森の異変
私たちはクラウドたちの背に乗り、森を風のように駆け抜けていた。
木々が流れる。地面の湿った匂い、蜘蛛たちの脚が踏みしめるたびに土が跳ね、葉が舞い上がる。
頬を切るような風。体ごと持っていかれそうな速度だ。まるで車どころか、暴走するジェットコースター。
絶叫したい気持ちを押し殺しながら、私は必死にバランスを取る。
隣のソアラは完全に声にならない悲鳴をあげていた。
必死に糸を握りしめ、尻尾をバタバタさせている姿はちょっと笑ってしまう。
ちなみに私は粘着糸でクラウドの背に固定済み。絶対落ちない。安全第一。
「お姉ちゃん、そろそろ村に着きます」
ナナの声が通信越しに響く。
「そうね……クラウド、一旦止まってくれる?」
「ハッ!」
クラウドの合図で、百を超える脚音が一斉に止む。静寂が訪れると同時に、地面がわずかに揺れた。
「クラウドたちは悪いけど、ここで待ってて。村にそのまま入ったら、完全に襲撃と勘違いされるわ」
「確かにな」デイルが苦笑する。「軍勢に見えなくもねぇ」
「ショウチシマシタ。イツデモオヨビクダサイ」
クラウドたちは整列し、まるで王命を待つ騎士団のように静まり返った。
その姿を見て、少し誇らしくなってしまう。
私たちは地に降り、村へと歩き出した。
◇
その頃――森の西方。
朝霧の中を、三つの影が進んでいた。
「へぇ……これが“ウロボロスの森”か。空気が重ぇな」
スキンヘッドの巨躯の男が、倒れた魔物を片手で持ち上げて笑う。
彼の名はアムス。腕力だけならドゥーム軍でも屈指の猛者だ。
「だから言ったじゃない、もっと南から回ればいいって」
長い橙色の髪を揺らす女が、杖の先で魔物の死骸を突く。レイチェル――このパーティの魔法使いを務めている。
「いいじゃねぇか。ここには面白れぇ魔物がうじゃうじゃいるからな」
「ほんと脳筋ね……アンタは。」
「んだよ、文句あんのかよ」
「お前ら、いい加減にしろ」
低く響く声。
前を行く黒衣の男――カロンが振り返った。
口元に浮かぶ笑みは、獲物を前にした獣のようだ。
「……亜人の村までもうすぐだ。目的は単純だ、女とガキをさらうだけ」
「楽な仕事ね」
「つまらねぇな」
「贅沢言うな。楽な時に楽してこそ、長生きできるもんだ」
そう言い残し、カロンは巨大な熊の死骸を踏みつけた。血がじわりと土を濡らす。
――森の奥で、獣の悲鳴が途絶える音がした。
◇
村に戻った私たちは、すぐにアーガストの家を訪れた。
「なるほどのう……それで“死蜘蛛の群”を従えたわけじゃな」
「そういうこと。思ってたより、彼らはずっと賢いわ」
「まったく、恐ろしい娘よ。亜人の誰も、蜘蛛を仲間にするとは思わなんだ」
アーガストは顎を撫でながら笑う。
「じゃが、百体もの蜘蛛を村に置くのは無理じゃな」
「そうなのよ。どこかに安全な居場所がないと……」
「ふむ。ならば“あの廃城”はどうじゃ?」
「廃城?」
「ダンジョンへ向かう途中で見えたろう? あれは、かつてこの国の都じゃ」
「あっ!」思い出した。
あのとき、休憩中にカーニスが話してた――
「昔はこの辺りに亜人の国があったのですよ」
懐かしむような声だった。
「懐かしいな。俺もあの頃はまだガキだった」
デイルも遠い目をしていた。
でもそのとき、何か言いかけて――やめた。
「……いや、なんでもねぇ」
空気が少し、重くなったのを覚えてる。
◇
「つまり、その国に住まわせるってことね」
「そうじゃ。それに死蜘蛛たちの力を使えば、再建するのも容易かもしれん」
「なんでそんな面倒なことを私が」
「ほっほっ、何、悪い話ではないと思う。国は亜人族にとっては大切なものなのだ。再建すると知れば皆泣いて喜ぶだろう」
アーガストは胡散臭い笑みを浮かべる。
「はぁ、いいわ。どうせやるなら、ちゃんと建て直してあげる」
「おおっ! やはりホノカの意思を継ぐ者よ!」
「またそれ? 私、そんな意思とか知らないわよ」
「ほっほっ、すまぬすまぬ」
その夜。
アーガストの治癒魔法で、肩の傷が完全に癒えた。
胡散臭くても、腕だけは認めてやるわね。
◇
翌朝。
外が騒がしい。
「……これ、私抜きで始まってるわね」
広場に行くと、ソアラが嬉しそうに手を振った。
「あっ! お姉ちゃん来た!」
「おはよう」
「みんな、お姉ちゃんを待ってたんだよ!」
――じゃあ起こしてほしかったんだけど。
私は村人たちの前に立つ。
「クラウドたちは、私たちの仲間です」
ざわめきが起こる。
でも意外にも、みんな受け入れてくれた。
「それと……もう一つ。亜人と死蜘蛛が協力して、亜人王国を再建したいの。力を貸して」
沈黙。
鳥の声すら止んだ気がした。
「……本当に、国を立て直してくださるんですか!?」
最初に声を上げたのはソレイユさんだった。
「ええ。みんなが望むなら、私は全力でやるわ」
次の瞬間――
「「ウォーーー!!!」」
「「アイリ様最高ぉーーー!!!」」
「「一生ついていきます!!!」」
歓声が爆発した。
アーガストが笑いながら言う。
「のう、アイリ殿。亜人にとって“国”とは命そのものなのじゃ」
……なんか分かる気がする。
でもその時、少年の声が響いた。
「ってことは、あの“化け物”も倒してくれるんですよね!?」
「……化け物?」
嫌な響きだ。
「ほっほっ、そんな輩もおるが、まあアイリ殿なら造作もなかろう」
白々しい。絶対知ってたでしょ。
「ま、いいわ。出発は明日の朝ね」
◇
「ママトイッショ……ガイイ」
「ママ?」
振り向くと、クロエが足元に。
完全にホラー。
「ママトイッショ……ニイタイ」
「……いいよ。今日は暇だしね」
その後、クロエと一緒に村を歩いた。
彼女は花や鳥を見るたびに目を輝かせ、小さな声で質問をしてきた。
蜘蛛の姿なのに、まるで子どものようで――少し可愛いと思ってしまった自分に驚く。
◇
夜。
「アイリ様! 大変です!」
シールが慌てて部屋に飛び込んできた。
「巡回に出た者たちが帰ってきません!」
「そんなに珍しいの?」
「ええ、いつもならもう戻っています!」
「ナナ、案内お願い」
「承知しました」
森に向かう途中、妙に鳥の声が騒がしい。
木々がざわめき、動物たちが走り抜けていく。
「森が、怯えてる……?」
「何か起きていますね」ナナの声が低い。
「クロエ、ここで待ってて。危ないから」
「クロエ……タタカエルヨ」
「ありがとう。でも、ママの言うこと聞いて」
「……ワカッタ。マッテルネ」
クロエを残し、私は森の奥へ走った。
◇
やがて――血の匂い。
折れた木々、焦げた草、そして怪我人の列。
「お姉ちゃん!」
ソアラが駆け寄ってくる。
「巡回中に……ブラッドベアに襲われたの!」
「ブラッドベア?」
ダストという猿亜人が、息を切らしながら説明する。
森の奥の縄張りを越えて出てきた、血色の凶熊。
「強さは?」
「死蜘蛛より……ずっと!」
「マジか……」
考えるより先に、私は走り出していた。
◇
――その少し前。
「これがブラッドベアか……」
ソアラたちは一体を討ち倒していた。
血が焼けるような臭い。森全体が震えている。
「まだいる。十体以上だ」
デイルの声が低く響く。
「逃げるぞ!」
カーニスの判断は正しい。
だがその時、雷のような声が森に響いた。
「ソアラーー!!」
私が駆けてきた。
「よかった、無事ね。……この赤いクマが?」
「私たちが倒したの。でもまだたくさん……」
ソアラが泣きそうな顔で言う。
「大丈夫。あとは私がやるわ」
雷光が走る。
感知で敵を捕らえ、全力で踏み込む。
剣に雷を纏わせ、連撃。
クマの毛皮が焦げ、空気が鉄の匂いで満ちる。
「あと一体……!」
そう思った瞬間、膝が崩れた。
「嘘……魔力が……」
立てない。この魔法衣の特殊な力にはクールタイムがあり、一度使用すると3日間再発動不可となる
――終わった。
赤い巨熊が咆哮を上げ、牙をむく。
「アイリ姉ちゃんに手を出すなー!」
「フレイムソードッ!」
ソアラとデイルが斬りかかる。
光と炎が交錯し、巨熊を押し返した。
「大丈夫ですか、アイリ様!」
カーニスが魔力を分け、身体に再び熱が戻る。
「ありがとう……今度はこっちの番ね」
剣を構え、雷が再び走る。
「セヤァー!!」
轟音。閃光。
熊は真っ二つになり、煙を上げて崩れ落ちた。
「すごっ……」
「マジかよ……」
みんなが口を開けていたけど、私は気にしない。
「ありがとね、助かった」
「ちがうよ! 私たちの方が助けられたんだ!」
「ふふっ、じゃあ約束。国の再建の時は、しっかり働いてもらうからね」
「もちろんだ!」
「「おおーーー!!!」」
歓声が森を震わせる。
その笑顔を見て、少しだけ胸が温かくなった。
「さて、ごはんにしよっか」
――その時、森の最奥。
倒れた熊の死骸の影が、ひとつ、ゆっくりと動いた。
血の中から、黒い何かが蠢く。
夜風が吹き抜け、月が隠れる。
まだ、嵐は終わっていなかった。




