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家族に売られてたどり着いた先は、王女様の侍女でした。 ――掃除だけは誰にも負けません。  作者: 月城 蓮桜音


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第8話 任命

 王城の門をくぐった瞬間、馬車の中の空気が変わった。窓越しに見えた城は、これまで私が知っているどんな屋敷とも違っていた。白い石で築かれた高い壁。均整の取れた塔。装飾の施された大きな門扉。

 

 ――きらびやか、なのだと思う。

 

 けれど不思議と、目を奪われるより先に別のことが頭をよぎった。……掃除が、大変そうね、と。彫刻の多い壁、高い天井。無駄のないようで無駄の多い造り。埃は溜まりにくいだろうが、その分、人の出入りは多い。磨く場所も拭く場所も、数え切れないほどありそうだ。

 

 馬車が止まり、促されて地面に降りる。石畳はよく整えられていて、靴裏に引っかかることもなかった。初めて来た王城。圧倒されないわけがないのに、胸に浮かんだのは驚きよりも、静かな覚悟だった。

 

 王城の廊下は、思っていた以上に静かだった。厚い絨毯のせいで足音が響かないのもあるが、それ以上に、人々が自然と声を潜めている。

 

「……また、辞めたそうよ」

 

 すれ違いざま、ひそひそとした声が耳に入る。振り向くことはしなかった。ここでは、聞こえなかったふりをするのが礼儀だ。

 

「王女付き、でしょう?」


「ええ。今度で、何人目かしら」

 

 王女付き侍女。そう呼ばれる役目は、この城では少しだけ特別で、そして、少しだけ避けられている。理由は、誰もはっきりとは言わない。王女殿下が厳しいからだとか、婚約者選びが絡むからだとか、城の空気が合わないのだとか。どれも噂で、どれも真実らしく聞こえた。

 

 王女殿下は、婚約者を選ぶ立場にある。それは誇らしい地位であり、同時に、逃げ場のない役目でもあった。選ばなければならない。間違えてはならない。常に期待と視線の中に立たされる。そんな方のすぐ傍で仕える侍女が、長く続かない。それだけの話なのだろう、と私は思った。

 

「リーナ=アルヴェル」

 

 名前を呼ばれ、足を止める。応接室の扉の前。背筋を伸ばし、静かに返事をした。

 

「はい」

 

 通された室内には数名の文官と、侍女長と名乗る女性がいらっしゃった。侍女長は穏やかに見えながらも、場を自然と支配する佇まいの方だった。

 

「本日付で、あなたを王女付き侍女として任命します」

 

 淡々と告げられる言葉。そこに迷いはなく、形式も整っている。私は一瞬だけ息を整える。――掃除係として、ではない。王女付き侍女。正式な雇用。名目上も、立場としても。いきなり王女付きに? 違和感は拭えないが、奉公に出された身としては、どちらにしろノーとは言えない。

 

「務めを、誠実に果たします」

 

 それだけを口にし、頭を下げた。期待も不安も、ここでは意味がない。任命のあと、私は別室へ案内された。王城にいる間、私が生活する部屋らしい。そこまで広くはないが、侍女に与える部屋にしては、家具なども立派なものが多く、驚いてしまう。

 

「こちらが、お仕着せです」

 

 差し出された衣装を見て、言葉を失う。淡い色の布地は厚みがあり、ほつれも、染みも見当たらない。薄汚れ、何度も繕ってきた掃除用のワンピースとは、まるで別物だった。


 ――触っても、いいのだろうか。迷いながら、指先でそっと布に触れる。ひやりとして、すぐに体温になじむ感触。着古した服では感じたことのない重みだった。私は、ドレスを持っていない。こういう、ちゃんとした服を着る場面が、これまでの人生にはなかった。

 

「……私が、着ていいのでしょうか」

 

「王女付き侍女ですから」

 

 その一言で、胸の奥が静かに揺れた。袖に腕を通し、留め具を整える。布は身体に沿い、動きを邪魔しない。サイズもぴったりだった。鏡に映る自分は見慣れないが――悪くはなかった。……汚さないように気をつけよう。それは、いつもの癖だ。けれど今は、ただの掃除のためではない。背筋が、自然と伸びる。


 案内された先は、王女殿下の私室だった。思っていたよりも、広い。家具は少なく、一つ一つが重厚で、置かれている位置にも意味があるのだろうと分かる。私は静かに部屋を見て回った。


 部屋は、くつろぎのための居室と寝室、そしてその奥に浴室があった。左手には書斎らしき部屋も見えるが、触れていいのか判断がつかない。――後で聞いてからにしよう。

 

 さあ、始めよう。いつも通りの仕事。違うのは、場所と、身に着けている服だけだ。


 ――掃除道具が要るわね。

 

 侍女長の部屋の位置も聞いていたので、分からないことは確認してから進めようと、そちらへ向かうことにした。扉を開け、廊下へ出た、その時だった。

 

 ふわりと、甘い香りがした。視界の端を、淡い色の裾が横切る。顔を上げると、そこには――息を呑むほど美しい女性が立っていた。整えられた髪、澄んだ瞳、背筋の伸びた佇まい。視線が合った一瞬、なぜか胸の奥がざわつく。

 

「……失礼しました」

 

 通り道を塞いでしまったのだと思い、慌てて頭を下げる。女性は何も言わず、ただ静かに微笑んで、私の横を通り過ぎていった。足音は小さく、気配だけを残して消える。


 ――綺麗な方だった。


 その時は、まだ知らなかった。さきほどすれ違ったあの方こそが――王女殿下だったことを。

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