【第九話】怨霊は、メレンゲのように泡立てろ
「キシャァァァァ!」
黒い霧が、不快な金属音のような悲鳴を上げて襲いかかってきた。 実体がない。まるでドライアイスの煙が意思を持って動いているようだ。
「金時! 正面から叩き潰せ!」 「おうよ! 鉞ボンバー!!」
金時が地面を蹴り、豪快に鉞を振り下ろした。 ブンッ! 凄まじい風圧。しかし、刃は霧をすり抜けて地面に激突しただけだった。
「スカッた!? なんだこいつ、手応えがねぇぞ!」
霧はニタニタと笑うように形を変え、金時の背後へ回り込む。
「物理無効か……一番めんどくさい仕様だ」
僕は冷静に分析した。 RPGなら魔法で攻撃するところだ。だが、今の僕には魔法がない。 あるのは、お腹いっぱいの筋肉少女と、文学少女だけ。
「……なら、物理演算で無理やり実体化させるしかない」
僕は叫んだ。
「金時! 攻撃をやめろ! 『調理』の時間だ!」
「ああん? 今から飯かよ!」
「違う! さっきのメレンゲ作りを思い出せ! その鉞の平らな面で、こいつをかき混ぜるんだ!」
「はぁ? わけわかんねーけど……こうか!」
金時は鉞を横に構え、手首のスナップを効かせて高速回転を始めた。 ブンブンブンブンッ! 凄まじい回転音が響く。さっきの卵白を泡立てた技術(無駄な才能)が、巨大な鉞で再現される。
「キ、キシャ……!?」
霧の動きが乱れた。 金時が作り出した強力な乱気流が、霧を強制的に巻き込んでいく。 遠心分離機の原理だ。
「もっと速くだ! 中心に『核』が見えるまで圧縮しろ!」
「うおおおお! デザートの分まで働いてやるぅぅぅ!」
金時の回転が限界を超えた。 庭に小さな竜巻が発生する。 散らばっていた黒い霧が、逃げ場を失って中心にギュウギュウに集められていく。
「ギャアアアアッ!?」
「見えた! あの光っているのがコア(核)だ!」
霧の中心に、赤黒い石のような核が露出した。 チャンスは一瞬。 だが、金時は回転中で攻撃できない。頼光は距離が遠い。
「綱さん! 今だ!」
僕は、柱の陰で震えていた文学少女に合図を送った。
「ひっ! わ、私ですか!?」 「大丈夫だ! 変身しなくていい! 筋肉も使うな!」
「え?」
「イメージするんだ! さっき食べたスフレパンケーキの食感を! 触れただけで消える、あの儚さを!」
「スフレ……儚い……」
綱の表情が変わった。 怯えが消え、陶酔するような、うっとりとした目になる。
「……そうですわね。筋肉などという野蛮な力は不要……。必要なのは、口どけのような優しさだけ……」
綱がスッと前に出た。 その足取りは、戦場には似合わないほど優雅で、幽霊のように音がない。
「キシャァッ!」
圧縮された霧が、最後の抵抗で綱に触手を伸ばす。 だが、綱は避けない。 彼女は、まるで和歌を詠むように、静かに刀を抜いた。
「秘剣……『淡雪』」
ヒュッ。
音はしなかった。 綱が通り過ぎた後、霧の触手と、その奥にあった「核」が、音もなく両断されていた。
「……カ、カァ……?」
怨霊は自分が斬られたことにも気づかず、数秒遅れて、ガラス細工のようにパリンと砕け散った。
「……ふぅ。手応えがなさすぎて、逆に雅ですわ」
綱は頬を赤らめ、恍惚とした表情で刀を納めた。 筋肉ゼロ。力みゼロ。 ただ「切れる軌道」に刃を置いただけの、究極の脱力剣。
「すげぇ……」
金時が目を丸くしている。 僕もガッツポーズをした。
「よっしゃ! バグ駆除完了!」
SEとしての指揮と、彼女たちの特性が完璧にハマった瞬間だった。
【第十話】ドロップアイテムは、まさかの「現代ゴミ」
「お見事です」
パチパチパチ、と優雅な拍手が響いた。 清明が扇子で仰ぎながら近づいてくる。
「物理無効の怪異を、遠心力で圧縮して斬るとは……。君の戦術は、陰陽術よりも奇妙で面白い」
「褒め言葉として受け取っておきます。……で、こいつは何だったんですか?」
僕は消滅した霧の跡地を指差した。 そこには、怨霊の核だった「黒い石」の残骸と、なぜか**「奇妙なゴミ」**が落ちていた。
「…なんだこれ?」
金時がそれを拾い上げる。 泥だらけだが、プラスチックの包装紙のようだ。
「『…週刊…少年……』? 読めねー字だな」
「ッ!?」
僕はひったくるようにそれを受け取った。 間違いない。これは、僕がいた時代の「週刊少年マンガ誌」の表紙の一部だ。
「なんで…平安時代にジャンプ(仮)が落ちてるんだ?」
清明が興味深そうに覗き込む。
「ふむ。この怨霊、どうやら『時の狭間』から迷い込んだゴミのようですね。最近、都のあちこちでこういう『未来の漂流物』が観測されているのです」
「未来の漂流物…」
「君がここに来たのも、その影響でしょう。……カケル君、君に依頼があります」
清明の目が、いたずらっ子のように光った。
「この『時空の歪み』の原因を突き止めてください。そうすれば、君の壊れた板を直す部品も、あるいは元の世界に帰る方法も見つかるかもしれません」
「……マジですか」
帰れる。 その言葉に、僕の心が揺れた。 ウォシュレットのある生活。虫のいない部屋。そして、コンビニのおにぎり。
「やる! やります!」
僕は即答した。 すると、金時がニカッと笑って僕の背中をバンと叩いた。
「へへっ! そうこなくっちゃな軍師殿! 報酬はまたあのパンケーキでいいぞ!」
「私は……カケル殿がお帰りになるのは寂しいですが……最後までお供しますわ」 綱がしおらしく、けれど熱っぽい視線を送ってくる。
「ふん、退屈しのぎにはなりそうだ」 頼光も、まんざらでもない顔で刀を担ぎ直した。
こうして、僕の目的は決まった。 生き残るためじゃない。 文明的な生活を取り戻すための、時空を超えた冒険だ。
「よし! まずはこのマンガ雑誌の残りを回収するぞ! 続きが気になる!」
「そこかよ!」
ツッコミが響く中、僕たちの本当の戦いが始まろうとしていた。 ……が、その前に。
「あの、清明さん。…トイレ貸してください。漏れそうです」
「おや、我が家の厠は最新式ですよ? 川に直結していますから」
「結局、川かよ!!」
平安京の夜は、まだまだ長い。




