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【第一話】プロテインと牛車と、あやかしの都

「……腕立て、一回もできないんですけど」


深夜二時。東京都内の24時間営業ジム。

誰もいないフリーウエイトエリアで、僕は鏡に映る自分の貧相な姿に絶望していた。


名前は一条 カケル(24)。システムエンジニア。

身長170センチ、体重52キロ。体脂肪率は驚異の一桁だが、それは筋肉がないだけの「あばら骨標本」だ。


「せめてベンチプレス、バーだけでも……!」


ふんぬっ、と気合を入れてバーベル(重りなし・20kg)を持ち上げようとした瞬間だった。


視界が一瞬、白くノイズった。

モニタがフリーズしたときみたいな、現実のフレームレートだけ落ちたような感覚。

次の瞬間、脳天を貫くようなお香の匂い。そして、ドスンという尻への衝撃。


「痛っ……え?」


目を開けると、そこはジムではなかった。


アスファルトの代わりに、踏み固められた土。

LED照明の代わりに、空に浮かぶ頼りない月。

そして目の前には、ベンチプレスの代わりに――


「どけェェェッ! 轢き殺されたいか下郎!」


巨大な牛が、こっちに突っ込んできていた。

いや、牛だ。どう見ても牛だ。その後ろには立派な御簾みすのかかった木箱……牛車?


「ひ、ひぃぃぃ!」


とっさに転がるように避ける。運動神経ゼロの僕にしては奇跡的な回避だった。

牛車は僕の鼻先数センチを風のように駆け抜け、そのまま闇夜の向こうへ消えていった。


「な、なんなんだよ……ここどこだよ……」


腰が抜けて立ち上がれない。土埃にまみれたジャージ姿。

手にはなぜか、さっき飲みかけだったプロテインシェイカー(チョコ味)が握られている。


ちなみにこのプロテイン、謎の海外メーカー製・大容量3キロ。

レビュー欄で「溶けない」「泥水」とボロクソ書かれていたやつだ。

給料日前のノリでポチった過去の自分を、今だけは褒めたい。

まさか異世界(?)まで一緒に転送されるとは思わなかったけど。


周囲を見渡す。低い木造建築。瓦屋根。遠くに見える朱色の塔。

そして、電柱が一本もない。


「まさか、映画のセット?」


そう思いたかった。けれど、空気が違う。

生ゴミと排泄物と、それを誤魔化すような甘い香が混ざり合った、濃厚な生活臭。


ふと、足元の水たまりに月明かりが反射した。

そこには、青白い顔をした僕と――その背後に立つ、角の生えた何かが映っていた。


「――なんと珍妙な装束じゃ」


低い声。振り返ると、そこには身長2メートルはある巨漢が立っていた。


ボロボロの布をまとい、口からは牙が覗き、額からは間違いなく角が生えている。

手には錆びついた金棒。


「お、おに……?」


「ほう、我が見えるか。陰陽師おんみょうじの類かと思えば、ヒョロヒョロのわらべではないか」


鬼はニタリと笑い、金棒を振り上げた。


死ぬ。

システム納品前のデスマーチより確実に、物理的に死ぬ。


「ま、待って! 僕、食べても美味しくないです! 筋肉ないし! ほぼ骨だし!」


「問答無用。腹が減っておるのだ」


金棒が風を切る音が聞こえた。

僕は反射的に、唯一の武器(?)であるプロテインシェイカーを顔の前に突き出した。


「うわあああああ!」


カッ!!


その時だった。僕のスマホがポケットの中で誤作動を起こしたのか、

あるいはプロテインの神様の奇跡か。


シェイカーの半透明なプラスチックが、スマホの通知ライトの強烈なフラッシュを乱反射させ、

目もくらむような白い光を放ったのだ。


「グアアアアアッ!!?」


鬼が目を押さえてのけぞった。


「こ、光の術!? 貴様、ただの童ではないな!?」


「え?」


「その手に持つ奇妙な筒……まさか、伝説の『雷神の宝具』か!?」


鬼は後ずさりし、僕の手にあるチョコ味プロテインを恐怖の形相で凝視している。


……違う。これはただのタンパク質だ。しかもレビュー通りダマになっている。


「……そ、そうだ! 近寄るとこの『サンダー・ボルテック・プロテイン』が爆発するぞ!」


僕は震える声でハッタリをかました。


鬼は「ヒィッ!」と情けない声を上げると、脱兎のごとく闇夜に消えていった。


「……た、助かった……?」


へなへなと地面に座り込む。

心臓が早鐘を打っている。ここはどこだ。今はいつだ。


震える手でスマホを見る。圏外。

日付表示はバグって「--月--日」になっている。

OSごと時代に対応してないなら、どうしようもない。


「見事じゃ」


不意に、鈴を転がすような声が降ってきた。


顔を上げると、いつの間にか目の前に一人の少女が立っていた。

十二単じゅうにひとえをラフに着崩し、腰には日本刀。

長い黒髪を夜風になびかせ、切れ長の瞳で僕を見下ろしている。


一瞬、状況そっちのけで「いや、顔面偏差値たか……」と素で見とれてしまった。

「あのような下級鬼を、呪文一つ唱えず追い払うとは。……そなた、名を何と申す?」


「え、あ、カケル……一条カケルです」


「カケルか。奇妙な響きじゃ」


少女は扇子で口元を隠し、僕のジャージの胸元にある『24h GYM』のロゴを興味深そうに覗き込んだ。


「我はみなもとの 頼光よりみつ。……のカバン持ちをしておる、ただの式神じゃ」


いや、嘘だ。オーラが違う。

中間管理職が「ただの平社員だから」と言うくらいには信用ならない。


彼女はニッコリと笑うと、僕の首根っこを掴んで強引に立たせた。


「気に入ったぞ、カケル。そなたのその『光る筒』の力、我らの鬼退治に貸してもらう」


「は? いや、これプロテイン……あと僕、腕立て一回もできないんですけど!?」


「問答無用」


きっぱりと言い切ると、彼女はまるで落とし物でも拾うみたいな雑さで、

僕を引きずるように歩き出した。


土の感触。牛車の車輪のきしみ。遠くから聞こえる、笛と笑い声。

ここが少なくとも「令和日本」ではないことだけは、さすがの僕にも理解できた。


こうして、筋肉量ゼロ・霊感ゼロ・武器はチョコ味の激マズプロテイン。

ジムに戻るより先に、なぜか鬼退治デビューが決まってしまった。

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