うらない
「俺には、殺さなきゃならない奴がいるんだ――だから、お前の力が必要なんだよ」
男はまっすぐソアラを指さした。
ちょ、殺したいって……。
「ちょっと、全然意味わかんないんだけど。なんでそこでソアラが出てくるのよ」
仮に理由があったとしても、ソアラに人殺しなんてことは絶対にさせない。胸の内側が、かすかに熱を帯びる。
「占いで言われたんだ……金色に輝く太陽を模した柄の剣を持つ、銀髪の猫の亜人が、お前の贖罪を果たす助けとなる。その者が、かの災禍を打ち倒す――ってな」
占い、ね。そんなものでソアラを探しに来たなんて信じられないわね。
「あのねぇ、占いなんて話半分に聞くものなの。気にし過ぎるとかえって良くないって――うちの世界では言うのよ」
「違う。あいつの占いは“絶対”だ! ……しまった」
男は舌打ちし、慌てて自分の口を押さえた。
「絶対に当たるって……?」
まさかね、絶対当たる占いなんてあるわけが……。でも、ここは私の常識が通じない異世界だから本当に……。
「今のはその……忘れてくれ」
レインはバツが悪そうに言う。
「少しいいかな? “災禍”って聞こえたけど、君の“殺したい相手”っていうのは……」
ロイドが落ち着いた声で割って入る。嫌な予感がしてしまった。さいか……。
「ああ。災禍だ。その中でも、俺が狙うのは“氷嵐の災禍”」
災禍。字面からしてロクな存在じゃないのはわかる。けど、何者なんだろう?できれば関わりたくないから知りたくはないけど……。
私はそっと距離を置く。
「じゃあ、私にその氷嵐の災禍を倒してほしいってことなの?」
ソアラ、知ってる口ぶり。私はリューネを見る。
「無理っすよ。災禍なんて倒せるわけないっす。あんなのに勝てる奴、いないっす。ソアラ、受けちゃダメっすよ」
あのリューネがそこまで言うならよっぽどヤバいやつなのね……っていうか、リューネも災禍のこと知ってるんだ……。
『お姉ちゃん、災禍というのはこの世界に災いをもたらす“七大災禍”のことです。昔は七体存在していましたが、今は一体が倒されて六体ですが……そのどれもが世界を滅ぼすほどの力を秘めていて、英雄ですら倒すのは困難と言われています』
ナナがこっそり私に災禍のことを教えてくれる。
いやいや、何よその化け物設定!そんなのと戦おうとしてるわけ!?
「無理じゃねぇ! 占いで“お前が倒す”って言われたんだから……」
「そもそも、どうして災禍を倒そうとするんだい? 彼らはこちらから仕掛けなければ動かないはずだ。下手に手を出す必要はない」
ロイドの指摘に、男は一瞬だけ目を逸らす。
なんだ、大人しいんだ。なら手を出すなんて馬鹿な真似はここで止めないとね。この人はかなり頑固で自己中だから、言っても聞かなそうだけど。
「……それは言いたくねぇ。俺の理由なんかどうでもいい。お前が俺と来れば、すべて解決なんだよ」
「ねぇ、――そういえばまだ名前、聞いてなかったわ」
「レイン……」
ぶっきらぼうな応答。乾いた唇が、熱でひび割れている。
「私はアイリ。こっちがソアラで、そっちはリューネ。で、ソアラの肩でふてぶてしく座ってるのがミレイ」
「なによ、ふてぶてしいって!こんなに可憐で美しい……」
面倒なのでミレイのいうことを一旦無視しよう。
「それでね、レイン。もうちょっと冷静になろうよ? 深呼吸して、まず現状を見て」
「なんだと、てめぇ。まるで俺が冷静じゃねぇみたいな言い方だな」
「そう言ってるの。――ソアラを、ちゃんと見て」
「え、私!? どういうこと、アイリ姉ちゃん?」
レインは渋面のまま、ソアラを上から下までまじまじと見た。
「この、ちんちくりんを見てどうしろってんだ」
「ち、ちんちくりん!?」
ソアラがぶるぶると震えショックを受けていた。大丈夫、ソアラは可愛いから。
「違う。剣よ。太陽の剣。レインの占いじゃ、ソアラが“その剣を持ってる”前提だったでしょ。なのに今、ソアラは持ってないわよ。――何が言いたいか分かる?」
レインの喉仏がぴくりと動き、言葉が詰まる。
「言われてみれば、その通りっすね! さすがアイリ様っす! でも、そんな剣一本あるだけであの災禍を倒せるとは思えないっすけどね」
「そ、そうだよね……?」
「だいじょーぶ! なんてったってこのアタシがついてるのよ。災禍だろうが魔王だろうが、アタシの前ではアリンコ同然――」
「はいはい、分かったから大人しくしててね」
ミレイがくるりと回って胸を張るのを手で止める。幌の内側に、ぱちん、と乾いた音が響いた。
レインが自分の頬を叩いたのだ。赤い指形がくっきり浮かぶ。
「悪かった。おかげで目が覚めた……気がする。――けど、俺は諦めちゃいねぇ。そこは勘違いすんな」
そこは諦めてほしいんだけど!
「私、頑張るよ。いつか災禍を倒せるくらい強くなる」
「ダメよ、私達はそんな事に手を貸さないわ。災禍ってこっちから仕掛けなければ動かないんでしょ? 触らぬ災禍になんとやら、よ」
「別にお前に手伝って欲しいなんて一言も言ってねぇよ。なぁ、お前ら。太陽の剣がどこにあるか、知らねぇか?」
生意気なやつね。ここは“知らないふり”で――
「ロザリーさんが管理してるって、聞いたよ!」
「ソアラぁ……!」
なんでいっちゃうのよ!そこは知らないふりしなきゃ……。
「だったら話は早い。早速そいつのところへ行こうぜ」
この男どんだけ自己中なのよ。ちょっとだけムカついてきたわね。
「悪いけど、私たちはガレートに用があるの。だから行けないわ」
「なら、ソアラだけでも――」
「だめに決まってるでしょ」
「なんでだよ! 別にこんな――ちんちくりんが」
ぱちん。
今度は私の手のひらだ。張りのある音が、馬車の中にきっぱり残る。続けて胸ぐらを掴み上げ、レインの目線を引きずり下ろした。やっちゃった……でも、ここまで来たら全部行ってやる。
「あんた、さっきから何様のつもり? 自分のことしか見えてないの?何でも自分の思い通りになると思ってるの? そんな態度で“誰かが助けてくれる”って本気で思ってるの? 本当に助けが欲しいなら――ちゃんと頭を下げてお願いしなさいよ。それが出来ないなら私達は絶対に協力しないから!」
掴んだ手を離す。レインはどさりと尻餅をつき、幌の影が頬を斜めに走った。車輪が砂利を踏み、しん、とした沈黙が落ちる。気まずい。背中がむずむずする。
「……アイリ、だっけか」
ゆっくり立ち上がったレインの瞳が、さっきより澄んで見えた。
「すまなかった。俺、ずっと焦ってたんだ。早く罪滅ぼしをしたくて。俺のせいで――家族も、村の連中も、災禍にやられて……だから」
言葉が掠れ、喉の奥で砕ける。レインの頬には一筋の涙が伝っていた。
「――だから、一刻も早く災禍を倒して、あいつらを解放してやりてぇって。けど、今の言葉で気づいた。俺、最低だったな。家族のためだと言い聞かせて、散々自分勝手な事ばかりしてきた……」
「もういいわ、十分伝わった。話してくれて、ありがとね。あなたの事情は分かったわ……でも、協力はするかは考えさせて欲しい。私たちにもやることがあるの。それが終わったら――災禍を倒すのを手伝うわ。」
あぁ……言ってしまった。勢い任せとはいえ、よりによって災禍を倒すなんて馬鹿じゃない!
「ああ。もちろんだ。それじゃ、俺もお前らを手伝うぜ。役に立つかはわかんねぇけどよ」
「その時は、お願いするわ」
ようやく、話が地に足をついた気がした。
「今度からアタシも、アイリ様の言うことはちゃんと聞くっす!」
「クロエも、ママを怒らせないようにするね」
「ふ、ふん。ちょっと怒ったくらいで、アタシはぜんっぜん怖くなかったけど?」
ミレイの肩が、こっそり一回だけ震えたのを私は見逃さなかった。
別によほどのことがない限り怒らないから、そんな警戒しないで欲しいんだけど……。
◇
その日は、ガレートまでもう少しかかるということで野宿になった。ナナのスキルを使い、即席の簡易テントが音もなく立ち上がる。夜風は思ったより冷たい。私達は食事のため、火を起こすと、乾いた小枝がぱちぱちと心地よく弾けた。スープの湯気に塩と香草の匂いが混じり、空腹に沁みる。
「ねぇ、そういえばレインは“氷嵐”の災禍を狙うんだよね。七大災禍って、他にはどんなのがいるの?」
木椀を両手で包むと、指先がじんわり温まる。遠くで夜虫が細かく鳴いた。
「この大陸で有名なのは“獄炎の災禍”だな。他にも“暴風”“生命”“轟雷”“極光”。“常闇の災禍”は――昔、ひとりの英雄が倒したって噂がある。……だから今はその六体だ」
焚き火の火の粉が、星みたいに夜空へ昇っていく。関わり合いになりたくない、のが本音。けど、避けてばかりじゃ届かないものもある。
「倒せるといいわね、目的の“それ”を」
「ああ。絶対倒す。そのために、ずっとひとりで鍛えてきた」
「そうだ、ずっと気になっていたんだけど……レイン君って、忍だったりする?」
「へぇ、忍なんてよく知ってるな。けど俺は違ぇよ。俺は――剣士だ」
忍、ね。たぶん、誰か私より前に来た“日本人”が広めた言葉なんだろう。日本人……か。
「ごちそうさま。……眠くなってきたし、私は先に休むね」
テントの布をくぐると、土の匂いに布の新しい匂いが混じった。寝具に体を預けると、ひんやりした感触が背中から溶けていく。
――この世界には、私が想像する以上に地球からやって来た人間がいる。向こうの世界では、彼らはどう扱われるのだろう。失踪者、行方不明。刑務所にいるのなら脱獄者……になるのかな?
だめ。考えちゃだめ。まだ決まってもないのに……“あいつ”がこの世界にいるなんて、想像するだけで、全身が震えてくる。




