ホームラン
逆転ホームランが、人類を救ったためしはない。
それは二十年この方、月で地球を眺めていた私の結論である。
月のクレーターでは、私くらいの大きさであればへばりついていられるだけのすき間があった。地球の上を飛び交っている映像のチャンネルをここでは受信出来るらしく、私はそこで日がな地球を観察していた。
「僕が手術を受けるなら、ホームランを打ってくれるの?」
「もちろんだよ坊や」
このような見目麗しいやり取りは、いったい何回繰り返されただろうか。
そのたびに私はしかめ面をしてチャンネルを変えた。しかしどうしたことか、その場面に遭遇することは多かった。
はじめは涙とともにこのシーンを見届けたものだ。その時は、あたりに感動的な空気がたち込めた。
だが、それも最初のうちの話だ。
すぐに私は食傷気味になった。
繰り返される文言。
繰り返される感動。
お定まりの結果は二種類に決まっていた。すなわち、ホームランを打つか、打たないかである。
打ったらこれは、万々歳だ。病室は歓喜の渦に包まれる。子供は感涙にむせぶ。
しかし面白いことに、これは打てなくてもなんとかなったりするのだ。
この場合でも、子供は泣く。
「僕のために頑張ってくれてありがとう」
こういう時に、別の文言は許されない。
ふてくされた子供は、途端に両親から制裁を加えられる。次に選手と子供が会う時は、子供はどうしたって泣いていなければならない。
どうしたことだろう、これは。
ずっと地球を見ていたが、おかしくなってきたのはここ十年ほどのことだった。
十年前は、どのチャンネルも、軍服を着た人間がたむろしていた。
その後少しずつ軍服を着た人間の出番は減っていったが、代わりに増えてきたのが、この茶番だ。
繰り返されるドラマに、心なしか野球選手や子供の顔もひきつっているように見えた。もちろん、毎回全員が違う人間なのだが。
そうしていつも、やってくるのは逆転ホームランのチャンスなのだ。
これは失敗した場合も、子供と病室で再開する時まで、私たちはその野球選手の顔を見ることができる。しかしそのあと、どの試合でも、彼の姿はふつりといなくなっている。
私はしばらく前から、この映像たちを見ることにうんざりしていた。しかし他にすることもないから見ていたまでのことだ。
しかしそれも、限界が来ていた。
「さあ、だだをこねちゃ駄目だよ」
地球のとある病院で、白衣の男性が目の前の子供をなだめていた。子供はむくれている。
「やだ。だって、いつも同じ話ばかりなんだもん」
同じ部屋にいる数人の大人たちの顔が蒼ざめる。皆それとなく、後ろに貼られているポスターの顔を気にする。ポスターに描かれた総統の目玉は動いていない。なんとか、大丈夫なようだ。
「君はこの星の義務を忘れたのかね」
なだめる作戦が効かないとなると、白衣の男性は高圧的な態度で話しだした。
「親はどんな教育をしているんだ」
真っ青になりながら、両親が出てくる。そこから必死の低頭が始まる。周囲は時計を気にしている。
そうして結局、その子供は帰らされた。両親には相応の罰が待っているだろう。事態は深刻なのだ。
ちょっとした喧騒の後、新しい子供が来る。
明るい顔で、ニコニコとしている。
「こんにちは。精いっぱい、がんばります!」
今度の子は大丈夫そうだ、と周囲は安堵の空気に包まれた。
「うん、頑張っていこうね」
白衣の男はさっきまでとうってかわってにこやかだ。
「ただし、君は病気の患者さんだ。手術後のシーンまでは、もう少し大人しい感じを出していようか」
「――きっかけは、一本の映像だった」
一人の男が、録音機に向かって話しかけている。
「苦しい統一戦争だった。幾度も心が折れそうになる。そんな時、幼い頃に観たテレビを思い出した。それは一人の野球選手と病気の子供のやりとりだった。うるわしき約束とその実行。逆転のホームラン。幼い頃に何気なく見聞きしたものが、のちのち重要な意味を持つことがある。私の場合は、その映像がそれだったのだ」
男は立ち上った。
「さあ、逆転のホームランを目指そう!これがこの星の、一つになった国の基本理念だ。統一戦争を耐えきった不屈の理想だ。皆がこのことを忘れぬよう、絶えず神話は繰り返される。不断の挑戦は続くのだ」
そこで、録音は終わった。
「ありがとうございます、閣下」
お付きの者が、口を開く。
「今月も、素晴らしいスピーチでした。引き続き国民の意欲向上につとめてまいります」
ああ、よろしくと言い残して、男はその部屋を出ていった。
部屋の入り口には、「惑星総統閣下 録音室」と書かれた看板が立てられていた。
「ホームラン、お疲れさまでした」
カメラの近くで、男が選手に礼をしている。撮影は終わっているらしい。
「これが謝礼です。あなたの未来は約束されるでしょう」
「光栄です」
野球選手はにこやかな顔で、それを受け取った。
「肩の荷が下りました。なにしろ一発勝負なのですから」
多少の歓談を経て、野球選手は帰途についた。
帰り道、野球選手は人知れずため息をついた。思考までは読まれない。
(いつまでこのイベントが続くのだろうか)
地球が統一されてから十年、この催しは行われている。毎月の総統のスピーチを聞く限り、中断されることはなさそうだ。
彼自身も、かつては逆転ホームランを夢見た一人の少年だった。
彼はやりきった。しかし、やりきれなかった。




