第10話 寝室の惨状
寝室に足を踏み入れた瞬間、空気が一段、重く感じられた。香を焚いた匂いでもない。湿気でもない。――布と埃、そして甘いものが乾いた匂いが混ざり合っている。
天蓋付きのベッドが、部屋の中心に鎮座していた。白いはずのシーツは、くしゃりと乱れている。寝相が悪かったのだろう、と言いたいところだが……乱れ方が妙に“広い”。寝た人間の範囲を超えている。
私は視線を滑らせ、床の隅を見る。――赤紫。さっき見つけた敷物の染みだけではなかった。床にも、点々と色が飛んでいる。乾いて、輪郭が固まっている。ぶどうのジュース。あるいは、果実酒に近い濃さだ。
ここまで残るのは、単にこぼしたからではない。運が悪ければ一度くらいはやってしまうこともあるだろう。だが、これは一度の跡ではない。シーツの端にも、同じ色がにじんでいる。床の染みと同じ方向に伸びている。――拭いた跡だ。濡れた布で強く擦って、かえって繊維の奥に色を押し込んでしまったときの滲み方だった。
私は、天蓋の内側に目を向ける。布の影に、細かな埃が溜まっている。しかも新しい。掃除がされていない期間が長いというより、――“最近”そこへ動かされてきたような埃の寄り方だった。……生活の中でつく汚れではない。言葉にしなくても分かった。
ここは、人が毎日眠る場所だ。汚れるのは当たり前だ。けれど汚れ方には、筋がある。寝室というのは、生活の核だからこそ、乱れ方にも一定の規則が出る。だが、この部屋には規則がない。散らかるべきものが散らかっていない。落ちるはずのない場所に染みがある。拭いた跡があるのに、汚れは残ったままだ。
――わざと残してある。
私は息を吐き、心の中で手順を組み立てた。怒りは湧かなかった。今は、怒る必要がない。原因を推理する。汚れの種類を分類する。乾き具合を見極める。触れていい範囲と、触れてはいけない範囲を分ける。
まず、床だ。私はバケツの水に手を入れ、温度を確かめる。冷たい。これでは色が浮かない。持ってきた布巾を二枚に分け、一枚は固く絞り、もう一枚は乾いたままにして端に置く。
次に、敷物。染みの外側から内側へ。水は使いすぎない。最初は、湿らせるだけ。繊維を痛めないよう、擦らずに押す。――押して、吸わせる。そのために、私は膝をついた。布の向き、力のかけ方、置く順番。手順を間違えれば、汚れは広がる。少しでも残れば、かえって目立つのだ。
私は一度だけ、天蓋を見上げた。……ここまで汚して、何を見たいの? 答えは、もう分かっている気がした。けれど、それを口にするのは、今じゃない。私は布巾を取り替え、同じ動作を繰り返す。異常なほど丁寧に。誰が見ていなくても、同じように。
――掃除は、手順だ。魔法を使うのは、そのあとでいい。
手で落とせるのは、ここまで。――あとは、魔法で“加減”をする。




