炎の聖人
青年が近づくと、村人たちはざわめきを飲み込み、一斉に道を開けた。乾いた土の匂い、鍬の鉄が触れ合うかすかな音。視線のすべてが、その赤い髪の青年へと吸い寄せられる。
「ロイド様。怪しい者がこの村に入ろうとしていたので、止めていたのです」
燃えるような赤髪に、火を映したような瞳。ロイドと呼ばれた若い青年は、まっすぐに私を見た。
「ごめんね。村の人たちも悪気があったわけじゃないんだ。許してはもらえないかな?」
――よかった。話が通じる人がいる。
「ううん、こっちこそ驚かせてごめん。人探しをしていて、この村で聞き込みをしようと思ってたの」
「なるほど。ところで、そちらのお連れの方は……人ではないね。そっちの君は亜人族」
「私はソアラ! お兄さん、すごい強そうだね。あとで力比べしようよ!」
強そうな人を見つけると、すぐ勝負を挑むのはやめなさい。
「あたしはリューネっす。覇蜘蛛っす。強いっすよ」
「僕はロイド。探し物があって世界中を旅してるんだ。仲良くしてもらえると嬉しいよ」
青年は、朝露みたいに澄んだ笑みを浮かべる。
「ねぇ、ロイドさんは二人を見て何も思わないの?」
私よ横にいるのは言ってしまえば魔物と亜人だ。
「君の言うことは分かるよ。でも僕はそうやって人を判断したりしない。そんなの、可哀そうだからね」
――やっぱり、こういう人もいるんだ。この世界にも。胸の奥が少しだけ軽くなる。
「ちょっとちょっと! なんでアンタから“あいつ”の気配がするわけ!? もしかして、そこに隠れてるわけ!?」
相変わらず空気を読まないのが飛び出した。
「今度はどうしたのよ。今はアンタに付き合ってる場合じゃないの。――ほら、向こうでソアラと遊んでおいで」
私は“しっし”とミレイを追い払う。
「ちょっと、私の扱い雑すぎない!?」
「……君は」
ロイドが目を見開く。やっぱり精霊は珍しいのね。今後はミレイには、もう少し隠れていてもらおうか。
「それはそうと、いつまで隠れてるつもり? もしかして私が怖くて出てこられない、とか?」
ミレイがロイドのほうへ挑発気味に言う。いや、それ誰に言ってるの。
「相変わらず子供っぽいですわね、ミレイ」
ひょこっと、ロイドの服の中から桃色の長い髪をした、小さな少女――妖精が顔を出した。……もしかして精霊?
「やっぱりフィアだったのね! なんでアンタがこんな所にいんのよ」
もしかしてこの2人、犬猿の仲なんじゃ……。
「わたくしは体たらくなあなたと違って、ロイド様と“世界を救う旅”をしていますの」
世界を救う旅……か、気になるけど、聞いたら面倒に巻き込まれそうだから今はやめておく。
「ふんっ、相変わらず大げさね。どうせそんなこと言って、ただそこの男にへばりついてるだけでしょ!」
「なっ! わ、わたくしがそんな不埒な考えをするはずありませんわ! 勝手な言いがかりは許しません!」
「ミレイ、だめだよ。仲よくしなきゃ」
「どうしたんだい、フィア? 君らしくないよ」
二人ともパートナーにたしなめられて、しぶしぶ引き下がった。……仲がいいのか悪いのか、判断に困るわね。
◇
それから私たちは、村長の家で腰を落ち着けて話を聞くことになった。梁の古い香り、湯気の立つお茶、窓から入るやわらかな光。
「それで、その子を探してここまで来たの。もしかしたら、もうガレートに着いてるかもしれないけど」
「黒髪で小さい女の子……名前は“クロエ”で合ってる?」
「なんで知ってるの? もしかして……」
――ロイドがドゥームの手先、とかやめてよね。
「実は、この村に来る前に偶然“怪しい馬車”を見つけてね。そこでクロエって女の子が、ガレートの騎士に攫われていて、僕が助けたんだ。――まさか、アイリの仲間だったなんて」
「じゃあ、クロエは無事なんすか!?」
「う、うん。かなり弱ってはいたけど、命に別状はない。今は優しいご夫婦に部屋を借りて、そこで休んでる」
弱ってる……道理で、私の感知でも反応がなかったわけだわ。
「クロエ――!」
「ちょっ、リューネ!」
リューネがダダダッと音を立てて飛び出す。
「リューネさん、行っちゃったね」
場所も聞かずに飛び出すなんて。
「あはは、元気だね。よかったら、僕がクロエのところまで案内するよ」
「ありがと! 助かるよ」
◇
「クロエ! 大丈夫なの!?」
ベッドで横になるクロエを見た瞬間、胸の奥がじんわり熱くなる。私は駆け寄って、小さな手をそっと握った。
「ママ……ソアラ姉ちゃん。来てくれたんだ……ありがとう」
クロエが弱々しく話す。
「当たり前じゃん! すっごい心配したんだから!」
生きてた。それだけで、私は十分。
「そういえば、どうやってクロエを助けたの? ジェフって男が誘拐したって聞いたけど」
他にも共犯がいた? ――できれば、戦わずに済んでると助かるんだけど。
「ジェフかどうかは分からない。でも“ガレートの騎士”だったのは確か。そこそこ腕も立つし、厄介なスキル持ちで、油断はできなかった」
「炎のお兄ちゃんがね……悪い奴を、ぼこぼこにしてくれたの」
……ちょっと待って。つまりロイドは、ジェフ(たぶん)とやり合ってたってこと? この人もめちゃくちゃ強いんじゃ……。
◇
――アイリたちが森を出発する前日のこと。
「ちょっといいかな、そこの人?」
僕は、道端で止まっていた馬車の御者に声をかけた。男は隻腕。包帯の下、傷はまだ新しい。
「いきなりで悪いんだけど、荷台を見せてもらってもいいかな?」
「なんなんだ、お前。俺は忙しいんだ。邪魔するな」
取り付く島もなく、去ろうとする。……隠してるね。
「どうしても駄目って言うなら、勝手に覗かせてもらうよ。この馬車から、ごくわずかだけど魔力反応がする。――何か、隠してる」
光る軌跡。男の剣が、挨拶代わりに横薙ぎに走った。
「いきなり斬りかかるなんて非常識じゃないか。でも、それって“見られたくないものがある”って証拠だよね」
砂埃を蹴って男が飛び降りる。
「気に入らんガキだ。悪いが――ここで死んでもらう」
踏み込みは速い。けれど、空を切る音しか残らない。
「なっ! 避けただと」
それからもしつこく剣が襲いかかったが、刃は僕に一度も触れなかった。
「はぁ、はぁ……さっきから避けてばかりだな。避けるので精いっぱいか」
「じゃあ、次は“僕の番”だ」
片手を突き出し、魔力を練る。周囲の温度がじわりと上がり、空気が揺らぐ。
「おい……嘘だろ。なんて魔力だ」
「大丈夫。死なない程度に手加減はするつもり」
圧縮した炎を、正確に撃ち出す。――その瞬間、男の口角が釣り上がった。
「残念だったな、ガキ。俺にそんな魔法は効かねぇ」
はね返った? 僕の炎が、不自然に軌道を変えてこちらへ戻ってくる。
「スキル、だね」
「恐らくそうですわ。わたくしの力を使いますの?」
服の中のフィアが囁く。
「いや、まだ大丈夫」
戻ってくる炎へ、さらに強い炎で上書きする。熱が嚙み合い、音もなく相殺された。
「今のが本気じゃなかったのか……」
「……君のスキル、“流れを変える”類いだね。術や力の向きを反転させる」
「だったらどうした。知ったところで、どうにもできねぇ」
「いや、やり方はある」
ふたたび炎を圧縮。もっと高く、もっと密に。空気が焼け、遠くの草むらがぱちぱちと小さく爆ぜた。
「くははは、所詮その程度か。気が済むまで打つがいい」
熱はなお上がる。肌を刺す熱風――僕は平気でも、常人なら息が苦しくなる頃合いだ。
「お前、まさか!」
察したのか、男が後ずさる。
「逃がさない」
僕を中心に、半径数十メートルの炎のドームを展開。逃げ場は空にも地にもない。
「くそっ、開けろ!」
地面を崩し、土中からの脱出を図る。だが、炎は地中まで球体を“なって”貫いている。酸素は薄く、やがて男は膝をつき、意識を手放した。
「……もう、いいかな」
炎のドームと圧縮した炎を解除する。冷えた風が一気に流れ込み、汗が引いていく。僕は急いで荷台を調べた。無造作に置かれた大きな革袋――その中で、小さな女の子が静かに眠っていた。
馬車を奪い、セイネルの村まで一気に走る。振り返った時には、男の姿はもう見えなかった。
◇
「……というわけで、僕はここでクロエを預かってもらってた。回復は、もう少し休めば大丈夫」
ロイドの説明に、私は深く息を吐く。肩に溜まっていた力が抜ける。
「助けてくれて、本当にありがとう。ロイド。それとフィアも」
「礼はいいよ。見つけられたのもたまたまだし、誰だって同じことをしたよ」
「そうですわ。困ってる人がいれば助けるのか普通ですわよ」
私たちはその後も夜更けまで話し込んだ。卓上のランプの炎が小さく揺れて、窓の外では虫の声が細く続く。ロイドからは旅路のこと、や今まで行った国の美味しい食べ物など――いろいろな話を聞かせてもらった。
だけど、夜遅くまで話したのは間違いだった。そうすればこんな話にならなかったはず。胸の奥がすっと冷え、後悔がじわりと広がる。ああ、こんなことなら素直に早く寝ておけばよかった、と。




