極秘任務
燈夜はしばし無言のまま、夜の街を見渡した。
虚影が消えたあとの場所は、不自然なまでに静まり返る。音も気配もなく、ただ街路灯の光だけが無機質に照らし続けている。
ここには、さっきまで「死」があった。
けれど、それを知る者は誰もいない。人々は眠り、テレビのニュースにも流れない。
それでいいのだ。
虚影の存在は、世に知られてはならない。
『なあ燈夜、少しは楽しみとかないのか? 高校生活。机並べて、弁当食って、放課後に寄り道して――俺なんかちょっと羨ましいくらいだぞ』
無線の向こうの声は、軽く笑っている。
だが燈夜は笑えなかった。
「……そういうの、俺には似合わない」
即答した自分の声に、わずかな自嘲が混ざった。
彼には似合わない。
血と闇を見てきた。
戦い続けてきた。
そして、そのために人を撃った。大切な師の胸に銃弾を撃ち込み、力を受け継いだ。
――五十嵐篤志。
あの人の最期の眼差しは、今も焼き付いて離れない。
“お前は生きろ。俺の代わりに”
虚影との戦闘で致命傷を負い、燈夜に力を託した男。
その死を、燈夜だけが知っている。
仲間にも、政府にも、誰にも明かさなかった。
秘密にしなければ、彼は監視と管理の檻に閉じ込められるだろうと分かっていたから。
だから燈夜は笑えない。
「青春」だとか「日常」だとか、そんな言葉からは遠すぎる場所に立ってしまったのだから。
『まあ、そう言うなよ。お前はエースだが、まだ十四の子どもでもあるんだ。政府の上の連中も分かってんのさ。だから“歴史研究部”に潜り込めって任務になったんだろう?』
任務。
そう、これは彼が自ら望んだことではない。
燈夜は一度、組織を抜けようとした。戦いに疲れ果て、もうこれ以上は耐えられないと感じたからだ。
けれど上層部は言った。
「ならば普通の高校生として生きろ。ただし――虚影と戦う力を隠しながら、部を再建せよ」と。
その任務を拒むことはできなかった。
虚影を野放しにすることも、自分の力を持て余すこともできなかったから。
……いや、本当の理由は別にある。
燈夜は夜空を見上げる。
東日本大震災の日。
海の近くの小さな家で、余震に怯えながら零と一緒に逃げ惑ったあの日。
彼の心に根を下ろした恐怖と喪失感は、まだ消えていない。
だからだ。
もう誰も、自分のように怯えさせたくない。
虚影に喰われて失われる魂を、これ以上見たくない。
そのためなら、任務だろうが高校生活だろうが受け入れる。
風が吹いた。
フードの下の白い髪を揺らす。
瞳に宿るのは諦めと、微かな決意だった。
「……高校生活、か」
自分でも驚くほど弱い声が口をついた。
『そうだ。お前が何を考えてようと、明日からは“ただの一年生”だ。戦場の外でどう振る舞うか――楽しみにしてるぜ』
無線が途切れる。ノイズが夜に溶けた。
燈夜は一人、歩き出す。
街は元の姿を取り戻しつつある。コンビニの明かりが遠くで瞬き、深夜バスのエンジン音が響く。
この日常の中に、自分は溶け込めるのか。
そんな問いに答えはない。
だが――。
彼は明日、制服に袖を通す。
机を並べ、名前を呼ばれ、クラスメイトに挨拶する。
そして、歴史研究部を再建する。
それが新たな戦いの始まりだ。
少年は、まだ知らない。
その部が仲間との出会いの場となり、やがて彼の運命を大きく変えていくことを。
そして未来、魔王として筆を執る自分自身へと繋がっていくことを。
けれど今はただ――。
「最強だけど、明日から高校生」
そんな矛盾を抱えたまま、一歩を踏み出していた。




