35.八つ当たり
『八つ当たり』
ホテル最上階。
真田心のスイートルーム。
数分前――
部屋の中では、とんでもない光景が広がっていた。
リナが腕を組んで立っている。
顔は真っ赤。
完全に怒っている。
その前。
床。
そこに――
正座している男。
日本経済界トップ。
裏社会の頂点。
真田心。
頭を下げている。
「ごめんなさい」
「声が小さい」
「ごめんなさい!!」
「もう一回」
「ごめんなさい!!!」
数分前に発覚した“アパート火事騒ぎ”。
原因は――
心の組織の人間が、廊下で不用意に話していたせいだった。
それをリナが聞いてしまった。
結果。
「心くん!」
「こういうのは危ないって言ってるでしょ!!」
説教…
そして今。
「百回謝って」
「……はい」
心は淡々と頭を下げる。
「ごめんなさい」
「二回目」
「ごめんなさい」
「三回目」
「ごめんなさい」
裏社会の帝王。
現在。
謝罪カウント3。
その時。
ドアが勢いよく開いた。
バンッ!!
黒服。
「ボス!!報告が――」
そして。
止まった。
目の前の光景。
正座。
頭を下げているボス。
横で腕を組むリナ。
完全な沈黙。
黒服の脳内。
(終わった)
(俺死んだ)
心がゆっくり顔を上げた。
目。
無表情。
黒服。
「……」
心。
「……」
リナ。
「?」
数秒の間…
心が静かに言った。
「ドア」
「閉めろ」
「はい」
「早く閉めろ」
「はい!!」
バタン。
廊下。
黒服は壁に寄りかかる。
汗が止まらない。
(見た)
(俺)
(見た)
数分後。
その黒服は、廊下で待機していた仲間に言ってしまった。
「……今」
「ボス」
「土下座してた」
数秒。
黒服たち。
「……は?」
そこから。
噂は。
秒速で広がった。
数十分後。
フロア全体は妙な静けさに包まれていた。
黒服たちは皆、思っていた。
(終わった……)
(俺たち……消される……)
(絶対見られた……)
その時。
スイートルームのドアが開いた。
心が廊下に顔を出す。
「……お前ら」
その声。
いつもの声。
低い。
冷たい。
裏社会で聞いたら三歩下がる声。
「全員」
「会議室」
黒服たちの背筋が凍った。
――来た。
――処刑会議。
――人生終了。
ホテル会議室。
長いテーブル。
その奥。
心が座っている。
さっきまで正座していた人とは思えない。
完全に――
いつものボス。
黒服たちは整列していた。
空気が重い。
心がゆっくり口を開く。
「……さて」
静まり返る部屋。
「まず聞く」
誰も息をしない。
心が机に肘をついた。
そして言った。
「こんな中で」
「迂闊に廊下で火事の話したやつ」
静寂。
「……誰?」
黒服たちの背中に冷や汗が流れる。
誰も動かない。
十秒。
十五秒。
心が目を細めた。
「……おい」
「聞こえなかった?」
列が揺れる。
一人が前に出た。
黒服G。
「……すみません……」
「お前か」
「……はい」
震えている。
心は静かに言った。
「お前のせいで」
「……はい」
「俺」
沈黙。
全員が固まる。
「リナに説教されたんだけど」
黒服G。
「……はい」
「どうしてくれんの?」
「……すみません」
心は真顔。
「情報管理もできねぇ奴は」
全員。
(終わった)
「死ね」
黒服Gの顔色が消えた。
……が。
「冗談」
「……え?」
「ビビりすぎ」
貼り付けた笑顔。
怖い。
黒服G、崩れ落ちそうになる。
心は机を指でトントン叩く。
「でもまぁ」
「罰は必要だよな」
全員固まる。
「あと」
空気が凍る。
「さっきの件」
黒服たち。
(あ。)
「見たやつ」
「何か聞いたやつ」
「前出ろ」
沈黙。
誰も動かない。
「……へぇ」
笑ってない。
「誰も見てないんだ」
「何も聞いてないってことでいいんだな」
黒服の心の声。
(見ました)
(俺部屋突入しました)
(めちゃくちゃ見ました)
(途中カウントも聞こえました)
でも。
誰も出ない。
心は立ち上がる。
「くっくっく……」
「まぁいい」
「今すぐ」
一歩。
「記憶から消すか」
もう一歩。
「俺に記憶消されるか」
さらに一歩。
「存在消されるか」
完全沈黙。
「選べ」
黒服A。
「……どうする」
黒服B。
「記憶消す方法知らない」
黒服C。
「俺も」
黒服D。
「存在消されるのは嫌」
黒服E。
「俺も」
黒服F。
「じゃあどうする」
全員。
「……」
心が言った。
「決まらないなら」
全員ビクッ。
「とりあえず」
_______
「全員」
指を床に向ける。
「正座」
黒服たち。
「……え?」
「聞こえなかった?」
「正座」
次の瞬間。
ドサドサドサドサ。
十数人の黒服が一斉に正座。
裏社会最強組織の幹部。
全員正座。
心は腕を組んで見下ろす。
「いいか」
「俺は今日」
低い声。
「リナに」
「百回謝らされた」
黒服たち。
(知ってます)
(全部見ました)
(途中やり直しありました)
「心の声聞こえてるぞ」
全員。
「すみません!!」
心はため息。
「まぁ八つ当たりだ」
全員。
「はい!?」
「俺が百回謝ったんだから」
指をさす。
「お前らも同じ目に遭え」
黒服。
「……え?」
「俺に」
黒服A。
「えっボスに?」
「そう」
黒服B。
「なんて?」
心。
真顔。
「情報漏洩は死あるのみ」
「見たことは忘れます」
「ボスすみませんでした」
「これ」
「100回」
にこり。
黒服たち。
「……」
「ほら」
「一回目」
黒服たち。
「情報漏洩は死あるのみ!!」
「見たことは忘れます!!」
「ボスすみませんでした!!」
「二回目」
黒服。
「情報漏洩は死あるのみ!!」
「見たことは忘れます!!」
「ボスすみませんでした!!」
三回目。
四回目。
五回目。
廊下。
ホテルスタッフが通る。
ドアの外で止まる。
中から聞こえる声。
「情報漏洩は死あるのみ!!」
「見たことは忘れます!!」
「ボスすみませんでした!!」
完全に。
心の八つ当たりだった。
リナと違ってドSの嫌がらせは質が悪い…
会議室の後ろ。
黒服Aが小声で言う。
「……俺思った」
黒服B。
「何」
黒服A。
「この組織」
黒服B。
「うん」
黒服A。
「トップ誰?」
黒服B。
「ボス」
黒服A。
「違う」
二人同時。
「……リナさん」
その日。
黒服の間で。
リナ最強説が静かに広まったという。




