22.上書き
『上書き』
その後――
静かに、粛清は行われた。
表の世界には何も伝わらない。
新聞にも、ニュースにもならない。
ただ、いくつかの人間が
この世界から跡形もなく消えただけだった。
誰も知らない。
誰も気づかない。
そして――
籠のなかのリナは、まだ何も知らない。
心の昔の話を聞いてから、
リナの中で何かが変わっていた。
あの夜の言葉。
孤児院を出てからの話。
必死に生きてきたという告白。
それを聞いてから、
リナは心からますます離れ難くなっていた。
毎日――
仕事から帰ってくる心のために、
キッチンで料理を作る。
最初は簡単なものだったけれど、
心が「美味しい」と笑うたびに
もっと喜ばせたくて、少しずつ料理も増えていった。
玄関の扉が開く音がすると、
リナの顔が自然とほころぶ。
「おかえり、心くん」
「ただいま、リナ」
ネクタイを緩めながら、
心は疲れたように笑う。
そしてそのまま、リナを抱き寄せる。
「今日もいい匂い」
リナは少し恥ずかしそうに笑う。
食事をして、
二人でソファに並んで座る。
そうすると、
心はいつもリナに甘えてきた。
肩に頭を預けたり、
後ろから抱きしめたり。
まるで安心する場所を確かめるみたいに。
時々、心はぽつりと言う。
「俺さ…」
「うん?」
「やっぱり……」
自嘲するような声。
後悔するような…
そのたびにリナは首を振る。
「心くんは汚くない」
そして優しく手を取る。
「証明してあげる」
まっすぐ見つめて言う。
「……きて」
リナは、逃げない。
むしろ自分から心を受け入れるように、
抱きしめた。
まるで――
心の過去を、全部包み込むみたいに。
「リナぁ…」
心はかすれた声で名前を呼ぶ。
「俺のリナ…」
腕に力がこもる。
「もう…俺は汚れてるから…」
リナの肩に顔を埋める。
「リナで綺麗にして…」
その夜も、
心は何度もリナを抱きしめた。
救いを求めるように。
確かめるように。
そしてリナも、
そのすべてを受け止めた。
心の過去も、
弱さも、
暗い部分も。
全部。
――まるで上書きするように。
リナは、ただ心を抱きしめていた。
_________
粛清が終わった頃。
地下の部屋。
数人の黒服が並んで立っている。
その前で、
心は椅子に座り、足を組んでいた。
「でもさぁ」
軽い口調で言う。
「今回は俺の怪我って事で呼び出されたのか?」
誰も答えない。
心はくすっと笑う。
「リナまだ…孤児院時代みたいに俺の事弱いとおもってる?」
少し楽しそうな声。
「いや…」
天井を見上げて笑う。
「俺の事好きだから…心配したのかぁ…」
黒服たちは無言のままだ。
心の目がすっと細くなる。
「とにかく…」
指でテーブルを軽く叩く。
「リナ自身が出て行っちゃったら…俺も守れないしなぁ…」
静かな声。
「今回リナが、タクシー乗るまで見送った馬鹿な警備はだれ?」
一人の男が前に出る。
「はっ…志村です…」
心はゆっくり視線を向けた。
「リナを危険に晒した責任取ってもらうよ」
笑顔のまま言う。
「報告も、遅いし」
少し首を傾ける。
「お前もちゃんと部下の指導しろよ」
その隣の男に視線を向ける。
「無能は、いらないんだよ」
冷たい声。
「すみません…」
震えた声が返る。
しばらく沈黙が続いた。
すると――
心がふっと笑う。
「まぁ…いいや」
軽く手を振る。
「俺今機嫌いいから」
黒服たちは一瞬、目を見開いた。
心は背もたれに寄りかかる。
そして、楽しそうに言った。
「リナがやっと堕ちてきた」
くすくす笑う。
「これでもう…リナは離れられない〜」
誰も言葉を出せない。
心は続ける。
「リナはね…かわいそうな奴を見捨てられないんだ」
指で自分の胸を軽く叩く。
「だから…」
目が細くなる。
「リナの中で俺は…孤児院のかわいそうな…心くんのままでいいんだ」
その笑みは、どこか歪んでいた。
「あぁ…」
急に思い出したように笑う。
「ほかの女と関係持ったって言った時…」
身を乗り出す。
「リナ…涙流したんだよ」
嬉しそうに言う。
「あれ絶対に嫉妬だよね?」
くすっと笑う。
「もう…かわいい」
自分の体を軽く見下ろして呟く。
「俺のコレ…リナ専用なのに♡」
そして急に、声が低くなる。
「今回のはまぁ…ごまかせた」
ゆっくり顔を上げる。
「次はないからな…」
その瞬間。
心の眼光が鋭く光った。
その場にいた全員が息を呑む。
――こんな感情の起伏を見せるボスを。
長く仕えてきた彼らでさえ、
見るのは初めてだった。




