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 ロイドが氷の鎖に捕まり、青年はゆっくりと視線をこちら――馬車へと移した。幌の布越しにも、刃の冷たさが空気を裂く気配として伝わってくる。


「仕方ない、クロエはここで待っててね。――私たち四人なら、なんとかなるはず」


 ひとりじゃ勝てなくても、連携すれば道はある。相手だって傷だらけ。……うん、いける。いけるはず。


 「やってやるっすよ!」


 「いいわね。あいつに貸しを作れるの、気分がいいわ」


 私とリューネ、ミレイが並んだ、その瞬間。青年はふいに立ち止まり、眉をひそめた。


 「なんだ? 急に……熱っ」


 私たちも同時に異変を感じる。周囲の温度が、じりじりと皮膚を焼くように上がっていく。幌の縁が熱で膨張して、微かにきしむ音がした。


 「てめぇ……まだそんな小細工を……」


 「言っただろ、僕はまだ負けてないって」


 炎の奔流が、氷の鎖を内側から溶かし崩す。煌めく蒸気の中から、ロイドがゆっくりと立ち上がり、青年をまっすぐ見据えた。……にしても暑い。帽子の内側に汗が溜まって、こめかみをつうっと伝う。これ何度あるのよ。


 「やろう。――これならどうだ、水鏡の術!」


 青年の周囲に、水面からすくい上げたような分身がぱっと花開く。五体。すごい、どれも全く同じ姿だ。


 「ほんとに忍者じゃん!」


 「ママ、忍者ってなーに?」


 「こうやって分身出したり、気配を消したりする人のことよ」

 私は簡潔に忍者の説明をしてあげる。どうせ私より前に来た人が教えたんでしょうね。


 「流石アイリ様っす! そんな不思議な魔物がいるんすね」


 ……いや、魔物じゃないと思うけど……。


 「悪いが、フィアもそろそろ疲れてきてる。終わらせるよ」


 ロイドの声音は静かだ。どう勝つつもりなのか、目が離せない。


 「やれるもんなら、やってみろよ!」


 計六体に散った青年が、一斉に弧を描いて迫る。次の瞬間、ロイドを中心に熱風が爆ぜた。焦げた草の匂いと乾いた熱が頬を刺し、私たちのいる幌の中まで押し寄せてくる。


 「あっつ!」


 青年は舌打ちとともに跳び退く。分身の氷像は、熱にあぶられて溶け落ち、湯気の粒になって消えた。


 「紅蓮牢獄」


 ロイドが地面へ掌を落とす。炎が地脈を走るみたいに疾り、青年の足元で弾けて円環を結ぶ。灼けた空気がめらめらと立ちのぼり、炎の檻がカン、と高い音で閉じた。


 「ちくしょー! なんだよこれ!」


 「終わったわね」


 今度こそ勝負ありのようね。私達はロイドの元へ歩いていく。


 「アイリたち、もう大丈夫。さすがの彼も、これは破れないはずだ」


 「てめぇ、こんな卑怯な技で勝ち誇ってんじゃねぇよ!」


 男は怒る。まるで負け犬の遠吠えね、とはいえこのままじゃ焦げ肉になりかねない。話ができるうちに聞いておこう――そう考えた矢先、ぱりん、と澄んだ音がロイドの周りに弾けた。


 「……もう、限界ですわ。申し訳ありません、ロイド様。少し休ませていただきますわね」


 同一化が解け、フィアはふらつきながらロイドの服の中へもぐり込む。同時にロイドの膝ががくりと折れ、土に座り込んだ。焦げた土の匂いに、鉄の薄い匂いが混じる。


 「ごめん。僕たち、アイリたちに会う前に少し――いや、だいぶ激しい戦いがあってね、疲れが抜けてないんだ」


 さっきの言葉は見栄じゃなかった、ってこと。そんな状態でジェフや今の青年に勝つとか、やっぱり化け物だわこの人。これからも仲良くしとかないとね。


 「ううん、助かったよ。――私たちはあの人に話を聞いてくる。クロエとリューネはここで待ってて」


 「わかった!」


 「了解っす!」


 私はミレイとソアラを伴って、炎の檻へ向き直る。熱で空気が揺らぐ。こんなの死んじゃうわよ?


 「なんだよ……無様な姿を笑いに来たのか」


 青年はそっぽを向いたまま、悔しさを噛み殺すみたいに肩を揺らした。


 「どうして私たちを襲ったの? 何か理由があるんでしょ」


 「お前らに話すことはねぇよ」


 ほんと頑固ね。こうなれば……。


 「じゃ、いいわ。そのままじっくり焼かれて死ねば? ソアラ、戻ろっか」


 私が踵を返すと、青年が慌てて叫ぶ。


 「ちょ、ちょっと待て! 悪かった、話す。話すから、これ解いてくれ!暑すぎて死んじまう!」


 ……掛かった。内心で胸を撫でおろしつつ、私は指先で合図を送る。


 「わかった。その代わり、また襲うなら容赦しないからね」


 「わかってる。負けは負けだ。卑怯な真似はしねぇよ」


 馬車襲っておいて何言ってるの、と喉元まで出かかったけど飲み込む。私はクロエに頼み、紅蓮牢獄の解除をロイドへ伝えてもらった。炎は嘘みたいにしゅんと消え、焼けた輪郭だけが地面に残る。


 「ふぅ……なんとか丸焼きにならずに済んだぜ!」


 青年が大の字に倒れ、汗で額が光る。数呼吸ののち、はっと身を起こして私たちを見た。


 「俺は……な!? お……お前……」


 視線の先――ソアラだ。青年は飛び起き、ソアラの両肩をがしっと掴む。


 「え? なに?」


 「ちょっと、ソアラに何するのよ!」


 「銀髪の……猫の亜人。そうか、そうだったか。はははは――ようやく見つけたぜ!」


 周囲の声が耳に入っていない。男は高らかに笑う。嫌な予感が背中を走る。


 「よいしょっと」


 私は絶句した。青年――レインはソアラを肩に担ぎ上げたのだ。


 「へ? なにするの?」


 「どれだけ探したと思ってんだよ。――こいつは、ちょっと借りてくぜ」


 さも当然のように、歩き出す。


 「ちょっとアンタ! ソアラをどこに連れてく気よ!」


 ミレイが飛び出して、ぽこぽこ頭を小突く。私は帯電化し、セブンソードを展開。空気がぴり、と乾いた。


 当のソアラは、状況が呑み込めず目をぱちぱちさせている。


 「なんだよお前ら。ちょっと借りるだけだ。用が済んだら返すって言ってんだろ」


 「私はものじゃないよ!」


 ばこん、と鈍い音。ソアラが平手で――いや、柄で――レインの後頭部をかち割らん勢いで殴る。レインは白目をむいて、ばたりと倒れた。


 「大丈夫だった? ソアラ」


 「うん! よくわかんないけど、大丈夫だよ!」


 ほんと、何なのよ今の。ソアラを見た途端の豹変……。


 「ねぇ、ソアラ。この人、初対面だよね?」


「うん。見たら忘れない顔してるから、間違いないよ」


 「だよね。――まあ、直接聞けばいい話だわ」


 私たちは気絶したレインを馬車に運び込み、ガレート方面へ舵を切った。車輪が再び回り出す。



 ……ここは、どこだ。


 どこを見ても真っ白。天も地もない無明の箱の中に、ひとつの影だけが立っている。


 「姉……さん。姉さん!」


 喉が勝手に叫ぶ。影が振り向き、真紅の涙を零した。頬は裂け、腕には爪痕。息が詰まる。


 「死んで」


 「え……?」


 「死んでって言ったのよ! どうして、どうしてあなただけがのうのうと生きてるの!」


 足が凍りつく。世界の白が、耳の奥でざぁっと鳴った。


 「姉さん、その傷――」


 「あなたのせいでしょ! あなたが、私を。お母さんを。お父さんを……」


 姉は顔を覆って崩れ落ち、次の瞬間ナイフを握って立ち上がった。刃が、白の世界で黒い線を描く。


 「あなたがいなければ、災禍は目覚めなかった!」


 思い出してしまう。ああ、そうだ。俺が――村を、家族を、みんなを。


 「だから、あなたも私たちのように苦しんで、死になさい」


 刃先が胸元に吸い込まれる。抵抗する気はもう、ない。償えるなら、それで――。



 「……ん? どこだ、ここ?」


 レインが薄く目を開け、木の天井を見た。馬車の揺れで梁がかすかに軋み、乾いた藁の匂いが鼻を掠める。


 「馬車の中よ。私たち急いでるの。ほんとは見捨ててもよかったけど――聞きたいことがあったから、拾ってきたの」


 彼はきょろきょろと視線を泳がせ、状況を測る。頬には乾いた涙の跡が線になって残っていた。


 「ねぇねぇ、怖い夢でも見たの?涙の跡が……」


 ソアラが覗き込み、首を傾げる。


 「なっ! べ、別に泣いてねぇよ!」


 慌てて頬を拭うレイン。ソアラはにこっと笑って、ぽん、と彼の頭を撫でた。私は笑いを飲み込む。ミレイは肩をすくめて舌打ち。


 「大丈夫だよ。私たちがいるから、怖くないよ」


 「やめろって。ガキ扱いすんな」


 レインは気恥ずかしそうに背を向ける。車輪が石を踏み、こつん、と床に響いた。


 「――そろそろ教えて。どうしてソアラを連れていこうとしたの」


 少しの沈黙。車窓から入る風が砂の匂いを運び、幌をぱたんと叩く。

 そして男は恐ろしいことを口にする。


 「……俺は、どうしても殺したいやつがいる」

 

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