月刀姫
ウロボロスの森に、情けない悲鳴が木霊する。湿った土の匂い。頭上では、朝露を含んだ枝葉が微かに震えていた。
「頼む! なんでもするので命だけは許してください!」
「どうするっすかね〜。あたしとしては“全員”殺してもいいんすけど……」
「やめときなよ。アイリちゃんも言ってたでしょ。“できるなら誰も殺さないで”って」
「しょうがないっすね。アイリ様の命令なら仕方ないっす……君たちは“なるべく殺さずに”と言われてるっす。だから今この場で殺されないことを、アイリ様に感謝するっす!」
――これでアイリ様の評判も上がるはずっす。
「ほ、本当に……我々は助かるのですか?」
一番“強そう”なオジサン兵士が、今にも泣きそうな顔で聞いてきたっす。
「そうっすよ。アイリ様は物凄くお優しい方っす。それなのに君たちはこんなことをして……本来なら“死んで当然”っす。それを忘れないようにっす」
五百人くらいの兵が地面にひれ伏してるの、正直気分いいっすね。――あ、いいこと思いついたっす。
「君たち全員、アイリ様の下につく気はないっすか? 全員が味方になれば、アイリ様もきっと喜ぶっすよ」
「またぶっ飛んだこと言い出すね、リューネは。アイリちゃんに無断でやったら、何言われるか分からないよ?」
「でも、これからの国の再建には人手が多い方がいいっすよ」
「よろしいのですか……?」
「でも、そんなことしたらドゥーム様や副団長に“殺される”ぞ……」
賛成は“少々”、反対は“多数”。まあ、そう来るっすよね。
「副団長って、今アイリ様たちが戦ってるやつっすよね? アイリ様が、そんな程度の男に負けるわけないっす。ガレートだって、いずれはアイリ様が支配するっす」
やがては世界を支配するっすから!
「す、少し……考えさせてくれ」
はあ、悩む理由が分からないっす。アイリ様についてくれば何も問題ないのに。
「――何やらずいぶん楽しそうなことをしているな。私も混ぜてもらって構わないか?」
嘘、全く気づかなかったっす! 空気の“重さ”が一瞬で変わる。
「これはこれは。こんなところでレディが一人歩くなんて危険だ。良かったら僕がエスコートを――」
スターヴィが無警戒に近づく。敵意はなさそうだが“圧”が違う。魔力も底が見えない。戦えば、間違いなく“負け”っす。
「せっかくの申し出だ。ありがたくそうしてもらいたいが……その前に状況を知りたい。君たちは……アイリという少女の仲間だな?」
女性の一言で、鳥肌が立つほどの威圧が森一帯に広がった。――やば、逃げたいっす……。
◇
「食らえぇ!!」
石畳を滑る靴音。私はセブンソードをひたすら振り抜き、ナギサを追い回す。だが、氷の妖精みたいに軽やかに、すべてを“ずらされる”。
「じゃあ、そろそろ私の番ね――《サイレンス・エッジ》」
速い。風の裂け目だけが残る。
「っ、痛っ!」
氷刃が左腕を掠めた瞬間、セブンソードは光を失い、ナナは“スマホ”が戻る。
「あれ? なんで……まだ解除してないのに」
「大変ですお姉ちゃん! スキル《千剣万化》が“封じられ”ました!」
「は……? もしかして――」
静かに佇むナギサを見る。
「ふふ。気づいたのね。私のスキル《凍結する希望》の効果よ。私の攻撃を受けた対象は、私の意思で“魔法やスキル”を一定時間封じられるの」
「なんでよ……」
私は小さく呟く。
「……? 何か言った?」
「なんでアンタは、そんなに強いのにドゥームやガレートの言いなりなの! まだ会ったばかりだけど、アンタは悪い人に見えない。むしろ、どこか親近感すらある。私、アンタとこんな形で出会いたくなかった! アンタも、本当は戦いなんてしたくないんでしょ!?ようやく……分かったわ」
胸の奥で、何かが“はじけた”。そうた、彼女はきっと……
「……っ」
ほんの一瞬、ナギサの瞳が揺れる。
「私は決めた。もうあなたとは戦わない。――あなたのことを助けて見せる。今すぐには無理でも、必ず。あいつらから解放するわ」
ナギサの驚きに染まった表情を、私は忘れない。
「そんな“絵空事”、あなたに出来るわけがない! 知った風なこと言わないで!」
ナギサが踏み込み、一直線の氷刃。動きが単調。動揺してる。私は――動かない。
ぶすり、と冷たい鉄が腹を貫いた。
「なん……で、避けないの?」
痛い。泣きたいくらい痛い。それでも私は、ナギサを優しく抱きしめる。
「気づくのが遅くてごめん。……あの時は、教えてくれてありがとう。あなた、“あの小鳥”でしょ?」
初めて会った時からずっと考えていた。――けれどようやく、繋がったわ。口調や雰囲気、何より声が同じだったから。
「……!? やっぱり……私は間違ってなかった……」
かすれる声。震える肩。どれだけ、独りで耐えてきたのだろうか。
「もうこのまま、ここにいようよ。……ナギサ」
「……ありがとう。でも今はまだ、だめ。あなたがもっと強くなって、ドゥームを、ガレートを倒せるくらいになったら――助けに来て」
ナギサはふっと離れる。氷の気配が薄れる。
「どうやら、ここまでのようね。あなたたちの勝ちよ」
「――!」
凄まじい魔力を感じ取った。
私は頷き、ソアラのいる大広間へ駆け出した。
◇
「まさか、蜘蛛がここまで強くなるとは驚いたな……あの時を思い出す」
剣圧が指に痺れる。こいつ、やっぱり強い。我の斬撃の流れを“見切って”やがる。
「お前こそ、その剣は並大抵じゃない。相当な鍛錬を積んでいるな。だからこそ惜しい。なぜ、あんな連中のために剣を振るう?」
「剣で勝てないから口で揺さぶるってか。甘いな。……だが話してやる。昔の俺は“真っ当”な冒険者だった。――だけどある日、“仲間”に裏切られ、殺されかけた。やつらにすべてを奪われ、絶望の淵にいた俺を拾ってくれたのが“ドゥーム様”だ。それからは、ガレートのため、ドゥーム様のために剣を振るうと誓った。俺は、ドゥーム様のためなら“なんでも”する」
ジェフの目は濁っていない。だから余計に、たちが悪い。
「同情はするが――お前は、道を間違えた」
「黙れ」
閃く突き。心臓を狙って一直線。我は粘着糸で進路を歪め、鉄斬糸と風魔法で斬撃の竜巻を叩きつける。
「もう遊びは終わりだ」
ジェフが片手をかざす。――次の瞬間、俺の竜巻は“反転”し、我へ返ってきた。
「厄介だな……そのスキル」
触れた“流れ”が逆向きになるスキル……か。手の内が分かれば、潰しようはある。
間合いを詰める。接近戦ならどうだ。我は糸でジェフの行動範囲を“絞る”――。
「俺の行動範囲を制限したか。なかなか賢い――が」
ジェフは素手で我の刃を受けようとする。嫌な感触。我は反射で剣を引いた。
「気づいたか。――冥土の土産に教えてやる。俺のスキル《流動逆転》は、あらゆる“流れ”を逆にできる。魔法、力、運動、熱。あのまま押せば、お前の“力のベクトル”ごと逆流して吹き飛んだろう」
「丁寧な解説だな。なら、これはどう止める」
十本の鉄斬糸を走らせ、四方八方から縫う。
「クハハハ。無駄だ。俺には効かん」
糸はジェフに触れる直前で、ぴたりと向きを変える。――触れてすらいないのに“流れ”が反転している。
ぼとり、と音。視線を落とすと、腕が一本、地面に落ちていた。
「まずは“左腕”。……一つ聞きたい。どうだ、俺の元に来ないか?」
いつ斬られた? 速すぎて見えなかった。
「誰が、てめぇについて行くか!」
――バランスが崩れ、膝が落ちる。右脚に走る焼ける痛み。
「“右足”……質問を変えよう。俺と来い。命は保証してやる」
このままじゃ、マジで――。こいつをアイリ様にぶつけるわけにはいかねえ。
「我がお前についていけば、アイリ様は見逃すのか?」
「お、やっと聞く気になったか。でも残念だが、あの女は“捕まえる”。それは絶対だ。というわけで――」
「――しねぇ!!」
背後から、巨大な黒炎が唸りを上げる。
「テッド!?」
「学習しねぇなお前は」
今だ。ほんの僅かにでも、意識がそちらへ流れれば――。
「悪いが、こいつは“返す”」
黒炎が反転し、天へ逃げた。我は地を蹴り、最速の突きを――視界が真っ暗に“挟まれた”。
「そういや、言ってなかったな。俺は“大地魔法”が得意なんだ」
土の壁が左右から閉じ、圧迫される。呼吸が途切れ、意識が落ちる。
「終わりだな、――漆黒」
禍々しい黒炎が、テッドに襲いかかる――その直前。
風が鳴った。ひとりの女が、テッドの前に“立つ”。白刃が軽くひと振り。黒炎は、ろうそくの火のように、あっけなく消えた。
「お……お前は、まさか――“月刀姫”……!」
「お前。無事に帰れると思うな」
月刀姫ロザリー。月光を宿したような刃を、真っ直ぐジェフに向ける。森の空気が、きりりと冷えた。
Xのプロフ画像にアイリが載ってるので気になる方はぜひ見に来てください。AIに作ってもらったけどなかなかどうしてイメージ通りの仕上がりでびっくりしてます




