入部届と黒い影
校庭で虚影を消し去ったあと、燈夜は軽く制服の袖を払った。
もう黒い霧の欠片も残っていない。魔力の残滓も、一般人には感じ取れないはずだ。
──これならバレない。
足早に校舎へ戻る。部室の扉を開けると、三条が怪訝そうに顔を上げた。
「遅かったな、白石。どこ行ってたんだ?」
「……トイレ」
短く答えると、三条は呆れ顔をした。
「緊張して腹でも壊したのか?」
「……かもな」
本当は校庭で怪物を殴り飛ばしていたとは、さすがに言えない。
その横で、明日奈が机に入部届の紙を並べていた。
「はい、みんな。これ書かないと正式な部員になれないんだよ」
「えー、めんどくさい」と杏里がふてくされた声を出す。
「ほら、書きなさいって。新入生なんだから」
燈夜の分の用紙も、すっと差し出された。
「白石くんもでしょ?」
「……俺?」
「そうだよ。見学って言ってたけど、どうせ入るんでしょ?」
その一言に、燈夜は言葉を失った。
──入るのか? 俺は。
政府から「高校生活を送りつつ、部を再建せよ」と命じられている。
だが、入部届の紙を前にすると、まるで全然違う意味を持つように見えた。
“普通の高校生として部活に入る”
それは戦場では決して得られなかった感覚だった。
ペンを取る燈夜の手が、かすかに震える。
燈夜は、迷うように入部届の欄を見つめた。
名前、生年月日、住所──ただの紙切れ。なのに、戦場で刃を突きつけられるよりも緊張している自分に気づき、少しだけ可笑しくなった。
カリ、カリ、とペンを走らせる。
最後に「白石燈夜」と署名した瞬間、明日奈が嬉しそうに身を乗り出した。
「やった! これで部員四人目!」
「四人?」
「そう。わたしと、杏里と、千景先輩と。で、白石くん」
横で頬杖をついていた杏里が、だるそうに言う。
「ま、形だけでも人数増やしとけば、廃部は避けられるしねー」
「形だけ、じゃないよ! これから活動するんだから」
「活動って、何すんの?」
杏里の言葉に、明日奈は胸を張る。
「もちろん、“学校七不思議調査”!」
部室の空気が一瞬でぬるっとした。
「七不思議……?」と三条が半笑いを漏らす。
「そう! 夜の廊下に現れる黒い影とか、音楽室で鳴るピアノの音とか。そういうのを歴史研究部で調べるの!」
「歴史……関係あるのか?」
「あるんだよ! オカルトも歴史の一部!」
燈夜は黙って聞いていたが、胸の奥がざわめいた。
──黒い影。
それは確かに、虚影の特徴と一致していた。
「じゃ、明日放課後。最初の調査、行こう!」
明日奈の宣言に、千景が上品に微笑む。
「……面白そうですわね」
杏里は肩をすくめた。
「また面倒なのに巻き込まれた……」
そのやりとりを眺めながら、燈夜は静かに確信する。
──やはりここで、俺は戦わなければならない。




