第15話 真ん中の部屋へ
最後に残ったのは、応接間だった。
王女殿下の私室の中央に位置する部屋。扉を開けなくても分かる。人目につく場所で、来客があれば真っ先に見られる。――本来なら、最優先に整えるべき部屋だ。けれど、私はここを後回しにした。
理由は単純だ。寝室と書斎は生活の核だ。長く過ごす場所で、使う時間も、触れる回数も多い。乱れれば、不都合が積み重なる。疲れも、思考も、眠りも、すべてに影響が出る。応接間は違う。整ってさえいればいい。多少の使用感があっても、致命的にはならない。
私は扉の前で一度だけ立ち止まり、呼吸を整えた。……少し、遅い。壁際の時計の音が頭をよぎる。寝室に、思っていた以上に時間を使った。けれど、それを後悔はしない。あれは必要な時間だった。
ノブに手を掛け、応接間へ入る。視界に入ったのは、大きなソファと低いテーブル。配置は整っているが、使われていないわけではない。座面の中央が、わずかに沈んでいる。私は近づき、布地に目を凝らした。
――染み。淡い色の布に、少し濃い影が落ちている。飲み物だろう。水ではない。乾いているが、完全には落ちきっていない。広がり方から見て、慌てて拭いた痕跡がある。
……これも、後回しにしていい汚れではない。いつも使われる場所だからこそ。
私は膝をつき、布巾を用意する。ここでは、床や書類ほど神経質になる必要はない。だが、雑に扱えば目立つ。応接間は“見られる部屋”だからだ。布の種類を確かめ、繊維の流れを読む。まずは、水分を与えすぎない。外側から、押して、吸わせる。寝室と同じだ。順番を間違えなければいい。
――やはり時間がかかりすぎている。頭のどこかで、そう思う。でも、手は止めない。私は染みの縁に集中し、布巾を取り替えた。ここからが時間のかかるところだ。焦れば広がる。目立てば、余計に時間がかかる。だから、急がない。
「ふう……」
やっと目立たなくなった染みに、安堵の息を吐いた。その時だった。――近づいてくる足音がする。
廊下から、規則正しい音が近づいてくる。侍女のものとは違う。靴音が静かで、迷いがない。私は顔を上げず、動作を続けた。空気が、わずかに変わる。誰かが、そこに立った気配。
……ああ。部屋の主が帰っていらしたのだと理解した。




