謝った。
それが何度も続いた。
そして気づいた。
不思議と――
リナが近くにいる時、心は喧嘩をしなくなる。
むしろ。
すごく冷静だった。
誰かが困っていると。
ぶっきらぼうに言う。
「……ほら」
「貸して」
「やってやる」
そして器用に手伝う。
孤児院の仕事も。
リナが引き受けたことを、
「……遅い」
そう言いながら横から手伝ってくる。
気づけば。
孤児院の職員たちも言っていた。
「心くん、すごいわね」
「頼りになる」
リナはその姿を覚えている。
(そうだ……)
(きっと……)
(私が傍にいれば)
(心くん……危ないことしない)
そう思った。
それから。
リナはなるべく心の近くにいた。
仕事中も。
邪魔にならない範囲で。
そっと傍にいる。
どうしても離れる時は。
心が帰ってくると――
リナは走っていった。
「心くん!」
抱きつく。
「おかえりなさい……!」
そしてすぐ聞く。
「今日は何したの?」
「怪我とかしてない?」
心は驚いた顔をする。
「してないよ」
でも。
リナは心の腕を触る。
肩を触る。
怪我がないか確かめる。
「……よかった」
安心したように笑う。
そんなリナを見て。
心は内心で笑っていた。
(……はは)
(かかった)
今回の火事騒ぎ。
確かに怒られた。
説教もされた。
百回謝らされた。
だが。
結果として――
リナの庇護欲を刺激した。
昔の記憶。
「リナがいないと危ない心」
そのイメージが蘇った。
そして今。
リナは自然と――
俺のそばから離れなくなっている。
嬉しい誤算だった。
その夜。
リナが帰ってくる心を待っていた。
玄関のドアが開く。
「心くん!」
リナが駆け寄る。
「おかえりなさい……!」
抱きつく。
心は少し驚いた顔をする。
「ただいま」
リナが心配そうに聞く。
「今日は何したの?」
心は少し考える顔をした。
そして。
わざと少しだけ、声を落とす。
「……今日はね」
リナが緊張する。
「リナが傍にいなかったからさ」
少し笑う。
「考え事してたら……ちょっと危なかった」
リナの顔が固まる。
「え……?」
心はすぐ手を振る。
「でも大丈夫」
「護衛がいたし」
「怪我もしてない」
優しく言う。
「ちゃんとリナのところ帰ってこれた」
リナの目が揺れる。
「……っ」
次の瞬間。
リナは心を抱きしめた。
強く。
少し震えていた。
「……よかった」
「心くん……」
心はリナを抱き返す。
そして小さく言った。
「やっぱりさ」
「俺……」
「リナが傍にいてくれないとダメみたいだ」
リナはすぐ答える。
「大丈夫」
優しい声。
「心くん」
「私がずっと……傍に居るから」
心の口元がわずかに歪む。
リナから見えない角度で。
ニヤリと笑った。
(完全にかかった)
その後。
二人はベッドに入った。
心はリナを抱き寄せる。
「リナ」
「ん……?」
「こうしてると安心する」
リナの顔が少し赤くなる。
心は甘えるように言う。
「あぁ……」
「リナが近くにいると安心する……」
リナは胸が締めつけられた。
(やっぱり……)
(私が傍にいないと)
心はさらに距離を詰める。
「ほらぁ……リナ」
囁く。
「もっと近くに俺を置いて」
リナの心臓が跳ねる。
「もっとだよ」
抱き寄せる。
「一番近く」
優しい声。
「そう……ここ…一番奥…一番近くっ…はぁ…」
「気持ちいいんだぁ♡りなぁ…」
リナの呼吸が乱れる。
心は囁き続ける。
「俺も気持ちいい……」
「最高……」
そして。
わざと不安を混ぜる。
「リナが居てくれないと」
「俺……」
小さく笑う。
「何するかわからないから」
リナの胸が締めつけられる。
「だからさ」
心は囁く。
「ずっと傍で」
「ここで」
妖艶にお腹を撫でる
「見守っててよ」
その夜。
リナは心に翻弄されて…
いつの間にか意識を失っていた
心の胸に顔を埋めて。
安心するように、眠った…
心はリナの髪を撫でながら思う。
(可愛いなぁ)
(リナ)
(俺のこと心配して)
(離れられなくなってる)
そして静かに目を閉じた。
(これで)
(もう逃げられない)
リナは気づいていない。
自分が不安で抱きしめている相手が――
その不安を、巧みに作り出していることを。




