【第十三話】深夜の宴と、ブラック店長の手記
コンビニ防衛戦に勝利した僕たちは、そのまま店内で勝利の宴(ただの略奪と休憩)を行うことにした。 店外の安全は確保したし、何よりこの空間は宝の山だ。すぐに立ち去るには惜しすぎる。
「おお……。これが『カプ・ヌードル』か……!」
坂田金時が、震える手で発泡スチロールの容器を捧げ持っている。 僕が店内の「レジャー用品コーナー」で見つけたカセットコンロと、ペットボトルの水を使ってお湯を沸かし、注いでから3分。 蓋を開けた瞬間に立ち上る湯気と、醤油と謎肉のジャンキーな香り。それは平安人にとって、未知の暴力的なまでの「旨味」の奔流だ。
「食ってみろ金時。それが未来の保存食の王様だ」
「い、いただきます!」
金時がプラスチックのフォークで麺をすくい上げ、ズルズルと啜る。 瞬間、彼女の瞳孔がカッ! と開いた。
「ッ!? なんだこれは!」
「どうした?」
「舌が……舌が喜んで踊り狂ってる! この茶色いスープ、牛や豚の出汁だけじゃねぇ! なんかもっと複雑で、脳味噌を直接殴ってくるような味がする!」
「それが化学調味料(MSG)の力だ」
「うめぇ! うめぇぇぇ! 麺がチュルチュルで、この四角い肉(謎肉)が噛むとジュワッてなる! 神の食べ物だ!」
金時は一心不乱に麺を啜り上げ、スープまで一滴残らず飲み干した。 普段、玄米と焼き魚しか食べていない彼女の内臓に、現代の高カロリー塩分過多スープが染み渡る。それはもはや麻薬に近い。
「兄ちゃん! この棚のやつ全部俺のな! 持って帰る!」 「全部は無理だ。自転車の荷台に乗る分だけにしとけ」
一方、レジカウンターの方では、別の悲劇(喜劇)が進行していた。
「うぃ〜。カケルぅ、もう一本開けてくれ〜」
源頼光が、完全に出来上がっていた。 彼女の周りには、「ストロング系チューハイ(9%)」の空き缶が三本転がっている。 平安時代の酒は度数が低く、濁り酒が主流だ。そこに現代のクリアで高アルコールな酒を流し込めばどうなるか。 最強の武人は、ただの「甘え上戸の酔っ払いお姉さん」へと変貌していた。
「頼光さん、飲みすぎです。それロング缶ですよ」
「うるさぁい。私は大将だぞ。部下は黙って酒を注げばよいのだ」
頼光が僕のジャージの裾を引っ張り、自分の隣に座らせる。 顔が赤い。距離が近い。そして酒臭い……いや、レモンのいい匂いがする。
「それにしても、未来の酒はよいな。透き通っていて、シュワシュワして、飲むと頭がフワフワする。……嫌なことも全部忘れられそうだ」
彼女は空き缶を頬に押し当てて、ふにゃりと笑った。 普段の張り詰めた武人の顔ではない。年相応の、少し弱気な少女の顔だ。 都を守る重圧、四天王を束ねる責任。そんなものから解放された姿を見て、僕は少し切なくなった。
「……カケル。そなた、元の世界に帰るのか?」
不意に問われた言葉に、僕は息を呑んだ。
「ええ。そのつもりです」
「そうか。……寂しくなるな」
頼光は僕の肩にコツンと頭を預けてきた。 熱い体温が伝わってくる。
「そなたが来てから、毎日が騒がしくて、妙に楽しいのだ。マムシの握り飯も、誰も食べてくれなんだが……そなただけは食べてくれたしな」
「あれは死ぬかと思いましたけどね」
「ふふ。……帰るなと命じたら、残るか?」
上目遣いで見つめてくる瞳。 酔った勢いだと分かっていても、心臓が早鐘を打つ。 この人は、無自覚に男を狂わせる天才だ。
「……検討します。福利厚生次第ですね」
僕が苦し紛れに答えると、頼光は満足そうに「よし」と呟き、そのまま僕の肩で寝息を立て始めた。 重い。でも、悪い気はしない。 僕は彼女が風邪を引かないように、商品棚から「週刊誌」を取って掛けてやった。布団代わりだ。
さて、最後の問題児はどこだ。 僕は店内を見渡した。 渡辺綱の姿が見えない。 さっきまで化粧品コーナーでキャッキャしていたはずだが。
「カケル殿……見てくださいませ」
化粧品棚の影から、綱がぬっと現れた。 僕は悲鳴を上げそうになった。
「うわっ!? 誰!?」
そこにいたのは、平安美人……ではなかった。 真っ赤なルージュを口の周りにはみ出すほど塗りたくり、アイシャドウを目の周りに黒々と塗った、呪いの日本人形のような何かが立っていた。
「未来の化粧術を試してみましたの。……いかがですか? この『小悪魔メイク』」
「悪魔そのものだよ! 塗りすぎだ!」
「え? でも、雑誌には『目を大きく見せるには黒で囲め』と……」
「囲みすぎてパンダになってるよ! あと口紅は唇だけに塗るんだよ!」
綱はショックを受けたように手鏡を覗き込んだ。
「なんてこと……。これではカケル殿に口づけをねだるどころか、呪い殺してしまいますわ」
「発想が飛躍してるな」
僕はため息をつき、棚から「メイク落としシート」を取り出した。
「ほら、顔貸して。落としてあげるから」
「あ……」
僕がシートで彼女の顔を拭ってやると、綱はされるがままになりながら、耳まで真っ赤に染めた。
「殿方に顔を触られるなんて……。これは、その……『スキンシップ』という高等テクニックですね?」
「ただの介護だよ」
「優しい……。やはりカケル殿は、私の運命の君……」
綱の妄想は止まらないが、とりあえず顔面のホラー状態は解消された。 すっぴんの方が百倍可愛いことに、本人は気づいていないらしい。
三者三様の自由時間を過ごし、僕たちは荷物をまとめた。 トイレットペーパー、保存食、酒、そして日用品。 ママチャリの荷台と、金時の背負子がパンパンになるほどの収穫だ。 さあ、そろそろ撤収しようか。 そう思った時、僕はレジ奥のスタッフルームのドアが開いていることに気づいた。 さっきの餓鬼が飛び出してきた場所だ。
「……ちょっと見てくる」
僕は美少女たちを待たせて、スタッフルームに入った。 薄暗い室内。 スチール製のロッカーと、散乱した書類。 そして、机の上に一冊の「黒い手帳」が残されていた。 表紙には『業務日誌』と書かれている。
何気なくページを開いた僕は、そこに書かれた内容に戦慄した。
『○月×日 晴れ 今日もバイトの田中くんが無断欠勤。またワンオペだ。エリアマネージャーからは「売上が低い」と怒鳴られた。死にたい』
『○月△日 雨 廃棄弁当を食べる生活も3ヶ月目。体が重い。帰りたい。でも帰ったら家賃が払えない』
『○月□日 曇り 最近、店の外がおかしい。空の色が紫色に見えることがある。お客さんが「外に化け物がいる」と言って店に入ってこない。売上が落ちる。また怒られる』
これは、この店がタイムスリップする前の店長の日記だ。 悲痛な叫び。現代社会の闇。 同じブラック労働に身を置いていた僕には、痛いほど気持ちが分かる。
そして、最後の日付のページ。 文字が乱れている。
『×月×日 漆黒 空が割れた。 店の外が真っ暗だ。携帯の電波がない。 自動ドアが開かない。ガラスの向こうに、角の生えた影が見える。 誰か助けてくれ。 エリアマネージャー、助けてくれ。 いや、違う。 俺をこんな目に合わせた世界なんて、全部消えちまえ。 この店にあるもの全て、呪ってやる。 俺の魂を喰らってでも、この理不尽な世界に復讐してやる』
日記はそこで途切れていた。 ページの端には、赤黒いシミが付着している。血だ。
「……おいおい」
僕は背筋が寒くなった。 この店長は、どうなった? さっきの餓鬼は、ただの雑魚だった。店長が変異した姿には見えなかった。 なら、店長は? この「復讐してやる」という怨念は、どこへ行った?
ズズズズズ……。
不穏な振動が、スタッフルームを揺らした。 いや、コンビニ全体が震えている。
「兄ちゃん! なんだ!? 地震か!?」
店外から金時の声が聞こえる。 僕は手帳を掴んで飛び出した。
「みんな! 逃げるぞ! ここはヤバい!」
「カケル、どうした? まだ酒が残っておるぞ」
頼光が寝ぼけ眼で言うが、事態は急変していた。 床のタイルがひび割れ、そこから黒い泥のようなものが溢れ出している。 商品棚がカタカタと震え、ポテトチップスの袋がひとりでに破裂した。
『イラッシャイマセ……』
店内のスピーカーから、ノイズ混じりの合成音声が響く。
『オ弁当、温メマスカ……?』 『ポイントカードハ、オ持チデスカ……?』 『命ヲ、差シ出シテ、クダサイ……』
蛍光灯が激しく明滅し、真っ赤に染まる。 店の奥、バックヤードの闇から、巨大な影が膨れ上がった。 それは、レジスターと電子レンジ、そして無数の廃棄弁当が融合したような、異形の「店長ゴーレム」だった。
「な、なんだあれは!?」
綱が悲鳴を上げる。 店長ゴーレムの胸部には、名札が埋め込まれている。 『店長:怨』
「ブラック労働の怨念が、怪異になったのか……!」
僕はSEとして理解した。 これはバグじゃない。 過酷な環境が生み出した、システムの暴走だ。
「全員、撤退だ! この店はもう『宝物庫』じゃない! 『呪いのダンジョン』だ!」
「逃げるだと!? 背中は見せん!」 頼光が刀を抜こうとするが、足元がおぼつかない。 「大将! 無理だ! 担いでいくぞ!」
金時が頼光と綱を両脇に抱え、さらにママチャリを背負った。 「兄ちゃん! 走れ!」
僕たちは崩壊を始めたコンビニから、這うようにして脱出した。 背後で自動ドアがガシャガシャと開閉を繰り返し、店長の怨嗟の声が響き渡る。
『残業代……ホシイ……』
山道を転げ落ちるように逃げながら、僕はポケットに入れた「黒い手帳」を握りしめた。 ただの漂流物じゃない。 この現象には、明確な「悪意」と「悲劇」が絡んでいる。 僕たちが直面しているのは、単なる鬼退治ではなく、時空を超えたブラック企業の精算なのかもしれない。




