約束
私たちがテッドたちのもとに着いたとき、ぼろぼろのテッドの前に一人の女性が立っていた。彼女は迫りくる黒炎を前に、刀をひと振り――ただそれだけで、あの禍々しい炎は霧のようにほどけて消えた。
まさか、あの人がロザリー?
「さて、ずいぶん好き勝手やってくれたものだな」
ロザリーは靴音ひとつ立てず、ゆっくりとジェフに近づく。
「なぜお前がここに――月刀姫!」
ジェフが斬りかかる。私の目でやっと追える速さ。なのにロザリーは一歩も動かない。
「ぬ……あっ……これは……!」
ジェフの膝が沈み、地面がきしむ。見えない重みが上から押しつけられているみたいに、身体が床にめりこむ。何が起きたのか、一瞬理解できない。
「お姉ちゃん、あれはおそらく重力魔法です……それも常軌を逸したレベルの」
ナナの声が震え気味に耳へ滑り込む。あれが魔法なの……魔力をほとんど感じないのに。
「どうした? もう終わりか?」
ロザリーは見下ろし、挑発するみたいに顎をわずかに上げた。
「たかが魔法で……いい気になるなよ」
ジェフが歯を噛みしめ、軋みを押し返すように立ち上がる。
「俺に魔法は効かん。俺のスキルは――剣も魔法も……」
言い終える前に、ジェフの左腕がふっと消えた。遅れて、赤が空に散る。
私は思わず目を逸らす。視界の端で、セリカがテッドとアーロンの治療に走っているのが見えた――ありがとう、セリカ。
「スキルか……厄介だな。だが、私とお前では“練度”が違う。未熟なスキルでは、私のスキルは崩せん」
ロザリーの声は低く静か。刀に付いた血は、もう風に拭われていた。
スキル……やっぱりあれは魔法なんかじゃないわ。何かは見当もつかないけど。
「な、なんだと……それでも俺のスキルは……」
「お前は『意識した流れ』にしか干渉できない。ならば、意識を逸らせばいい――狙いを、焦点を、思考をな」
かっこいい……。カリスマという言葉って、こういう人に使うんだ。しかもジェフの能力の仕組みまで読んでる。私、まだ半分も理解できてないのに。
「それでも、俺はドゥーム様のために……この任務を――うっ!」
ジェフの身体が再び床に叩きつけられる。地面が「ズン」と低く鳴り、石粉がぱらついた。
「降参するなら命までは奪わない。どうする」
――きっと、あいつは死を選ぶ。そんなの見たくない。止めなきゃ、と足に力を込めた、その時。
「アイリ。私はあなたを信じてる。あなたは私の“希望”。だから――待ってるわ」
ナギサが、初めて微笑んだ。
そして、ロザリーへ氷の刃を飛ばす。均整の取れた刺突。ロザリーは半歩、音もなく退いて受け流す。
「悪いんだけれど、ここはいったん引かせてもらう」
言葉が終わるのと同時に、ジェフとナギサが光に包まれて消えた。氷片だけが、遅れて床に音を立てる。
「……帰ったか。暴れるだけ暴れて、勝手なやつらだ。――君も、そろそろ出てきたらどうだ?」
――ぎくっ。バレてた。
私はソアラとナナを連れ、ロザリーの前へ出る。
「アイリさん! 無事でよかったです!」
セリカが治療の手を止め、一直線に抱きついてくる。嬉しいけど、今はそっち優先!
「おいセリカ。お前は早くあいつらを治療してやれ」
鋭い声が飛ぶ。セリカは「すぐやります!」と走り戻った。
「騒がしくてすまんな」
「いえ、セリカはすごくいい子ですよ」
「それでだ。お前は何者だ?」
アバウトすぎない!? えっと……人間? 女子高生? 異世界人? 違う、そういうことじゃないはず。
「……私はこの国――『日の丸王国』の王よ!」
うわ、言ってしまった。これで「何言ってんだお前」みたいなこと言われたらどうしよう。
「ふっ、そうか。その年で国の王、か。面白い。セリカが懐くわけだ。――自己紹介がまだだったな。私はエクレストのギルドマスター、ロザリー=フェルゲート。世間では“英雄”だの“月刀姫”だのと呼ばれているが、気軽にロザリーで構わん」
差し出された手は、思っていたより温かい。
私も手を握り返す。
「望月アイリです。助けていただき、ありがとうございます。ロザリーさんのことは、セリカから少し」
「災難だったな。よりによってガレートに目を付けられるとは。あそこは昔から他国につっかかる鬱陶しい国でな。私たちも手を焼いている」
ロザリーは一度ため息をつき、空を見上げ――それから私へ顔を寄せ、囁く。
「幻獣をどうした。お前が倒せるはずがない」
心臓が跳ねる。なんで――。
「は、はい。……運が良かっただけです」
正直に答えてしまった。嘘を言ってもバレそうな気がしたからだ。
「だろうな。安心しろ、皆には黙っておく」
「ありがとうございます」
「ところで――この国は、これからどうする。特にこの大陸では、亜人は毛嫌いされている。復活したと知れたら、ガレートみたいなのがまた来るかもしれん」
それは私たちが考え続けている問いだ。けれど、答えはいつも見つからない。
「少しずつ信頼を得ていくしかない……今の私に言えるのは、それだけ」
「確かに。だが、その信頼を、どう“得る”? 恐怖も怒りも、簡単には消えん。人を遠ざけていたら、なおさらに」
わかってる。わかってるけど、どうすれば――。どこかの国の危機を救う、くらいしないと変われないのかも。
「どうだ。私たちと“国交”を結ばないか」
「えっ!?」
本気? 思わずロザリーの顔を凝視する。
「信じられぬ顔だな。今すぐとはいかぬが、私からエクレスト王に直談判する。私は“見る目”だけはある。私の目は――この国と結ぶべきだ、と告げている」
「本当に、いいんですか!?」
それは大きすぎる一歩。エクレストが認めれば、無闇な侵攻は減る。偏見も、少しずつ。
「ああ。本気だ。その代わり、少し話を聞きたい――そこの銀髪の子と、精霊に」
ロザリーの視線が、私の後ろのソアラと、眠っているミレイへ向く。
「え、わたし?」
「そう。君は“精霊の契約者”だな。銀髪に金の瞳――これが何を指すか、知っているか?」
……知らない。ソアラも首を振る。
「んんー? もう朝ぁ? お腹すいたわね」
最悪のタイミングで、ミレイがむくり。空気読んでよ。
「ちょうどいい。君にも聞きたい。構わないか?」
「え? アタシ? ご飯食べてからでいいなら」
誰に対しても平常運転すぎるわね。ある意味尊敬するわ。
「ミレイ、ご飯はまだたよ。ねえ、“銀髪に金の瞳”って何か分かる?」
「ソアラのこと?」
うん……ミレイに聞いたのがダメだったな。
「そうか。ならもう一つ。彼女は――何の精霊だ?」
「ふふん、知りたいのね。いいわ、教えてあげる。アタシは“光の大精霊”ミレイ様よ! さあ、分かったらアタシにお供え物を持ってらっしゃい!」
「大精霊……しかも“光”か。なるほど、運命とは分からんものだ」
ひとりで納得しないでよ。私たちサッパリなんだけど。
「すまぬ。実は私の家系は代々、光の大精霊に縁があり“太陽の剣”の管理を担っているのだ」
太陽の――どこかで聞いた。胸の奥がちりっとした、そのとき。
「ロザリーさん、みんなの治療終わりましたよ。クラウドさんなんか腕と足が片方ずつなかったから焦りましたよ!」
セリカが駆け戻ってくる。
「よくやった。――さて、今日はここまでにしよう。私たちは一度戻る」
「ちょ、待って。さっきの“銀髪と金の瞳”、それに太陽の剣について詳しく!」
「私のことも、もっと!」
「次に会うときに話そう。今話さないからといって、死ぬわけでもあるまい。……それと――次に会うまで、死ぬな。これは“約束”だ」
ったく、もったいぶって。次は根掘り葉掘り聞いてやる。
「ええ、約束。いずれエクレストにも遊びに行くから!」
「ああ。楽しみにしている」
「アイリさん! エクレストに来たら、私が全力で案内しますね! それじゃまた!」
テッドを肩に担ぐセリカは満面の笑み。ロザリーは、あの巨体のアーロンを軽々と担ぎ上げる。四人の輪郭が光にほどけ、消えた。やっぱり便利ね、転移って……
「終わったね、アイリ姉ちゃん!」
「終わりましたね、お姉ちゃん」
その場にばたりと倒れ込む。
「つっかれたー! 当分は動きたくない」
――でも、これからもっと忙しくなる。面倒くさい。でも、ちょっと楽しみ。ソアラたちが、私たちの国が、世界に“認められる”日が来る。夢物語だと思ってたのに、思いのほか早く、現実が追いついてきた。
◇
はるか北の大陸。風が砂を運ぶ街道で、一人の男が馬車を襲っていた。
「おい。この中に“黄金に輝く太陽の剣”ってのを知ってる奴はいるか?」
車内の誰もが怯え、唇を結ぶ。
「ちっ。銀髪の亜人もいねえし、太陽の剣も知らねえ……またハズレか」
男はつまらなそうに肩をすくめ、馬車から降りる。
「やっぱ占い通り、西の大陸だな。――そこに“銀髪の亜人”と“太陽の剣”がいる」
倒れた馬車へ一瞥もくれず、男は靴底で土を鳴らし、ゆっくりと西へ歩き出した。
第一章 森界戦記編がついに終わりました!
ここまで読んでくれてから方ありがとうございます。
この1ヶ月でなんとか一章まで書くことができたのは皆さんがこの作品を読んでくださったおかげでもあります。
第二章からはアイリたちが森の外は飛び出します。新たなキャラもたくさん出てきますし、アイリたちのレベルも上がってどんどん強くなっていきますので、楽しみに待っていてください。
最後に章の終わりごとに2人の次章予告のエピソードを入れるつもりです。今回はアイリとナナの2人にしました




