落着
闇の腕が振り下ろされた瞬間、燈夜の視界は別の視点へと切り替わった。
それは虚影自身の「視界」だった。歪んだ世界、漆黒の靄に包まれた景色。その異様な眺めを、燈夜は己のものとして共有していた。
――師匠、五十嵐篤志が最後に残した能力。
「視界奪取」。
敵の目を奪い、その視界を共有する異能。相手の死角を知り、動きを先読みできる。
「遅い」
燈夜は低くつぶやき、身をひねった。
虚影の闇の腕は、わずかに横をすり抜ける。
すぐさま燈夜の銃口が跳ね上がり、青白い魔力弾が放たれた。
――轟音。
光の弾丸が虚影の胸部を貫いた。
だが手応えはない。影が砕けただけで、すぐにまた形を取り戻す。
一条が叫ぶ。
「な、なんだよそれっ! 効いてねえじゃんか!」
「虚影は魔力の塊だ。核を壊さなければ消滅しない」
燈夜は冷静に答え、すぐ次の弾を込める。
虚影が口のような裂け目を広げ、黒い光を吐き出した。
床がえぐれ、倉庫の壁が砕け散る。破片が飛び散る中で、一条は尻もちをつき、顔を覆った。
――常人なら、それだけで命を落としかねない。
「下がってろって言っただろ」
燈夜が再び走る。
虚影の視界から、次の攻撃の予兆が見える。背後の影が広がり、足元を絡め取ろうとしていた。
燈夜は飛び上がり、壁を蹴って跳躍した。
宙で銃を構え、核の位置を狙う。虚影の視界を覗き込むことで、胸の奥に濃縮された魔力の輝きがはっきりと見えた。
――今だ。
引き金を引く。
蒼白の閃光が闇を裂き、虚影の胸を直撃した。
耳をつんざく悲鳴。虚影の輪郭が崩れ、倉庫全体が震える。
闇の靄が吹き飛び、静寂が訪れる。
燈夜は床に着地し、素早く銃を下ろした。
「……消えたか」
一条は呆然と口を開けたまま。
「お、お前……人間じゃねえだろ……」
「さっきも言った。説明はあとだ」
燈夜は短く言い捨て、破壊された倉庫を見回す。
――これで、依頼の核心は証明された。
生徒たちを蝕んでいたのは、やはり虚影の仕業だった。
倉庫の瓦礫の中、ほのかに漂う煙と埃の匂いが鼻をつく。
一条が咳き込みながらも立ち上がり、崩れた床の跡を見下ろす。
「……まさか、あんなのがいるなんてな」
声は震えていたが、恐怖と興奮が入り混じっている。
美羽はまだ背を震わせ、廊下の端に立っていた。
「……本当に、私の見た通りだったんですね……」
燈夜は黙って彼女を見やり、短く頷く。
口には出さないが、彼の内心は冷静さを装いつつも、戦闘の余韻で微かに血が熱くなっていた。
千景は扇子を閉じ、ゆっくりと歩み寄る。
「怖い思いをさせたわね。でも、もう大丈夫。虚影は消えた」
燈夜は視線を下ろし、拳をわずかに握った。
虚影の残留魔力が空気に漂い、微かな震えとしてまだ感じられる。
「完全には消えていない……だが、今回はこれで充分だ」
一条が口を開く。
「……お前さ、なんであんなに落ち着いてんだ? 俺、あんなのに生きてる自信ねえぞ」
燈夜は静かに答える。
「……訓練しているからだ。それだけ」
部室に戻る道すがら、美羽がぽつりと呟いた。
「……でも、どうしてあなたたちは、普通の人と違うことができるんですか?」
燈夜の瞳が一瞬だけ揺れた。
普通の人間には見えないもの――虚影を、彼は視認できる。
そして、戦う力も持っている。
だが、それを口にすれば、日常と戦場の境界が崩れてしまう。
だから、答えは簡単に言えない。
倉庫を後にして、夜の校舎を歩く四人。
背後に伸びる影は、あたかもまだ何かを見つめているかのように静かに揺れていた。
――次に何が起こるのか。
それを予感させる風が、冷たく吹き抜ける。
燈夜の心は、静かに緊張を解きつつも、わずかに興奮していた。
これは、ただの依頼だったのか――。
それとも、もっと大きな、未知の戦いの入り口だったのか――。
答えは、まだ誰にも分からない。




