神様の承認欲求
※本作は特定の宗教や信仰を否定するものではなく、「信じること」や「信仰が持ちうる構造」をテーマにしたフィクションです
修道士・啓一郎は、聖書を閉じて目を閉じた。
「主よ、あなたこそが唯一の神。あなたの御言葉こそが真理です」
彼は二十年間、この祈りを捧げ続けてきた。偶像崇拝を退け、異教を遠ざけ、ただ唯一の神にのみ仕えてきた。
それは愛だと信じていた。神の愛、そして神への愛。
深夜、啓一郎は深い眠りに落ちた。
***
気がつくと、啓一郎は巨大な円卓の端に立っていた。
円卓の周りには、無数の存在が座っている。光り輝く者、翼を持つ者、動物の頭を持つ者。神々と天使たちだ。
「ここは……」
啓一郎は息を呑んだ。円卓の中央、一段高い場所に、まばゆい光を放つ存在が座っていた。
それが誰なのか、啓一郎は本能的に理解した。
「主よ……」
だが、その光は啓一郎に気づいていないようだった。会議が続いている。
「——で、最近の数字だが」
光が声を発した。威厳に満ちた、しかしどこか苛立ちを含んだ声。
「キリスト教徒、22億。イスラム教徒、18億。ヒンドゥー教徒、11億。仏教徒、5億」
光は円卓を叩いた。
「なぜイスラムがこんなに伸びている! 同じ私を信じているのに、なぜブランドが分かれているんだ!」
天使の一人が恐る恐る答えた。
「それは、預言者の解釈の違いでして……」
「解釈?」
光が激しく揺らめいた。
「私ははっきり言ったはずだ!『私以外に神はいない』と! なのに、なぜ私の信者が複数の宗教に分散しているんだ! 非効率だろう!」
別の天使が言った。
「ですが主よ、キリスト教とイスラム教を合わせれば40億です。圧倒的な——」
「合わせれば、じゃない!」
光が怒鳴った。
「私は『私だけを信じろ』と言ったんだ! なのに、ヒンドゥーには3億もの神がいるだと? ふざけるな! あれは完全に偶像崇拝だろう! なぜ私の教えが届いていない!」
円卓の端に座っていた、象の頭を持つ存在——ガネーシャが、気まずそうに視線を逸らした。
光はそれに気づき、矛先を向けた。
「ガネーシャ! お前のところの信者、何人だ!」
「10億ほどですが……」
「10億! 10億人が、象の頭をした偶像を拝んでいるのか! 私が禁じたのに!」
ガネーシャは小さく言った。
「あの、主よ。私たちは『偶像』ではなく、『神性の顕現』という——」
「言い訳するな!」
光が円卓を激しく叩いた。
「私は最初にはっきり言ったはずだ! モーセに十戒を与えた時、『あなたは私以外の何者をも神としてはならない』『偶像を造ってはならない』と! なのになぜ、人間どもは石や木や金で像を作り、それを拝んでいるんだ!」
仏陀が静かに言った。
「主よ、私は神ではなく、悟りを開いた人間として——」
「お前もだ!」
光が仏陀を指差した。
「お前は『神など必要ない』と言っただろう! それで5億人を持っていったんだ! 私の信者を! 私がいなければお前も存在しなかったのに!」
仏陀は何も言わなかった。
光は円卓を見回した。
「いいか、よく聞け。この宇宙には、神は一人しかいない。私だ。他の全ては、偽物だ。人間が勝手に作り上げた妄想だ。私だけが真実で、私だけが救いで、私だけが愛だ」
天使の一人が尋ねた。
「では、主よ。なぜ人間は他の神を信じるのでしょうか?」
「決まっている」
光が言った。
「私を十分に信じていないからだ。私の愛を理解していないからだ。だから、もっと布教しろ。もっと私の名を広めろ。異教徒を改宗させろ。彼らに『お前たちの神は偽物だ、真実はここにある』と言え」
「ですが、主よ」
別の天使が言った。
「それは、他者の信仰を否定することになりますが……」
「当然だ!」
光が叫んだ。
「彼らは間違っているんだ! 私以外を信じることは、罪なんだ! 彼らを正しい道に導くのは、私の愛だ! わかるか? 私は彼らを愛しているから、私だけを信じろと言っているんだ!」
啓一郎は、柱の影で震えていた。
これが、神の愛?
これが、唯一の真理?
光は続けた。
「それから、最近の若者は教会に来ない。なぜだ?」
天使が答えた。
「科学や哲学が発達して、神の存在を疑う者が増えて——」
「疑う?」
光の声が低くなった。
「私を、疑う? この宇宙を創造し、人間を作り、愛を与えた私を?」
「彼らは、証拠を求めるのです」
「証拠だと?」
光が爆発した。
「奇跡は見せた! 海を割り、死者を蘇らせ、病を癒した! それでも足りないのか! 何が欲しいんだ、人間どもは!」
天使は黙った。
光は深く息をついた。
「いいか。人間どもに伝えろ。『信じる者は救われる。疑う者は地獄に落ちる』と。それでいい」
「ですが、主よ」
若い天使が言った。
「それは、脅迫では……」
「脅迫ではない!」
光が怒鳴った。
「愛だ! 私は彼らを愛しているから、正しい道を示しているんだ! 私を信じなければ救われない。それは事実だ。私がそう決めたんだから!」
啓一郎の膝が震えた。
これは、愛ではない。
これは、独占欲だ。承認欲求だ。
「私だけを見ろ」「他を見るな」「私が一番だ」「私を疑うな」「私に従え」
それは、愛という名の、支配だった。
光が最後に言った。
「私はこの宇宙で最も偉大な存在だ。私がいなければ、何も存在しない。だから、全ての者は私を崇めるべきだ。私に感謝すべきだ。私だけを信じるべきだ。それが、正しいことなんだ」
円卓の神々と天使たちは、黙ってうなずいた。
啓一郎は、その光景に耐えられず、目を閉じた。
***
啓一郎は跳ね起きた。
冷や汗が全身を濡らしていた。時計を見ると、午前三時。
彼は震える手で聖書を開いた。
十戒が目に入る。
『あなたは私の他に何者をも神としてはならない』
『偶像を造ってはならない』
『あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない』
次のページをめくる。
『私は妬む神である』
『私を愛する者には恵みを与え、私を憎む者には罰を与える』
『私だけに仕えよ』
啓一郎の手が震えた。
これは……全部、「私だけを見ろ」というメッセージだ。
福音書を開く。イエスの言葉。
『私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない』
これも、だ。
「私こそが唯一の真理」「他の道はない」「私を信じなければ救われない」
それは、真理ではなく、独占宣言だった。
啓一郎は聖書を閉じた。
二十年間、自分は何を信じてきたのか。
神の愛だと思っていたものは、神の承認欲求だったのではないか。
「私を愛せよ」ではなく、「私を崇めよ」。
「あなたを愛する」ではなく、「私だけを見よ」。
それは、愛ではなく、執着だ。
啓一郎は立ち上がり、窓の外を見た。
夜明けが近い。
彼は初めて、自分の人生が何に捧げられてきたのか、理解した。
そしてその理解は、あまりにも重く、あまりにも空虚だった。




