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転生エルフは納豆が食べたい! ~その豆、禁忌につき。世界を敵に回しても私は混ぜる~  作者: Geo
第三章 【覚醒する藁の龍と反逆の狼煙】

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ドラゴンブレス

「……っ」


短く息を吸って、目が覚めた。

心臓がドクンと大きく跳ねる。


体を起こすと、そこは薄暗い部屋だった。

窓の外はすでに夜の闇に包まれている。


(……私、寝てたんだ)


粗末なベッドの上。


火刑台からの逃避行、そしてアジトへの到着。

張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、案内された部屋で横になった瞬間、泥のように意識を失っていたらしい。


どれくらい眠っていたのだろう。数時間か、それとももっと短いか。

記憶が、濁流のように押し寄せてくる。


燃え盛るはずだった炎。

私の願いに応えて顕現した、巨大なわらの龍。

そして、煙幕の中を駆け抜けた記憶。


左手首を見る。藁縄の腕輪は、静かにそこに在った。

昨日の熱狂が嘘のように、今はただの枯れた植物の束に戻っている。

けれど、確かに私は「あれ」を喚び出したのだ。


コンコン。


控えめなノックの音がして、扉が開いた。


「起きていらっしゃいますか、ナタリー様」


現れたのは、この部屋に案内してくれた女性、セリーナだった。

手にはランプを持っている。


「申し訳ありません。お疲れのところ……皆様がお待ちです」


休めと言われたが、やはり事態は急を要するのだろう。

私は顔を洗い、渡された服に着替えた。


農園で着ていたすすだらけのエプロンドレスではなく、動きやすい亜麻色のシャツとズボン。

鏡のない部屋で髪を指でかし、深く息を吐いてから部屋を出た。


  ◇    ◇    ◇


案内された大広間の扉が開かれた瞬間、ムッとした熱気と、独特の——けれど懐かしい匂いが押し寄せてきた。

こうじのような甘い香り。チーズの濃厚な熟成香。そして、酸味を含んだパンの香り。


そこはただの倉庫ではなかった。

壁一面に樽や壺が並び、天井からは干し肉が吊るされている。

まるで、巨大な「発酵室」だ。


広間の中央には、数十人の男女が集まっていた。

職人風の男、エプロン姿の女、武器を持った若者たち。

皆、どこか鋭い目をしている。教会の支配に抗う者たちの目だ。


私が姿を現すと、広間のざわめきが波が引くようにピタリと止んだ。

全員の視線が、一斉に私に突き刺さる。


「来たか」

「あらためて……、私はディートリヒだ」

この反乱組織「ドラゴンブレス」のリーダーだ。


大テーブルの上座から、白髪混じりの屈強な男——ディートリヒが立ち上がった。

ランプの灯りに照らされた彼の顔には、深い陰影と、燃えるような情熱が刻まれていた。


彼は力強い足取りで私に近づくと、その太い腕で私の肩を抱き寄せ、集まった数十人の同志たちに向けて高らかに声を張り上げた。


「同志たちよ! 見よ!!」


狭い地下空間に、ビリビリと空気が震えるほどの大音声が響く。


「長きにわたる苦難の冬は終わった! 我らが百年間、血眼になって探し求めてきた希望の星……『ナトゥー』の精霊遣いが、今ここに降臨したのだ!」


オオオオオオッ!!


地響きのような歓声が爆発した。

数十人の拳が突き上がり、目をぎらつかせて私を見ている。


「聖女様だ! 本当に来てくださった!」

「藁の龍を見たか! あれぞまさしく聖女の奇跡!」

「これで教会を倒せるぞ! 我らの勝利だ!」


口々に叫ばれる「聖女」という言葉。

熱狂的な視線。過剰な期待。


私はディートリヒの腕の中で、居心地の悪さに身を縮こまらせた。


「あの……ディートリヒさん、私は……」

「何も言うな。ただそこにいてくれるだけでいい」


ディートリヒは私の言葉を遮り、満足げに笑った。

そして再び仲間たちに向き直り、拳を握りしめた。


「百年前、教会は我々から『食の自由』を奪った!

 パンを焼き、酒を醸し、チーズを作る喜びを『罪』とし、我々の父祖を火刑台へと送った!

 そして、我々の『身体の健康』までをも彼らが管理し、言いなりにさせられた。」


「そうだ! 許せない!」


「だが、時は来た!

 聖女ナタリーとその守護神『藁の龍』の力があれば、あの大聖堂の結界とて紙切れ同然だ!

 奪われた誇りを、この手に取り戻す時が来たのだ!」


「ドラゴンブレス万歳! 聖女ナタリー万歳!」


広間は興奮の坩堝るつぼと化した。

涙を流して拝む老人すらいる。


彼らにとって私は、一人のエルフではなく、革命のための「旗印」であり「最終兵器」なのだ。

その重圧に、胃がキリキリと痛んだ。


「さあ、祝いの酒だ! 今日は飲み明かせ!」


ディートリヒの号令で、樽が開けられた。

熱気が渦巻く中、彼は私を奥の静かなテーブルへと促した。


「座ってくれ。……少し落ち着いて話そう」


ディートリヒの合図で、ロレンツが木製のジョッキを置いた。中には琥珀色の液体が波打っている。

一口飲むと、炭酸が弾け、スッキリとした林檎の香りが広がった。


「これは……シードル?」

「そうだ。だが、ただのシードルではない。教会が独占する『聖なる酵母』を使わず、野生の菌でかもした『密造酒』だ」


ディートリヒは自らのジョッキを見つめ、泡の向こうに遠い過去を見ているようだった。

さきほどの演説の熱狂とは違う、静かで冷たい怒りがそこにあった。


「ナタリー。お前は『ドラゴンブレス』という名の由来を知っているか?」

「……龍の、息吹ですよね」

「そうだ。だがそれは、昨日お前が出した藁の龍のことではない」


ディートリヒは目を細めた。

その瞬間、彼の纏う空気が変わり、部屋の温度が下がった気がした。


「三十年前……。私は、ある醸造家の息子だった」


彼の低い声が、広間に響く。

その声に誘われるように、私の目の前にも、彼の記憶の光景が浮かび上がってくるようだった。


  ◇    ◇    ◇


——三十年前。北の農村。

冬の朝、吐く息が白く凍るような寒い日だった。

幼いディートリヒは、父の背中を見ていた。

父は、村一番の酒造りの職人だった。


薄暗い蔵の中。

巨大な木桶の中で、麦と水と、そして父が育てた「家つき酵母」が混ざり合い、静かに、しかし力強く活動していた。


ポコッ、ポコッ。


桶の表面が泡立ち、まるで生き物が呼吸するように、白く温かい蒸気が立ち上る。

その蒸気は、極寒の蔵の中で白い柱となり、天井へと昇っていく。


「見ろ、ディートリヒ」


父が誇らしげに言った。


「これが『龍の吐息』だ。菌たちが生きている証だ。この温かさが、厳しい冬を越える俺たちの命の火になるんだ」


甘く、温かく、力強い発酵の匂い。

幼いディートリヒにとって、その匂いこそが世界の全てであり、幸福の象徴だった。


だが——その幸福は、扉を蹴破る音と共に粉砕された。


「異端だ!!」


なだれ込んできたのは、白い法衣を着た教会の兵士たち。

彼らは土足で神聖な蔵を踏み荒らし、槍の柄で父を殴り倒した。


「父さん!!」

「やめろ、ディートリヒ! 隠れていろ!」


血を流しながら父が叫ぶ。

兵士たちは、嘲笑いながら木桶に斧を振り下ろした。


バキンッ!


乾いた音が響き、タガが外れる。

琥珀色の液体が、床に溢れ出した。


一年かけて育てた酒が。村の人々が楽しみにしていた命の水が、汚れた靴の下に泥のように広がっていく。


「汚らわしい異端の菌だ! すべて焼き払え!」


審問官の号令と共に、蔵に火が放たれた。


赤々と燃え上がる炎。

立ち上っていた白く美しい「龍の吐息」は、黒い煤煙と、父の焼ける匂いにかき消された。


『発酵は神の奇跡である。教会が管理せぬ菌は、すべて悪魔の糞尿に等しい』


燃え盛る炎の前で、審問官は無慈悲に宣告した。


幼いディートリヒは、雪の中に押し倒され、燃え落ちる蔵と、殺された父をただ見ていることしかできなかった。


奪われたのは酒だけではない。

「作る喜び」と「生きる誇り」、そして愛する家族だった。


  ◇    ◇    ◇


「……それが、始まりだ」


ディートリヒが目を開けた。

その瞳の奥には、三十年前の炎が今も燃え続けているようだった。


「あの日、私は誓った。奪われた『食の自由』を取り戻すと。

 教会という名の独裁者から、我々の『龍の吐息』を取り戻すと」


広間は静まり返っていた。

さっきまで「聖女万歳」と叫んでいた数十人の同志たちも、今は真剣な表情でリーダーの言葉を聞いている。


ここにいる全員が、多かれ少なかれ似たような傷を持っているのだ。

大切な「味」と「人」を教会に奪われた被害者たち。


「我々は戦い続けてきた。パン職人は腕を切り落とされ、チーズ職人は目を焼かれた。

 それでも、我々は菌を繋いできた。……いつか、この暗黒の時代を終わらせる『鍵』が現れると信じて」


ディートリヒは私の左手首、藁縄を見つめ、熱っぽく告げた。


「そしてナタリー。お前が現れた」

「私が……」

「お前は——我々が長年探し求めていた、真の精霊遣いだ。百年前の『聖女アリエル』以来の、最強の使い手だ」

「聖女……」

「お前は見たはずだ。あの藁の龍を。

 あれは、我々が失ったはずの『龍の吐息』が具現化した姿だ。

 教会が『毒』と呼んだナトゥーこそが、お前を守り、我々を導く最強の守護神なのだ」


ディートリヒは立ち上がり、私に手を差し伸べた。

その手は大きく、分厚く、そして傷だらけだった。


「ナタリー。我々と共に戦え。

 お前のその力があれば、教会の結界を破り、百年間の屈辱を晴らせる。

 誰もが自由にパンを焼き、酒を造り、美味しいと笑い合える世界を作るのだ。

 ……それが、百年前の聖女アリエル様が遺した夢でもある」


彼らの戦いは、単なる権力争いではない。


「美味しいものを食べたい」「家族の笑顔を守りたい」「健康な身体になりたい」という、人間の根源的な願いを守るための、血を吐くような戦いなのだ。

「戦おう!」「聖女ナタリーと共に!」


再び、広間のあちこちから声が上がる。

彼らは私を、革命の旗印として、強力な「兵器」として見ている。


私は——圧倒されていた。

彼らの怒りも、悲しみも、痛いほど分かる。


父を殺されたディートリヒの無念を思えば、胸が締め付けられる。


でも、私は……。


「……待ってください」


私は震える声で言った。

自分の声が、情けないほど弱々しく響く。


「私は……戦士じゃありません。ただ、美味しい納豆が食べたかっただけなんです。

 誰も殺したくない……」

「教会はお前を殺そうとしたじゃないか!」


ディートリヒの声が荒らげられた。

遠い昔の、あの日の無力な少年の姿はもうない。そこには、復讐に燃える指導者の姿があった。



「戦わなければ、殺されるだけだ! それとも、また隠れて怯える日々に逆戻りしたいのか?」


反論できなかった。

彼の言うことは正しい。教会は私を許さない。


でも、納豆は「殺す」ためのものじゃない。「生かす」ためのものだ。

それを武器にして人を殺すなんて……。


「……少し、考えさせてください」


私は逃げるように席を立った。

重苦しい期待と、血なまぐさい興奮から離れたかった。


「……いいだろう。だが、時間はあまりないぞ」


ディートリヒの言葉を背に、私は広間を出た。


  ◇    ◇    ◇


廊下に出ると、セリーナが待っていた。

彼女は何も言わず、私を人気の少ない倉庫の裏口へと案内してくれた。


夜風が、火照った頬に冷たい。


「ナタリー様」

セリーナが静かに口を開いた。


「無理もありません。突然『戦え』と言われても……」

「セリーナ……」

「ディートリヒは、過去の炎に焼かれ続けています。彼は貴方様の力を利用しようとしている。それは事実です」


彼女は組織の一員のはずなのに、悲しげに目を伏せた。


「私の曾祖父そうそふは……百年前、『聖女アリエル』様に仕えていたのです」

「聖女……」


「はい。アリエル様は、人々からそう呼ばれていました。

 彼女は、戦いを望んでいなかった。ただ、みんなで食卓を囲みたかっただけだと、曾祖父は言っていました」


セリーナは私に向き直り、その手を取った。

その瞳は、ディートリヒのような熱狂ではなく、深い慈愛に満ちていた。


「ナタリー様。私はドラゴンブレスのメンバーである前に、貴方様の味方です」

「味方?」

「はい。もし貴方様が戦うことを選ぶなら、剣となって共に戦います。

 でも——もし戦いたくないと、ここから逃げたいと願うなら……私が全力でお逃がしします」

「逃げて……いいの?」

「もちろんです。ナタリー様は兵器ではありません。ただの、納豆が好きな女の子でしょう?」


その言葉に、張り詰めていた心が決壊した。

涙が溢れた。

「聖女」でも「魔女」でもない。ただの私を見てくれる人がいる。


「ありがとう、セリーナ……」


涙が止まらない。私は彼女の手を握り返した。


戦うのか、逃げるのか。

まだ答えは出ない。


過去の悲劇を知り、彼らの正義も理解した。


けれど、セリーナの「味方です」という言葉だけが、今の私にとって唯一の確かな光だった。


私は星空を見上げた。

静かな夜。この空の下で、私はまだ生きている。

納豆菌たちと共に。

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