新しい日常 +納豆レシピ
目が覚めた。
意識の浮上と共に、泥のように深く、ぐっすりと眠っていたことを自覚する。
布団の感触を確かめるように手足を動かすと、ふわりと柔らかい。
窓から差し込む朝の光が、白いシーツを眩しく照らしている。
遠くからは、鳥のさえずりと共に、朝を告げる鐘の音。そして農作業に向かうであろう何人もの人々の話し声が、活気のあるざわめきとなって聞こえてくる。
(……夢じゃ、ないんだ)
ゆっくりと体を起こし、周囲を見回す。
ここはグランヴェル農園の母屋にある、小さな一室。私は、奴隷だ。
昨日起きた出来事が、鮮明な映像となって走馬灯のように脳内を駆け巡る。
森での目覚め、奴隷市場の冷たい石畳、大岩のような男マーカスによる購入、そして馬車での移動。
すべてが、紛れもない現実だった。
ベッドから降りる。
体は昨日までの鉛のような重さが嘘のように軽い。あの質素ながらも清潔なベッドと、温かい食事が私の体力を完全に回復させてくれたようだ。
窓辺に立ち、外を見下ろす。
昨日農園に来たばかりの時は、正直なところ恐怖と緊張で景色を見る余裕など微塵も無かった。
だが今、朝の光に照らされた農園の全貌は、私の想像を遥かに超えていた。
「これは……すごーく、ひろ〜い!」
思わず、語彙の乏しい感嘆の声が漏れた。
手入れされた芝生の庭の向こうに、水平線の彼方まで続くのではないかと思うほど広大な農地。
風にそよぐ緑の畑、整然と並ぶ果樹園。そして遠くには水面が輝く水田地帯も見える。
その間を、豆粒のように小さな人影——多数の奴隷たちが、列をなして移動しているのが見えた。
それはまるで、高度に計算され尽くした都市計画を見下ろしているかのような、圧倒的な生産の現場だった。
コンコン。
控えめなノックの音がして、私は我に返った。
「ナタリー? 起きているかしら?」
「はい、起きています」
扉が開き、エリザベスが顔を見せた。
「おはよう。よく眠れた?」
「はい……ありがとうございます。おかげさまで、ぐっすりと眠れました」
「それは良かったわ。さあ、顔を洗って着替えたら、台所に来てちょうだい。朝食の準備を手伝ってもらうわ」
エリザベスが去った後、私は前世の会社員時代に培った効率の良さで、素早く身支度を整えた。
部屋の隅にある水差しの水で顔を洗う。冷たい水が肌を引き締め、まだ微睡んでいた脳の神経を強制的に覚醒させる。
鏡はないが、手櫛で長い銀髪を丁寧に整え、支給されたシンプルなワンピースを着る。
まるでゲームの初期装備のような簡素な衣服だが、動きやすさは抜群だ。
台所へ向かうと、そこはすでに戦場のような忙しさだった。
「ナタリー。この大鍋のスープ、底が焦げ付かないようにずっとかき混ぜていてくれる? 結構力がいるのだけど」
「あ、それなら魔法でできると思います。」
「え?」
私は鍋の前に立つと、右手の人差し指を立てて、指揮者のようにくるくると回した。
生活魔法の一つ、『攪拌』だ。
本来は風を起こして洗濯物を乾かしたり、埃を飛ばしたりする初歩中の初歩魔法だが、気流の渦の回転数を精密にイメージし制御することで、液体への物理的な干渉が可能となる。
「美味しくな〜れ、美味しくな〜れ……」
指先を回すと、鍋の中のスープが私の指の動きに完全に同期して、優雅に回転し始める。
遠心力を利用して具材が踊る。完璧な対流だ。
「まあ! すごいわナタリー! 手を使わずにそんなに上手に混ぜるなんて!」
エリザベス様が目を丸くして感心した。
「エルフは火や水を使うと聞いていたけれど、こんなに器用に流体力学を操るように魔法を使うなんて初めて見たわ。……決まりね」
「はい?」
「あなた、今日から我が家の『スープ係』よ。あなたの混ぜたスープ、とっても美味しそうだもの」
かまどには火が入り、スープから野菜の甘い香りが漂ってきた。
「ナタリー。次はこの野菜を切ってくれる?」
「はい、お任せを」
手渡された野菜の中に、緑色の見覚えのあるフォルムがあった。
——オクラだ。
オクラ。アオイ科トロロアオイ属。
前世では納豆と並ぶ、ネバネバ界の重鎮だ。
刻めば刻むほど粘りを増すその特性は、納豆との相性が抜群に良い。
オクラ、めかぶ、山芋、そして納豆……個性豊かなネバネバ・ヌルヌル食材たちを混ぜて作る「ネバネバ丼」は、私の中では高級レストランのフルコースをも超える、最強メニューのひとつだ。
これ一杯で、食物繊維、ビタミン、タンパク質、そして心の平安が満たされる、まさに完全食。
(ああ、ここに納豆さえあれば……!)
切ない願いを胸に、私は包丁を手に取った。
前世の記憶と、エルフとしての優れた身体感覚がリンクする。
トントン、トントン。
リズミカルで心地よい音を立てて、野菜がミリ単位の精度で綺麗に刻まれていく。
「あら、上手ね」
エリザベスが感心したように声を上げた。
「料理はしたことがあるの?」
「……はい、少しだけ。多少の心得はあります」
嘘ではない。
前世の私は自炊していたし、何より「納豆作り」という名の実験に明け暮れ、狂ったように納豆料理を開発していたのだ。
大豆の選別、蒸煮時間、そしてネギのみじん切りスキル。
私の包丁さばきは、すべて納豆を美味しく食べるためだけに磨き上げられたと言っても過言ではない。
(あの頃の私は、納豆料理のことばかり考えていたわ……。深夜のキッチンで独り、研究に没頭して……)
「……はぁ」
私は小さく溜息をつき、沸き上がる食欲と郷愁を理性でねじ伏せた。
軽く頭を振って意識を切り替え、私は並べられた料理へと視線を戻した。
朝食のメニューは、焼きたてのパン、野菜スープ、濃厚なチーズ、そして新鮮なサラダ。
そして——ひときわ目を引くのが、大皿に載った巨大な肉の塊だ。
朝から食べるにはいささか重そうに見える、というか胃がもたれそうだが、これがこの家の主の力の源なのだろう。
準備が整うと、私は料理を食堂へと運んだ。
大きなテーブルには、すでに家族全員が揃っていた。
上座にマーカス、その隣にエリザベス。
長女のソフィアと、その隣には弟のトーマス、そしてテーブルの端にはマーカスの老いた母マーサも座っている。
私が肉の皿を置くと、マーカスの目が少年のように、いや、獲物を見つけた猛獣のように輝いた。
「おお、待っていたぞ! やはり朝からこれがないとな!」
マーカスはフォークで肉の塊を突き刺すと、豪快に笑い声を上げた。
「ガハハハ! 人間、朝から肉を食わんと力が出んからな! 筋肉が求めているのだよ! 今日も畑仕事でしっかり汗をかくためにも、燃料が必要だ!」
朝の静寂を物理的に吹き飛ばすような大きな声に、隣のエリザベスが呆れたように、けれど愛おしそうに苦笑する。
すると、その賑やかさに釣られるように、長女のソフィアが身を乗り出した。
「おはよう、ナタリー!」
「おはようございます、ソフィアお嬢様」
「ねえねえ、今日からお勉強教えてくれるんだよね? 私、すっごく楽しみにしてたの!」
ソフィアはキラキラした瞳で私を見つめると、興味津々といった様子で私の頭の方を指差した。
「それに、エルフのお話も聞きたいな。その長いお耳、触ってみてもいい? プニプニしてる?」
「姉さん、行儀が悪いよ」
窘めるような呆れた声を出したのは、弟のトーマスだ。
まだ幼さは残るものの、姉よりも落ち着いた口調で続ける。
「食事中に騒ぐなって、いつも母さんに言われてるだろ。それに、父さんも筋肉の話ばっかりするのはどうかと思うけど。脳みそまで筋肉なの?」
「なんだとトーマス! 筋肉こそ最強の魔法だぞ! 魔法防御力も物理防御力も、すべては厚い胸板から生まれるのだ! お前も男ならもっと食わんか!」
「はいはい……」
奔放な姉と豪快な父に、生真面目なツッコミ役の弟。
その漫才のようなやり取りに、食卓が笑いに包まれる。
私はどう反応していいか分からず戸惑っていると、テーブルの端から、しゃがれた低い声が響いた。
「……騒がしいねぇ」
それまで黙々とスープを飲んでいたマーカスの母、マーサだ。
マーサは足腰が悪く、歩くときは常に杖が必要だという。食事の時以外は自室に籠もりきりだから、それ以外は滅多に会うことはない。
彼女は鋭い眼光で家族を一瞥させて静かにさせると、ゆっくりと私に視線を向けた。
「お前さんかい? この野菜を切ったのは」
「あ、はい。そうです」
叱られるのかと思い身構えると、彼女はスプーンですくった野菜をじっと見つめ、フンと鼻を鳴らした。
「大きさがきっちり揃っている。正確だね。雑な仕事をする奴隷が多いが……お前さんは、手先が器用なようだ」
「あ……ありがとうございます」
「仕事ができるなら、種族なんて関係ないさ。せいぜい励みな」
ぶっきらぼうだが、そこには確かな労りの響きがあった。職人気質の老婆のような実直さを感じる。
無邪気な笑顔とは違う、厳しくも温かい言葉に、少しだけ心が和らぐ。
私は一礼して台所へ戻り、そこで家族の食事が終わるのを待った。
彼らの食事が終わった後、台所の隅で自分の分の朝食を摂る。
パンは少し硬くなっていたし、スープも冷めていたけれど、不思議と味気なさは感じなかった。
騒がしくも温かい食卓と、私を受け入れようとしてくれる空気。
奴隷という立場ではあるけれど、ここなら生きていけるかもしれない。いや、生きてみせる。
私は最後の一欠片のパンを口に入れ、しっかりと噛み締めた。
(いつかこのパンに、納豆を挟んでやるんだから……)
それが、私の新しい日常の始まりの味であり、新たなる野望の味だった。
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【ネバり姫の納豆料理】ネバさ増強「ネバネバヌルヌル納豆丼」
さあ、今夜は宴だ。
ネバネバの、ネバネバによる、ネバネバのための狂宴、「特製納豆どんぶり」の開催である。
まずは土台作りから。
丼に、湯気が立つほどの熱々の白米を盛る。表面は平らにならすこと。これが我々のステージ(舞台)だ。
そこへ、タレと刻みネギを加え、白くなるまで撹拌して粘りを極限まで引き出した納豆を敷き詰める。
ご飯が見えなくなるまで、一面の茶色い絨毯を作るのだ。
だが、今夜の納豆は単独ではない。強力な援軍が控えている。
緑の星屑、「オクラ」。
海のミネラル爆弾、「めかぶ」。
これらを細かく刻み、大地の白い血液こと「すりおろし山芋」と軽く和える。
少量、ポン酢を加えると、よいアクセントになる。
これらネバネバ軍団を、納豆の中心に配置する。
そして、この混沌とした粘液の中心に、スプーンで優しく窪みを作る。
そこへ——黄金色の卵の黄身を、「ドン」と鎮座させるのだ。
「……おや?」
私の古くからのファン(フォロワー)なら、ここで眉をひそめたかもしれない。
あるいは「裏切り者!」とスマホを投げつけたかもしれない。
そう、私はかつて、「納豆かけご飯に卵黄は邪道である」と高らかに断言した。
黄身の濃厚さが、納豆本来のエッジの効いた風味をボヤかしてしまうからだ。その信念に嘘はない。
だが待ってほしい。聞いてくれ。
この丼だけは、唯一にして絶対の「特例」なのだ!
なぜなら、これは単に「納豆の味」を楽しむ料理ではない。
オクラ、めかぶ、山芋、納豆……それぞれ由来の異なる多糖類たちが織りなす、食感の「異種格闘技戦」であり、その相乗効果を楽しむためのエンターテインメントだからだ!
オクラの青っぽい粘り。
めかぶの海藻由来のヌメリ。
山芋の重厚な粘度。
そして納豆の糸引く粘り気。
これら個性豊かすぎるメンバーは、放っておくと口の中でバラバラに主張し始めてしまう。
そこで必要になるのが、彼らを一つにまとめ上げ、全体をまろやかにコーティングする「接着剤」——そう、卵の黄身なのだ。
いわば、個性派揃いのアイドルグループをまとめるリーダー。
この丼において、卵黄は「味を薄める邪魔者」ではなく、「チームを統率する司令塔」として君臨する。だからこそ、許されるのだ。
仕上げに、だし醤油を回しかけ、わさびを添える。
もし懐に余裕があるなら、スーパーの閉店間際に半額でゲットした「マグロの赤身」や「イカそうめん」を乗せてみてほしい。
それはもはや「ばくだん丼」を超えた、敵なしの御馳走となる。
さあ、食べましょう。
この料理に「お行儀」なんて言葉は不要だ。
食べる直前に、中央の黄身を箸で崩す。トロリと流れ出す黄金の溶岩。
それを全体に絡ませるように、下から上へと豪快に、無慈悲にかき混ぜる!
空気を含ませ、全ての食材が渾然一体となったカオスを作り出すのだ。
丼の縁に口をつけ、箸で流し込むように、ズルズルとかき込む。
「んんっ……! ンーーーッ!」
オクラのシャキシャキ、めかぶのコリコリ、納豆の粒感。
それらがヌルヌルの山芋と卵液に包まれ、喉を滑り落ちていく快感。
それぞれの異なる粘り気(ムチン質)が、胃壁を優しく保護していくのがわかる。
これぞ、食感のオーケストラ。
明日への活力が、胃袋の底から湧き上がってくるのを感じる……!
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納豆料理レシピ
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◆ ネバさ増強「ネバネバヌルヌル納豆丼」
◑材料(1人分)
・納豆
・ご飯
・オクラ
・めかぶ(味付きでないもの推奨)
・山芋(長芋)
・卵の黄身
・長ネギ
・だし醤油(または醤油)
・ポン酢
・わさび
・(あれば最高)マグロの赤身、イカそうめん、いぶりがっこ等
◑作り方
1.納豆はタレとネギを加え、よく混ぜておく。オクラは塩ゆでして刻む。山芋はすりおろす。
2.丼にご飯を盛り、納豆を平らに敷き詰める。
3.その中心に、オクラ、めかぶ、山芋ををポン酢を加えて混ぜ、配置する。
4.中央に窪を作り、卵の黄身を乗せる。
5.だし醤油を回しかけ、わさびを添える。
6.全体を容赦なくかき混ぜて、ズルズルと音を立てて食べる。
※ネバネバ成分は食欲がない時や、胃腸が疲れている時にもスルッと入る最強のスタミナ丼です。




