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転生エルフは納豆が食べたい! ~その豆、禁忌につき。世界を敵に回しても私は混ぜる~  作者: Geo
第三章 【覚醒する藁の龍と反逆の狼煙】

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森の呼び声

「——逃げられると思うなァァァァッ!」


異端審問官の、憎悪と悔しさに満ちた絶叫。

それは森の重厚な木々に吸い込まれ、やがて完全に聞こえなくなった。


喧騒が去った後に辺りを支配したのは、圧倒的な静寂と、湿った土の匂いだけだった。


「……ナタリー様、大丈夫ですか?」

「ええ。平気よ」


私はロバートから譲り受けた上質な羊毛のマントを強く引き寄せた。

商隊仕様の厚手の生地が、夜の森の冷気と、頬を打つ枝葉から私たちを守ってくれていた。


足元の悪い道なき道を、私とセリーナ、そして一体の「わらの兵士」が進んでいく。

藁の兵士——ワラ兵衛べえと名付けた彼は、言葉こそ発しないが、その背中で藪を切り開き、私たちの道を作り続けてくれている。


それから、私たちは歩き続けた。

一日、二日……そして五日が過ぎた。


エルンの森は、想像を絶する深さだった。

空を覆い尽くす巨木の枝葉により、昼でも薄暗く、本来なら方向感覚などすぐに失ってしまうはずだ。

だが不思議なことに、私たちは一度として道に迷うことはなかった。


「あっちね」


私は確信を持って足を進めた。

地図もコンパスもない。けれど、森に入ってからずっと、見えない磁石に引かれるように進むべき方向が分かったのだ。

右に行けば沼地で足を取られる。左に行けば崖がある。

直進こそが正解だと、肌で感じる風や、草木のざわめきが教えてくれるようだった。


そしてもう一つ、奇妙なことがあった。


「……ッ、ナタリー様。止まってください」


三日目の夕暮れ時、セリーナが私の袖を引き、声を潜めた。

前方の茂みがガサリと揺れ、二つの鋭い眼光がこちらを覗いていた。


巨大な牙を持つ、森の捕食者——灰色熊グリズリーだ。

セリーナが震える手で短剣に触れる。

だが、私は不思議と恐怖を感じなかった。


「大丈夫よ、セリーナ。……ワラ兵衛」


私が名を呼ぶと、藁の兵士がザザザと音を立てて私たちの前に立ち塞がった。

熊は、その不気味な藁人形を見つめ、そして私のほうへと鼻をひくつかせた。

威嚇しているのではない。何かを、見定めているような目。

やがて熊は、興味を失ったかのようにフンと鼻を鳴らすと、ゆっくりときびすを返し、森の奥へと消えていった。


「……逃げて、いきましたね」


セリーナが呆然と呟く。


熊だけではない。狼の群れも、毒を持つ大蛇も、私たちの気配を感じると、まるで王族に道を譲るかのように姿を隠した。

それはワラ兵衛の異様な姿を警戒したからかもしれない。

あるいは、私の身に纏う「ナトゥー」の気配――圧倒的な生命の濃さが、野生の本能に「手出し無用」と告げているのかもしれない。


セリーナが機転を利かせて持ち出した僅かな干し肉と固焼きパン。

そして、私が太いつたを短剣で傷つけると滴り落ちてくる、透明で甘い水。

木の実や果実を見つけては、口に入れた。

森は私たちを拒絶するどころか、招き入れているようだった。


五日目の昼下がり、森の空気が変わった。

今まで肌を刺していた冷気が消え、湿度を帯びた生暖かい風が流れている。

そして、匂い。


腐葉土の土臭さの中に混じる、独特の芳醇な香り。

ただの腐敗臭ではない。

どこか懐かしく、胸の奥がざわつくような濃厚な気配。


(こっちよ……)


左手首の藁縄が、脈打つように熱を帯び、強く私を呼んでいる。

迷いはない。まるで、長い長い旅を終えて、ようやく家に帰るような感覚だった。


「……ナタリー様、この匂いは」

「ええ。何かが、呼んでいるわ」


藪を抜けると、突然視界が開けた。


「あっ……」


私は息を呑み、立ち尽くした。

そこは、巨木に囲まれた小さな円形の広場だった。

天井のように覆い被さる枝葉の隙間から、一筋の光がスポットライトのように差し込み、中央に鎮座する苔むした巨大な岩を照らしている。

風が止まり、鳥の声すらしない。聖域のような静寂。


「ナタリー様、ここは?」

「……私が、最初に目覚めた場所」


記憶の霧が晴れていく。

奴隷商人に捕まる直前。私はすべての記憶を失い、この岩のそばで倒れていたのだ。

あの時は、自分が何者かも分からず、ただ恐怖に震えて森を彷徨った。


けれど今は違う。

私はここへ「戻ってきた」のだ。

私が苔むした岩に歩み寄り、そっと手を触れた、その時だった。


——ドクン。


左手首の藁縄が激しく脈打ち、青白い光を放った。

それに呼応するように、岩の周囲の地面から、無数の黄金色の粒子が舞い上がった。


それは胞子か、あるいは光の粒か。

黄金の粉は空中で渦を巻き、やがてうっすらと一人の女性の形をかたどり始めた。

長い耳。慈愛に満ちた瞳。そして、どこかはかなげで美しい佇まい。



「あ、ああ……」


後ろでセリーナが膝をつく気配がした。

無理もない。その姿は、教会の肖像画とは違うけれど、彼女が幼い頃から焦がれ続けた伝説の存在そのものだったからだ。


「……ようこそ、ナタリー」


光の女性が、鈴を転がすような声で私を呼んだ。


貴女あなたは……アリエル?」

「私はアリエルであって、アリエルではない。

 この森に刻まれた、百年前の私の記憶の残滓ざんし


彼女はふわりと微笑み、私の左手首を見つめた。


「目覚めたのね。『ナトゥー』の力に」

「ナトゥーの……力」

「ええ。あの藁の龍。

 そして藁の兵士たち。

 貴女が願った『守りたい』という意志に、彼らが応えた証拠よ。

 ……よく生きて、ここまで辿り着いてくれたわ」


「教えて、アリエル。

 私は一体何者なの? なぜ記憶がないの? なぜ、この力が使えるの?」


私は溢れる疑問をぶつけた。

この世界に来てからずっと抱えてきた不安。ナトゥーとは何なのか。私は何をすればいいのか。

アリエルは寂しげに、けれど力強く首を横に振った。


「ここで全てを話すには、私の時間は短すぎる。

 それに……ここはただの入りゲートに過ぎないわ」


アリエルが背後の森の深淵を指差した。

そこには道などない。

ただ、太古から続く巨木の根が、複雑に絡み合っているだけだ。


「この先には、かつてのエルフの都が眠っている。

 私の研究も、この世界の真実も、すべてそこに残してきたわ」

「この先に……?」

「行きなさい、ナタリー。

 貴女自身で確かめるの。

 貴女の力の正体、そして、貴女がこの世界で何を成すべきかを」


彼女がそう告げると、奇跡が起きた。

指差した方向の巨木たちが、ゴゴゴゴ……と低い音を立てて動き出し、絡み合った根が解け、地下へと続く一本の道を作り出したのだ。

その奥からは、目も眩むような黄金色の光が漏れ出し、未知なる風が吹き上げてくる。


「恐れないで。精霊ナトゥーたちは貴女の味方よ」


アリエルは最後に茶目っ気たっぷりにウインクをすると、ふわりと弾け、無数の光の粒子となって森へと還っていった。


静寂が戻った森の中で、私は開かれた道を見つめた。

この先に、答えがある。

私が何者で、この不思議な力で何ができるのか。

それはきっと、私が想像しているよりもずっと大きく、困難な真実かもしれない。


「……行きましょう、セリーナ」


私は顔を上げた。

迷いはもう、微塵もなかった。


「はい。どこまででもお供します、ナタリー様」


セリーナが立ち上がり、私の隣に並ぶ。

私はアリエルが指し示した道へと一歩を踏み出した。


ただ逃げるための旅は終わった。

ここからは、自分を知るための冒険が始まる。

森の闇の向こうで、黄金の光が私たちを待っていた。


(第一部・完)

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