幻獣襲来
亜人村東方面にて、幻獣は突然現れた。
藍里が逃げ出した後、亜人の戦士たちは門の外で幻獣を待ち構えていた。場には緊張が走り、恐怖が満ちている。数名を除いては。
「ソアラ、お前だけでも逃げろ。ここは俺が食い止めるから」
そう言ったのは、狼のように鋭い目をした青年だった。
「なに言ってるの! 私は逃げないよ! 絶対に村を救うから、みんなを守るから!」
ソアラと呼ばれた銀髪の猫耳少女は、剣を構えて幻獣が現れる方角を見据える。その瞳には覚悟と決意が宿っていた。
「デイルこそ私より弱いんだから、みんなを先導して避難を優先してよ」
デイルと呼ばれた狼族の青年は、痛いところを突かれたように顔をゆがめる。
「そ、それとこれとは関係ねぇよ! お前は年下なんだから、ここは年上の俺に任せろって言ってんだ!」
デイルは思わず大声を上げる。怒りっぽい自分の性格は自覚している。それが妹のためならなおさらだ。
そのとき、二人の肩に手が置かれた。
「ほら、喧嘩はそこまでです。これから幻獣と戦うのに、喧嘩している場合じゃないでしょう」
犬のような垂れ耳に眼鏡をかけた青年――カーニスが優しく諭す。
「あっ! カーニス! てっきり先に逃げたのかと思ったよ」
「な、何言ってるんですかソアラ。ぼ、僕が君たちを置いて逃げるわけないじゃないですか!」
……明らかに目が泳いでいたが、二人はあえて触れなかった。
「そ、そんなことよりソアラに聞きたいことがあったんです」
ばつの悪さを隠すように、カーニスが話題を変える。
「なに、聞きたいことって?」
まっすぐ見つめられ、カーニスは言葉を詰まらせる。本当に聞いていいのか迷いながらも、意を決して口を開いた。
「どうして……あの人間を助けようとしたの?」
亜人にとって人間は“絶対悪”。そんな存在を、ソアラはためらいもなく助けようとした。それが理解できなかった。
「――あの人は、悪い人じゃないから」
ソアラは真っすぐに答える。
カーニスは固まった。どうしてそんなふうに人間を見られるんだ。君が一番、人間に傷つけられたのに……。
「おいカーニス。何呆けてるんだよ、ソアラは昔からこういう奴だろ」
それは分かっている。けれど――僕は望んでいた。ソアラが人間を憎むことを。そうでなきゃ、また君は大切なものを失うから。あの時のように。
「ごめんね、カーニス。たとえどんなことがあっても、私は誰かを憎んだりしないよ。それが――」
「おい! 来たぞ! 幻獣だー!」
森の奥から全長十メートルほどの獣が姿を現す。紫の体毛に覆われ、背には禍々しい角のようなものがいくつも突き出していた。手足には鋭く巨大な爪。
その圧倒的な存在感に、亜人たちは剣を構えながらも今にも腰を抜かしそうになっていた。
「やるしかねぇか……支援頼むぜ、カーニス!」
デイルが前に出ようとするが、足がすくんで動けない。
「……デ……イル……声が……」
詠唱しようとするカーニスの声も震え、言葉にならない。
幻獣が放つ“恐怖の波動”により、誰もが動けずにいた。
幻獣とは、生物の“負の感情”から生まれる存在。
それは相対する者に、同じく負の感情を与えるとも言われている。
この化け物を前に、動ける者など世界でもほんの一握り――英雄、勇者、魔王、伝説の七聖人……そして、名も残さず消えた強者たち。
そんな幻獣を前に、ただ一人、恐怖に耐えて立ち上がる者がいた。
「ソ……アラ!」
幼い顔を苦痛に歪めながらも、ソアラは確実に一歩ずつ幻獣に近づいていく。
「私が……あいつを倒すよ……だから、そこで休んでて」
剣を握り締め、間合いに踏み込む。対して幻獣は、ただ睨みつけるだけで動かない。
そして――ソアラが剣を振りかざそうとしたその瞬間。
「そこまでよ!」
全員が声の方へ振り向いた。そこには一人の人間の女が立っていた。誰も状況を理解できず、ただ立ち尽くす。
◇
私は悲鳴を上げる体に鞭を打って走り続けていた。
ナナ曰く「急がないと間に合わない」とのこと。なら走るしかない。
……とはいえ、体力の限界が近い。ちょっと休もうと足を止めたそのとき。
「お姉ちゃん、あそこです!」
ナナに指さされた方向を見ると、巨大な怪物と向き合う小さな少女の姿が。――さっき私を庇ってくれた子だ。
なんでみんな見てるだけなのよ!
怒りを覚えながら、私は息を整え叫んだ。
「そこまでよ!」
……言っちゃった。もう後戻りできない。勝てなかったら笑いものじゃん。ほんとに勝てるの、ナナ?
『大丈夫です。さあ全力をぶつけてください!』
こうなったらナナを信じるしかない。私は全力で少女の前に駆け寄り、幻獣との間に立つ。
「大丈夫? あとは私がなんとかするから」
「だ、だめだよ! 早く逃げて! 殺されちゃう!」
泣きそうな顔の少女に微笑み返す。
「さっきはありがとね。今度は私が助ける番だよ」
目の前の幻獣を見る――怖い。正直、怖すぎる。
でもナナを信じて、右手に雷を込める。
「死ねぇーーーっ!」
ズドン、と雷が命中。
「やった?」
『お姉ちゃん、それはフラグですよ』
「は? そんなアニメじゃ――」
「グウォォォーーー!!!」
「生きてるし! どうすんのナナ!? もう魔法使えないんでしょ!」
『大丈夫です。そのまま立っていてください』
「えっ……? わ、分かったわ」
十秒後、幻獣が突然崩れ落ちた。誰も何もしていないのに。
叫び声を上げながら倒れ、やがて透けて消えていった。
「えっ、消えるの? どこ行くのよ……」
「今度こそ、ほんとに倒したのよね?」
『はい! 魔力反応、完全消失です! お姉ちゃんの勝利です!』
「よっしゃ!」
――と、喜んだのも束の間。
『ただ、あの幻獣はすでに瀕死でした。なので遅かれ早かれ誰かが倒していましたね』
「……つまり私いらなかった?」
『いえ、あなたが行ったことに“意味”があるのです』
何その意味深な言い方。
背後から抱きつかれた。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
少女――ソアラが泣きながら私を抱きしめてくる。
「びっくりしたぁ……心臓に悪いって」
気づけば他の亜人たちも集まり、頭を下げていた。
「えっ、ちょ、やめて! そんな大したことしてないし!」
焦る私をよそに、初老の亜人――アーガストが前に出た。
「お見事です、救世主様。まさか一撃で幻獣を討たれるとは」
「いや、それは――」
「皆の者よ、救世主様に最大の敬意を!」
全員が跪く。……やめて、ほんとに誤解だから!
「ちょ、聞いて! あの幻獣は――」
「俺は認めねぇぞ!」
狼耳の青年――デイルが声を上げた。
「感謝はするが、あんな奴、俺たちでも倒せた! それを横取りして救世主だと!?」
「……まあ、そう言われても仕方ないか」
「デイルよ」
アーガストが静かに口を開く。
「お主は誰一人として動けなかったことを忘れたのか? それでも倒せたと言うのか?」
「そ、それは……」
言葉を詰まらせるデイル。
「異論がある者は名乗り出よ。その資格があるならな」
沈黙。
なんかもう訂正しづらい空気になっちゃったじゃん……。
「ねぇねぇ、名前教えてよ! 私はソアラ、この村一の剣士なんだ!」
自己紹介してくるソアラ。
「私はアイリ。望月アイリ。アイリでいいよ」
「じゃあアイリ姉ちゃんって呼ぶね!」
再び抱きつかれる。……この子ほんと天使か。
「うん、それでいいよ」
『……重要な報告があるのですが、後でいいですね』
「ちょ、いきなり声出すのやめてナナ! ……で、何?」
『いえ、あとで』
ナナ、なんか冷たくない?
『気のせいです』
「救世主様! ぜひおもてなしをさせてください」
アーガストが近づいてくる。
「じゃあ私、たくさん肉とってくるね!」
ソアラが嬉しそうに走っていった。村人たちは宴会の準備を始める。
私は村長に案内され、家で休むことにした。
◇
宴会の準備の間、アーガストからいろいろ話を聞いた。
どうやら“ドゥーム”という人物が数年前から亜人村に目をつけ、定期的に異世界から人間を召喚しているらしい。目的は――戦争。
召喚された人間を支配魔法で操り、駒にするのだという。
……胸糞悪い。
私は運よく逃げられたけど、ほかの人たちは――。
しかも、ドゥームは私をまだ諦めていないらしい。
アーガストいわく、数日後に“手下”が私を捕えに来るそうだ。
「なんでそんなに執着するのよ……」
逃げたほうがいい。でも、村を巻き込みたくない。
「ねぇナナ、さっき言ってた“重要な報告”って何?」
『実は……レベルアップのことです』
「えっ、ほんと!? どれくらい上がったの?」
『現在レベル16です』
「16!? 上がりすぎじゃない!?」
『あの幻獣は弱っていましたが、本来ならお姉ちゃんとは天と地の差があります。いわば“漁夫の利”ですね』
「うわぁ……まぐれ勝ちってことね」
『ただし、その成果は本物です。確認しますか?』
私はナナの画面を操作する。仲間リストに「ソアラ=エルセルン」とあるのを見つけ、目を丸くした。
「え、仲間? いつのまに……」
『仲間とは“信頼”の証です。名がある者は、裏切らない存在とみなされます』
なるほど……なら、名前がない人はまだ私を信用してないってことか。
続いてステータス画面を開く。
ステータス
Lv16
体力252/魔力320/筋力315/俊敏294/頑強296/知力250/器用248/技巧212/精神233/跳躍268/魅力261/運気154
「高いのか低いのか分かんないなぁ」
『この村ではアーガスト様に次ぐ実力です!』
「え、あのじいさんそんな強いの?」
『参考にソアラ様の数値も表示しますね』
ソアラ=エルセルン(14歳/Lv1)
体力153/魔力115/筋力176/俊敏188/頑強143/知力89/器用74/技巧68/精神95/跳躍146/魅力132/運気130
「うわ……思ったより差あるんだな」
『レベルの差ですね。でも、あの子は剣技がずば抜けていますよ』
なるほどね……私はナナの画面を閉じ、宴会までの時間を潰した。
◇
「アーガストよ、詳しい経緯を報告せよ。どうやって幻獣を倒した?」
アーガストは個室で魔法障壁を張り、通信魔導機を起動した。
「はい、実は――」
報告を受けた“ドゥーム”は深く笑う。
「殺した相手の魔力を吸い取る能力、か……。もしそれが本当なら、私の計画は確実に進む」
「では、どうなさいますか?」
「数日後、試しの駒を送る。あの女の力を見極めろ」
通信が途絶える。
アーガストは静かに笑った。
「――やはり、あの小娘……あの“人”に似ている。これは偶然か、それとも運命か……」
まずは作品を読んでいただきありがとうございます。
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