【第三十話】狐の甘い罠と、修羅場の予感
頼光の「破壊洗濯」から逃げ出した僕は、都の大路を彷徨っていた。 ジャージを失った僕は、清明さんから借りた狩衣を着ている。見た目だけは完全に平安貴族だ。中身は社畜だが。
「はぁ……。これから何を着て生きていけばいいんだ」
ため息をついたその時、鼻先を甘い香りがくすぐった。
「あら。昨日の殿方ではありませんか」
振り返ると、そこには昨日の美女――玉藻前が立っていた。 今日も彼女は圧倒的に美しい。周囲の空気がそこだけ艶やかになっている。
「た、玉藻さん……」
「奇遇ですね。……ふふ、そのお召し物、よくお似合いですよ?」
彼女は扇子で口元を隠し、クスクスと笑った。 ジャージ姿を見られている彼女には、急ごしらえの貴族コスプレが滑稽に見えるのだろう。
「あの、昨日はどうも。……何かご用ですか?」
僕が警戒しながら尋ねると、彼女は懐から小さな包みを取り出した。
「いいえ。ただ、少しお近づきの印にと思いまして」
差し出されたのは、美しい漆塗りの小箱だった。 開けると、中には宝石のように色鮮やかな和菓子(練り切り)が並んでいる。
「これは……」
「都で評判の菓子です。お口に合うか分かりませんが、どうぞ」
毒か? 罠か? SEの危機管理本能が警鐘を鳴らす。 だが、昨日の頼光の殺人おにぎり以来、まともな物を食べていない僕の胃袋は、その甘い誘惑に抗えなかった。
「……いただきます」
恐る恐る一つ摘んで口に入れる。 上品な甘さ。滑らかな口溶け。毒の味はしない。純粋に、美味しい。
「んっ……美味い」
「ふふ。よかった。……あなたのその無防備なところ、嫌いではありませんわ」
玉藻がスッと距離を詰めてきた。 彼女の指先が、僕の頬についた菓子の粉を拭う。
「……また、お会いしましょうね。可愛いカケル様」
彼女は意味深なウィンクを残し、雑踏の中へ消えていった。
「な、何だったんだ……」
心臓がバクバクしている。 頼光や綱とは違う、大人の余裕というか、捕食者の風格。 完全に遊ばれている気がする。
だが、問題はその後だった。 屋敷に帰った僕を待っていたのは、般若のような顔をした二人だった。
「カケル殿。……その甘い匂いは、なんですの?」
渡辺綱が、ゆらりと現れた。彼女の手には、藁人形ではなく、なぜか「巨大なすり鉢とすりこぎ」が握られている。
「おや、カケル。また『泥棒猫』の匂いをさせて帰ってきたな?」
源頼光が、刀の鯉口を切って殺気を放つ。
「ひっ!? ち、違います! これはただのお菓子で……!」
「お菓子? どこの女から貰ったのですか? まさか、あの金髪の化け狐ですか?」 綱がジリジリと詰め寄る。
「貴様、私の握り飯は吐き出しておいて、他の女の菓子は食うというのか!?」 頼光が雷を纏い始める。
「誤解だ! これはただの接待だ!」
「問答無用! 綱、やれ!」 「はい! カケル殿の浮気心を、このすり鉢で粉砕して差し上げますわ!」
「ぎゃあああ! 物理はやめて! 話し合おう!」
平安京の夕暮れに、僕の悲鳴が響き渡る。 新たな強敵(玉藻前)の出現により、僕の平穏な日々は、さらにカオスな修羅場へと加速していくのだった。




