藁の兵隊
「——よし、通れ!」
衛兵の気だるげな声とともに、重厚な城門がゆっくりと開いていく音がした。
私は荷馬車の二重底の暗闇の中で、息を殺してその音を聞いていた。
隣では、セリーナが私の手を痛いほど強く握りしめている。
「ロバート商隊長、いつもご苦労様です。……しかし、今日は随分と荷が少ないですね」
「ああ、急な注文でな。王家御用達の品だ、遅れるわけにはいかんのでね」
ロバートの堂々とした声が聞こえる。
さすがは大商人、微塵の動揺も感じさせない。
馬車が動き出す。
ゴトゴトという車輪の振動が、硬い石畳から土の感触へと変わった。
私たちは、王都の外へ出たのだ。
◇ ◇ ◇
王都からだいぶ離れた、街道沿いの丘で馬車は止まった。
ここが、ロバートとの別れの場所だ。
「ここから先は一本道だ。半日もすれば森が見えてくるはずだ」
ロバートが用意してくれたのは、古いが頑丈な幌付きの一頭立て馬車だった。
そして私の要望通り、荷台には溢れんばかりの「藁」が積まれている。
「ロバート様、本当にありがとうございました。
この御恩は一生忘れません」
「なぁに、エリザベスへの土産話ができただけさ。
……ナタリー、死ぬなよ」
「はい。必ず、生きて戻ります」
ロバートは商隊と共に街道を東へ、私たちは北へと進路を取った。
御者台にはセリーナが座り、手綱を握る。
私は後部の幌の中、山積みにされた藁束の中に埋もれるように座った。
「ナタリー様、少しお休みになっては? 昨夜は一睡もしていないでしょう」
「大丈夫よ、セリーナ。それより、私はやることがあるの」
私は藁束の一つを解き、作業を始めた。
指先が擦り切れるのも構わず、一心不乱に藁を編んでいく。
目的は、藁で人形をつくること。
それも、農園の子供たちに作ったような手のひらサイズではない。
できれば人間と同じ、等身大の人形だ。
そして、その手に持たせるための、茎を固く束ねて作った「藁の剣」。いや、棒か。
(早く作らなくては……!)
いつ、追っ手が来るかわからない焦燥感が指を急がせる。
あの時、火刑台で巨大な藁の龍が現れた。昨夜は、藁縄から光が放たれた。
私の「ナトゥーの力」は、藁を媒介にして発動する。
ならば、あらかじめ形を作っておけば、より強力な武器になるはずだ。
一時間ほどで、一体目が完成した。
不格好だが、頭と胴体、手足はある。
私は休むことなく二体目、三体目に取り掛かった。
昼過ぎ、馬を休ませるために街道脇の木陰に馬車を停めていると、一台の荷馬車が近づいてきた。
人の良さそうな老夫婦の行商人だ。
「おや、休憩かね? 若い娘さん二人で、珍しいねぇ」
老人が話しかけてきた。私は作業の手を止め、とっさにフードを目深に被って幌の隙間から顔を出した。
「ええ、ちょっとそこまで」
「それにしても、すごい藁の量だ。それに、あんたさん、この辺りの顔じゃないね?」
老人の目が、隠しきれない私の銀髪に向けられる。心臓が跳ねた。
「こ、これは……お使いなんです! 北の親戚の農家に、どうしても届けて欲しいと頼まれて……」
私が慌てて取り繕うと、隣でセリーナがすかさずフォローした。
「ええ、そうなんです。私たちは遠くの街から働きに来ていて、道に不慣れなもので……」
セリーナの落ち着いた対応に、老夫婦は疑いを解いたようだ。
「そうかい、そうかい。若いのに感心だねぇ。この先は森が深くなるから、気をつけてな」
老夫婦は親切に忠告を残し、去っていった。
私たちはホッと胸を撫で下ろし、再び馬車を走らせた。
太陽が西に傾き始めた頃、ようやく前方に鬱蒼とした森の影が見えてきた。
エルンの森だ。
「ナタリー様、もうすぐです!」
「ええ……!」
追っ手が来るなんて、考えすぎだったのかもしれない。
でも、念には念を入れておかなくては。
私は五体目の藁人形と、五本目の剣の仕上げを急いだ。
指先は血が滲み、感覚がなくなってきた。
あと少し。あと少しで、私のルーツがある場所にたどり着く。
その時だった。
ドッドッドッ……。
後方から、地響きのような音が聞こえてきた。
風の音ではない。もっと重く、数が多い音。
セリーナが御者台から振り返り、顔色を変えた。
「ナタリー様……!」
私も幌から顔を出し、後方を見る。
街道の彼方から、もうもうと土煙が上がっていた。
その土煙の中から、白い布地に鮮血のような赤い十字の紋章を掲げた騎馬隊が姿を現す。
「教会の異端審問官……!」
追いつかれる。
彼らは私たちを見つけるなり、速度を上げた。
「止まれェェェ!! 異端の魔女ォォォ!!」
先頭の騎士の怒号が風に乗って聞こえる。
矢がヒュンヒュンと飛んできて、幌に突き刺さる。
「くっ……」
私は床に散らばる大量の藁の残骸を両手いっぱいに掴んだ。
ただの枯れ草だ。でも、今の私にはこれしかない。
「これでも食らえ!」
私は掴んだ藁を、追手に向かって思い切り投げつけた。
同時に、左手首の腕輪に意識を集中させ、強く念じる。
(飛んで! 矢のように!)
バラバラバラッ!
私の手から放たれた藁は、青白い光を帯びて加速し、無数の矢となって騎士たちに降り注いだ。
「なんだ!?」
「矢か!?」
騎士たちが慌てて腕で顔を覆う。
だが、所詮は藁だ。鉄の鏃のような貫通力はない。
騎士の鎧に当たると、ペチペチと軽い音を立てて弾かれた。
「ふん、ただの枯草だ!」
「怯むな! 突っ込め!」
騎士たちは嘲笑い、速度を緩めようとしない。
私は次々と藁を掴んでは投げ、掴んでは投げた。
視界を埋め尽くす藁の嵐。
彼らの足を緩めるには十分だが、倒すことはできない。
そして——。
ダンッ!!
馬車の後部が大きく沈み込んだ。
一人の騎士が、並走する馬の背から飛び移ってきたのだ。
「捕らえたぞ、魔女め!」
騎士が剣を構え、幌を引き裂いて中に踏み込んでくる。
狭い荷台の中、逃げ場はない。
騎士の剣が、ギラリと光る。
「観念しろ!」
「……まだよ!」
私は騎士を睨みつけ、完成したばかりの藁人形たちに命じた。
「みんな、起きて! 彼を追い出して!」
ドクン!
左手首の腕輪が脈打ち、青白い光が五体の人形へと伝播した。
足元に転がっていた等身大の藁人形。
その一体が、ザザザ……と枯草が擦れる不気味な音を立てて、ゆらりと起き上がった。
私が編み上げた「藁の剣」を握りしめて。
「な、なんだこいつら!?」
騎士が驚愕に目を見開く。
ただの藁束だと思っていたものが、突然意思を持って動き出したのだ。
人形の顔はない。
ただ、藁の渦があるだけ。
その不気味さが、歴戦の騎士の動きを一瞬止めた。
「いけッ!!」
藁人形が騎士に体当たりをした。
人間ほどの重さはない。だが、不意を突かれた騎士はバランスを崩した。
藁人形は騎士の剣を持った腕を、蔓のような指で絡め取るように掴むと、そのまま馬車の外へと押し出した。
「う、うわあああっ!?」
ドサッ!
騎士は悲鳴を上げながら地面に転がり落ち、後続の馬に踏まれないよう無様に転がっていくのが見えた。
「やった……!」
だが、安心する暇はない。後ろからは、さらに十数騎の騎馬隊が迫ってくる。
「おのれ、小賢しい真似を!」
「馬車を止めろ! 車輪を狙え!」
もう、猶予はない。
「セリーナ! 森へ! 森の中に突っ込んで!」
「えっ!? 道がありません!」
「いいから! このままじゃ追いつかれる!」
私の叫びに、セリーナが覚悟を決めた。
彼女は手綱を大きく引き、馬車を街道から外れた茂みへと向けた。
「はいっ! 捕まってください!」
ガタガタガタッ!
馬車が激しく揺れる。
整備された道を外れ、根や岩が転がる獣道なき森の中へ。
枝が幌を叩き、車体が悲鳴を上げる。
森の木々が天然の障壁となり、騎馬隊の速度が落ちる。
「逃がすな! 追え!」
騎士たちも森へ入ってくる。
これなら逃げ切れるかも——そう思った矢先だった。
ガゴンッ!!
凄まじい衝撃が走り、体が宙に浮いた。
馬車の車輪が、巨大な木の根に引っかかり、砕け散ったのだ。
「きゃあああっ!」
世界が回転する。
馬車は横転し、地面に叩きつけられた。
私は藁人形たちと共に放り出され、湿った腐葉土の上に転がった。
「うぅ……っ」
全身をぶつけた。
でも、藁がクッションになってくれたおかげで、骨は折れていないようだ。
「ナタリー様! ご無事ですか!」
「ええ……なんとか」
私が体を起こすと、森の入り口から騎士たちが馬を降り、剣を抜いて走ってくるのが見えた。
距離はわずか数十メートル。
走って逃げるしかない。
でも、足の速さでは彼らに勝てない。
私は横転した馬車から転がり出た、五体の藁人形たちを見た。
衝撃で少し形が崩れているが、まだ「核」となる光は消えていない。
「……お願い、時間を稼いで」
私は四体の藁人形に向かって、強く念じた。
「戦って! 彼らを食い止めて!」
ザザ、ズズズ……。
四体の藁人形がゆらりと立ち上がった。
手には藁の剣。顔のない頭部が、迫りくる騎士たちを向く。
彼らは恐れを知らない特攻兵となって、騎士たちの群れへと突っ込んでいった。
「な、なんだこの人形は!」
「気味が悪い! 燃やせ! 切り刻め!」
背後で剣劇の音と、騎士たちの狼狽する声が聞こえる。
藁人形たちは長くは持たないだろう。でも、数分なら稼げるはずだ。
私は最後の一体——一番丁寧に作った、少し小柄な藁人形に手を触れた。
「あなたは一緒に来て。私を守って」
人形がコクリと頷いたように見えた。
「行きましょう、セリーナ!」
「はい!」
私とセリーナ、そして一体の藁の兵士。
私たちは、喧騒を背に、薄暗く静まり返ったエルンの森の奥深くへと走り出した。
背後で、藁人形と騎士たちが激突する音が響く。
やがて、その音が遠ざかる中、ひときわ大きな叫び声が、森の空気を震わせた。
「——魔女ォォォォッ! 逃げられると思うなァァァァッ!」
異端審問官の、憎悪と悔しさに満ちた絶叫だった。
「必ず見つけ出してやる!
お前も、お前を匿った者たちも、一人残らず灰にしてやるからなァァァァッ!」
その呪詛のような叫び声は、いつまでも耳にこびりついて離れなかった。
私は唇を噛み締め、振り返ることなく、巨木が立ち並ぶ緑の闇の中へと進んだ。
私が最初に目覚めた、全ての始まりの場所へ向かって。




