転生 +納豆レシピ
気がつくと、私は森の中に倒れていた。
全身を走る、高所から落ちて打撲したような鈍い痛み。
背中に感じるのは、冷たく湿った土と、腐葉土の感触だ。
頬を撫でる風は冷たく、どこからか知らない鳥のさえずりが聞こえてくる。
「……ここ、どこ?」
思わず漏れた声に、私は自分で驚いた。
私の声じゃない。
いや、喉から出た音なのだが、記憶にある自分の声とは音域がまるで違う。
もっと高く、鈴を転がすような透明感のある声だ。
自分の声帯が、別の楽器にすり替えられたような違和感。
痛む体に鞭打って、ゆっくりと上半身を起こす。
視界に飛び込んできたのは、見たこともない巨大な木々。
幹の太さは大人が数人がかりでやっと囲めるほどで、天を覆うような枝葉が、太陽の光を遮っている。
そして、木漏れ日が斑模様を描く地面。
夢にしては、草の匂いも土の感触も、肺を満たす空気の密度もリアルすぎる。
何より、この体の感覚がおかしい。
手足の長さ、筋肉のつき方、重心の位置。
まるでサイズの違う他人の服を無理やり着せられているような、強烈な違和感があるのだ。
(なぜ、こんなところに倒れていたのかしら?)
ふらつきながら立ち上がろうとして、私は自分の手を見て息を呑んだ。
視界に入ったのは、透き通るように白い肌。
血管が透けて見えそうなほど薄く、陶磁器のように滑らかだ。
そして、華奢で小さな指。爪の形すら、私の記憶にあるものとは違う。
どう見ても、私の手ではない。
恐る恐る、髪を掴んでみる。
目の前に引き寄せたその長い髪は、黒ではなく、キラキラと輝く銀色の髪だった。
月光を紡いだような、この世のものとは思えない輝き。
「嘘……!?」
震える指先で、自分の顔に触れる。
滑らかな額、高い鼻梁、そして、耳へ。
——長い。先端が鋭く尖っている。
その形状を指がなぞった瞬間、脳の奥底から何かが湧き上がってきた。
マグマのような、熱い情報の奔流。
知識ではない。本能だ。
風の音を聴き、樹々の言葉を解する、森の民。
人間よりも遥かに長い時を生き、自然と共に歩む者。
『私は、エルフだ』
前世の知識が「ファンタジーのエルフみたいだ」と分析するよりも早く、この身体の記憶そのものが、私の種族を強烈に主張していた。
鏡を見るまでもない。私の細胞の一つ一つが、血の一滴一滴が、それが自分であると叫んでいる。
服装も奇妙だった。
白いシンプルな布でできた貫頭衣のような服。それを腰のあたりで綺麗に編まれた藁紐で結んでいるだけ。
足元は藁で編まれたサンダル、左手首には藁で編まれた腕輪が巻かれていた。
お守りだろうか。古びてはいるが、しっかりときつく細かく編み込まれている。
この格好……まるで、小学校の歴史の教科書に出てくる「弥生人」か「縄文人」のようだ。
(何が起きてるの? 私は誰? いや、私は……)
混乱する頭の中で、二つの記憶データが衝突し、混ざり合う感覚に襲われる。
ズキリと痛む頭を押さえ、私は必死に呼吸を整えた。
(まって、落ち着こう)
深呼吸を繰り返し、渦巻く記憶を整理する。
記憶の一つは、日本の東京で会社員をしていた「私」。
二十五歳の事務職女子。
趣味は、納豆料理の食べ歩き。
三度の飯より納豆が好き、いや、三食とも納豆を食べているくらいで、SNSでは「ネバり姫ナタリー」というハンドルネームで活動していた。
あの日、私はアパートの押し入れを改造した自作の発酵室で、最高の納豆を作るために、練炭を使って温度調整をしていた。
換気を忘れて。
意識が薄れ、手足が痺れていき——。
それが、日本での最期の記憶だ。
そしてもう一つは、この体の持ち主である「エルフ」の記憶。
エルフの私は森の奥で暮らしていたようだが、それ以上は霧がかかったように思い出せない。
名前もわからず、目が覚める直前に何をしていたのか、なぜ一人で倒れていたのかという記憶は完全に欠落している。
まるで、誰かに意図的に消去されたかのように、ぽっかりと穴が空いている。
もしかして、頭をぶつけて記憶が飛んだのかもしれない。
私は頭や身体のあちこちを触ってみたが、全身の鈍痛はあるものの、大きな外傷や出血はないようだった。
「……記憶喪失のエルフの体に、死んだ私の魂が入り込んだ、ってこと?」
状況を整理すると、そう結論づけるしかなかった。
完全な赤ん坊からの転生ではない。
記憶を失った「空っぽの器」のようなエルフの体に、日本人の私の記憶が上書き保存されたのだ。
二つの人格が統合され、今の「私」になった……ようだ。
「……とりあえず、移動しよう」
そう考えているのを、どこか客観的に見ている自分がいる。
「スゴく冷静だ、私……」
驚くほど落ち着いている自分に、逆に驚いてしまう。
何をすればいいのか、どこに行けばいいのか、仲間がいるのかも分からない。
でも、ここに座っていても仕方がない。野生動物に襲われるかもしれないし、水場を探さなければ。
とにかく歩き始めた。
ふらふらとした足取り。まだ、この身体の重心に慣れていない。
一歩踏み出すたびに、視界が揺れる。
森の中を進む。
木々の間を抜け、苔むした岩を越え、小川を渡り、獣道を辿る。
どれくらい歩いただろう。
時間の感覚が掴めない。ただひたすら歩き、やがて開けた道に出た。
街道のような、馬車が通った轍のある道だ。
(人里が近いかもしれない)
安堵した、その時だ。
「おい、あそこを見ろ!」
「エルフだ! エルフがいたぞ!」
「捕まえろ!」
振り返ると——男たちが数人、こちらを指差していた。
粗野な革鎧を着て、腰には剣や斧を下げている。
目は血走り、口元には卑しい笑みを浮かべている。
一目でわかった。まともな人間ではない。
——人間に捕まると奴隷にされる。
私の中に残っていたエルフの記憶、その本能の部分が、激しく警告のアラームを鳴らした。
エルフは美しい容姿と長寿ゆえに、人間社会では高値で取引される「商品」なのだと。
(逃げなきゃ!)
走った。必死に走った。
森の中へ逃げ込もうと、踵を返す。
でも、体が追いつかない。
日本人の記憶とエルフの身体感覚のズレのせいか、足がもつれてうまく力が入らないのだ。
「おい待て!」
「逃がすかよ! 金貨の山だぞ!」
後ろから怒号と下品な笑い声が飛んでくる。重い足音が近づいてくる。
ダメだ、追いつかれる。
(やっぱりこれは夢? そうあって欲しい)
恐怖で心臓が破裂しそうになったその時——ふと、頭の中に「感覚」が走った。
体の中を流れる、熱い奔流。
(魔法……だ!)
そうだ。私はエルフだ。
エルフの記憶が教えてくれる。私には、使える魔法がある!
偉大な精霊召喚なんてできないけれど、身を守るくらいの攻撃魔法なら使えるはずだ。
炎の矢か、突風か、あるいは雷撃か!
私は立ち止まり、振り返った。
迫ってくる男たちに向かって、右手を突き出す。
「こっちに来ないで!」
体の中にある熱い流れを、指先に集中させる。
イメージするのは赤く燃える火の玉、あるいは敵を吹き飛ばす強力な衝撃波!
全てを焼き払え!
「はあっっっっっ!」
私は気合の叫びと共に、ありったけの魔力を解き放った。
——ヒュウウウ……。
私の手から放たれたのは、落ち葉を数枚、カサカサと舞い上がらせる程度の、優しいそよ風だった。
「……え?」
男たちが立ち止まることもなく、そよ風が彼らの髪を優しく揺らしただけ。
魔法の威力が、あまりにも弱すぎた。
そう、このエルフが使えていたのは、ものを温めたり、手元の小物を引き寄せたり、埃を払ったりする程度の、ささやかな生活魔法だけだったのだ。
攻撃手段なんて、持っていなかった。
「なんだ今の? 扇いでくれたのか?」
男達は一瞬きょとんとしたが、すぐにニタニタと下卑た笑いを浮かべ、距離を詰めてくる。
「へっ、野良エルフの魔法なんてそんなもんだろ」
「抵抗する気か? 可愛いやつだな」
「いや……来ないで!」
もう一度念じようとしたが、遅かった。
「捕まえたぞ!」
ガシッ、と強い力で腕を掴まれた。
万力のような力だ。骨が軋むほどの痛み。
「離して!」
抵抗するが、男たちの腕力には敵わない。
足を蹴り上げるが、かわされ、逆に足を払われた。
地面に叩きつけられる衝撃。肺の中の空気が押し出される。
「ぐっ……!」
数人がかりで地面に押さえつけられ、背中に膝を乗せられる。
泥の味がした。
「やせっぽちだが、悪くないエルフだな。銀髪に碧眼、上玉だぞ」
「こんな森の奥まで、エルフを狩りに来たかいがあったな」
「こいつ、少しだけでも魔法が使えるなら高く売れるぞ」
男たちの声が頭上で響く。
値踏みするような視線が、私の全身を舐め回す。
人間扱いされていない。私は「モノ」なのだ。
荒縄で手首をきつく縛り上げられた。
縄が皮膚に食い込み、血が滲む。
私は——捕まった。どうやらエルフ狩りという悪党達に。
それも異世界に転生して、数時間も経たないうちに。
魔法で対抗しようとして、自分の無力さを思い知らされて。
「ちぇっ、こいつ、何も持ってないぞ。この汚い腕輪くらいだな」
男の一人が私の手首を見て舌打ちした。
左手首の藁の腕輪を指で弾く。
「なんだこりゃ、ゴミか?」
「縁起物かもな。ま、金にならねえならどうでもいい」
装飾品として価値はなさそうだと判断したのか、藁の腕輪は外されなかった。
「おいお前、どこから来たんだ?」
「んんん?……まぁ、いいか。どうせ声を上げても無駄だ」
私は何も答えられなかった。
恐ろしさと不安とで、声が出なかったのだ。
猿ぐつわをされ、荷馬車の荷台に放り込まれる。
硬い木の床に転がされたまま、私は空を見上げた。
木々の隙間から見える空は、青かった。前世とは違う空。でも、同じように青い。
(これから……どうなるんだろう)
分からない。何がどうなるのかも分からないし、怖いし。
涙がこめかみを伝って落ちた。
こうして、私の新しい人生が始まった。
いや、始まってしまった。
異世界で、魔法も役に立たない無力な奴隷として。
自由を奪われ、言葉を封じられ、見知らぬ土地へと運ばれていく。
どうなるの? 私……。
──────────────────────────────────
【ネバり姫の納豆料理】シンプルに味わう「七味納豆」
私の週末は、近所のスーパーへの「狩り」から始まる。
特売のシールが貼られた納豆パックを、ハンターの如き眼光で見定め、カゴいっぱいに山積みする。
レジを通った後は、帰宅するなり即座に冷凍庫へ直行だ。
菌を冬眠させ、鮮度をロックする。これにより、いつでも最高の状態の納豆と対面できるのだ。
そして食べる前夜、厳選した一パックを冷凍庫から冷蔵庫へ移し、ゆっくりと時間をかけて目覚めさせる。
これが、私の神聖なる儀式の始まりである。
もちろん、炊きたてご飯に乗せるのは王道にして至高。
だが、今夜の私はもう少しアグレッシブだ。ご飯というクッションを介さず、納豆とダイレクトに向き合いたい。
酒のツマミにも最適、素材の味を極限までシンプルに味わう『七味納豆』の出番である。
用意するのは、納豆、岩塩、そして刻んだ長ネギ。
まずは開封の儀。パックから小鉢へと移す。
この時、納豆の糸があちこちにくっ付かないように、慎重に、かつ優雅に扱うのがレディの嗜みだ。
使用する納豆だが、「納豆のみ」で食すソロプレイの場合は、断然「大粒」を推奨する。
小粒がご飯との調和を重視するなら、大粒は「豆」としての主張を楽しむもの。噛み締めた瞬間のホクホク感、広がる大豆の「豆」としての甘み。それはもはや畑の肉料理だ。
味付けはシンプルに「塩」。
それも、ミネラルを多く含んだ旨味のある天然の岩塩がいい。
大抵の納豆には「タレ」が添付されているが、ここは心を鬼にして脇にどける。タレの強烈な出汁感は、時に大豆本来の繊細な旨味を塗りつぶしてしまうからだ。
パラリ、とひとつまみの塩を振る。これだけで、納豆の輪郭が驚くほどくっきりとする。
薬味の長ネギは、細かく刻み、白と緑の部分を黄金比 1.618:1 でブレンドする。長ネギの緑の部分は香りが強いから、白よりも少なめに調整する。
ネギは入れすぎ厳禁だ。ネギの辛味が主役である納豆の芳香を凌駕してしまっては本末転倒である。
ネギのツンとした刺激的な香りと味は、主に硫化アリル(アリルスルフィド)と呼ばれる硫黄を含む化合物によるものだ。この硫化アリルは、体内でビタミンB1と結合して「アリチアミン」となり、ビタミンB1の吸収率を良くして疲労回復効果を高めると言われている。
つまり、納豆とネギを一緒に食べることで、お互いの栄養効果を高め合う「パーフェクトな組み合わせ」と言えるのである。
そして、ここからが重要だ。テストに出るレベルで重要だ。
ここで添付の「からし」に手を伸ばそうとしたあなた、その手を止めなさい。
からしのツンとした揮発性の辛味は、納豆特有の香りをマスキングするために存在している。
納豆の匂いが苦手な初心者にとっては救世主かもしれないが、私のような上級者にとっては邪道である。
なぜ、あの芳醇で馨しい香りを、わざわざ消してしまうのか!?
香りを楽しまずして、何が納豆か!
憤りを鎮めつつ、混ぜる工程へ移る。
空気を含ませるように、三十回ほどリズミカルにかき混ぜる。
箸先が重くなり、白く泡立ち、あの愛おしい香りがふわりと立ち上ってくるはずだ。
仕上げに私が取り出すのは、秘密兵器「七味唐辛子」。
それも、市販のものに、磯の香りが炸裂する「青のり」を限界まで増量してブレンドした、私だけの「魔改造七味」だ。
これを、親の敵かと思うくらい好きなだけ振りかける。
食べる直前にサックリと混ぜ、そのままズルリと啜る。
ピリッとした辛味、青のりの風味、岩塩の塩気、そして大豆の濃厚な旨味。
一口食べたら、また七味を振りかけ(追い七味)、ズルリといく。
「——美味い」
もはや、これは食べ物ではない。飲み物だ。
無限に胃袋へ吸い込まれていく、危険な「無限納豆」の完成だ。
だからこそ、私は悔しかった。
動画サイトで流行っていた「Natto Challenge(納豆チャレンジ)」を見るたび、画面の前で身悶えするほどに。
「Oh my god! 腐ってるぞ!」
「クレイジーな臭いだ!」
初めて見るネバネバに絶叫し、鼻をつまみ、ゴミ箱へ吐き出す外国人たち。
たまに「Hmm...チーズみたいで悪くない」なんて理解ある猛者もいるが、大半は生理的嫌悪感でアウトだ。
「もったいない……! そこがいいのに!」
腐敗じゃない、発酵だ! 神の御業だ!
その見た目と匂いの壁さえ越えれば、健康と美食の楽園が待っているのに。
いつか世界中の食わず嫌いたちに、私の納豆を口に突っ込んで「美味い!」と言わせてやりたい。
そんな野望を抱くほど、私はあの黄金の豆に魅了されていたのだ。
=====================
納豆料理レシピ
=====================
◆ 無限・七味納豆(おつまみVer.)
◑材料
・大粒納豆
・長ネギのみじん切り(白と緑をバランスよく)
・岩塩
・七味唐辛子(青のりマシマシ推奨)
◑作り方
1.納豆をパックから器に入れ替える(大粒推奨)。
2.長ネギと岩塩を加える(添付のタレとからしは使わない)。
3.空気を含ませるように30回ほどかき混ぜる。
4.好きなだけ七味唐辛子を振りかけ、混ぜながら食べる。
※七味唐辛子の香りが飛んでいる場合は、電子レンジ(500W)で1分程度温めると香りが復活します。




