死者の集い
薄暗い森に抱かれた廃城の奥、崩れた石壁の隙間から冷たい風が吹き抜け、燭台の火が小さく揺れた。湿った苔の匂いと、遠くで滴る水音だけが静寂を刻む。
「もう少しだ……もう少しで、吾輩の作戦は第一段階を終える。これで吾輩も、あのお方の大望に一歩近づける」
「ずいぶんご機嫌ですね、ゾルビットさん」
いつの間にか、壁際に黒いスーツの男が立っていた。背を石壁にもたせ、影のように気配を消している――シリウス。相変わらず、足音ひとつ聞こえぬ。
「ふん。あのお方の役に立てるのだ、嬉しくて当然であろう」
ゾルビットは鼻で笑った。己はあの方のために生まれ、動く。そう信じて疑わない――もっとも、それは魔族すべてに言えることだがな。
「私としても、あなたの計画が順調なのは喜ばしい限りです。ですが油断は禁物ですよ。最近、面白い噂を聞きましてね……“亜人の国が復活した”と」
「なんだと!? 亜人どもが動いたというのか」
奥手で守りに徹する連中が、自ら旗を掲げる――背後に糸を引く者がいる。目的は何だ?
「お考えはごもっとも。ですが、これは好機でもある。亜人たちを“死者の軍”に組み込めば、暴走の懸念は消え、戦力は増す。まさに一石二鳥、でしょう?」
ゾルビットは目を細めた。シリウスの言は、いつも甘く、いつも怪しい。できることなら主の側から追い払ってやりたい。だが今の己にその力はない。……悔しいが、乗る価値はある。
「……その件はおいおい考えるとしよう。まずは計画通りに――」
「あぁーー! 懐かしい! 我が城ではないかぁー!」
甲冑の打ち鳴る音が廊下を満たし、赤黒く血に染まったかのような鎧の男が、狂気じみた歓声とともに踏み込んできた。
「マッカラスか。相も変わらず騒がしい男だ。少しは静かにできんのか」
亡国・マッカラス王国の元王。生者の時分も、さぞ手に負えなかったのだろう。
「おおー! ゾルビット殿! それにシリウス殿! 懐かしい、懐かしいぞ!」
マッカラスは自分を抱きしめ、身悶えする。……つい数日前に顔を合わせたばかりだというのに。
「遅くなりました、ゾルビット様」
さらにもう一人、深いローブをまとった小柄な影が入室する。顔を隠した男――デルロゼット。
「よく戻った。首尾はどうだ」
「今のところ順調にございます。ただ……私を尾行していた人間の女がおりまして。作戦の障害と判断し、監禁しております。情報が確かなら、彼女は“漆黒の剣”の――」
「“漆黒の剣”だとォ!? あの“漆黒の剣”か! うおおお……思い出しただけで全身がうずくわぁ!」
マッカラスが地に転がり、のたうつ。まさに地獄絵図。
「落ち着け、マッカラス! 話が進まん」
「これが! これが落ち着いていられるか! “漆黒の剣”だぞ! ロザリーよ、今度こそお前の心を射止めてみせるぅ!」
「デルロゼット、続けろ。あの愚物は無視だ」
「は、はい。件の女は“漆黒の剣”の一員――ロザリー殿の弱点となり得ると判断し、生かしてあります。交渉材料にもなりましょう」
「ロザリー……早く、お前を殺したぁい!」
「ふむ。良い判断だ。その女の利用価値は高いな」
ゾルビットは口端を吊り上げた。これでロザリーも落とせる。ようやく運がこちらに傾いてきた。
「――この大陸の支配など、時間の問題だな」
燭台の火がぱちりと弾け、闇が一段と濃くなる。彼らの笑い声だけが、崩れた天蓋の下に不吉に反響した。
とある日、森での騒動が終わったご褒美として、私はしばらくの休日をもらった。
「ねぇテッド、休日の間なにするの?」
長い休みを一緒に遊んでくれる人を探して、まずは彼に声をかける。
「俺はちょっと特訓してくる。この黒炎には何か秘密がありそうでな。もっと強くなれば分かる気がするんだ。セリカも来るか?」
「行かないわよ!」
せっかくの休日なのに。男ってどうしてこうなのかしら。……仕方ない、アーロンのところに行こーっと。
「そういやアーロンも“もっと強くなりたい”って、この休日はボルトアに行くって言ってたな」
「……なによみんなして修行だ特訓だって。これじゃ何もしてない私が悪者みたいじゃん!」
ぷいっと顔をそむける。
「もういいわよ! 私は一人で楽しく過ごすから!」
「そ、そうか。あんまり食べ過ぎんなよ。じゃあな」
それだけ言ってテッドは去っていった。何よ、あいつ。
「こうなったら誰よりも休日を満喫してやるんだから!」
私は鼻息も荒く、商店街へ向かった。
前から気になっていたケーキ屋さんへ足を運ぶ。焼きたての甘い匂いと、ショーケースのガラスに反射するクリームの艶が、もう反則級だ。
中は結構混んでいたが、気にしてる場合じゃないわね。
「うわぁー! おいしそー!」
メニュー表をめくる手が小刻みに震える。普段はパサついた携帯食ばかり。そりゃテンションも上がるってものだ。
「どれにしよっかなー?」
定番のイチゴも捨てがたいけど、抹茶も気になる。コクのあるチーズも……悩む。食べたいものが多すぎて決められないよぉ!
誰かいたらシェアできたのになぁ……。そういえばアイリさん、今なにしてるのかな。早く来てほしいなぁ。
しばらく格闘して、ようやく注文が固まる。
「期間限定のアストルベリーのパンケーキと、イチゴの——」
……結局、三つも頼んじゃった。期間限定に弱いのよね。
「大丈夫、私は太らない。私は太らない」
自分に言い聞かせて、品が運ばれるのを待つ。
ふと横目で見ると、斜め向かいのローブ姿の客がスイーツを五つも注文していた。角度的に顔は見えないけど、頼もしい胃袋だ。
(……あの人よりは少ないし、三つくらいじゃ太らないよね)
「お待たせしました!」
ふわりと湯気が立ちのぼり、私は至福の時間に沈んだ。気づけば、さっきのローブの人はいなくなっている。え、もう全部食べてどこかへ?
「どこ行ったんだろう?」
思わず店を出て周囲を見回す。あれだけスイーツ好きなら、きっと気が合うに違いない。私は城下町をあちこち駆け回った。ついでにカロリー消費という名目も立って、一石二鳥だ。
「全然いないなぁ。もしかして幽霊だったり……」
足が止まった先は、共同墓地。ここで亡くなった人の多くが眠る場所だ。大規模なだけあって警備も意外としっかりしている——と、その奥、ローブの人物がしゃがみ込み、何かしているのが見えた。
「家族のお墓……かな? だったら邪魔はよくないよね」
背を向けかけたその瞬間、墓地——正確には“あのローブの人”から、ひやりとした魔力の波が走った。
「……魔法!?」
私は慌てて中へ駆け込む。だが、先ほどのローブは影も形もない。え、どこいったのよ——
「わしに、何の用じゃ?」
背後で声。心臓が跳ねる。この気配、まさか——
「あなた、アンデッドなの?」
血の気が引く。まずい、この距離は分が悪い。
「とりあえず貴様は連れて帰るとするか」
視界がふっと暗くなり、意識が遠のく。
「万が一にも、計画の邪魔になると厄介なのでな」
(テッド……助けて——)
石の冷たさを頬に感じたのを最後に、私は意識を手放した。
セイネルの村でクロエと再会した私たちは、その夜、親切な夫婦の家に泊めてもらうことになった。
「泊めていただき、ありがとうございます」
「いいんですよ。それと妻のことは気にしないで、遠慮なく休んでください。妻も起きていたら、きっとそう言うと思います」
夫のバードゥンさんが湯気の立つ飲み物を差し出し、微笑む。
「奥さん、何かのご病気なんですか? もしよかったら少し調べましょうか?」
ナナの力を使えば、病名くらいすぐ分かるはずだ。
「いえ、お気遣いありがとうございます。原因も、治し方も分かっているので大丈夫です。——それに、この件はすでにロイド様にお願いしておりまして」
「そうなの、ロイド?」
初耳なんだけど。
「うん。二人の娘さん、セレナって子が、奥さんの薬を買いにガレートまで行ってるんだけど、もう何日も戻ってこないって。だから、様子を見に行こうと思ってね」
嫌な予感が背筋を走る。この流れ、絶対に私たちも行く羽目になる。……先手を打たないと。
「そうだったんだ。大変なときにお邪魔してごめんなさい。もしよければ、私たちは大丈夫なので——お暇させていただいても……」
「ママ……私、病気のお母さんを助けてあげたい」
「私もセレナって子が心配だよ。迷子になってるんじゃないかな?」
だめだ、このままだと確実に面倒ごとに巻き込まれる。なにか、いい逃げ道は——
「セレナは気になるけど……私たち、ガレートに行けば捕まっちゃうかも。残念だけど——本当に残念だけど、力にはなってあげられないわ」
完璧だ。今の私たちはガレートに狙われる身。敵の本拠地に自ら飛び込むなんて、愚の骨頂。これで——
「確かにね。……何とかして、バレない方法ないかな?」
こらこら、探さなくていいからロイド。
「じゃあ、変装するのはどうっすか?」
リューネも、どうしてそんな余計なことを言うのよ!
「「それがいい!」」
クロエとソアラが見事にハモった。
逃げ道は完全に途絶えてしまった。
「変装はいいけどさー、肝心の服がないから無理じゃない?」
「それなら僕に任せてください。クローゼットにいろいろ服がありますから、お貸しします。いえ、お礼に差し上げます」
嬉々として、バードゥンはクローゼットを漁りはじめる。
(……結局こうなるのね)
もういい。どうせ何を言っても無駄なら、覚悟を決めるしかない。さっさと見つけて、さっさと帰ってやる。




