歴史研究部
翌日。
虚影との小競り合いの疲れがまだ残っているのか、燈夜は授業中もどこか上の空だった。
窓の外では野球部が声を張り上げ、夏の日差しをはね返すように白球を追いかけている。
──部活、か。
昨日の出来事を思い返しながら、燈夜は心の中でため息をついた。
誰にも気づかれずに怪異を撃退したつもりだが、あの女子生徒の視線が頭から離れない。
組織の任務とはいえ、人間関係を築きながら虚影と戦うのは、やはり骨が折れそうだ。
放課後。
教室を出ようとしたところで、声をかけられた。
「君、昨日助けてくれた人だよね?」
振り向くと、長い黒髪を二つに結んだ女子が立っていた。手には資料らしきファイル。
「あ……えっと、昨日は……」
「変なことを言うかもしれないけど、あれ、ただの犬とかじゃなかったよね?」
鋭い。思わず言葉に詰まる。
女子はにこりと笑った。
「安心して。私も“見える”から」
その一言で、燈夜の心臓が跳ね上がる。
彼女の名前は 月城 明日奈。
同じクラスに所属していながら、あまり目立たない存在だった。
だが彼女は続けてこう言った。
「私、歴史研究部に入ってるんだけど……もしよかったら、見学に来ない?」
「歴史研究部?」
意外すぎる誘いに、燈夜は首をかしげる。
「あそこはね、ただ歴史の本を読むだけじゃないの。昔の記録や伝承の中には、虚影みたいな存在の痕跡が残ってる。だから調べてると、今につながるヒントが見つかることもあるんだ」
──虚影の痕跡。
その言葉に、心の奥で小さな火花が散った。
彼女が“見える”存在なら、ただの部活以上の意味を持つ。
組織の任務にも、きっと役立つ。
「……考えておく」
短く答えると、明日奈は満足げに笑い、ひらりと手を振って去っていった。
残された燈夜は、机の上に置かれた勧誘用のプリントを見つめる。
そこには大きな字で「歴史研究部・新入部員募集中!」と書かれていた。
──普通の部活なんかじゃない。
だが、この出会いが運命を変えるかもしれない。
数日後。
燈夜は半ば押し切られるようにして、歴史研究部の部室を訪れていた。
「ここ……だよな」
校舎の隅、物置にしか見えない古い部屋。扉を開けると、埃っぽい空気と同時に、紙の匂いが鼻をくすぐった。
中には、机を挟んで三人の生徒が集まっていた。
一人は昨日の月城明日奈。明るい笑顔で手を振る。
もう一人は眼鏡をかけた男子、静かに本をめくる姿が妙に板についている。
そして最後の一人は、派手な金髪にイヤホンを垂らした男子。完全に歴史と無縁そうな見た目だ。
「ようこそ、歴史研究部へ!」
明日奈が元気よく紹介を始める。
「彼は三条 蓮。記録オタクで、古文書を読むのが得意」
眼鏡の男子が軽く会釈する。
「そしてあっちは城ヶ崎 隼人。歴史より都市伝説が好きで、よく脱線するんだけど……」
「よっ、よろしく~。俺、戦国武将よりも未確認生物のほうが詳しいぜ」
金髪男子は軽薄そうに笑ってみせた。
──なんだこの温度差。
燈夜は戸惑いつつも、机に積まれた古いファイルに目を向ける。
「それ、最近見つけた記録なの」
明日奈が手に取って見せる。黄ばんだ紙には、達筆で不気味な言葉が綴られていた。
『夜、影の形をしたものが村を襲う──』
燈夜の指先がぴくりと動く。
虚影の記録。
明らかに普通の歴史資料ではない。
「これ、ただの迷信とかじゃ……」
言いかけた瞬間、窓の外から冷たい風が吹き込んだ。
紙がばらばらとめくれ、ろうそくの炎の絵が描かれたページで止まる。
「……おかしいな、風なんて入ってないのに」
三条が訝しげにつぶやく。
燈夜は反射的に目を細め、魔力の感覚を研ぎ澄ませた。
──虚影の気配。
まさか、この部室にまで現れるのか。
「どうかした?」
明日奈が首をかしげる。
燈夜は一瞬迷ったが、すぐに表情を戻した。
「いや……なんでもない」
だが、確信した。
ここはただの部活じゃない。
この歴史研究部は、虚影にまつわる何かを引き寄せる“場”なのだ。
その晩、校舎を閉めるチャイムが鳴り響いた。
歴史研究部の面々は、まだ部室に残っていた。
「そろそろ帰らないと怒られるね」
明日奈が鞄を抱え、窓の外に目をやる。
夕暮れはすっかり夜の色に変わり、校庭の隅がじわりと黒く染まっていた。
──それはただの影に見えた。
けれど燈夜には、違うとわかる。
虚影が現れている。
「……っ」
立ち上がりかける燈夜を、三条が呼び止めた。
「白石くん、どうした? 顔色が」
「いや、ちょっと用事を思い出した」
ごまかすように笑い、部室を飛び出す。
階段を駆け下りながら、ポケットの中で無線機を握りしめた。
《こちら白石、校内に虚影反応を確認。規模は小。速やかに排除に移る》
冷たい夜風が吹き抜ける校庭。
黒い影は、まるで生き物のようにうねり、形を変えていた。犬とも狼ともつかない獣の姿。
燈夜は深呼吸し、手をかざす。
「……視界奪取」
師匠から受け継いだ力を発動する。
虚影の視界が一瞬だけ彼のものに繋がり、その動きが丸裸になる。
「見えた」
その瞬間、足を踏み出す。
魔力を纏った拳が、真っ黒な獣の顔面を打ち砕いた。
衝撃音が校庭に響き、影は霧のように散って消える。
数秒の静寂。
無線から、上司の落ち着いた声が返ってきた。
《排除確認。……だが、気を抜くな。お前の新しい任務は、あくまで“高校生としての生活”だ》
燈夜は短く返事をし、無線を切った。
見上げると、窓越しに明日奈たちの影が揺れている。
──あの部室で過ごす時間が、これからどう変わっていくのか。
「……高校生活、か」
自嘲気味に笑いながら、拳を握りしめる。
戦いの日々に疲れ果てた少年にとって、普通の学校生活は遠い夢だった。
だが、すでにその夢の裏に、虚影の影が忍び寄っている。




