日の丸王国
「オラオラオラァ! どうした、そんなもんかぁ!」
アムスとかいう男が、夜の森で拳の雨を降らせる。空気が唸り、拳圧だけで落葉が舞った。
「なかなかやるっすね、おじさん」
リューネは半歩ずつ滑るように退き、拳を紙一重でいなす。口元は笑っているが、視線は冷たい。
「俺はまだおじさんじゃねぇよ!」
アムスが地を殴りつけた瞬間、土が爆ぜた。
「もしかして怒ったっすか? ――って、うわぁ!」
リューネの足元で土が炸裂し、土柱が立つ。
「危ないっすね。大地魔法っすか」
リューネは軽やかに後方宙返りで危機を抜け、着地と同時に指で地面をなぞる。
「ちっ、避けやがったか」
「今度はこっちの番っすよ」
しゃがんだリューネの掌から、ぴきぴきと地脈が走る。特攻してくるアムスに狙いを絞り――
ドン、と地面が盛り上がった。
「おっと、危ねぇな」
アムスは隆起を踏み切り台のように使い、さらに前へ。
(やっぱ当てるのは難しいっすね。だったら――)
「おっ?」
「落とし穴っす」
リューネの足元から半径十数メートルがずぶりと沈む。土が崩れ、地盤が砕ける広域の陥没。
「落ちるかよ!」
アムスは沈降する縁を強く蹴り、真上へ跳ぶ。
(きたっす!)
空中、無防備。リューネは両手で“形”を作ると、空間に巨大な岩槌が凝り固まる。
「くらえっす!」
「お……おい待て! ぐヴェ!」
岩槌がスキンヘッドを打ち抜き、アムスは落とし穴の闇へ叩き落とされた。
「ふぅ……死んだっすかね?」
縁に腹ばいになって覗き込む。
「おーい! 生きてるっすかー?」
「…………」
(やば……殺しちゃったかもっす)
焦ったリューネはためらわず跳び降り、底へ。半分土に埋まったスキンヘッドのてっぺんを鷲掴みにする。
「よいしょっす!」
ずぼっ、と抜ける。
「ブフェー!」
「あ! 生きてるっすね!」
(よかったっす……死んでたらアイリ様に怒られてたっす)
「お……おまえ……やるじゃ……ねえか」
「じゃ、大人しく捕まっててもらうっすよ。アイリ様がいろいろ聞きたがってたっすから」
粘着糸で簀巻きにし、壁面をひょいひょい登って脱出する。
「アイリ様は大丈夫っすかね……あのカロンって男、アタシより強そうだったから心配っす」
◆
(アイリ)
(マズいわね……今回は本当にピンチ)
「観念する気になったか?」
カロンが落葉を踏みしめ、ゆっくり間合いを詰めてくる。
「うっさい! 何度も言わせないでくれる?」
(考えろ私! 自慢のIQ5000をフル回転!)
「お姉ちゃん、それ以上は危険です」
ナナの声が脳裏に刺さる。近すぎればカロン、離れれば“剣の雨”。逃げ道は薄い。
バチバチッ、と皮膚の下で雷がはぜる。
(無理ゲーにもほどがある……けど何か、何かあるはず)
「動けない程度には痛めつけさせてもらうぜ」
「……!?」
(やば、間に合わ――)
――体が、勝手に動いた。
紙一重。カロンの拳が耳元を裂き、背後の樹皮が爆ぜる。
「あれ? 避けられたのか」
(今の、完全に反射……?)
「まだそれなりに余力があるみたいだな。だが亜人も探さないといけない、さっさと終わらせるか」
「お姉ちゃん! 今の状態は危険です。長く続けば脳が死んでしまいます!」
ナナが必死に叫ぶけど、今は前しか見えない。
カロンの両手に、何もない空間から剣が生える。
「俺のスキル【千剣万化】は、あらゆるものを剣に変える。――ここからは本気だ」
目にも止まらぬ剣技。斬撃が一本の線になって押し寄せる――が、見える。追える。躱せる。
(頭をフル回転させすぎて、帯電が限界を越えた? 世界がスローみたいに――)
「もう、攻撃は当たらないわよ」
刃をいなし、懐に潜る。拳を土手っ腹へ。
バチィンッ!
「ぐふぁ!」
拳から弾けた雷がカロンの全身にまとわりつき、筋肉が痙攣する。
「さっきのお返し!」
その頬へ回し蹴り。カロンの身体が丸太みたいに吹っ飛び、木々を倒して転がった。
「……随分、飛んだわね」
自分の出力に、一瞬おののく。
「あ、急がないと……魔力が切れる」
私は追い風のように駆けた。
「――!?」
前方から、また剣の嵐。梢を裂く銀の雨。まだ、倒れてない。しぶとい。
踊るように、すべてを紙一重で躱す。藪を抜け、土煙の向こうでカロンがよろよろと立つ。
「これ以上やるなら、容赦しないから」
(すでに容赦してないけど)
「まだ……だ。俺は、負けてない……」
カロンが剣を支えに立ち上がる――そこへ、
「そこまでにしろ、ドゥームの手先」
「そうっすよ! お前の負けっす」
クラウドとリューネが現れた。片手ずつに、簀巻きのアムスと、糸で拘束されたレイチェル。
「……!? お前ら……」
(よかった。二人がいれば、もう――)
「あ……やばい……体が」
「「アイリ様!!」」
帯電がふっと途切れ、溜め込んだ反動が一気に襲う。視界がぐらりと傾いた。
「お前たち……いい主人を持ったな」
カロンはぽつりと言い、地に座り込む。
「降参、ってことでいいんだな」
「ああ。今の俺じゃお前らに勝てない。だったら……潔く認める」
(――終わった、の?)
いつの間にか、私はリューネにおぶられていた。背中があったかい。
「とりあえず、拘束はさせてもらうぞ」
「ああ、好きにしろ」
その時だ。背中の皮膚がひりっと粟立つ。
「……何か、来てない?」
感知が働かない。頭が回らない。
「……魔法か!?」
クラウドが叫び、全員が散開する。
「しまった……!」
巨大な火球が唸りを上げて落ちた。地面が焼け、熱風が吹き抜ける。
炎が収まった時、カロン、アムス、レイチェルは虫の息で横たわっていた。
「なぜこんなことをした! アーガストよ!」
クラウドが魔法の主に掴みかかる。
「お主らは少し甘すぎるのじゃ。奴らはドゥームの手先。いま潰しておかねば、後で復讐されるに決まっておる」
アーガストの声は冷え切っていた。
(アーガスト……? どうして――)
「いい……んだ。どのみち……俺らは殺される」
カロンは血を吐きながらも、こちらを見て笑った。
「お前……」
「最後に……お前らと……会えてよかったぜ……」
それが最期の言葉。カロンの胸が、静かに落ち着いた。
森に、長い沈黙が降りた。
――私が目を閉じている間に、クラウドたちは三人のために墓を作った。
「彼らは私が吸収します。せめてもの弔いにもなりますし、何よりアイリ様のためにも」
「ああ、その方がこの三人も存外、喜ぶかもしれんの」
敵だった。だが、全てが“悪”だったわけじゃない――クラウドはそう思った。
「俺も、もっと強くならないとな」
アイリ様が悲しまないように。二度と。
◆
目を開けると、天井。柔らかい寝具。両腕に、すうすう寝息を立てるクロエとソアラ。
(……森じゃない)
「お姉ちゃん、おはようございます!」
「ナナ。ねぇ、あれからどうなったか、分かる?」
カロンを追い詰めたあたりから、記憶が途切れている。
「まず、お姉ちゃんは三日ほど眠っていました」
「そんなに!? 私が言うのもアレだけど……寝すぎでしょ」
こっそり二人の頭を撫でる。温度が、まだ夢みたい。
「それで、カロン達は?」
「……あの人たちは死にました」
「え?」
「反意を翻す可能性がある、という理由で――アーガストさんが魔法で」
言葉の意味はすぐ分かった。けど、心が追いつかない。
「じゃあ、もしかしてカロン達は……」
「はい。吸収しました。……それが、せめてもの弔いだと」
喉がつまる。胸の奥が、重くなる。
でも、同時に気づく。私の中に、知らない“力”が増えていることに。
「……私のせいね。あの場にいれば、止められたかもしれない」
「違います! お姉ちゃんは何も悪くありません。だから、気に病まないでください!」
ナナの声はまっすぐだった。
「――まあ、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。今は、やるべきことをやる」
そう。私は、国を再建するって決めた。
「はい! 私はどこまでもお姉ちゃんをサポートします!」
◆
カロン達との戦いから数日。私は今、別の意味で盛大なピンチを迎えている。
「お姉ちゃん、大丈夫ですか?」
大丈夫なわけがない。胃がキリキリする。
「私が用意したスピーチの台本、覚えましたか?」
「覚えてない! もう適当でいいかな……」
「ダメですよ! みんな楽しみにしてるんですから。それに――王様になるんですから、人前で話すのに慣れたほうがいいです」
「第一、なんで私が王様なのよ!」
アーガストでも、ソレイユでもいいじゃない。
「ソアラさん達亜人族の方も、覇蜘蛛族のみんなも、“アイリ様しかいない”って」
「……正気じゃないわよ、16歳よ?」
あの時、どうして“いいわよ”なんて言っちゃったんだろ、私。
「そういえば、新しく生まれ変わるこの国の名前は決めたのですか?」
「あー、それね。みんな“そのままはイヤだ”って断固反対してたやつ」
でも、もう決めてある。私の中で、ずっと。
だから、胸を張って言う。
「――『日の丸王国』よ」
ナナが目を瞬かせ、すぐにふっと笑った。
「いい名前です。ここから、まっすぐ昇っていく感じがします」
窓の外、修復を終えた城下の石畳に朝日が落ちる。砦の旗竿に、真新しい白地の布がからん、と鳴った。
私たちの国が、いま動き出す。
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いよいよ第一章も終盤に近づいてきました
第二章からはいよいよアイリが森を出るので楽しみにしていただけたらと思います




